番になんてなりたくなかった──執着王太子に望まれた逃亡オメガ

春夜夢

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第十三話「疑惑と誘い――“オメガの匂い”に気づいた者」

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政務棟の午後は、決まって重たい空気が流れる。

 疲れ切った文官たちが黙々と机に向かう中、セイルは一人、異質な緊張感に包まれていた。

(また……来た)

 ふわりと鼻をくすぐる、花のような香り。

 背後から忍び寄る気配に、セイルは表情を消して手元の書類に集中する。

「ねえ、セイル」

 やはりリデル・ファルクスだった。
 その口調は相変わらず柔らかい。だが、瞳だけが鋭い。

「最近、君の噂を聞いたんだ。“王太子のお気に入り”だって」

「……俺はただの文官です」

「じゃあ、どうしてこんなに……甘い匂いがするのかな」

 ――ビク、と肩が揺れる。

 リデルは確信したように微笑むと、セイルの耳元へ囁き寄った。

「君、“薬”使ってるでしょ。……発情期抑制の」

 血の気が引いた。
 抑制剤は完璧に効いているはず。それなのに、なぜ……?

「心配しないで。僕は黙ってるよ? 君さえ、僕の質問にちゃんと答えてくれたら」

 ――“君は番なの?”
 その問いが、声に出される前に、セイルは静かに立ち上がった。

「申し訳ありません。体調が優れないので、少し外します」

 足早に政務棟を出た。
 内心では、心臓が痛いほど跳ねていた。

(まずい……気づかれた。あいつは、確信してる)

 その夜。
 レイグランの私室に、報告書とは別ルートの密書が届く。

“ファルクス家、王妃側近ルートでセイルの素性を嗅ぎ回っています。
情報が洩れるのは時間の問題かと”

 レイグランは、報告書を握り潰しそうになった。

「俺の許可もなく……セイルに触れていいと思ってるのか」

 赤い瞳に、怒りの色が濃く浮かぶ。

 番という枷を越えて築こうとしていた“関係”が、
 またも他人の手で壊されようとしている。

 翌朝。
 セイルが政務棟に到着する前、レイグランが先に文官室を訪れていた。

「……この件について、話がある」

 そこにいたのは、リデル。

「まぁ、殿下直々に。まさか朝からお出ましとは」

「ファルクス。お前にだけは言っておく」

 レイグランの声音は低い。静かに、底冷えするほどに。

「セイルに手を出すな。……それがどういう意味か、貴様ならわかるはずだ」

 リデルはにこりと笑いながらも、背中に汗が伝っていた。

「もちろん。殿下の“番”に、無粋な真似はしませんよ」

「番ではない。“セイル”だ」

 リデルの笑みが、ぴたりと止まった。

 その目に浮かぶのは、理解と――嫉妬。

(……本当に、番じゃない? それなのに、あの殿下が?)

 一方、セイルは朝の光のなか、静かに決意を固めていた。

「あと二ヶ月半。俺はやりきる。……あの人の隣に立つと、決めたから」

 疑念の目があってもいい。
 崩されそうでも、踏みとどまる。

 この胸にある“名前のつかない感情”を、
 いつか確かなものにするために――
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