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午前10時。
いつもの事務所。
カーテンの隙間から差し込む光が、机の上の書類を明るく照らしていた。
それなのに――昨夜と違って特別な音も、雨の匂いもないはずなのに。
ふたりの間にある空気だけが、明らかに変わっていた。
「……今日、静かじゃない?」
陽翔がコーヒーをすすりながら言った。
デスクの向こうにいる蓮は、いつも通りの無表情……のはずだった。
けれど――ほんのわずかに視線を合わせるだけで、胸の奥が跳ねる。
「静かなのはお前が黙ってるからだろ」
「え、俺のせい?」
「いつもうるさい」
「うるさいって言葉、最近甘く聞こえるの俺だけ?」
陽翔は笑いながら、自分でもわかっているように肩をすくめた。
昨夜、あんなに近くで眠って、手を離さずに朝を迎えたあと――
以前と“同じ”なんて、できるはずがなかった。
指先がデスクに触れるたび、蓮の脳裏には夜の温度が蘇る。
あの指のぬくもりが、まだ掌の奥に残っている気がした。
(……戻れねぇな)
自分でも気づいている。
陽翔の笑顔を“同僚のもの”としては見られなくなっている。
ふとした瞬間、視線が彼の唇や喉元に吸い寄せられる。
意識したくないほど、意識してしまっていた。
*
「……そういえば、今日の調査、午後からだったよね」
陽翔がカレンダーを見ながら言う。
外の空は晴れていて、昨夜の雨の名残が舗道にまだ残っている。
濡れた街は光を反射していて、なんとなくきれいだった。
「……ああ」
「ちょっと、外でごはん食べない? ……ふたりで」
その一言に、蓮の胸がわずかに鳴った。
何気ない誘い。でも、それが今までとは違って聞こえる。
ふたりで食事なんて、昨日の夜までなら“ただの同僚の昼食”だった。
でも今――その意味は、少しだけ違っていた。
「……別にいいけど」
「やった」
陽翔は嬉しそうに笑った。
まるで子どもみたいに無邪気なのに、蓮の視線はその笑顔から離せなかった。
(ああ、ほんと……面倒だ)
けれど、その“面倒さ”を、もう切り捨てたいとは思わない。
*
昼下がり。
ふたりは事務所の近くにある、小さな喫茶店にいた。
窓辺の席、少し狭いテーブル。
互いの腕が少し動くだけで、ぶつかりそうになる距離だった。
「ここ、いいね。静かで」
「……静かじゃないと、お前しゃべりすぎる」
「ひど」
軽口のやりとり。
だけど、蓮は陽翔の声を聞きながら、コーヒーカップを持つ指先に意識が集中していた。
隣に座る彼との距離が、昨日よりもずっと短く感じる。
本当は距離なんて変わっていないのに――心が距離を変えた。
陽翔がふと、笑いながら身を乗り出した。
その拍子に、テーブルの下で蓮の膝に陽翔の膝が軽く触れる。
「……!」
「ごめっ……!」
陽翔は慌てて身を引こうとしたが、蓮は動かなかった。
むしろ、少しだけそのままにしていた。
膝に残るぬくもりが、思ったよりも熱い。
(……ああ、やっぱり)
(俺、もうこいつを「ただの助手」には戻せねぇ)
視線が自然と陽翔に向く。
彼は、ほんの少し頬を赤く染めて――けれど、目を逸らさなかった。
「……昨日の夜」
陽翔が小さく言った。
まるで息を飲むような声だった。
「なに」
「なんか、変な夢見た気がしてたけど……夢じゃなかったんだよね」
膝に残る熱。視線。呼吸。
まるで言葉のないキスをしているような、濃い空気がテーブルの上に落ちた。
蓮は何も言わなかった。
けれど――視線だけで、しっかりと陽翔に答える。
「……夢じゃねぇ」
陽翔の目が、ゆっくりと細められた。
喫茶店の静かな空気に、雨の夜の名残がそっと重なる。
🕊️ 第9話 予告:「心が触れた午後」
膝、指、視線――
小さな接触のひとつひとつが、ふたりの世界を確かに変えていく。
「好き」という言葉は、まだ出ていない。
だけど、それを言わなくても“分かってしまう”時間が始まる。
いつもの事務所。
