夜霧の怪談短編集

夜霧の筆跡

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第四十話 廃工場の幽霊

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俺の学生時代の話です。
通っていた学校の近くには廃工場があり、そこは俺ら学生のたまり場になっていました。

ある日のこと、俺は仲間たち数人と一緒にその廃工場で遊んでいました。
夕方になった頃でしょうか、外が騒がしくなってきたのです。

「なんかあったんかな?」

「見に行ってみるか」

仲間の一人がそういうと、みんながぞろぞろとその騒ぎの元へと向かったんです。
外に出ると、他のクラスのグループが集まって騒いでいました。
なにがあったのか聞いてみると、

「幽霊が出たんだよ!」

という答えが返ってきました。

(高校生にもなってバカバカしい……)

と思いつつも、あまりにも真剣に必死に訴えてくるので、詳しく聞くことにしました。

「工場前でダンス動画をとってたら、誰かわからんやつが映り込んできたんだ」

そう、カメラマン役は言うんですよ。

「スマホ画面だけ見てたから、最初は普通に他人が通過したと思ったんだ。
それで顔を上げて文句を言おうとしたら、誰もいなかったんだ……!

確かにスマホカメラには映り込んでたし、次の瞬間すぐ顔を上げたんだから、一瞬で消え去るなんて人間の仕業とは思えない、ありえないじゃないか!」

それで大騒ぎになったのだというのです。
俺たちはその動画を見せてもらうことにしました。

投稿サイトで流行している音楽に合わせて楽しげに踊っている動画、その途中で一瞬光の塊のようなものが横切るのを確認しました。
『オーブ』というものもあるので、確かに心霊動画と言えばそう言えなくもないかもしれない。でも……

「これが、幽霊?」

たまたま何かに反射した光が当たったのかもしれないし、指がカメラにかぶったのかもしれない、そう考えるほうが自然ですよね。

「撮影してるときは確かに人が通ったのを見たんだって!」

カメラマン役はそう主張したんですが、記録された映像に残っていないのだからだんだんと自信がなくなってきたのでしょう。

「見間違いだったのかなぁ……」

消え入りそうな声でそうつぶやき、仲間の元へ戻っていきました。

「ホントにそんな映像とれてたら、ダンス動画よりよっぽどバズるだろうなwww」

そう笑いながら彼らは帰っていき、幽霊の話はそれでおしまい…… の、ハズでした。





数日後。

俺はいつものように友人たちと集まるつもりで、廃工場の中へ入っていきました。
特に目的はないけど、なんとなく足が向いてしまうんですよね。

その日は、廃工場の中に人影はありませんでした。
いつもなら、何人かの学生がここでたむろしているはずなのに。

少し不思議に思いながらも、一人でスマホをいじりながら仲間が集まってくるのを待ちました。
そして数人が到着したところで、ぽろりと疑問を口にしたんです。

「なあ、今日なんかあったっけ? なんか集まり悪くね?」

「ああ、それ。おまえ聞いた? 幽霊騒動」

一人がそう答えて、それで先日の騒ぎを思い出しました。

「なんだよ、あいつらまだダンス動画の話こすってんの?」

俺があきれ気味に言うと、別の友人が首を横に振りました。

彼らは、今度は教室で撮影したらしいのですが…… 撮影した動画を再生して確認してみると、なんと背景が廃工場になっていたと言うのです。
それも、先日の騒動のときに撮影した動画と同じアングルで。

「そのさ…… 幽霊が、リコなんじゃないかって言うやつが出てるんだ」

リコとは俺らの同級生だった女生徒で、少し前に突然の交通事故で亡くなったんです。
でも、リコはクラスのみんなと仲良くしていて、いじめとかがあったわけじゃない。

だって、幽霊っていうのは何か恨みとかの未練があってなるものなんじゃないの?
だから俺はどうしても、リコが幽霊になっているなんて信じられませんでした。

カタン。

その時、ふいにどこからか音が鳴りました。
俺は遅れてきた仲間が廃工場に入ってきたと思って

「遅かったじゃ……」

そう声をかけようと音がした方を振り向きました。
しかし、そこには誰もいなかたのです。

(聞き間違いかな)

俺は照れ隠しの笑顔を浮かべながら、今まで話していた仲間のほうへ向き直ったのですが……
そこにいるはずの仲間の姿がどこにも見えないんです。
今さっきまで、リコの話をしていた仲間がですよ。

「おい、悪ふざけが過ぎるぞ」

そう叫びながら廃工場のなかを探しましたが、誰一人見つけることができませんでした。
俺が入り口の方を振り向いたほんの数秒の間に身を隠し、俺が探し回る間まったく見つかることなく全員が廃工場を抜け出すなんてこと、可能なのでしょうか?

