5 / 81
5
しおりを挟む
深夜二時を過ぎても、事務所には灯りがついていた。
蛍光灯ではなく、デスクランプの小さな明かりだけ。
そのおかげで、夜の空気が柔らかく、静かに漂っている。
窓の外はまだ濡れたままで、風が吹くたびにかすかに水滴が鳴る。
音のない世界。
――なのに、隣にいる陽翔の呼吸だけが、やけに鮮明だった。
ふたりはデスクの脇、ソファに並んで座っていた。
肩が軽く触れていて、だけど誰も離れようとしない。
陽翔のコーヒーの湯気が、蓮の頬をかすかに撫でた。
「……静かだね」
「夜中だからな」
「でも、なんか……この静けさ、嫌いじゃない」
小さく笑った声が、夜に溶ける。
その笑い方は、昼間の元気さとは違う。
ふわっと、やわらかくて――じんわりと胸の奥に染み込んでいく。
蓮は目を逸らした。
視線を窓の外に向けて、夜空の下に広がる雨の名残を眺める。
でも、意識のほとんどは隣の男に向いていた。
「蓮さん」
「……なんだ」
「俺ね、前の仕事やめたとき、なんか“空っぽ”だったんだ」
「……」
「でも、ここ来てからはさ……雨の音とか、コーヒーの匂いとか。全部ちょっとずつ、好きになってきてる」
蓮の胸に、かすかに波が立った。
陽翔の言葉は派手じゃない。
なのに、まっすぐ心の奥に落ちてくる。
「……そんなもんでいいのか」
「いいんだよ。それが……あったかい感じがするから」
その声が、耳の奥で残響した。
まるで、雨音のあとに残る余韻のように――静かで、長い。
陽翔がソファの上で姿勢を少し変えた。
膝と膝がかすかにぶつかる。
その拍子に、蓮の手の甲に陽翔の指先が触れた。
ほんの、一瞬。
(……あ)
心臓が跳ねた。
驚いたのは、陽翔よりも蓮のほうだった。
この距離でこんなにも息が詰まるなんて、自分でも思っていなかった。
「……ごめん」
陽翔は笑って誤魔化すように指を引こうとした――
けれど、その瞬間、蓮の手がほんの少しだけ動いた。
逃げる指先を、止めるように。
指と指が、ふわりと触れ合う。
誰も息をしなかった。
静かな部屋で、時計の秒針の音がひときわ大きく響く。
「……」
「……蓮さん?」
「……逃げんなよ」
囁いた声は、低くて、かすれていた。
陽翔の喉が小さく鳴る。
その声だけで、空気が甘く濃くなる。
指先が絡まるわけでも、握るわけでもない。
ただ“触れている”だけ。
なのに、それが思っていた以上に熱い。
「……逃げないよ」
陽翔の答えに、蓮はほんの少し息を吐いた。
その吐息が、陽翔の頬をかすめるほど近い距離。
触れ合う指先に熱が集まって、まるで心臓がそこにあるようだった。
「……なんで、そんな顔するんだよ」
「え?」
「俺を……困らせる顔」
陽翔は照れたように笑って、視線をそらした。
その横顔が、ランプの光に照らされて淡く浮かび上がる。
柔らかくて、綺麗で――どうしようもなく近い。
「困ってるの、蓮さんでしょ」
「……そうだな」
素直に返した声に、陽翔が目を見開いた。
たぶん、こんな会話になるとは思っていなかったのだろう。
でも――これは嘘じゃない。
「お前が隣にいると……静かだったはずの夜が、うるさくなる」
「……それって」
「……うるさいって、意味が変わっただけだ」
指先の熱が、胸の奥に広がっていく。
ふたりの距離は変わらない。
でももう、最初の頃の“他人の距離”ではなかった。
(……こいつのこと、もう“ただの助手”なんて思えない)
蓮はゆっくりと陽翔の顔を見た。
彼もまた、まっすぐ見返してきた。
触れた指先の間に、夜の空気が震えるような静かな緊張が漂っている。
🕊️ 第6話 予告:「夜を越えて」
指先が触れた夜のあと、ふたりの心に残る温度。
距離は縮まった。けれど、まだ言葉にはならない――
静かな夜が、恋の始まりを確かに告げる。
蛍光灯ではなく、デスクランプの小さな明かりだけ。
そのおかげで、夜の空気が柔らかく、静かに漂っている。
窓の外はまだ濡れたままで、風が吹くたびにかすかに水滴が鳴る。
音のない世界。
――なのに、隣にいる陽翔の呼吸だけが、やけに鮮明だった。
ふたりはデスクの脇、ソファに並んで座っていた。
肩が軽く触れていて、だけど誰も離れようとしない。
陽翔のコーヒーの湯気が、蓮の頬をかすかに撫でた。
