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可愛そうなお姫様の話
十話
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梓が自分の振られた役割と自身の立ち位置がどれだけ恵まれているかそれなりに理解しているというのなら、尚更暁にだって慰めようがない。
ぐずぐずと涙を拭う。手持ちぶさただったハンカチを差し出し、暁は出来るだけ優しく話す。それは端から見れば幼児を諭す親のようにも映るかもしれない。
「先輩達に推薦されて断り難かったのはわかるよ。でもさ、それで良いですって言っちゃったんだからやっぱり嫌だってのは我儘じゃないの?」
梓の本心を暁は読み取れなかった。
そうと悟ったのはハンカチで目許を何度も抑えていた梓の瞳から先程より増してぶわ、と涙が溢れ出したからだ。
返答がお気に召さなかった。それはわかった。厳しすぎたかも。謝ろうと口を開くより先に、梓の真っ黒な交じり気の無い綺麗に今は涙を弾き光る瞳が暁を睨み付けた。
「あんたは良いよね」
控え目で後を追うようにおろおろしながら暁の後を付いて歩いている梓のものとは思えない荒い口調に、暁は息を飲む。
ぎらぎらと、それは明確な敵意と悪意がない交ぜになった、間違いなく敵を見る瞳だった。
「暁ばかりずるいのよ。出番も何時も沢山あって、死ななくて、目立って、いっつもいいこの役。そんなんじゃ、私の気持ちなんてわかる筈ないわ」
「……はあっ!?」
頭に血が一気に昇る。それは梓の無知さ故の暴言でしかないが真っ直ぐ暁の弱い、暗い場所を突き刺した。嫌味のつもりだった彼女の言葉は全く意図したものとは違う攻撃性を発揮した。
美しいだけの、物事を、他人を見ていない自分の悲しみに浸る少女は暁の反応の変化に気付く事もなかった。
「良い役しか貰わない、あんたにはわからない」
八つ当たりだった。
暁だって、わかっていた。しかし八つ当たりだからと我慢出来る程に暁は大人じゃなくて、それだけではない。八つ当たりでは許されない逆鱗を梓は踏みしめたのだ。
……誰が、良い役ばかりだ?目立つだ?
どれだけ私が積み重ねても届かない主人公はそこにいたのに。
「何よそれ」
綺麗な顔が自己憐憫に染まった涙を流す様は綺麗だったが、だからこそ暁には忌まわしくてならない。
自分にその美貌があったら、どんなにか。
「私が死体役のひとつもしたことないと思った訳?」
「な、何よ、だってそうじゃない」
「そうじゃないわ。あんたが知らないだけでしょうが」
小学校からずっと芝居が好きだった。
演劇専門の教室なんて通わせて貰えなかったから、部活動と図書館の本テレビやDVD、なけなしの小遣いで舞台だって観に行った。積み重ねても積み重ねても、今まだこんなところにいる。
「ふざけないでよ」
梓と喧嘩なんかした事がなかった。
梓は暁を頼って、暁はそんな梓を守ってあげなくちゃと思っていた。演劇に然程興味もないのに入部してきた時には流石に呆れたが、自分の傍にいたいのだと、そこまで人に必要とされるのは悪い気はしなかった。
しかし梓より長い付き合いで譲れないものが暁にはあるのだ。
無条件に甘やかしてやらなくちゃいけないのだ。ここまで馬鹿にされて?やってられるか。
口が勝手に開閉しているような奇妙な感覚だったが、それは明らかに『キレていた』。周囲から見ても一歩ひく程分かりやすく暁は怒り心頭であった。
「あんたが入部するよりずっと前。私は道具係からだよ。台詞一個もない役だって幾らもやった。その辺の通行人や死ぬ役どころか最初から死んでる役だってあった。
ちょっとしんどい役がきた位でぐずぐずべそべそしてるなら、辞めなよ。向いてないよ」
梓の涙を見ても可愛そうにと思うより先にいやらしい考えが浮かんでしまう。そうやって泣いてればごめんごめんと許して可愛がってくれると思ってるのか。綺麗だから、美人だから。
……本当は、自分はずっと梓の事が嫌いだったんじゃないかと疑う位、苛立ちしか起きなかった。
「私よりずっと綺麗な癖に……っ少しは真面目にやったら?そしたら私より良い役くるよ、直ぐにさ」
しまった、と思ったのは、言いたい事を全て言い終えてからだ。
梓の暁へぶつけた言葉が八つ当たりならば、暁の梓にぶちまけた言葉もまた八つ当たりだった。
受からないオーディション。妹からの蔑みと嘲笑。若気の至りと、ただ諦めるのを待つ親。部活動でも上手くいかない程度の実力と、その一端は自分のあか抜けない容姿にあると、他者の容姿に醜く嫉妬した自分の本音。
梓は努力を知らないから、傍にいる暁が与えられている何もかも順調に見えるのだろう。しかし暁は自分の人生で、人生駆けた夢で上手くいった事なんか殆どない。お情けで貰った端役で泣いて喜んだ過去など知らない。
同じだ。暁も梓を知らない。何故モデルを辞めたのか。自信に満ちた性格で可笑しくないその美貌を持ちながら他人を恐れ、長身の身体を丸めようとするのか。知らない。
「あ、あの。ごめ、あの」
謝りかけて、違うと弁解しかけて何が違うのかと思う。
