百足の蛇足

佐柳

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 赤く熟れて落ちていく太陽が水平線に被った、名残惜しそうに残した僅かな日の温かみが少しずつ消えていく、少女は自らの伸びる影を睨みつけた、コンクリートの階段に濃い色を落とした自分の形が笑ったような気がして腹が立った。また私を馬鹿にしに来た、私がいないと影にも成れないくせに生意気に、それはニタニタと気色の悪い目でこちらの真似をして遊んでいる。昨日はまだただの影だったはずなのに今日に限ってそれは少女の目の前に現れた、現れるのは決まって少女の体に傷が増えた日だ。
痛む腕を摩る少女の真似をするようにそいつは厭味ったらしい動きをやめなかった
しばらくするとそれが大きな影に飲み込まれて消えていった、日が落ちたのだ、忌々しい存在がやっと消えた、少女はもうしばらくは会うこともないだろうと一息ついた。

風が吹いて一気に体温を奪う、身震いをする少女を包むものは半そでのTシャツと短パンのみ、それは彼女が✖✖から与えられた数少ないものの一つだった、ついには雨が降り出したが寂然とした階段には物足りないBGMだ
ここから見える住宅街は一つ二つと明かりを灯して時間は夕から夜へと移り始め、道路には帰路を急ぐサラリーマンと学生たちがちらほらと見える、ここも例外ではなく上階、下階とエレベーターの動く音が頻繁に聞こえたがこの階段を使うものはいなかった、それも無理もないだろう激しさを増す雨の中階段をわざわざ使う人などいない。

強くなる雨脚はついに少女の裸足をも濡らし始めていた


「寝るの」
うとうととし始めていた少女は友人の声に目を覚ました、声は自分のもたれかかった灰色のコンクリートからだ、そこには黒と少しの赤色をした百足(ムカデ)がいくつもの足を器用に動かしている。
「寝てない」
「ああそう」
少女は百足の進行方向に指を沿わせ抑揚のない声で答える、百足は慣れた様子でその小さな手に上った。
「寒いね」
「寒いね」
「その体でも寒さは分かんの」
「まあね」
友人は手をぐるぐると落ち着きなく回りつつけている
「この上の階にいる女知ってるか」
「そんなの沢山いるでしょ」
「えーと、目つきの悪い、声のでかい」
「ああ、知ってるかも、名前は知らないけどそれがどうかしたの」
上階に住む人間のなかで条件に合うのはただ一人、703の主婦だ、言葉を交わしたこともないし遠目で見かけただけだがあれほど分かりやすい特徴の人物も珍しい。
「殺されかけたよ、殺虫剤で」
「へえ」
彼女に冷めた返事にも友人は怯まず続けた
「ちょっと通りかかっただけなのに、大声上げてさ」
「朝の話ならその声聞いたかも、どたどたうるさかったよ」
朝七頃だったか、女性の叫び声にたたき起こされた彼女の耳にはその音がしっかり届いていた、まさかそのとき友人が生死を決める死闘を繰り広げていたとは思いもしなかったが。
「じゃあきっとそれだ、いきなりティッシュの箱やらなんやら手あたり次第投げてきて大変だった」
「害虫だし、そんなもんでしょ」
「ひどいな、直接的に迷惑はかけてないだろ」
「存在が嫌なんでしょ、例えば見た目とか」

「俺らは生まれつきこういう体なんだから仕方ないだろ、そんなこと言われたら身もふたもない」
「いっそ生まれたことが悪いんじゃない」
「それは…自分のことも含めて言ってるのか」
友人は動きを止めた少女もしばらく黙って友人から目を反らした
「さあ」
「人間はめんどくさいな、みんなそんなことをぐちぐち言ってるのか辛気臭い生き物だ、俺は迫害されようが否定されようが今日うまいものを食えたらそれでいい」
「みんながみんなそういうわけじゃない、人間にもあんたみたいなのもいるでしょきっと。あんた達みたいなのの中にもぐちぐち言ってるのはきっといる。」
「そうかまあ少なくとも…それは俺じゃない」
友人は二本の触手を天に向けて動かした、その先は少女に向いている
「血の匂いだな、お前も上の女に殺虫剤でもかけられたか、俺は後ろから二番目の足の動きが悪くなった」
「殺虫剤とは一緒にしないでよ」
「殺虫剤は馬鹿にならないぞ、人間でいう毒ガスか」
「毒ガスか、まあいろんな意味でね」
「俺の母ちゃんはそれで死んだ、気をつけろよ」
「ああ、うん」
「なんだよ歯切れ悪いな」
「気をつけようがないなって思っただけ」
「確かにいきなりは避けようがないが、気が付けたら逃げる一択だぞ」
「あんたはね」
「さっきからなんだ、めんどくさいな」
「…その姿に生まれて、生きてて楽しい?」
「楽しいかって?生きること自体は楽しくないな、ただガキが生まれた時とうまいもん食ってるときは幸せだ。死んでないから生きてる、今が楽しいかどうかは不毛な話だ」
「そう」
「お前もガキの可愛さくらい分かるだろ…あ、お前人間でいうまだガキか」
「そうだね、あんたより生きてるはずなのにね」
「つくづく人間ってのは不便だな、手足は二本ずつしかねえし、飯は大量にいるし、なにより賢い、そのせいで変なこと考え始める、ジサツとかいうやつだ、俺だって仲間の中じゃ賢いんだぜ、それでも理解できねえ、そう思うと生き物としては俺らのが優れてんじゃないか?ああでもそのくせしてこんなでっかい巣を作りやがるしなあ」
「あんたらより賢いよ、でもあんたらのが賢いっていうのも間違ってない気がする」
「ううん…?」
「賢くないことが救いなこともあると思うって話だよ」
「賢くないことが救い?なんか馬鹿にされてる気がするな」
「褒めてるんだよ」
「…賢くないから分かんねえよ、おまえ変な奴だな」
「よく言われる」
百足は少女のうでに絡むようにして一周するとコンクリートの壁へ戻りくねくねと歩き始めた
「そういやお前まだガキなんだろ、それにケガしてる。✖✖が心配してんじゃないのか」
「え、ああ…」
「長話して悪いな、俺は帰る。そうだ…賢くないことが救いだっけか、考えとくよ」
「うん、またね」
少女の返事を聞くと百足は壁伝いに上っていく
「賢くないことが…賢くないことが…?」
蛇行した長いからだが半分見えなくなった頃、少女がその背に声をかけた
「それでも、私は賢くありたいんだよ」
その声が百足に届いたかわからない、百足はゆっくりと見えなくなってしまった、再び雨音だけが耳に入るようになり辺りはすっかり暗くなっている。
ついには眠気に負けた少女が膝に顔を埋めると遠くからつぶやくように百足の声が聞こえた
「余計ややこしくすんなよ」



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