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可愛そうなお姫様の話
二十話
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歌乃はけろっとした顔として暁の隣を歩き出した。手には衣装のアクセサリー用に格安ショップで購入した布やハンドメイド用の小物が入った袋を手に持っている。
そして彼女は特に近くに他の部員がいる訳でもないにも関わらず声を潜めて喋りだした。声量のコントロールが効かない慎重になっているのかもしれない。
「あの、先輩。あんまり言わない方が良いかもしれないですけど……黒神先輩酷くないですか?」
「え?」
吃驚して振り返り、まじまじと歌乃の顔を見詰める。ばつが悪そうな表情で歌乃は続けた。
「聞いちゃいました。あの、柏から、ですけど」
柏山吹。先日の同級生達との会話を思い出す。俳優である屋敷透の息子であり、子役として芸能活動していた砥粉春次という名前の少年と同一人物の噂。
あれから部活動の度に山吹とは顔を合わせていたが、特に暁は彼に屋敷透や砥粉春次との関係について問いかけたりはしなかった。ただ、あの時その場に居合わせた人間の誰かがくちを緩ませたのか演劇部内でもちらほら話題になり始めていたが、当の山吹は知らず存ぜぬの態度を貫いていたし、部内で調子に乗った元子役が素人演劇部でふんぞり返っているなんていう軽口すらあったが涼しい顔で受け流しているように見えた。
その山吹とは部活動で特に接点がある役ではないのもあって会話らしい会話をした覚えがない。歌乃との方が余程よく話している。その山吹が一体暁について何を話したというのか。
山吹は今日は部活動そのものを休んでいる。買い出しなんて面倒くさいから逃げたんだと彼と同じ一年生はぶつくさ言っていた。
心当たりが全くなく困惑する暁に、何故かむっとして歌乃は話し出した。
「黒神先輩ですよ!何様なんですかあの人!自分の役が気に入らないんなら部長か副部長に直談判すればいいのに、尾根先輩を妬んで八つ当たりするとか、信じられない!!
可愛いからってちやほやされて当たり前だとか思ってるんじゃないですか?」
話しているうちに怒りが生まれたのか、歌乃の言葉の語気が強くなってくる。
しかしその言葉と暁に懐いている後輩の怒りぶりで、漸く山吹が話したという『梓が酷い話』が何なのか理解した。
あの時、今自分と梓の間に深い溝が出来てしまった時近くに歌乃がいた記憶はないが、山吹は確かにいた。苦い沈黙を抱えて黙る自分とただ涙を流し続ける梓の傍を通り過ぎようとした彼が、悪意も敵意も、本当に何の気持ちもないただの感想のように言い放った言葉。
「女ってこえー」
悪意がないからこそ、あの言葉は堪えた。梓を庇いたいわけでも、特に暁を攻撃しようという意思も感じられない。それは客観的に見れば暁も、恐らく梓も女という名を冠した他者への軽い軽蔑でしかない。みっともない。ださい。見苦しい。そんな自分には関わり合いにならない、なりたくない人間へと向ける高みにいる人間がぶつける冷徹さだ。
彼の言葉を暁は忘れてはいなかった。思い出すだけで梓の涙も山吹の軽く圧し潰してくるような言葉も心臓の内側をごりごりとえぐるように気が重くなる。胸が痛い瞼も痛い。忘れられないから、出来るだけ思い起こさないように気を付けていただけなのだ。
「柏くんが言ってたの?本当?」
しかしそれはあくまで彼の口にした言葉が想定していないだろう暁の心に深く突き刺さっただけで、山吹の方は言った事はおろか先輩部員二人の修羅場に遭遇した事すら覚えていないと思っていた。
歌乃の方はといえば暁の心中には全く気付いていない様子で、怒りを抑えるように両の拳を握りしめている。