その時通知音が鳴って、スマホでグループチャットを開きました。
そこには全員から『今日は行くのやめとく』というメッセージが入っていました。

さっきまで俺と話していた仲間からも。
送信時間を見ると、学校が終わってすぐくらいの頃。

(え? メッセージを入れてから気が変わって来てたってことか?)

俺は気を取り直して、さっきまで話していた仲間に個別メッセージを送りました。

『さっきの話詳しく教えてくれないか』

『さっきのって? 学校でなんか話したっけ?』

そんなとぼけた返事が来たので、俺は少しイラつきながらもさらに返事を送ったんです。

『何言ってんだよ、廃工場で話したことだよ』

『おいやめろよ、俺は今日廃工場に行ってないだろ。誰と間違えてんだよ』

そんな返事が来たことで、ようやく俺はおかしいと思い始めました。

(だったら、俺がさっきまでここで話していた相手は誰だったっていうんだ?)

背筋が凍るような思いがして、俺はそそくさと廃工場を後にしました。





それからは、俺も仲間たちもなんとなく廃工場からは足が遠のいていました。

それからしばらくして、廃工場を取り壊してスーパーがオープンするという計画が立ち上がりました。
スーパー建設の責任者が町を訪れ、町長や町内会役員を集めて説明会を開いたんです。
町の活性化につながるとか、便利になるとか。

でもそのころにはもう、廃工場の幽霊のウワサは町中に広まっていて、大人たちさえ知るところでした。

『スーパーがオープンしたところで気味悪がってあまり買い物客は来ないんじゃないか』

との予想をそのまま伝えたようです。責任者は最初こそ

「いいトシをした大人がそろって幽霊ですって!?」

なんて笑っていました。でも、

「幽霊が本当かどうかが問題なのではなくて、集客に影響するネガティブイメージがこびりついたままの土地を使うリスクについての話です」

町長にそう言われて黙ってしまいました。

確かに、スーパーがオープンすればこの町の人間が主な客層としてターゲットとなるでしょう。
その町中の人間がこの土地を気味悪がっているとなると……。

そこで、まず廃工場のお祓いをしてそれから取り壊し、更地になってから大規模な地鎮祭を行い、そして建設を始めようという話が進んだとか。
それを町中の人間が参加できるお祭りのようにして周知させるという計画について説明を受け、町内会の大人たちは『それなら』と納得したらしいです。





こうしてスーパー建設計画が動き出した…… その矢先でした。
反対運動が始まったのです。

『運動』といっても、実施しているのはたったひとり。
なんとそれが、クラスメイトのヤスヒコだったんです。

実を言うと…… ヤスヒコは、仲間たちの足が廃工場から遠のいてもひとりきりで通っていたというウワサがありました。
だから、なんとなくクラスから浮いていたんです。
そこへ反対運動なんてことを始めたものだから、ますます孤立していきました。

俺はさすがに心配になって、ある日放課後にヤスヒコに声をかけました。

「なあ、おまえどうしたんだ?」

「…………」

ヤスヒコは何も答えません。
俺は少し苛立ちながら言いました。

「なあ、ヤスヒコ! みんなおまえのことを怖がってるぞ。
もうみんな行かなくなった廃工場になんの用があるんだよ?
ひとりで反対運動してまでする理由ってなんなんだよ!」

すると、ヤスヒコはゆっくりとこちらを振り返り、そして、かすかに笑いました。
その笑顔に背筋が凍ったのを覚えています。
思わず後ずさってしまった俺に、ヤスヒコは低い声でつぶやきました。

「俺さ…… ずっとリコが好きだったんだ。
だからリコが死んだときすげえショックだった。
後を追って死んじまおうって何度も思ったけど、できなかった」

一呼吸おいてからさらに低い声で、ぽつり、ぽつりと独り言のようにつぶやくヤスヒコ。

「そんなとき、廃工場で幽霊のウワサが立った。
しかもそれがリコだって言うじゃないか。
そんな憶測に最初は腹が立ったけど…… もし本当だったら?
幽霊でもいい、リコに会いたいと思った」

語り口は淡々としていて、表情にも変化はありません。
しかし、どこか狂気じみたものを感じ、俺は身震いしました。

「だから毎日、もう誰も寄り付かない廃工場に一人で通ってた?
それでリコに会えるまでは廃工場を壊されないように反対運動をしたって?」

恐る恐る聞くと、ヤスヒコは静かに顔を横に振りました。
そして、また不気味な笑みを浮かべて、一言。

「会えるまで、だって? 毎日会ってたよ、俺らは。
俺はあそこでリコに告白した。リコは受け入れてくれたんだ」

ヤスヒコの言葉を聞いて、俺の全身から血の気が引いていきました。
そして、震える唇からやっと出た言葉。

「会ってたって…… だって、リコはもう……」

「会ってたんだよ。毎日、あそこで、リコに。だから『お祓い』なんてされたら困るんだ」

(幽霊と毎日会ってるなんて、昔話じゃあるまいし……)

