Rain after Five

春夜夢

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午前九時。
駅前の街はいつも通りの喧騒に包まれていた。
行き交う人々、信号の音、風に流れる朝の匂い――
すべてがいつもと同じはずなのに、陽翔の胸は軽く浮き上がっていた。

隣を歩く蓮が、いつものように紙カップのコーヒーを持っている。
ただそれだけの光景なのに、もう“昨日までのそれ”とは違っていた。

(……だって今、俺たち――“恋人”だ)

「……なに、ニヤニヤしてんだ」

「え、してた?」

「してた」

「……いや、恋人と一緒に歩いてんだよ? そりゃ顔も緩むでしょ」

蓮はため息をつき、少し目を伏せた。
けれど耳の先がほんのり赤くなっているのを、陽翔は見逃さなかった。

「ね、耳赤い」

「……お前、朝からほんと騒がしい」

「えへへ」

陽翔は、軽く蓮の腕に自分の腕を寄せる。
道行く人々の中に紛れながら、自然と二人の距離が近づいた。
手を繋ぐほどではないけれど、その“肩と肩の距離”が心地いい。



午前の仕事は、いつもと同じ現場調査。
だが、ひとつだけ違う。
ふとした瞬間、目が合うたびに、蓮が視線を逸らさなくなった。

「……なに見てんだよ」

「蓮さんのこと」

「……仕事しろ」

「してるよ。ちゃんと、蓮さんも見るけど」

「……バカ」

ぶっきらぼうな返しでも、声が少しだけ甘くなる。
その小さな変化が、陽翔の胸を毎回跳ねさせた。

陽翔は、自分が恋人になったことで、こんなにも世界が優しく見えるなんて思ってもみなかった。
些細なやり取りひとつで、いちいち心が弾む。

(……ああ、ほんとに、“特別”ってこういうことなんだ)



昼休み。
ふたりは近くのベンチで並んでコンビニ弁当を広げていた。
人通りは多いが、肩と肩は自然にくっついたまま。
人目を気にしなくなったのは、きっと蓮の方も同じだった。

「……なにそれ」

「え、唐揚げ」

「うまいのか」

「うまいよ。食べる?」

「……いらねぇ」

そう言いながらも、蓮の視線は唐揚げに少しだけ吸い寄せられていた。
陽翔はにやっとして、箸で一つつまむと――
ためらいもなく、蓮の口元へ差し出した。

「ほら、あーん」

「……バカか」

「いいじゃん、恋人でしょ」

「……ここ人いんだろ」

「……でも食べる気ある顔してる」

蓮は目を細め、ため息をひとつ。
そして、小さく、ほんとうに小さく――口を開いた。
唐揚げをひと口。
その瞬間、陽翔の胸がばくんと跳ねた。

「……なに顔真っ赤にしてんだよ」

「っ! だって……“あーん”だよ!?」

「……お前、ほんとにめんどくせぇ」

けれど蓮の頬も、ほんのり赤かった。
互いに意識しているその温度が、やけに心地よい。



午後の帰り道。
駅までの道を並んで歩きながら、ふたりは自然に手を繋いでいた。
強く握らなくても、指先だけでわかる“恋人の距離”。

「……なんか、今日、全部がよかった」

「……何がだよ」

「仕事も、ランチも、歩いてるのも」

「……単純すぎんだろ」

「いいの。俺、こういう“普通”がいちばん好き」

蓮は視線をそらしたまま、手をぎゅっと握った。
それが、蓮なりの“返事”だと、陽翔はもうわかっている。

(……恋人って、こういうのなんだな)



事務所に戻ると、いつもの空気が漂っていた。
けれど、ふたりの間だけが――ほんの少し甘い。
机を並べるだけでも、視線を交わすだけでも、心が静かにあたたかくなる。

「……なあ、蓮さん」

「ん」

「今日も好きだったよ」

「……バカ」

「“今日も”って、いいでしょ?」

「……知らねぇよ」

そう言いながら、蓮の指が陽翔の髪を軽くくしゃっと撫でた。
その仕草に、陽翔の胸がとけるように鳴った。

“特別”じゃなくてもいい。
こういう“普通の時間”が、二人の恋を静かに育てていく――。

🕊️ 第30話 予告:「寄り添う夜」
恋人としての日常が、少しずつふたりの体温に馴染んでいく。
夜の静けさの中、肩を並べて過ごすだけで、世界がやさしくなる。
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