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ゆりすみれ

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10【眞空+冬夜Diary】欲情の朝(三男)

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 勢いよく流れ出る水に、皿やコップを手際よくくぐらせる。ひとつひとつ丁寧に泡をゆすいでいき、眞空はあっという間に朝食の後片付けを終わらせた。

 早起きの秀春はいちばんに家を出てひばり園へ向かい、次に海斗がサッカー部の朝練に参加するため朝食をかき込んで出掛け、そのあとギリギリに起きてくる亜楼が朝食もそこそこに事務所へ出社する。堂園家のいつもの朝の光景だ。今日もいつものように三人を送り出した眞空は、自分を含めた四人分の朝食の食器を洗ってから学校へ行く支度を始めた。男所帯の堂園家の家事は基本的に秀春と眞空がしている。引き取られた頃からお父さん子だった眞空は自然と秀春の手伝いをするようになり、いつの間にか秀春よりも家事が得意になってしまっていた。

「……おはよう、眞空」

 眞空がリビングで制服に着替えていると、最後のひとりが目をごしごしこすりながら起きてきた。末弟はまだパジャマのままでのそのそと眞空の近くに寄っていくと、ソファに倒れ込むようにすとんと沈む。

「おはよ。どうしたの? 今日はいつもより遅いね」

 慢性的に低血圧気味の冬夜は何よりも朝が苦手だった。起きてくるのが最後なのはいつものことなので、朝食もひとりだけダイニングに残してある。父と二人の兄は大抵朝早くに出掛けるので、帰宅部で学校へはギリギリに行けばいい眞空と、陸上部に所属しているが低血圧のため朝練を免除されている冬夜は、この朝のひとときに二人きりで過ごすことが多かった。そしてそのまま一緒に高校へ通うのも、冬夜が双子と同じ高校に入学してからはくり返しの日常になっている。

 いつにも増して起床時間が遅い冬夜の顔色を、シャツの袖に腕を通しながら心配そうに眞空がのぞき込んだ。

「ん……なんか今日熱っぽくてだるいんだよね……風邪かな」

「風邪? 大丈夫?」

 けだるそうにソファでぐったりしている冬夜を見て、不謹慎ながら眞空はその妙な艶っぽさにどきっとしてしまった。ただでさえ周りから美少年だの天使だのともてはやされている弟だ、弱っているせいでいつもより儚さが増し一層色っぽく見える。眞空はそんなよこしまな目で冬夜を見ている自分に幻滅しつつも、美しい弟から目が離せない。

「うーん、だめかも……」

 末弟だけに許されるようなあまい声で冬夜がうなると、眞空は制服を着る手をそっと止めた。先日聞かされた愚兄のとんでもない話を急に思い出してしまい、勝手にからだが火照るのを感じる。

 バカイトのやつ、亜楼にコクって、しかもイかせられたって……あいつら、もうそこまで……。

 冬夜の頼りなさげな小さめのからだを目の前にして、眞空は自分のからだがはやっているのに気づいた。からだはどうしようもなく勝手に焦るのに、でも自分には冬夜に気持ちを伝える勇気も、冬夜に触れる覚悟も、やはりまだ獲得できずにいる。

「だるい……あ、ねぇ眞空、熱見て?」

 眞空がひとり悶々としていると、冬夜が急にソファから起き上がって眞空に接近した。眞空の後頭部に手を添えて少し自分の方に引き寄せると、自分の額を眞空のそれに預ける。おでこをぴったりと重ねると、冬夜は数センチ先の眞空の瞳をまじまじと見つめて、どう? 僕、熱ある? と真剣に訊いた。陶器のように白く透き通る肌に、熱のせいなのか赤く潤んだ瞳をのせて、色香を垂れ流した冬夜が密着してくる。

 ばっ、ばか、顔近っ! やめろよ、今兄ちゃん結構サカってるから! 完全におまえをやましい目で見てたんだから!

 冬夜の不意打ちに、眞空は動揺を隠せずに硬直した。まだ前のボタンをしていない制服の隙間から、心臓の爆音が漏れないことだけを切に祈る。

「どう?」

「え? あ、いや……わかんないよ、こんなんじゃ。……ちょ、ちょっと待ってて、体温計持ってくる。ちゃんと熱測ろう?」

 眞空はやんわりと冬夜のからだを遠ざけると、すぐに収納棚にある救急箱の元に走った。やばいだろ、朝から弟相手に欲情してるのバレたら普通に軽蔑されるだろ、と眞空は慌てて冬夜から離れる。

「あー、なんかやっぱり今日すっごくだるい。僕、今日学校遅刻していくから」

 体温計をがさごそ探している眞空の背中に、少し機嫌を損ねたような冬夜の声が降りかかった。探し物の手を止めて、眞空が冬夜を振り返る。

「え? あ、そう? ……あ、じゃあおれも一緒に遅刻してついていようか?」

 純粋に冬夜の体調が心配で、眞空はつい過保護になってしまった。これは眞空だけではなく堂園家みんなの悪い癖で、小さい弟を守ってあげなくてはという幼い頃の印象が未だに抜けず、つい必要以上に甘やかしてしまう。特に秀春と亜楼の猫かわいがりぶりはひどく、二人にとって冬夜は永遠に大きくならないかわいい末の弟だった。

「いい。少し寝たら多分治るから」

 眞空の過保護を拒絶するように、冬夜はきっぱりと付き添いを断った。低血圧の朝でもいつもはもっとおだやかなのにと、冬夜の言い方にとげを感じた眞空はますます弟が心配になる。

「どうした? 機嫌悪い? でもほんとに風邪だったら心配なんだけど……」

「いいってば。……眞空は、僕がそんなに子供じゃないこと、知ってるでしょ?」

 冬夜に瞳をまっすぐ射貫かれたままそう言われ、眞空は何も言い返せなくなってしまった。確かに眞空はそれを知っている。冬夜は顔立ちに幼さを残しているし、からだも同学年の男に比べると少し小柄だが、子供ではない。末っ子で、みんなに大切に大切に甘やかされてきた冬夜だが、持っている芯は聡明でとても強い。いちばん近くで冬夜を見てきた眞空は、ちゃんと冬夜のそういう面を知っている。知っているからこそ、冬夜を好きだと思ったのだ。

 冬夜はおぼつかない足取りで自室へ戻っていく。

「もう、ほっといて。先に学校行ってて」

「あ、待って冬夜……」

 と眞空が冬夜に向かって伸ばした手は、虚しく空を切り裂いた。

「朝ごはんと、おくすりは……?」

 って、そうじゃないだろおれ! 兄としても、男としても、いろいろダメすぎるだろうと、眞空は意気地のない自分に嫌気がさす。

 どうして冬夜が額を預けてきたとき、そのまま抱きしめてやれなかったのか。大丈夫かと髪を撫で、やさしく抱きすくめ、弱る冬夜を安心させてやればよかったのに。

 臆病な自分にほとほと呆れ、もう二度と巡って来ないかもしれない好機を失ったように思って、眞空はしばらくぼうっと立ち尽くした。
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