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しおりを挟むワインを飲んだ後のリアクションにしては妙なしぐさに、ゾフィアは首を傾ける。
底を食い入るように見続けるヴォルフの顔つきが、みるみる怒りを帯びていく。
「――おい、なんだこれは」
地を這うような低い声でヴォルフがアルフレートに問う。
アルフレートがビクリと背筋を正したのがわかり、おだやかだった空気が急に凍りついたことにゾフィアはついていけず狼狽えた。
ど、どうしたのかしら?底になにか入ってる?
ヴォルフの手のなかにあるグラスをそっとうかがってみても、わずかに残ったワインの薄い赤が見えるだけで別段変わった部分は見受けられない。
しかしヴォルフには確信があるらしく、アルフレートが蒼白になって問いに答えないのを苛立たしげに睨むと、バンと派手な音を立ててグラスをテーブルに置いた。
続いてアルフレートの耳をつまみ上げ、ゾフィアへ
「少し借りるぞ」
と言い残して、痛みを訴えるアルフレートを引きずって人ごみの方へと行ってしまった。
あとに残されたゾフィアは、ぽかんとした表情でただそれを見送った。
熱気がこもった室内から、寒い風がビュウビュウと容赦なく吹き付けるテラスのある方向へと、2人はもつれるように小走りで歩いていく。
この城の王宮のテラスには大中小と様々な大きさのものがあり、ヴォルフはその中の一番小さいテラス、いわゆる逢い引き用に作られた2人がやっと立てるぐらいの狭い場所へとアルフレートを引きずっているようだった。
あんな狭い場所にこんな暑苦しい見た目の上官なんかと行ったりしたら、周囲から変な誤解をされそうで、ここにきてアルフレートはいよいよ抵抗を強める。
「ちょっ、なんですかっ」
「黙って来い!バラされたいのか!」
アルフレートはうっと言葉に詰まった。
テラスは個々が建物から半月型に丸く張り出した構造になっていて、そこに出てしまえば覗き込まれでもしないかぎり、なにをしているのか見えない造りになっている。密談や、今回のような他人には聞かれたくない話をするのには、うってつけの場所だった。
ヴォルフはそこに到着したと同時に、部下であるアルフリートの胸倉を掴み上げる。怒った顔は正しく鬼の上官のそれで、『あんな手がこの人に通用するはずもない、細工がバレたな』と観念し、白旗を上げた。
上官は怒らせると、なにをしでかすかわからない。
おそらくバラすと言うのも脅しではなく本気だ。
今夜のために密かに練っていた作戦どころか、なにもかもがバラバラと音を立てて崩れていくのをアルフレートは痛感した。
「あの方に……言うのだけは勘弁してください。振られるのは耐えられるかもしれないが、嫌われてしまったら世を儚みたくなってしまう」
「ふん、馬鹿なことをやってくれる」
ノンアルコールワインを一気飲みしてしまったので味はわからなかったが、飲んだ直後に舌に違和感が残った。あわててワイングラスの底を見ると白い粉のようなものが沈殿していて、『なにか』を盛られたとわかったのだ。
あのワイングラスはゾフィアのためにアルフレートが用意したもので、それならば、その『なにか』を盛りたかった相手はヴォルフではなくゾフィアだと簡単に想像がつく。
「――で、なんの薬だ?まさか媚薬か?」
惚れている相手に飲ませるのならば、まず毒であるはずがないから薬だろう。意中の女性に飲ませる薬と聞けば真っ先に思いつくのは媚薬だ。
ヴォルフは心底嫌そうな顔をした。もしそうであれば即刻、帰らねばならない。
「……いえ、酔いが回りやすくなる薬です」
それを聞いて、ホッと胸を撫で下ろした。
酔い薬ならば自分にはほぼ実害がない。ヴォルフは酒豪で鳴らす猛者だ。酔いが回るのなら酒代が浮くので逆に歓迎しても良いかもしれない。
それに――胸倉を掴んだせいですぐ近くにあるアルフレートの目を、まじまじと見つめる。
こいつはそこまで心根の腐った人間ではないはずなのだ。自分の部下のなかでも、とくにコイツは真面目で堅物で、こと色恋に関しては騎士団の内部では男色のケでもあるのかと陰で恐れられるほどストイックだと言われていた。
もし、仮にだ。これが媚薬だったなら。
使用する目的はただ1つで、それを知ったらヴォルフは立場上この少々阿呆ではあるが頭脳明晰な部下のアルフレートを強姦未遂で処分せねばならなくなる。
――いや、酔い薬もあのヒョロヒョロな令嬢に使ってしまっていたら、効果が出過ぎて充分にタチが悪いだろうが。
「なにが目的だ」
「ただ単に隙が欲しかっただけです。ゾフィア嬢はガードが堅くて、なかなか心に入り込めない。年月をかければ熱意が伝わるかもしれないと頑張ってもう2年になりますが、なんの収穫もなしです。俺……やっぱり名前すら憶えてもらえていなかった……」
さっきのあれが初めて彼女に名前を呼ばれた瞬間です、と続けられて、ヴォルフはますます眉間のしわを深くした。
たしかに彼女――ゾフィアはひどい噂で有名だ。
他貴族との交流が目的である夜会において、紳士からの誘いを片っ端から断り、会話を拒否し、そのせいで昔は男ではなく女が好きなのだとまで言われていた。
しかし今は違う。
孤高で超然としていて、冷徹な態度がことさら有名な令嬢であることには変わりがない。しかし今、隠しきれない美貌に貴族の男どもが皆、陰でこっそりと、その儚げな容貌を舐めるように見つめる隠れた美姫へと、その存在を昇華させていた。
長く曲がったところのない輝かんばかりの銀髪に高く通る鼻筋、神秘的な紫の瞳。肌はぬけるように白く首は長く細く、肉感を感じさせるに乏しい身体はすらりとしていて、どこもかしこも気高い気品にあふれている。
ついでに仏頂面なのが災いして、貴族の間では絵画に出てくる伝説のエルフか彫刻によくある女神かと、よく噂になっていた。
――ゾフィアには性を感じさせない神聖な美が備わっている。
16歳で社交界デビューした当初こそ色気に欠けていて全体的にヒョロっとしていたことからも、やれホウキだのまな板だのと陰口を叩かれ放題だった。
ヴォルフにはその頃の記憶があるのだが――確か、少年のようだった。色気も可愛げも欠いていては少年かと見間違われても仕方がない。あれに結婚を申し込む猛者はいないだろうと思った記憶がある。
しかしその頃、少数派ではあるが声をかけた勇者も居たのだ、貴族界によくあるアレだ、下級の家がクラスアップのためにワンランク上の家柄の女との結婚を狙うという、なんともいただけない風習だ。
だが、その貴族の奴らは全員失敗したらしい。ゾフィアの頑ななガードの硬さとヴァルトハウゼン伯の溺愛も彼等には向かい風だったようで、はなから好みでもないうえに攻略が難しいホウキ女に永く言い寄る馬鹿はいなかった。
最初の数年は本物の壁の花であったはずだ。そう、そうだったはず。
変わったのはいったいいつからだったのだろうか、歳月は彼女をゆっくりと変えていく。今や成熟を極め、男なら誰もがお近づきになりたいと思う容姿を、彼女はいつの間にか手に入れていた。
『きっと恋が彼女をホウキから女に変えたんだろう、男との激しい性交で彼女は内側から作り変えられたんだ。まだ地味で色気に乏しいが、今後はもっと淫らで妖艶に変わるに違いないぞ』
――下劣な噂は社交界の腐った男どものあいだで、貴婦人には聞かせられない内容となって密かに広まっていく。
あの神聖な孤高の存在を汚し、恋する女へと変えた相手はいったい誰だ?
ゾフィアは一度もそれらしき相手をともなって夜会へ来たことがない。
社交界に連れて来られない相手とは、身分のない平民か、それとも身分が高すぎて公に出来ない相手か。
しかしながら、変な奴が相手であったとするならばヴァルトハウゼン伯爵がとっくに八つ裂きにしているだろう。
それに彼女はかならず夜会に参加する。
だとすれば相手はまちがいなく身分の高い男性であるはずで、そして夜会でしかお姿をお見かけしない相手といえば、それはもう尊いお方達しかおられない。
ならば彼女の秘めたる恋のお相手は、おそらく王太子殿下だ――。
今のところゾフィアを取り巻く噂は、ざっと要約するとこんな感じだ。
「お前、ヴァルトハウゼン伯とは?」
「面識はないこともないですが、そろそろ吊し上げられそうです。彼女を見ていれば王太子殿下なんて眼中にないことがわかるでしょうに」
王太子殿下にゾフィアが恋をしているという噂はヴァルトハウゼンの出世欲に火をつけた。結果、娘に来る縁談、おもに手紙による求婚を片っ端から断りだした。親子そろって曲者である。
ヴォルフは盛大な溜め息をつく。
不器用なせいで言い寄る男達を個々に断りきれずに一度に全ての貴族男性からの誘いを断ってしまい、それが冷たいだの氷のように冷徹な女だのという呼び水となって、あとは尾ひれが大量にくっついたというのがゾフィアの噂の実態だが、悪いのは父親も同じだ。どっちもどっちで目も当てられない。
――しかし、いくら難攻不落だからといっても、薬を盛っていいわけがない。
「やり口が気に入らん。――1発食らうか、お前」
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