「……静かだね」
「夜中だからな」
「でも、なんか……この静けさ、嫌いじゃない」
小さく笑った声が、夜に溶ける。
その笑い方は、昼間の元気さとは違う。
ふわっと、やわらかくて――じんわりと胸の奥に染み込んでいく。
蓮は目を逸らした。
視線を窓の外に向けて、夜空の下に広がる雨の名残を眺める。
でも、意識のほとんどは隣の男に向いていた。
「蓮さん」
「……なんだ」
「俺ね、前の仕事やめたとき、なんか“空っぽ”だったんだ」
「……」
「でも、ここ来てからはさ……雨の音とか、コーヒーの匂いとか。全部ちょっとずつ、好きになってきてる」
蓮の胸に、かすかに波が立った。
陽翔の言葉は派手じゃない。
なのに、まっすぐ心の奥に落ちてくる。
「……そんなもんでいいのか」
「いいんだよ。それが……あったかい感じがするから」
その声が、耳の奥で残響した。
まるで、雨音のあとに残る余韻のように――静かで、長い。
陽翔がソファの上で姿勢を少し変えた。
膝と膝がかすかにぶつかる。
その拍子に、蓮の手の甲に陽翔の指先が触れた。
ほんの、一瞬。
(……あ)
心臓が跳ねた。
驚いたのは、陽翔よりも蓮のほうだった。
この距離でこんなにも息が詰まるなんて、自分でも思っていなかった。
「……ごめん」
陽翔は笑って誤魔化すように指を引こうとした――
けれど、その瞬間、蓮の手がほんの少しだけ動いた。
逃げる指先を、止めるように。
指と指が、ふわりと触れ合う。
誰も息をしなかった。
静かな部屋で、時計の秒針の音がひときわ大きく響く。
「……」
「……蓮さん?」
「……逃げんなよ」
囁いた声は、低くて、かすれていた。
陽翔の喉が小さく鳴る。
その声だけで、空気が甘く濃くなる。
指先が絡まるわけでも、握るわけでもない。
ただ“触れている”だけ。
なのに、それが思っていた以上に熱い。
「……逃げないよ」
陽翔の答えに、蓮はほんの少し息を吐いた。
その吐息が、陽翔の頬をかすめるほど近い距離。
触れ合う指先に熱が集まって、まるで心臓がそこにあるようだった。
「……なんで、そんな顔するんだよ」
「え?」
「俺を……困らせる顔」
陽翔は照れたように笑って、視線をそらした。
その横顔が、ランプの光に照らされて淡く浮かび上がる。
柔らかくて、綺麗で――どうしようもなく近い。
「困ってるの、蓮さんでしょ」
「……そうだな」
素直に返した声に、陽翔が目を見開いた。
たぶん、こんな会話になるとは思っていなかったのだろう。
でも――これは嘘じゃない。
「お前が隣にいると……静かだったはずの夜が、うるさくなる」
「……それって」
「……うるさいって、意味が変わっただけだ」
指先の熱が、胸の奥に広がっていく。
ふたりの距離は変わらない。
でももう、最初の頃の“他人の距離”ではなかった。
(……こいつのこと、もう“ただの助手”なんて思えない)
蓮はゆっくりと陽翔の顔を見た。
彼もまた、まっすぐ見返してきた。
触れた指先の間に、夜の空気が震えるような静かな緊張が漂っている。
🕊️ 第6話 予告:「夜を越えて」
指先が触れた夜のあと、ふたりの心に残る温度。
距離は縮まった。けれど、まだ言葉にはならない――
静かな夜が、恋の始まりを確かに告げる。
0
あなたにおすすめの小説
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ある少年の体調不良について
雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。
BLもしくはブロマンス小説。
体調不良描写があります。
【完】君に届かない声
未希かずは(Miki)
BL
内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。
ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。
すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。
執着囲い込み☓健気。ハピエンです。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる