婚約破棄された悪役令嬢ですが、なぜか変人侯爵に溺愛されてます

春夜夢

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第二部「風薫る港町と、新たな胎動」

第14話「静寂の前夜、命の扉

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その日は、不思議なほど空が澄んでいた。

 窓から差し込む陽光は柔らかく、鳥のさえずりもどこか静けさを帯びている。
 まるで、何か大きな出来事が近づいていることを、空までもが知っているように感じられた。

 「……アレクシス様」

 「ん?」

 「今朝から、お腹が……とても重いんです」

 私の言葉に、彼はすぐに立ち上がり、私の隣に座る。

 「痛むか?」

 「いえ、まだ……でも、何かが……“始まる”ような気がするの」

 そう――身体が、そっと“覚悟”を促してくるような、穏やかな緊張感。
 心臓の鼓動と、お腹の中の命の鼓動が、少しずつ“重なり合う感覚”。

 “この扉が、もうすぐ開く”。

 私は、はっきりとそう感じていた。

* * *

 その夜。

 王妃陛下が、私だけを静養室に訪ねてくださった。

 護衛も侍女も遠ざけられ、火を落とした静かな部屋で、私たちは向かい合って座った。

 「レイナ。……出産が近いのですね」

 「ええ。きっと、あと数日……あるいは、もっと早く」

 「貴女がこの子を産むとき。きっと王宮中が震えるでしょう」

 「……それでも、私はこの子に“ただ生きていい”と言える母でいたいのです」

 王妃は、私の手を取った。

 「貴女が王宮に来た日のことを、今も思い出します。
 まだあんなに細くて、強がるように背筋を伸ばしていた」

 「王妃陛下が、“家族になる者同士”と呼んでくださったあの茶室で……」

 「ええ。そして、今や貴女は“国に言葉を届けた母”となった。
 ……レイナ。この子が生まれたら、またあなたとあの茶室でお茶をいただきましょう」

 私は小さく笑った。

 「今度は、二人分多く淹れますね。ひとつは、この子のために。もうひとつは――」

 「アレクシス様?」

 「ええ。きっと、緊張で手が震えて何も飲めないでしょうけど」

* * *

 そしてその夜遅く。

 アレクシスは、一人、屋敷の裏庭に出ていた。

 私が少し眠ったあと、物音に気づいて起きると、彼の姿が月明かりの中にあった。

 「……アレクシス様?」

 私が声をかけると、彼は少し驚いた顔で振り返った。

 「……ごめん。君を起こすつもりはなかった」

 私は、ゆっくりと歩み寄る。
 お腹が重くて、歩くたびに身体が揺れる。けれど、今は彼の隣にいたかった。

 「……怖いの?」

 その問いに、彼はしばし口を閉ざしていたが、やがてぽつりと呟いた。

 「……君が、命がけでこの子を産もうとしている。
 君が叫ぶ声を、苦しむ姿を、何もできずに見るしかないのかと思うと……本当に、怖い」

 「アレクシス様……」

 「僕は、ずっと剣を握って生きてきた。
 でも、誰かの“生まれる瞬間”を守ることほど、怖いものはない」

 私はそっと彼の手を取り、自分の腹に添えた。

 「でも、私はあなたの声があるから、頑張れるの。
 あなたの“盾”があるから、この命を迎えられる」

 「……それでも、君が苦しまない道を選べたらって……思ってしまう」

 「それは、“願い”でいいの。
 私も願ってる。痛みが少しでも軽くて、あなたとこの子がすぐに笑い合える未来を」

 私たちは、そっと額を寄せ合った。

 静かで、けれど確かな、覚悟の前夜だった。

* * *

 夜空を見上げると、雲ひとつない澄んだ空に、星がいくつも瞬いていた。

 私は思わず小さくつぶやいた。

 「……次に目覚めたとき、世界は少し違って見えるかもしれませんわね」

 「それでも、“君と子が生きているなら”それでいい」

 アレクシスの声は、どこまでも真っ直ぐだった。

 そして、私は頷いた。

 「この命が、この国に“生まれてくれてよかった”と思える日が来るように。
 私は、母として、この扉を開けてみせます」
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