俺はにわかには信じられませんでした。
でも、ヤスヒコを目の前にして『嘘だ』などと一蹴することもできません。

俺はもう何も言えずに黙り込んでしまい、ヤスヒコはくるりとそのまま帰っていきました。





次の日から、ヤスヒコは学校に来なくなりました。
先生たちは体調不良だと言っていましたが、真相はわかりません。

俺は、以前よく廃工場でつるんでいた仲間たちにヤスヒコのことを相談してみました。
すると、セイヤがこんなことを言い出したんです。

「それって…… 良くないよな。
悪意のない幽霊であっても、生きた人間が毎日接触なんてするもんじゃないだろ。

それにリコだって、いつまでもこの世にとどまるのはどうなんだ?
地縛霊ってやつになっちまうんじゃないのか?」

セイヤは、廃工場に幽霊が出るってウワサが立ったとき真っ先に

「もうあそこに集まるのやめよう」

って言い出したやつでした。
ビビリだけど、だからこそこういう話に偏見がない。

「そうだよな、やっぱやめさせたほうがいいよな。
引き裂くようでかわいそうだけど、お互いのためにならん」

そう結論付けたものの、具体的にどうやってヤスヒコを止めたらいいのかはまるで思いつきませんでした。

とにかく放課後、みんなで廃工場に行ってみました。
学校を休んだ理由が体調不良というのが本当ならば、家で寝込んでいるはずです。
でも、思った通りヤスヒコはそこにいました。

一人ではなく、誰かと一緒のようでした。
ほっとして話しかけようとしましたが、それをセイヤが静止し『静かに』とゼスチャーしました。

俺たちは物陰に潜んでヤスヒコの様子を見ると、話している相手はなんだかよく見えないんです。
輪郭がハッキリしないというか…… とにかく、変でした。

ヤスヒコはその『誰か』、いや『何か』にずっとニコニコしながら話しかけているんです。
異様な光景としか言いようがありませんでした。

(あれは、あんなものは、リコではない。
仮に元はリコだったものだとしても!)

俺たちはヤスヒコに気付かれないように廃工場を後にしました。

「これは、絶対にお祓いをしてもらわなきゃダメだ」
「どちらにせよヤスヒコ一人が反対運動をしたからって中止にはならんだろ」
「結局俺らができることなんてないよ、流れにまかせるしかないんじゃないかなあ」

帰り道、そんなことを話していたのを覚えています。
そのときはまだ

(ほっとけばそのうちお祓いが行われて、そうすれば以前のヤスヒコが戻ってくるだろう)

なんて軽く考えていたんです。





夏休みが近づいてきたころ、ついに大規模なお祓いが行われることになりました。
ヤスヒコが妨害に入ることを予想し、スーパー側は厳重な警備を固めていたのですが…… 何も起きることなく、儀式は静かに終わりました。

そして…… ヤスヒコが遺体で発見されました。
近所のウワサ好きおばさんの情報網によると自殺の可能性が高いということでした。

警察からの正式発表はまだなのに、そういう話はどこからともなく広まりますよね。
おばさんには隠しても嗅ぎつけられるのか、それとも憶測で話を広めているおばさんがいるのかはわかりませんが……。

捜査の末、事件性はなく事故の可能性も低いということで、遺書のようなものこそ見つからなかったがおそらく自殺だろうと断定され、真相は不明のままこの件は幕を閉じました。

とはいえ、町中に知れ渡るほど派手にスーパー建設の反対運動をしていたヤスヒコが、そのスーパー建設準備の第一歩が始まったその日に自殺したのです。
しばらくの間スーパーには閑古鳥が鳴いていました。

とはいえ、人のウワサも何日でしたっけ? なんかそんなことわざありましたよね。
そのうちにこのことはだんだんと忘れ去られ、なんでもそろう便利なスーパーですからね、利便性を考えれば普通に利用者は増えますよ。

今では誰もが利用するおなじみの店になってます。





でも、俺たち……ヤスヒコの元仲間たちだけは、学校を卒業して何年たってもあのスーパーに足を踏み入れることができないんです。
どうしても、あのときヤスヒコと会話していた『何か』の姿を思い出してしまって。
それはお祓いでいなくなってしまったのかもしれませんが…… 記憶から消し去ることまではできませんもんね。

ヤスヒコのあの必死で真剣な様子を知っていれば、自殺かもしれないという解釈もうなずけます。
でも、もしかしたら…… リコだったものなのか、それともウワサを利用してリコになりすましていたものなのかもわからない、あの『何か』。
あいつに連れて行かれたんじゃないか、なんてことも考えてしまうんです。
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