「はい、確かに聞きました。あの人絶対に先輩に甘えてるし、甘えすぎですって!先輩が優しいから、きっと泣けば代わって貰えるとか思ってんですって絶対!」
「そこまでは考えてないでしょ、落ち着きなって」
もう声量のコントロールが出来なくなってきている。先程の慎重さは嘘のようである。興奮した様子で喋りだした歌乃を抑える。
歌乃は納得がいかない様子ではあるが口を一度閉じた。が、黙っていられなくなるのもまた早く早々にその口は開く。但し、今度は周囲の目線を気にして途切れ途切れに、且つ声の調子を低くして話し出した。
「一年の男子が、話してたんです。どうせ、なら。美人なお姫様は。部長より、黒神先輩にやって、欲しいって」
「へえ……」
確かに絶世の美女という設定のお姫様役なら、大人しくて地味な印象の強い光よりも、元々モデルの経験があるのも頷ける美貌の持ち主である梓を贔屓目で見たくなる気持ちもわかる。しかし、部長とか新入部員だとか関係なく梓の演技力や、まともに台詞も覚えられない様子ではヒロインを演じ切る事など不可能だろう。
「まあ、そうだねえ。梓が主人公をやるには経験不足だろうね」
大分優しい言葉で取り繕ってみたが案の定歌乃は納得していない様子である。
「実力不足、じゃないでしょ。全然やる気ないです。わたしだって、わかります」
「歌乃ちゃん……人にはそれぞれペースがあるから。梓も梓で、多分頑張ってるよ」
「そんな事ないです。やる気ないです。わたしにだってわかりますもん」
仮にも先輩の梓に対して遠慮も何もない。一刀両断である。
この後輩は真っ直ぐで、迷いがない。しかしそれ故に敵を作りやすい。
今年演劇部に入ったばかりの新入生だというのに、山木歌乃はその努力や勤勉さで今回の劇でも実力で台詞と名前のある役を手に入れたのだ。
「あんなに、甘えてばっかでやる気のない人が他の先輩達を差し置いて、大事な役貰ったのに、それに文句を言うなんて絶対納得出来ない。出来ないです」
その為にか、自分が努力した事、自分に出来る事は他人に出来て当然だというような自己中心的な思いが何処かにあるように思う。好き嫌いもはっきりしている。
そして彼女は特に近くに他の部員がいる訳でもないにも関わらず声を潜めて喋りだした。声量のコントロールが効かない慎重になっているのかもしれない。
「あの、先輩。あんまり言わない方が良いかもしれないですけど……黒神先輩酷くないですか?」
「え?」
吃驚して振り返り、まじまじと歌乃の顔を見詰める。ばつが悪そうな表情で歌乃は続けた。
「聞いちゃいました。あの、柏から、ですけど」
柏山吹。先日の同級生達との会話を思い出す。俳優である屋敷透の息子であり、子役として芸能活動していた砥粉春次という名前の少年と同一人物の噂。
あれから部活動の度に山吹とは顔を合わせていたが、特に暁は彼に屋敷透や砥粉春次との関係について問いかけたりはしなかった。ただ、あの時その場に居合わせた人間の誰かがくちを緩ませたのか演劇部内でもちらほら話題になり始めていたが、当の山吹は知らず存ぜぬの態度を貫いていたし、部内で調子に乗った元子役が素人演劇部でふんぞり返っているなんていう軽口すらあったが涼しい顔で受け流しているように見えた。
その山吹とは部活動で特に接点がある役ではないのもあって会話らしい会話をした覚えがない。歌乃との方が余程よく話している。その山吹が一体暁について何を話したというのか。
山吹は今日は部活動そのものを休んでいる。買い出しなんて面倒くさいから逃げたんだと彼と同じ一年生はぶつくさ言っていた。
心当たりが全くなく困惑する暁に、何故かむっとして歌乃は話し出した。
「黒神先輩ですよ!何様なんですかあの人!自分の役が気に入らないんなら部長か副部長に直談判すればいいのに、尾根先輩を妬んで八つ当たりするとか、信じられない!!
可愛いからってちやほやされて当たり前だとか思ってるんじゃないですか?」
話しているうちに怒りが生まれたのか、歌乃の言葉の語気が強くなってくる。
しかしその言葉と暁に懐いている後輩の怒りぶりで、漸く山吹が話したという『梓が酷い話』が何なのか理解した。
あの時、今自分と梓の間に深い溝が出来てしまった時近くに歌乃がいた記憶はないが、山吹は確かにいた。苦い沈黙を抱えて黙る自分とただ涙を流し続ける梓の傍を通り過ぎようとした彼が、悪意も敵意も、本当に何の気持ちもないただの感想のように言い放った言葉。
「女ってこえー」
悪意がないからこそ、あの言葉は堪えた。梓を庇いたいわけでも、特に暁を攻撃しようという意思も感じられない。それは客観的に見れば暁も、恐らく梓も女という名を冠した他者への軽い軽蔑でしかない。みっともない。ださい。見苦しい。そんな自分には関わり合いにならない、なりたくない人間へと向ける高みにいる人間がぶつける冷徹さだ。
彼の言葉を暁は忘れてはいなかった。思い出すだけで梓の涙も山吹の軽く圧し潰してくるような言葉も心臓の内側をごりごりとえぐるように気が重くなる。胸が痛い瞼も痛い。忘れられないから、出来るだけ思い起こさないように気を付けていただけなのだ。
「柏くんが言ってたの?本当?」
しかしそれはあくまで彼の口にした言葉が想定していないだろう暁の心に深く突き刺さっただけで、山吹の方は言った事はおろか先輩部員二人の修羅場に遭遇した事すら覚えていないと思っていた。
歌乃の方はといえば暁の心中には全く気付いていない様子で、怒りを抑えるように両の拳を握りしめている。
「はい、確かに聞きました。あの人絶対に先輩に甘えてるし、甘えすぎですって!先輩が優しいから、きっと泣けば代わって貰えるとか思ってんですって絶対!」
「そこまでは考えてないでしょ、落ち着きなって」
もう声量のコントロールが出来なくなってきている。先程の慎重さは嘘のようである。興奮した様子で喋りだした歌乃を抑える。
歌乃は納得がいかない様子ではあるが口を一度閉じた。が、黙っていられなくなるのもまた早く早々にその口は開く。但し、今度は周囲の目線を気にして途切れ途切れに、且つ声の調子を低くして話し出した。
「一年の男子が、話してたんです。どうせ、なら。美人なお姫様は。部長より、黒神先輩にやって、欲しいって」
「へえ……」
確かに絶世の美女という設定のお姫様役なら、大人しくて地味な印象の強い光よりも、元々モデルの経験があるのも頷ける美貌の持ち主である梓を贔屓目で見たくなる気持ちもわかる。しかし、部長とか新入部員だとか関係なく梓の演技力や、まともに台詞も覚えられない様子ではヒロインを演じ切る事など不可能だろう。
「まあ、そうだねえ。梓が主人公をやるには経験不足だろうね」
大分優しい言葉で取り繕ってみたが案の定歌乃は納得していない様子である。
「実力不足、じゃないでしょ。全然やる気ないです。わたしだって、わかります」
「歌乃ちゃん……人にはそれぞれペースがあるから。梓も梓で、多分頑張ってるよ」
「そんな事ないです。やる気ないです。わたしにだってわかりますもん」
仮にも先輩の梓に対して遠慮も何もない。一刀両断である。
この後輩は真っ直ぐで、迷いがない。しかしそれ故に敵を作りやすい。
今年演劇部に入ったばかりの新入生だというのに、山木歌乃はその努力や勤勉さで今回の劇でも実力で台詞と名前のある役を手に入れたのだ。
「あんなに、甘えてばっかでやる気のない人が他の先輩達を差し置いて、大事な役貰ったのに、それに文句を言うなんて絶対納得出来ない。出来ないです」
その為にか、自分が努力した事、自分に出来る事は他人に出来て当然だというような自己中心的な思いが何処かにあるように思う。好き嫌いもはっきりしている。
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