自分は思っていた。暁に甘えたいから演劇部に入部したんだろう?と。やる気も実力も無いと。何より、自分より遥かに優れているのに利用しきれていない彼女の美貌を羨んでいた。
ぐずぐずと涙を拭う。手持ちぶさただったハンカチを差し出し、暁は出来るだけ優しく話す。それは端から見れば幼児を諭す親のようにも映るかもしれない。
「先輩達に推薦されて断り難かったのはわかるよ。でもさ、それで良いですって言っちゃったんだからやっぱり嫌だってのは我儘じゃないの?」
梓の本心を暁は読み取れなかった。
そうと悟ったのはハンカチで目許を何度も抑えていた梓の瞳から先程より増してぶわ、と涙が溢れ出したからだ。
返答がお気に召さなかった。それはわかった。厳しすぎたかも。謝ろうと口を開くより先に、梓の真っ黒な交じり気の無い綺麗に今は涙を弾き光る瞳が暁を睨み付けた。
「あんたは良いよね」
控え目で後を追うようにおろおろしながら暁の後を付いて歩いている梓のものとは思えない荒い口調に、暁は息を飲む。
ぎらぎらと、それは明確な敵意と悪意がない交ぜになった、間違いなく敵を見る瞳だった。
「暁ばかりずるいのよ。出番も何時も沢山あって、死ななくて、目立って、いっつもいいこの役。そんなんじゃ、私の気持ちなんてわかる筈ないわ」
「……はあっ!?」
頭に血が一気に昇る。それは梓の無知さ故の暴言でしかないが真っ直ぐ暁の弱い、暗い場所を突き刺した。嫌味のつもりだった彼女の言葉は全く意図したものとは違う攻撃性を発揮した。
美しいだけの、物事を、他人を見ていない自分の悲しみに浸る少女は暁の反応の変化に気付く事もなかった。
「良い役しか貰わない、あんたにはわからない」
八つ当たりだった。
暁だって、わかっていた。しかし八つ当たりだからと我慢出来る程に暁は大人じゃなくて、それだけではない。八つ当たりでは許されない逆鱗を梓は踏みしめたのだ。
……誰が、良い役ばかりだ?目立つだ?
どれだけ私が積み重ねても届かない主人公はそこにいたのに。
「何よそれ」
綺麗な顔が自己憐憫に染まった涙を流す様は綺麗だったが、だからこそ暁には忌まわしくてならない。
自分にその美貌があったら、どんなにか。
「私が死体役のひとつもしたことないと思った訳?」
「な、何よ、だってそうじゃない」
「そうじゃないわ。あんたが知らないだけでしょうが」
小学校からずっと芝居が好きだった。
演劇専門の教室なんて通わせて貰えなかったから、部活動と図書館の本テレビやDVD、なけなしの小遣いで舞台だって観に行った。積み重ねても積み重ねても、今まだこんなところにいる。
「ふざけないでよ」
梓と喧嘩なんかした事がなかった。
梓は暁を頼って、暁はそんな梓を守ってあげなくちゃと思っていた。演劇に然程興味もないのに入部してきた時には流石に呆れたが、自分の傍にいたいのだと、そこまで人に必要とされるのは悪い気はしなかった。
しかし梓より長い付き合いで譲れないものが暁にはあるのだ。
無条件に甘やかしてやらなくちゃいけないのだ。ここまで馬鹿にされて?やってられるか。
口が勝手に開閉しているような奇妙な感覚だったが、それは明らかに『キレていた』。周囲から見ても一歩ひく程分かりやすく暁は怒り心頭であった。
「あんたが入部するよりずっと前。私は道具係からだよ。台詞一個もない役だって幾らもやった。その辺の通行人や死ぬ役どころか最初から死んでる役だってあった。
ちょっとしんどい役がきた位でぐずぐずべそべそしてるなら、辞めなよ。向いてないよ」
梓の涙を見ても可愛そうにと思うより先にいやらしい考えが浮かんでしまう。そうやって泣いてればごめんごめんと許して可愛がってくれると思ってるのか。綺麗だから、美人だから。
……本当は、自分はずっと梓の事が嫌いだったんじゃないかと疑う位、苛立ちしか起きなかった。
「私よりずっと綺麗な癖に……っ少しは真面目にやったら?そしたら私より良い役くるよ、直ぐにさ」
しまった、と思ったのは、言いたい事を全て言い終えてからだ。
梓の暁へぶつけた言葉が八つ当たりならば、暁の梓にぶちまけた言葉もまた八つ当たりだった。
受からないオーディション。妹からの蔑みと嘲笑。若気の至りと、ただ諦めるのを待つ親。部活動でも上手くいかない程度の実力と、その一端は自分のあか抜けない容姿にあると、他者の容姿に醜く嫉妬した自分の本音。
梓は努力を知らないから、傍にいる暁が与えられている何もかも順調に見えるのだろう。しかし暁は自分の人生で、人生駆けた夢で上手くいった事なんか殆どない。お情けで貰った端役で泣いて喜んだ過去など知らない。
同じだ。暁も梓を知らない。何故モデルを辞めたのか。自信に満ちた性格で可笑しくないその美貌を持ちながら他人を恐れ、長身の身体を丸めようとするのか。知らない。
「あ、あの。ごめ、あの」
謝りかけて、違うと弁解しかけて何が違うのかと思う。
自分は思っていた。暁に甘えたいから演劇部に入部したんだろう?と。やる気も実力も無いと。何より、自分より遥かに優れているのに利用しきれていない彼女の美貌を羨んでいた。
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