51 / 87
庶民の意地
3
しおりを挟む
「庶民じゃないか! 今日も真面目にやって来たね、凄いねえ」
これだから他人に会いたくなかったのだ。避けようと思って避けられる訳ではないが、苦々しく思いながらルドヴィカは背後を振り返った。
元が神を崇める為の作品だから、なのだろう。広い廊下には伝承で語られる神の教えとともに始まりの賢者の遺した言葉や、それに付随する宗教画などが壁や天井に配置され、柱にも神の象徴たる漆黒の蛇が彫られている。
廊下の中央に、エスキル程ではないが背の高い若い男が立っていた。他にも何人か男子学生がいるが、皆一様にルドヴィカを見てにやにやと嫌な笑顔を浮かべていた。
『誰だ?』
カレルが素朴な問い掛けをしてくれるが、勿論答える訳にもいかずルドヴィカは男達とエスキル、両方無視して教室へと向かった。が、男達はわざとらしく大きな笑い声をもらしながらこちらに近付いてくる。
「つれないなあ、僕は庶民であるきみの為に、今日もやって来たのに」
完全に馬鹿にしきった言葉に反射的に怒鳴りつけたくなるが、我慢だ。そんな事をすれば、ただでさえ学内では不遜な庶民として白い目を向けられているのに、どんな目にあわされるかわかったもんではない。
奴等は皆それなりの家柄の人間らしいが、詳しい事は知らない。
ルドヴィカに執拗に絡んでくる長身に少し浅黒い肌の色をした男だけが、どこか辺境の国からやって来た貴族というのだけは本人がわざとらしく自己紹介したので覚えたが、本音を言うならこんな奴の情報に記憶力を使いたくなどなかった。確かディック・エイドとか名乗っていたがそれも直ぐに忘れてしまいたいものである。
「おーい、僕は庶民ちゃんとお近付きになりたいだけなんだって。ねえ、そんなつれなくしないでよ」
そんな浅い口説き文句が通用するとでも思っているのか。馬鹿にするにも程がある。
噂でなんとなくルドヴィカの耳に入った程度の話だが、ここ何ヶ月か下町で貴族の人間に拐かされてひどい捨てられ方をした市井の娘の話を聞いた。
何でも、庶民でも差別しないと大声で語る背の高い外国の男だったらしい。この辺りでは金髪はそう多くないが存在するものの、肌の色が少し濃い貴族は珍しい。間違いなく、こいつのしわざだろう。吐き気のする男だ。
「ねえって……お金にも困ってるんでしょ? 僕と結婚したら、幾らでもお金が手に入るよ。あっ! そうか! きみはこの国の次期領主様と結婚するんだっけ!?」
今一番触れられたくない事情に、ずいと踏み入れられた事に無視していなければならないのに、振り返ってしまった。
我ながら物凄い形相をしている、と思うが相手はルドヴィカが不快さを露わにしたのが嬉しかったのか、ますますいやらしい笑みを深めて見せると、ゆっくりと言葉を切りながらそれを口にした。
「あっ……でも、正式な婚約を前に話が流れちゃったんだっけ? かわいそうだねえ」
この発言には流石に黙っていられなかった。
無意識に握り締めていた拳を、相手に叩き付けようとした……が、戦い方も知らない小娘の振り上げた拳など、あっさりと避けられた。たたらを踏むルドヴィカを、男達の笑い声が囲んだ。
『何だ、これは』
カレルの唖然とした、とでも言いたげな声も入ってこない。
ディックとかいう貴族を睨み付けたが、これもまた一笑に付された。
おどけた仕草で男は手を振った。
「怖い、本当に庶民は粗暴で怖いねえ……僕らの優しさも、庶民には通じないのかあ、同じ人間なのに」
「ふざけんなよっ!!」
全ての気迫を絞り出すような声音で怒鳴りつけるも、連中には僅かの恐怖も与えられていないのは明らかだ。
「何だ、あの女」
「あれじゃないですか。例の、何が目的かもわからずファレスプラハに在籍している庶民」
「ああ……あの粗野で礼儀知らずの」
「ディック伯爵子息に手をあげようとしていた」
わかっている。この世界は自分の味方などどこにもいない。
「何で、それを知ってる」
「知ってるってもう随分と噂になってるよ……当然じゃないか? きみとエスキル様が結婚、なんてどれだけの淑女が涙を流したかわからないんだ。この悪夢が消滅したなんておめでたいニュース、皆が喜んで広めたよ」
歯を食いしばる。こいつを殴って蹴倒して滅茶苦茶に踏みつけたいが、それは出来ない。自分には乱暴を行う腕力もなければ、魔術も呪法も使えない。権力もない。
