49 / 87
庶民の意地
1
しおりを挟む
大学はルドヴィカの家から歩くと相当な時間がかかる。それを踏まえて自宅を出るのだが、今日は何時もより遅くなった。心持ち早足で街路を抜けていく。もう少しすればルドヴィカのような学生に警らの兵士、パン屋のような朝早くから動かざるを得ない人間以外も動き始めるだろう。
幸いなのは大学そのものはリイサ市内にある事だろうか。これが遠い町だったりすると、往復だけで下手したら日が暮れる。
不意にカレルが話しかけてきた。相変わらずルドヴィカの頭の上に小さくなって、隠れている。
『ファレスプラハ大学に行くのだろう? 僕の記憶違いではなければ、馬車を使うべきだ距離ではないかと思うが』
それでもまだ人気はまばらで、小声なら目立たなさそうだ。冷えた空気に吐息を馴染ませるように、ルドヴィカは頭の上のカレルに答える。
「馬車って、我々には凄く高価なんですよ。乗り合い馬車にしたって、毎日使ってたら馬鹿にならない。時間はかかりますが、歩くのを勘弁して貰えますか?」
『僕は動く必要がないからな。実際に歩くきみが構わないと言うのなら……』
「良かった」
戸惑うようなカレルの返事は、怒る程の事ではない。貴族や商人には馬車は日常的な移動手段だろうが、こちらにはそんな余裕はない。そんな生活における環境の齟齬を把握しておけ、などと言う方が傲慢だ。
「そういえば、カレル様もいずれはファレスプラハに通われるんですか?」
カレルは未だ十五歳だから大学生に通うには早すぎる。
貴族の子女が通うような中等学校もあるとは聞くが、高貴な家柄の方の殆どは専門の家庭教師が何人も付きっきりで勉学を学ぶのだという。
そりゃそうだ。貴族の子女なんて、庶民に比べたらほんの僅か。僅かな選ばれたお子様方の為にあちらこちらに学校を建てて、国や領主に利益が得られるか。ルドヴィカにだって無謀な考えだとわかる。
ファレスプラハ含め大学は、そこらの家庭教師では敵わない知識や分野を学ぶ為にわざわざ遠い僻地からも高い学費を収め、やって来る人間がいるから運営していけるのだ。
そのような事情もあり、てっきりカレルも今は家庭教師が付いていて、今後は大学で更に深く呪法を学ぶのだと思っていた。確かエスキルもそうだと言っていた筈だ。
カレルの返事は意外なものだった。
『いや、僕は大学に行くつもりはない』
「そうなんですか?」
未だ十五歳だというのに、呪法の才能に溢れていると彼の名がその世界に広まっているとするなら、更に知恵を広めるべく大学に来るのが自然だと思ったのだが。
「あ、それとも神殿に行かれるんですか? あちらだとより深い学びが得られると聞きました」
『それもないだろう』
「……はあ」
返事が心細くなってきた。なんとなく、なんとなくだがあんまり触れてはならない話題に踏み込んでしまった気がする。
「すみません、不躾な質問でしたか」
『そうじゃない。ただ……』
「ただ?」
やはり言いたくないのか歯切れが悪く感じたが、ルドヴィカは先を促した。ただ、と呟いた言葉には確かに先があるんじゃないか。そう思えた。
『笑わないで欲しい……人間が、苦手なんだ。人が大勢いる場所には、いたくないんだ』
彼の返事を聞いて、納得した事があった。
エスキルと対照的にカレルは下町は勿論貴族の会談や会食、節目のまつりごとにも姿を現す事は一切ない。身体が弱いからという話の筈だったが、ひょっとしたら他に何かもっと重要で、尚且つ公にし難い理由があるのかもしれない。
彼が、カレルが他者との関わりを避けるに至る過程はルドヴィカには知る由はない。ひょっとしたらとんでもなくくだらない、幼稚な理由かもしれない。だとしてもそれを、他者を疎ましく思うカレルを、ルドヴィカは笑う気にはなれなかった。
「笑うわけありません。わたしだって、似たようなもんです」
彼が他者を遠ざける理由に、深く辛い秘密が隠されているとしたら自分如きに同情されても不快なだけかもしれない。
まあいい。彼の気持ちなど関係ない。
「他人と関わるのって消耗しますよね。まあ、わたし自身が他人を疲弊させるような人間だからそう思うのかもしれませんが」
血の繋がった祖母は理不尽に孫である自分に憎悪を向けるし、両親もそんな祖母を公爵家との婚姻という大事の場にならなければ本気で諌める事はなかった。一部髪が短い、という理由だけで揶揄われた事だって一度や二度じゃない。
貴族連中は庶民というだけで同じ学生のルドヴィカを蔑むし、そいつらに対して上手く立ち回る事も出来ない、卑屈さが浮き彫りになるばかりの自分自身にも嫌気が差していた。
『きみは』
「え?」
これまでは人通りの少ない路地を歩いてきたが、もう少し歩けば大通りに出る。馬車や荷車も多く行き、人の往来も一気に増えてくるだろう。
そろそろ黙った方が良いな、と考えていたルドヴィカにカレルが尋ねてきた。
『きみはよく大学に通えるな』
単純で素直な質問に感じて、ルドヴィカは少し笑った。
これまで顔も知らない貴族様、という感触しかなかったが彼はルドヴィカより年下の少年なのだ。
「自分の為に必要だから、やってるだけです。褒められるような事じゃない」
『必要だから……』
「そろそろ人が増えます。ここからは会話は避けましょう」
活気のある声、騒々しい街並みが見えてくる。カレルとの会話を終わらせ、ルドヴィカは足早に石畳を踏み締めた。
「ルドヴィカはどうして」
エスキルにも以前似たような事を聞かれた気がしたが、それももう忘れるべきだ。
幸いなのは大学そのものはリイサ市内にある事だろうか。これが遠い町だったりすると、往復だけで下手したら日が暮れる。
不意にカレルが話しかけてきた。相変わらずルドヴィカの頭の上に小さくなって、隠れている。
『ファレスプラハ大学に行くのだろう? 僕の記憶違いではなければ、馬車を使うべきだ距離ではないかと思うが』
それでもまだ人気はまばらで、小声なら目立たなさそうだ。冷えた空気に吐息を馴染ませるように、ルドヴィカは頭の上のカレルに答える。
「馬車って、我々には凄く高価なんですよ。乗り合い馬車にしたって、毎日使ってたら馬鹿にならない。時間はかかりますが、歩くのを勘弁して貰えますか?」
『僕は動く必要がないからな。実際に歩くきみが構わないと言うのなら……』
「良かった」
戸惑うようなカレルの返事は、怒る程の事ではない。貴族や商人には馬車は日常的な移動手段だろうが、こちらにはそんな余裕はない。そんな生活における環境の齟齬を把握しておけ、などと言う方が傲慢だ。
「そういえば、カレル様もいずれはファレスプラハに通われるんですか?」
カレルは未だ十五歳だから大学生に通うには早すぎる。
貴族の子女が通うような中等学校もあるとは聞くが、高貴な家柄の方の殆どは専門の家庭教師が何人も付きっきりで勉学を学ぶのだという。
そりゃそうだ。貴族の子女なんて、庶民に比べたらほんの僅か。僅かな選ばれたお子様方の為にあちらこちらに学校を建てて、国や領主に利益が得られるか。ルドヴィカにだって無謀な考えだとわかる。
ファレスプラハ含め大学は、そこらの家庭教師では敵わない知識や分野を学ぶ為にわざわざ遠い僻地からも高い学費を収め、やって来る人間がいるから運営していけるのだ。
そのような事情もあり、てっきりカレルも今は家庭教師が付いていて、今後は大学で更に深く呪法を学ぶのだと思っていた。確かエスキルもそうだと言っていた筈だ。
カレルの返事は意外なものだった。
『いや、僕は大学に行くつもりはない』
「そうなんですか?」
未だ十五歳だというのに、呪法の才能に溢れていると彼の名がその世界に広まっているとするなら、更に知恵を広めるべく大学に来るのが自然だと思ったのだが。
「あ、それとも神殿に行かれるんですか? あちらだとより深い学びが得られると聞きました」
『それもないだろう』
「……はあ」
返事が心細くなってきた。なんとなく、なんとなくだがあんまり触れてはならない話題に踏み込んでしまった気がする。
「すみません、不躾な質問でしたか」
『そうじゃない。ただ……』
「ただ?」
やはり言いたくないのか歯切れが悪く感じたが、ルドヴィカは先を促した。ただ、と呟いた言葉には確かに先があるんじゃないか。そう思えた。
『笑わないで欲しい……人間が、苦手なんだ。人が大勢いる場所には、いたくないんだ』
彼の返事を聞いて、納得した事があった。
エスキルと対照的にカレルは下町は勿論貴族の会談や会食、節目のまつりごとにも姿を現す事は一切ない。身体が弱いからという話の筈だったが、ひょっとしたら他に何かもっと重要で、尚且つ公にし難い理由があるのかもしれない。
彼が、カレルが他者との関わりを避けるに至る過程はルドヴィカには知る由はない。ひょっとしたらとんでもなくくだらない、幼稚な理由かもしれない。だとしてもそれを、他者を疎ましく思うカレルを、ルドヴィカは笑う気にはなれなかった。
「笑うわけありません。わたしだって、似たようなもんです」
彼が他者を遠ざける理由に、深く辛い秘密が隠されているとしたら自分如きに同情されても不快なだけかもしれない。
まあいい。彼の気持ちなど関係ない。
「他人と関わるのって消耗しますよね。まあ、わたし自身が他人を疲弊させるような人間だからそう思うのかもしれませんが」
血の繋がった祖母は理不尽に孫である自分に憎悪を向けるし、両親もそんな祖母を公爵家との婚姻という大事の場にならなければ本気で諌める事はなかった。一部髪が短い、という理由だけで揶揄われた事だって一度や二度じゃない。
貴族連中は庶民というだけで同じ学生のルドヴィカを蔑むし、そいつらに対して上手く立ち回る事も出来ない、卑屈さが浮き彫りになるばかりの自分自身にも嫌気が差していた。
『きみは』
「え?」
これまでは人通りの少ない路地を歩いてきたが、もう少し歩けば大通りに出る。馬車や荷車も多く行き、人の往来も一気に増えてくるだろう。
そろそろ黙った方が良いな、と考えていたルドヴィカにカレルが尋ねてきた。
『きみはよく大学に通えるな』
単純で素直な質問に感じて、ルドヴィカは少し笑った。
これまで顔も知らない貴族様、という感触しかなかったが彼はルドヴィカより年下の少年なのだ。
「自分の為に必要だから、やってるだけです。褒められるような事じゃない」
『必要だから……』
「そろそろ人が増えます。ここからは会話は避けましょう」
活気のある声、騒々しい街並みが見えてくる。カレルとの会話を終わらせ、ルドヴィカは足早に石畳を踏み締めた。
「ルドヴィカはどうして」
エスキルにも以前似たような事を聞かれた気がしたが、それももう忘れるべきだ。
0
あなたにおすすめの小説
はじめまして、私の知らない婚約者様
有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。
見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。
けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように
柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」
笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。
夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。
幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。
追放された最強令嬢は、新たな人生を自由に生きる
灯乃
ファンタジー
旧題:魔眼の守護者 ~用なし令嬢は踊らない~
幼い頃から、スウィングラー辺境伯家の後継者として厳しい教育を受けてきたアレクシア。だがある日、両親の離縁と再婚により、後継者の地位を腹違いの兄に奪われる。彼女は、たったひとりの従者とともに、追い出されるように家を出た。
「……っ、自由だーーーーーーっっ!!」
「そうですね、アレクシアさま。とりあえずあなたは、世間の一般常識を身につけるところからはじめましょうか」
最高の淑女教育と最強の兵士教育を施されたアレクシアと、そんな彼女の従者兼護衛として育てられたウィルフレッド。ふたりにとって、『学校』というのは思いもよらない刺激に満ちた場所のようで……?
いつか優しく終わらせてあげるために。
イチイ アキラ
恋愛
初夜の最中。王子は死んだ。
犯人は誰なのか。
妃となった妹を虐げていた姉か。それとも……。
12話くらいからが本編です。そこに至るまでもじっくりお楽しみください。
「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」
まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。
目が覚めたら、婚約破棄されていた。
理由は「地味で面白みがない」から。
泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。
最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。
でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。
厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。
そして就任スピーチで宣言した。
「500人全員の名前を、覚えます」
冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。
悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。
元婚約者は——後悔し始めていた。
婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。
なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。
あなたが後悔しても、私の愛はもう戻りません
藤原遊
恋愛
婚約者のアルベルトは、優しい人だった。
ただ――いつも、私より優先する存在がいただけで。
「君は分かってくれると思っていた」
その一言で、リーシェは気づいてしまう。
私は、最初から選ばれていなかったのだと。
これは、奪われた恋を取り戻す物語ではない。
後悔する彼と、もう戻らないと決めた私、
そして“私を選ぶ人”に出会うまでの、静かな恋の終わりと始まりの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる