温室では高温

ながめ

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温室では高温

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「どうしてそんなことになったんですか?」
 聞いても何も返ってこない。
 当事者意識がなく、それでいて無責任であることになんの後ろめたさもない向こう側の代理人は、ただただ「知らない」「わからない」というばかりである。
 ではこちら側の代理人はといえば、これまた無能。自分で雇っておいて嫌気がさすほどの無能なのだが、出せるお金の関係上のしょうがなさが自分に返ってきてさらに苛立つ。
 結局のところ真相はウヤムヤなままにされたのだが、ともかく向こうに親権が渡った息子が死んだことは事実だそうだ。
「ただし大丈夫です。そちらには全く責任のないことですので」
 あってたまるか、と思うと同時に、こちら側も養育費を払っているのだから少しくらいは何かを言う責任と権利はあるだろう、とも思う。
「わかりました。では、これにて」
 無責任と無能の会話が終わる。なんとも不毛で生産性のない会話。
「今回は残念でしたね」
 無能が話しかける。
「“残念でした”…」
 喫茶店から出たあと、ぼんやりと曇り空を見ながら嘯いてみる。まだ、息子の死の実感が湧かない。それは、葬儀すら行くことを阻まれたからだ。その上で、葬儀代は出せと言ってきたのだけれど、流石にキッパリと断った。この無能はお金を出そうと言ったが。
 なんだか笑えてきた。
「なんかあれですね…でも、清々しました」
 そう言って僕は無能な代理人と別れた。後ろの方で何やら今後のこととか話したそうにしていたのだけれど、知ったことではない。また一人、2度と会いたくもない顔が増えた。それだけのことである。
「そうは言っても、無理矢理にでも葬儀に行った方が良いんじゃないのかい?」
 話し合いの後、居酒屋で会った友人にそう言われる。どうやら、慰めの会ということらしい。ありがたいことである。
「ううん、なんかもう良いんだ。見たい気持ちは山々なのだけれど、それ以上に会いたくない顔が多すぎる」
「そういったものなのかい」
 木曜日の夕方は人混みが少ない。別に大きな町でもなければ、賑わうような店ではないのだけれど、静かで声が通りやすいのは非常に助かる。こんな悲しい日は。
「にしても、ほんと突然だったな…」
「…いや、そうでもないよ」
「ん?」
「向こうと別れてから、ずっとその傾向はあったさ」
「…というと?」
「初めは、息子と会わせないようにし始めたところからかな。その前から、息子の体調が優れないことは聞いていたのだけれど、ある日、『息子が直接会いたくないと言い出したから、これからはテレビ電話にする』と一方的に言われたんだ…そうだな、ちょうど向こうに新しいパートナーができた時かな」
「ふむ」
「別に僕だって会いたくないってところを無理に会いたいとは思わないさ。だから、それでいいって話した。ま、これがそれからの失敗に繋がってたんだな」
 ふと、目線を落とす。お猪口に注がれたお酒の水面に微かに自分の顔が浮かんでいる。
「そこから、『そろそろ進学するから養育費を上げてくれ』という連絡が来た。しかし、パートナーがいるにも関わらず養育費を上げるのはなんとも不思議な話ではないか?そう思って、そのように言ったんだ。あと、それなら直接会えるようにしないと納得が行かない、ともね。したら、代理人がどうにかこうにかお金を払わせようとしたわけだ。ほんと、意味が分からなくてね…結局、満額では払わないまでも養育費は上がったわけだ」
 水面は眺めていると息子を映す。
 怖くなって僕は一気に飲み干す。
 慌てて飲み込んだせいか気管に入り、少しむせて涙ぐんでしまった。あぁ、生きているんだな、僕は。
「大丈夫かい?」
「あぁ…」
 息を整えるために鼻から息を吸い込む。それを口から吐き出す。そして口から落ち着いて息を呑む。
「息子とのテレビ電話は当たり障りのない内容を繰り返していた。学校の話とかも楽しそうに話していた。ただ、半年くらい経ったあたりであからさまに声が暗くなってね…」
 自分の息が荒くなるのを感じる。
 平静を保つためにまた息を呑み落ち着かせる。
「…その時期に、また向こうから養育費を上げることと、テレビ電話の時間を減らすことを言われた訳だ。どうやら僕がストレスの原因になってるから、という理由らしい。バカバカしい理由だろう?でも、代理人たちはまた丸め込もうとするわけだ」
「…で、どうしたんだい?」
「養育費は上げなかったか、テレビ電話の時間は減らしたさ。いや、減らされたに近いかな。そして2ヶ月前の2月だ。その日は仕事の関係で神戸に居て、そこからテレビ電話に出たんだ…確か夕方の17時くらいかな。向こうは時間帯なんて気にしていないわけだな。出来るだけ、僕に都合の悪い時間を用意して、さらに時間を狭めて、何も話させないようにしていた訳だ。まぁ、僕はどうやってでも時間は作るんだけどね」
 そこまで話して、お猪口にお酒を注ぐ。並々と。また、僕がそこに映る。見ながら話す。
「たった5分だから話した内容は反対に鮮明に覚えているものさ…『新幹線の神戸駅ってのは山の中にあるんだ。だから、港側よりも数段寒いんだな。そちらも寒いかい?』と、そう聞いたんだ。そしたら、寒いと答えた。なぜか目が痛々しく赤く潤んでいるのを覚えてる。それを見て思わず、『今度、直接会わないか?そうだ、春にでもどうだ?花も綺麗に咲いてるぞ、きっと』と滑らした訳だ。おいおい、会いたくないって言ったのは息子じゃないか、みたいな。自分でも思いながら。でも、息子は大きくうなづいたんだ。『うん。』確かに、確かに口で『今すぐにでも』と言ったんだ。『じゃあ、明日にでも、公園に行くか?』と。冗談のつもりで、話したんだな」
 息を吸い込む。
 思い出すことが多い。
 思わず見上げる。居酒屋らしい、汚い天井だ。
「で、君はどうしたんだ?」
「僕は…」
 公園に行った。まだ寒い夜だ。もちろん、誰も来なかった。来れる訳ないじゃないか。そう思いながら、一晩中そこに居た。まだ春を知らない夜で身体は凍えそうだったが、万が一にでも来た時のために。
 やがて、夜は東から明るくなる。息子は来なかった。そのまま帰ろうかとも思ったのだが、せっかくだから息子の姿くらい見て行こうと学校の通り道を数周まわった。ただ、その時間帯には現れず、僕は出会えずじまいで帰ることとなった。
 そう、偶然だと思ったんだな。
 数週間後、次回のテレビ電話の時間が本来ならば連絡されていないといけない頃、途端に打ち切りが告げられた。なぜ?と聞いても何も返ってこない。無論、それでは話にならないので、こちらは養育費の支払いを下げることとした。向こうも突き返してきたが、こちらにも条件として “息子が元気に生きていることを確認できること” を条件として支払うことを約束しているため、おいそれと条件は飲めない。直接会うこともダメ、テレビ電話もダメではこの条件を飲むには難しすぎる。
 向こうはそこから写真だの手紙だので納得させようとしたのだが、そのどれもが稚拙なウソであった。人をなんだと思っているのだろうか…と、思っていた矢先、息子の訃報を告げられた。
 それは育ててきた人間とは思えないほど、あっさりとした内容だった。
「…ま、良いんだ」
 私は、宙を見上げたまま、動かなくなってしまった彼の顔を見ながら言葉を繋いだ。そして、カウンターの隣にいる彼の左肩を左手で掴んだ。自責で何処かへと行ってしまう、こちら側に戻さなければならない、そんな気がした。
 飲みすぎた彼を、私は家まで届けることにした。いや、元々そのつもりで明日は休みにしている。誰かが隣に居なければいけない予感だけがあった。
 彼の家はビニールハウスが広がる菜園の真ん中にある。ベロベロになった男をあそこまで運ぶのはなかなかだなぁ…
「あ、家はダメだ…色々思い出す…すぐそこのビニールハウスに連れて入ってくれ」
「いや、入れって言われても、そこでどうするつもりだい?」
「まぁ、入れば分かるさ」
 彼がふらふらとした口調でそう告げるので、ビニールハウスに入る。
 そこは蘭で溢れていて、温かく、そしてクラッシックまで流れていた。
「へへへ、天国みたいだろ?」
 自慢げに話す彼に少し安堵しながら奥に入ると布団が敷いてある。
「最近はここで寝ているんだ…へへへどうだい?良いだろ?」
「そうだな…」
 そう言いながら、彼は掛け布団を地面に敷いた。どうやら私分のスペースらしい。なので、私も横に寝そべってみる。ただ、寝るにはこの温室はやや高温で、寝づらさが勝ちそうだ。
「なぁ、クラッシックは君の趣味かい?」
 はははっ!と彼は笑う。
「んな訳ないだろう?適当にサブスクで流れてきたものをかけているだけさ。別に、良し悪しもわからないし。そもそも、作曲者もまさか温室でかけられるとは思ってないだろ?」
「それもそうか」
「…まぁ、でも、一応気に入ったものは何回か流すようにはしてるけどな。でも、それだけだ」
 ただ知らない音楽が延々と流れる。それは多少の心地悪さがあるものだった。少なくとも寝る気にはなれない。
「本当にこんなことで育ちが良くなるのだろうかね?」
「さぁ、それは知らない。ただ気休めにはなるかな。イヤなことを少しだけ忘れることができる。だから最近はここで寝てるんだ」
「いや、寝にくくないか?」
 と、正直な感想をぶつけてみる。
「ふはははははは。本当は金欠なんだよ。養育費とやらのお陰でね。こうやって少しでもお金を浮かせるためにこっちで寝てるんだ」
 そうか、と口では動かした。
「まぁ、天国なら悪くはないか」
 そう話した。
「うん、そうだな…向こうから息子が顔を出してくれればな…」
 そう話した彼を見た時は寝息を吐いていた。
 無邪気に笑ったこと、無事に眠れたこと、それを確認できたことに安心感を覚えたのと同時に、最後に口を滑らしたかもしれないことを悔い、そして明日の朝に目覚めた時に、今のことを彼が覚えていないことを願っている。
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