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ゆりすみれ

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42【亜楼+海斗Diary】気づき②

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 夕方に学校で莉奈と別れたあと、海斗はふらふらと適当に寄り道をしながらゆっくりと家の近くまで帰ってきた。それでもまだ家に入る気にはならず、家のはす向かいにある小さな公園に立ち寄る。ここはほとんど兄弟たちにとっての庭のようなもので、小学生の頃は毎日のように眞空や冬夜や近所の子供たちと遊んでいた。帰りが遅くなると、短い学ランの亜楼が怒って家から出てきて弟たちを迎えに来ていた。

 海斗は小さなブランコに座り、思案しながらぼんやりと揺れた。陽は全部落ち、ブランコ近くの頼りない電灯がうっすらと辺りを照らしている。

 ひどいことをしてしまったと、海斗は自分を責めていた。気丈に振る舞ってはいたが、莉奈はずっと気落ちしていた。期待させておいてあっさりと傷つけてしまったことを悔やみ、自分の軽率な行動に嫌悪感を抱く。こんなのは莉奈の提案に便乗して、自分が確認したかったことに、彼女を巻き込んだだけだ。莉奈の気持ちを利用した。最低だ。莉奈を引き合いに、海斗は胸の内でくすぶっている謎の感情の正体を、どうにか突き止めようとしていただけだった。

『おい』

 うつむいていた海斗に、よく知った声が降ってくる。呼ばれて顔を上げると、スーツを着た仕事帰りの亜楼がブランコの前に立っていた。

『なんで……』

 心に思い浮かべていた人の登場に、海斗の口唇がかすかに戦慄わななく。

『なんかでけぇやつがブランコ乗ってんなーって思ったらうちの弟だったから、注意しにきた。ガキの遊び場占領してんじゃねぇよ』

『こんな時間に子供なんか遊びに来ねぇだろ』

 とりあえず互いに一度は噛みついておかないと気が済まないのか、いつものように会話で戯れる。

『帰らねぇの? ……なんかあった?』

 弟の様子がおかしいのは明らかだったが、亜楼はあまり気負わず軽めにそう訊いてやった。深く問い詰めたら、逃げ出しそうな空気さえある。

『あ、ついにスタメン落ちたか』

『サッカーのことじゃねぇよ。……あとオレがスタメン落ちとか有り得ねぇから』

 サッカーの自信だけは満々な海斗に少し安堵し、亜楼はやさしく弟を見つめる。海斗も思春期の男子高校生だ、学校でいろいろあるのだろうと亜楼はもうそれ以上は何も訊かなかった。

『ほら、帰るぞ』

『なぁ』

『ん?』

 帰ろうと背を向けた亜楼を、海斗が呼び止める。

『亜楼もいつか、結婚すんの?』

『はぁ?』

 唐突すぎる問いに亜楼が歩みを止め、海斗を振り返った。

『なんだよ、急に』

『いつか結婚して、そしたら、家……出ていくのかよ』

『……だから、なんで、』

『出ていって、そこで、新しい家族作んの……?』

 オレのいない、知らない家族を。

『……』

 知らない女との間に子供を作って、亜楼は大切なものを増やすんだろうか。そんなものを増やされたら、血のつながりのないまがいものの弟のことなんて、きっとすぐに忘れてしまう。

 亜楼は少しだけ考えて、言葉を選ぶように慎重に告げた。

『そんな予定はねぇけど……まぁいつかは、そういうこともあるかもな』

『っ!?』

 尖ったものが刺さる感覚に、海斗はひどく驚いた。胸が痛い。聞きたくなかった言葉だった。

『同級生たちからも、ちらほらそういう報告聞くし……相手がいるやつはこっからどんどん家庭持ってくんだろうな』

『同級生の話は訊いてない。……おまえが結婚すんのかって訊いてんだよっ』

『あ? だから、なんでそんなこと……』

 弟の真意がわからず、兄は困った顔で海斗を見た。雑談の感じがまるでしない切迫した雰囲気に、亜楼が次の言葉を発するのをためらう。

『……』

『……っ』

 亜楼が誰かと一緒になることを想像して、その大きすぎる喪失感に、海斗は想像だけで狂いそうになった。想像だけでこのざまだ、実際にそうなったら自分を保てる気がしない。

 とられたくない、と海斗ははっきりと自覚した。知らない女にも、知らない男にも、生まれてくるかもしれない子供にも、誰にも亜楼をとられたくない。そばで、あの家で、ずっと一緒がいい。

 このみっともないほどにすがるような感情は、おそらく。

『……嫌だ』

 気づいたら、海斗はそう口に出していた。

『いや、結婚する予定ねぇんだけど』

『あー……』

 海斗が突然うなり出す。腑に落ちる、を体感した海斗はうなったあと、大きくため息をついた。莉奈が教えてくれたことが、今なら全部理解できる。

 これが、好き、か。このどうしようもないようなぐちゃぐちゃな感情が、好き、なのか。曖昧だった気持ちが、確信に変わった。子供の頃から強くてやさしくてかっこよくて、憧れのかたまりだった。誰よりも近い存在でいたい。絶対に誰にも、とられたくない。

『おまえさっきから何言ってんの……とにかく、もう帰るぞ』

『……ラーメン』

『は?』

 まだ勝手なことを言い続ける弟に、さすがに亜楼が冷ややかな目を向ける。

『今から亜楼とラーメン食いに行きたい』

 気づいてしまったら、あふれるだけだった。今まで押し込んで隠して目を背けてきた感情が、あふれる。もう隠しておける気がしない。

『おいアホなこと言ってねぇで帰んぞ。眞空が飯作って待ってんだろうが』

 今だけは、亜楼を独り占めしたい。今だけは、大好きな眞空と冬夜にも、亜楼を会わせたくない。

『やだ。亜楼とラーメン行きたい。……今は、帰りたくねぇんだ』

 オレだけの兄貴で、オレだけの、……オレだけの。

 亜楼はまた少し考えて、それから長いため息をついた。こうなってしまうと海斗が梃子てこでも動かないことをよく知っている兄は、叱ることも説得することもあきらめて、弟のわがままを聞くしかない。子供の頃からずっと変わらない光景だ。

『あとで眞空の飯、ちゃんと食うんだろうな?』

『食うよ。夜食か、明日の朝メシにする』

『……ったく、今日のおまえ、まじでなんなんだよ……』

 文句を垂れながらも、ラーメンくらいで思春期の男子高校生の悩みが晴れるならまぁいいかと、学校で落ち込む何かがあったからだと思い込んでいる亜楼が少しズレて海斗を気遣った。まさか自分を独り占めしたいのが本当の理由だと、弟相手に思うわけがない。

『おい、行くなら早く行くぞ』

 先に歩き出した亜楼を見て、海斗はブランコを飛び降りた。地面に置いていた高校の名が入ったサッカー部のエナメルバッグを引っつかむと、すぐに駆け寄り、亜楼と肩を並べる。

『オレ、全部のせがいい』

 海斗が笑って、亜楼にねだった。

『あー? 勝手にしろよ』

 わけのわからない弟に面倒そうにしながらも、やっと笑った海斗に亜楼がほっとする。海斗は悩みなどなさそうに、明るく笑っている方が断然いい。

『うん、勝手にする。餃子もつける』

 あー……好き。これが好きかぁ。好き。……そっか、オレ、亜楼が好きだったのか。

 やっと気づけた気持ちが、素直にすとんと海斗の胸に落ちた。最初から特別で、これからもずっと特別な人。

 さぁこれからどうしようか……と、亜楼を絶対に誰にも渡したくない海斗が最良の方法を探る。ラーメン屋までの夜道を歩きながら、ぐるぐると、弟は兄の隣であれこれと戦略を考え始めた。
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