カーテンの隙間から差し込む光が、机の上の書類を明るく照らしていた。
それなのに――昨夜と違って特別な音も、雨の匂いもないはずなのに。
ふたりの間にある空気だけが、明らかに変わっていた。
「……今日、静かじゃない?」
陽翔がコーヒーをすすりながら言った。
デスクの向こうにいる蓮は、いつも通りの無表情……のはずだった。
けれど――ほんのわずかに視線を合わせるだけで、胸の奥が跳ねる。
「静かなのはお前が黙ってるからだろ」
「え、俺のせい?」
「いつもうるさい」
「うるさいって言葉、最近甘く聞こえるの俺だけ?」
陽翔は笑いながら、自分でもわかっているように肩をすくめた。
昨夜、あんなに近くで眠って、手を離さずに朝を迎えたあと――
以前と“同じ”なんて、できるはずがなかった。
指先がデスクに触れるたび、蓮の脳裏には夜の温度が蘇る。
あの指のぬくもりが、まだ掌の奥に残っている気がした。
(……戻れねぇな)
自分でも気づいている。
陽翔の笑顔を“同僚のもの”としては見られなくなっている。
ふとした瞬間、視線が彼の唇や喉元に吸い寄せられる。
意識したくないほど、意識してしまっていた。
*
「……そういえば、今日の調査、午後からだったよね」
陽翔がカレンダーを見ながら言う。
外の空は晴れていて、昨夜の雨の名残が舗道にまだ残っている。
濡れた街は光を反射していて、なんとなくきれいだった。
「……ああ」
「ちょっと、外でごはん食べない? ……ふたりで」
その一言に、蓮の胸がわずかに鳴った。
何気ない誘い。でも、それが今までとは違って聞こえる。
ふたりで食事なんて、昨日の夜までなら“ただの同僚の昼食”だった。
でも今――その意味は、少しだけ違っていた。
「……別にいいけど」
「やった」
陽翔は嬉しそうに笑った。
まるで子どもみたいに無邪気なのに、蓮の視線はその笑顔から離せなかった。
(ああ、ほんと……面倒だ)
けれど、その“面倒さ”を、もう切り捨てたいとは思わない。
*
昼下がり。
ふたりは事務所の近くにある、小さな喫茶店にいた。
窓辺の席、少し狭いテーブル。
互いの腕が少し動くだけで、ぶつかりそうになる距離だった。
「ここ、いいね。静かで」
「……静かじゃないと、お前しゃべりすぎる」
「ひど」
軽口のやりとり。
だけど、蓮は陽翔の声を聞きながら、コーヒーカップを持つ指先に意識が集中していた。
隣に座る彼との距離が、昨日よりもずっと短く感じる。
本当は距離なんて変わっていないのに――心が距離を変えた。
陽翔がふと、笑いながら身を乗り出した。
その拍子に、テーブルの下で蓮の膝に陽翔の膝が軽く触れる。
「……!」
「ごめっ……!」
陽翔は慌てて身を引こうとしたが、蓮は動かなかった。
むしろ、少しだけそのままにしていた。
膝に残るぬくもりが、思ったよりも熱い。
(……ああ、やっぱり)
(俺、もうこいつを「ただの助手」には戻せねぇ)
視線が自然と陽翔に向く。
彼は、ほんの少し頬を赤く染めて――けれど、目を逸らさなかった。
「……昨日の夜」
陽翔が小さく言った。
まるで息を飲むような声だった。
「なに」
「なんか、変な夢見た気がしてたけど……夢じゃなかったんだよね」
膝に残る熱。視線。呼吸。
まるで言葉のないキスをしているような、濃い空気がテーブルの上に落ちた。
蓮は何も言わなかった。
けれど――視線だけで、しっかりと陽翔に答える。
「……夢じゃねぇ」
陽翔の目が、ゆっくりと細められた。
喫茶店の静かな空気に、雨の夜の名残がそっと重なる。
🕊️ 第9話 予告:「心が触れた午後」
膝、指、視線――
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「好き」という言葉は、まだ出ていない。
だけど、それを言わなくても“分かってしまう”時間が始まる。
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