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第1話:運命の坂道で
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――ここで終わらせよう。
三笠黎(みかさ れい)は、登りきった坂道の上でそう思った。
季節は春。
けれど、空はどこか冬のように灰色だった。
見渡す限り、山と空と、まだ蕾のままの桜の木があるだけ。
黎の胸には、ぽっかりと穴があいていた。
誰にも言えなかったこと。
誰にも助けを求めなかったこと。
何度も「大丈夫」と言って、笑うふりをして、気づけば何もかも手放していた。
「……ここで、いい」
ぼそりとつぶやいたその声は、風にすぐかき消された。
そのときだった。
「ねぇ、そこに立っちゃだめだよ」
背後から、女の子の声がした。
振り返ると、白いワンピースに身を包んだ少女が立っていた。
年の頃は十代半ば、いや、それよりもっと幼いかもしれない。
けれど、その瞳だけは、どこまでも深く、そして静かだった。
「……誰だ」
「わたし? “春”だよ」
まるで名前のように、そう名乗った。
黎は、思わず目を細めた。
この山には、誰もいないはずだった。観光地でも、ハイキングコースでもない。
それなのに、なぜ彼女が――。
「さっき、笑ってなかったね。泣いてもなかった。そういう時は、だいたい“どこかに向かおうとしてる”時なんだよ」
春は、まっすぐに黎を見た。
「でも、そこには、もう何もないよ。あなたの心は、まだここにあるから」
その言葉が、不意に胸に刺さった。
――どうして、この子は、そんなことを言えるんだ。
そう思ったとき、脚の力が抜け、黎はその場に崩れ落ちた。
*
気がつくと、木造の小屋の中にいた。
囲炉裏の火が、かすかにぱちぱちと鳴っている。
自分の服はそのままだったが、手には毛布がかけられていた。
傍らに座っていたのは、あの少女――春だった。
「おかえり。よく眠ってたよ」
黎は起き上がり、辺りを見渡した。
「……ここは?」
「村だよ。山のふもとにある、小さな村」
「……なんで俺を?」
春は首をかしげた。
「それはね、あなたが“来た”からだよ。“来よう”って思ったから」
「……わからない」
「うん、それでいいよ。最初から分かる人なんていないから」
少女の声は、なぜだかとてもあたたかかった。
*
その日、黎は春に案内されて、村の道を歩いた。
そこには、古びた郵便受けのある家、風に揺れる洗濯物、よろよろ歩く猫、無言で庭に水をやる老夫婦。
都会のような騒音もなければ、誰かの怒鳴り声もない。
ただ、ゆっくりと人が暮らしていた。
「この村はね、“いったんおやすみするため”の場所なんだって」
「……誰が言ったんだ」
「昔、ここにいたおばあちゃん」
「……ここに来たら、何が変わるんだ?」
春は足を止めて、振り返った。
「何かが変わるかは分からない。でも、“変わってもいい”って、思えるかもしれないよ」
その言葉に、黎は返すことができなかった。
*
日が暮れるころ、小屋に戻ると、囲炉裏の火はまだ赤々と燃えていた。
春は、小さな器に湯を入れて差し出した。
「これ、野草のお茶。苦いけど、あったまるよ」
それを口に含んだとき、不意に涙がこぼれた。
苦さの奥に、どこか懐かしさがあった。
昔、祖母が作ってくれた味に、少しだけ似ていた。
そして、涙がこぼれる自分に、誰も何も言わなかったことが――今の黎には、何より救いだった。
春は、ただ笑っていた。
「泣いてもいいんだよ。ちゃんと、ここにいるんだから」
その言葉が、春の匂いと一緒に、胸の奥にそっと染みていった。
三笠黎(みかさ れい)は、登りきった坂道の上でそう思った。
季節は春。
けれど、空はどこか冬のように灰色だった。
見渡す限り、山と空と、まだ蕾のままの桜の木があるだけ。
黎の胸には、ぽっかりと穴があいていた。
誰にも言えなかったこと。
誰にも助けを求めなかったこと。
何度も「大丈夫」と言って、笑うふりをして、気づけば何もかも手放していた。
「……ここで、いい」
ぼそりとつぶやいたその声は、風にすぐかき消された。
そのときだった。
「ねぇ、そこに立っちゃだめだよ」
背後から、女の子の声がした。
振り返ると、白いワンピースに身を包んだ少女が立っていた。
年の頃は十代半ば、いや、それよりもっと幼いかもしれない。
けれど、その瞳だけは、どこまでも深く、そして静かだった。
「……誰だ」
「わたし? “春”だよ」
まるで名前のように、そう名乗った。
黎は、思わず目を細めた。
この山には、誰もいないはずだった。観光地でも、ハイキングコースでもない。
それなのに、なぜ彼女が――。
「さっき、笑ってなかったね。泣いてもなかった。そういう時は、だいたい“どこかに向かおうとしてる”時なんだよ」
春は、まっすぐに黎を見た。
「でも、そこには、もう何もないよ。あなたの心は、まだここにあるから」
その言葉が、不意に胸に刺さった。
――どうして、この子は、そんなことを言えるんだ。
そう思ったとき、脚の力が抜け、黎はその場に崩れ落ちた。
*
気がつくと、木造の小屋の中にいた。
囲炉裏の火が、かすかにぱちぱちと鳴っている。
自分の服はそのままだったが、手には毛布がかけられていた。
傍らに座っていたのは、あの少女――春だった。
「おかえり。よく眠ってたよ」
黎は起き上がり、辺りを見渡した。
「……ここは?」
「村だよ。山のふもとにある、小さな村」
「……なんで俺を?」
春は首をかしげた。
「それはね、あなたが“来た”からだよ。“来よう”って思ったから」
「……わからない」
「うん、それでいいよ。最初から分かる人なんていないから」
少女の声は、なぜだかとてもあたたかかった。
*
その日、黎は春に案内されて、村の道を歩いた。
そこには、古びた郵便受けのある家、風に揺れる洗濯物、よろよろ歩く猫、無言で庭に水をやる老夫婦。
都会のような騒音もなければ、誰かの怒鳴り声もない。
ただ、ゆっくりと人が暮らしていた。
「この村はね、“いったんおやすみするため”の場所なんだって」
「……誰が言ったんだ」
「昔、ここにいたおばあちゃん」
「……ここに来たら、何が変わるんだ?」
春は足を止めて、振り返った。
「何かが変わるかは分からない。でも、“変わってもいい”って、思えるかもしれないよ」
その言葉に、黎は返すことができなかった。
*
日が暮れるころ、小屋に戻ると、囲炉裏の火はまだ赤々と燃えていた。
春は、小さな器に湯を入れて差し出した。
「これ、野草のお茶。苦いけど、あったまるよ」
それを口に含んだとき、不意に涙がこぼれた。
苦さの奥に、どこか懐かしさがあった。
昔、祖母が作ってくれた味に、少しだけ似ていた。
そして、涙がこぼれる自分に、誰も何も言わなかったことが――今の黎には、何より救いだった。
春は、ただ笑っていた。
「泣いてもいいんだよ。ちゃんと、ここにいるんだから」
その言葉が、春の匂いと一緒に、胸の奥にそっと染みていった。
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