出来るのは怒りに負けて涙を流すのを堪える事だけだった。踵を返したルドヴィカの背後から、どっと笑い声が聞こえた。憎くて悔しくて仕方がなかった。
これだから他人に会いたくなかったのだ。避けようと思って避けられる訳ではないが、苦々しく思いながらルドヴィカは背後を振り返った。
元が神を崇める為の作品だから、なのだろう。広い廊下には伝承で語られる神の教えとともに始まりの賢者の遺した言葉や、それに付随する宗教画などが壁や天井に配置され、柱にも神の象徴たる漆黒の蛇が彫られている。
廊下の中央に、エスキル程ではないが背の高い若い男が立っていた。他にも何人か男子学生がいるが、皆一様にルドヴィカを見てにやにやと嫌な笑顔を浮かべていた。
『誰だ?』
カレルが素朴な問い掛けをしてくれるが、勿論答える訳にもいかずルドヴィカは男達とエスキル、両方無視して教室へと向かった。が、男達はわざとらしく大きな笑い声をもらしながらこちらに近付いてくる。
「つれないなあ、僕は庶民であるきみの為に、今日もやって来たのに」
完全に馬鹿にしきった言葉に反射的に怒鳴りつけたくなるが、我慢だ。そんな事をすれば、ただでさえ学内では不遜な庶民として白い目を向けられているのに、どんな目にあわされるかわかったもんではない。
奴等は皆それなりの家柄の人間らしいが、詳しい事は知らない。
ルドヴィカに執拗に絡んでくる長身に少し浅黒い肌の色をした男だけが、どこか辺境の国からやって来た貴族というのだけは本人がわざとらしく自己紹介したので覚えたが、本音を言うならこんな奴の情報に記憶力を使いたくなどなかった。確かディック・エイドとか名乗っていたがそれも直ぐに忘れてしまいたいものである。
「おーい、僕は庶民ちゃんとお近付きになりたいだけなんだって。ねえ、そんなつれなくしないでよ」
そんな浅い口説き文句が通用するとでも思っているのか。馬鹿にするにも程がある。
噂でなんとなくルドヴィカの耳に入った程度の話だが、ここ何ヶ月か下町で貴族の人間に拐かされてひどい捨てられ方をした市井の娘の話を聞いた。
何でも、庶民でも差別しないと大声で語る背の高い外国の男だったらしい。この辺りでは金髪はそう多くないが存在するものの、肌の色が少し濃い貴族は珍しい。間違いなく、こいつのしわざだろう。吐き気のする男だ。
「ねえって……お金にも困ってるんでしょ? 僕と結婚したら、幾らでもお金が手に入るよ。あっ! そうか! きみはこの国の次期領主様と結婚するんだっけ!?」
今一番触れられたくない事情に、ずいと踏み入れられた事に無視していなければならないのに、振り返ってしまった。
我ながら物凄い形相をしている、と思うが相手はルドヴィカが不快さを露わにしたのが嬉しかったのか、ますますいやらしい笑みを深めて見せると、ゆっくりと言葉を切りながらそれを口にした。
「あっ……でも、正式な婚約を前に話が流れちゃったんだっけ? かわいそうだねえ」
この発言には流石に黙っていられなかった。
無意識に握り締めていた拳を、相手に叩き付けようとした……が、戦い方も知らない小娘の振り上げた拳など、あっさりと避けられた。たたらを踏むルドヴィカを、男達の笑い声が囲んだ。
『何だ、これは』
カレルの唖然とした、とでも言いたげな声も入ってこない。
ディックとかいう貴族を睨み付けたが、これもまた一笑に付された。
おどけた仕草で男は手を振った。
「怖い、本当に庶民は粗暴で怖いねえ……僕らの優しさも、庶民には通じないのかあ、同じ人間なのに」
「ふざけんなよっ!!」
全ての気迫を絞り出すような声音で怒鳴りつけるも、連中には僅かの恐怖も与えられていないのは明らかだ。
「何だ、あの女」
「あれじゃないですか。例の、何が目的かもわからずファレスプラハに在籍している庶民」
「ああ……あの粗野で礼儀知らずの」
「ディック伯爵子息に手をあげようとしていた」
わかっている。この世界は自分の味方などどこにもいない。
「何で、それを知ってる」
「知ってるってもう随分と噂になってるよ……当然じゃないか? きみとエスキル様が結婚、なんてどれだけの淑女が涙を流したかわからないんだ。この悪夢が消滅したなんておめでたいニュース、皆が喜んで広めたよ」
歯を食いしばる。こいつを殴って蹴倒して滅茶苦茶に踏みつけたいが、それは出来ない。自分には乱暴を行う腕力もなければ、魔術も呪法も使えない。権力もない。
出来るのは怒りに負けて涙を流すのを堪える事だけだった。踵を返したルドヴィカの背後から、どっと笑い声が聞こえた。憎くて悔しくて仕方がなかった。
0
あなたにおすすめの小説
はじめまして、私の知らない婚約者様
有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。
見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。
けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように
柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」
笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。
夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。
幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。
追放された最強令嬢は、新たな人生を自由に生きる
灯乃
ファンタジー
旧題:魔眼の守護者 ~用なし令嬢は踊らない~
幼い頃から、スウィングラー辺境伯家の後継者として厳しい教育を受けてきたアレクシア。だがある日、両親の離縁と再婚により、後継者の地位を腹違いの兄に奪われる。彼女は、たったひとりの従者とともに、追い出されるように家を出た。
「……っ、自由だーーーーーーっっ!!」
「そうですね、アレクシアさま。とりあえずあなたは、世間の一般常識を身につけるところからはじめましょうか」
最高の淑女教育と最強の兵士教育を施されたアレクシアと、そんな彼女の従者兼護衛として育てられたウィルフレッド。ふたりにとって、『学校』というのは思いもよらない刺激に満ちた場所のようで……?
いつか優しく終わらせてあげるために。
イチイ アキラ
恋愛
初夜の最中。王子は死んだ。
犯人は誰なのか。
妃となった妹を虐げていた姉か。それとも……。
12話くらいからが本編です。そこに至るまでもじっくりお楽しみください。
「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」
まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。
目が覚めたら、婚約破棄されていた。
理由は「地味で面白みがない」から。
泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。
最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。
でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。
厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。
そして就任スピーチで宣言した。
「500人全員の名前を、覚えます」
冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。
悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。
元婚約者は——後悔し始めていた。
婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。
なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。
あなたが後悔しても、私の愛はもう戻りません
藤原遊
恋愛
婚約者のアルベルトは、優しい人だった。
ただ――いつも、私より優先する存在がいただけで。
「君は分かってくれると思っていた」
その一言で、リーシェは気づいてしまう。
私は、最初から選ばれていなかったのだと。
これは、奪われた恋を取り戻す物語ではない。
後悔する彼と、もう戻らないと決めた私、
そして“私を選ぶ人”に出会うまでの、静かな恋の終わりと始まりの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる