六日の菖蒲

あこ

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本編

04

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寮を後にする紫を見送りベッドで布団に埋まる。出かける紫に何度も「絶対に寝ててね」と言われて仕舞えば、大人しくするしかないのだ。

萌葱はこの学園で過ごして五年目となり同性愛に対してになってきていても異性だと思っていた。
しかしそれはという前提である。

萌葱の初体験の相手は、どこかのAVかと思わせる様な“家庭教師のお姉さん”。あれは完全に萌葱の同意を得ない行為であった。
そうした出来事があったせいか、人と恋愛感情を踏まえ付き合う事が彼にとっては“ない事”に等しい状態だ。一方的なものが愛ならば自分は受け取りたくないし人に受け止めて欲しくない、と。
だからこそ今、心の奥に見つけた小さなかけらに萌葱は悩んだ。
見つけてしまったそれは、間違いなく優越感。
──────来原のおかげで姫路がなんとかやってられるんだろう。
あの言葉で覚えた感情は、確かにそう、自分でも引くほどの優越感であり
(そうなんだよな。可愛いんだよ、あいつ)
文庫本を拾ってやったあの初対面の時に一目惚れだったのだろうか。弟のようだと思っていたのは恐怖に囚われていただけで、違ったのかもしれない。
さまざまな場面で紫へ向けた感情を思い出しては考えていく。
単純に、直感や何かで判断するのではなく、深く深く考える必要があるのは単に彼の心の奥にある、あの家庭教師から受けたによるものだ。
男だから恋愛感情を向けられないだろう、という気持ちの問題もあるだろう。けれど、あの家庭教師から受けた一方的で歪で乱暴で相手の気持ちを押しつぶすものが愛ならば、自分が持つこれらは愛ではないという気持ちが湧き上がり、萌葱の心に生まれた“もしかしたら”という気持ちを無意識で全て否定していた。
自分が紫に向ける愛は弟や家族を思うような、ゆったりと暖かく相手を思いやる愛である。だからあんな歪んだ様な感情じゃない。恋愛感情であるわけがない。といったように、彼はを無意識に細かく砕いて砕いて捨てやっていた。
いくら物語で優しく温かい恋愛を知ったとしても、自分の身にふりかかった事実がそれを簡単に受け入れてはくれない。
意地を張って認めない様に思えるかもしれないが、当時の萌葱の年齢と事件からの年月、そして今の彼の年齢を思えば“意地を張って認めない奴”と非難される謂れもないだろう。

萌葱はその家庭教師を本当に信頼していた。萌葱の学力を上げつつ友人関係や家族関係の悩みを笑わずに聞きアドバイスをしたり、励ましてくれた。そういう事を時間を割いてしてくれた、はじめての“他人”だった。信じていた。だからこそあの事件の時、全てが崩れてしまったのだ。
「くそ」
風邪で辛いが薬のおかげで楽ではある。
若干頭の動きも鈍いけれど、萌葱は本を一冊手繰り寄せベッドヘッドに寄りかかるとしおりを挟んだ部分を読み返した。
見開きのそこを何度も読み返し、大きく溜息をついて本を閉じ元の場所に放る様に置くと、布団に潜る。
(俺の気持ちを本に書いたら、間違いなくあれだ、俺は紫を好きってことになる)
萌葱は先の通りの気持ちが大きい。それに“こそが恋愛感情だ”と思い続けたおかげで、自分のこの気持ちが本当にそういう意味の“好き”なのかさえ解らない。
「つーかいつから好きとか言われても、俺も答えられねーな。わからねえ」
さっき開いていた本はおまけ程度のサスペンス要素が含まれた恋愛小説。その中で主人公に「いつから好きなの?」とヒロインの友人が問いかけるシーンがある。
主人公の答えも、萌葱と同じだった。
「これが本当に好きって気持ちなら、気がついたら好きだった。とは、なるほどなあ、うまい」
額に手を当て、ヤケクソのようにぼやいた萌葱の頭のそばでスマートフォンがなる。
見れば紫からのメッセージだ。
──────ちゃんと寝てますかー?既読ついたらお説教ですよー!寝てますねー?
ぽかんと見ているともう一通。
──────メッセージでおきちゃうとかいう事に今きがついた。しったいしったい!
急いだのか、漢字に変換が出来ていない箇所もある、そのメッセージに萌葱は声を出して笑った。
「起きちゃうんじゃねえかって言いながら、それを送信するっていうのはどうなんだよ!!寝かせる気がねーんじゃねえの?」
一頻り笑ってから、一眠りして起きたらさも今気がついたフリをして返信しようと目を閉じる。
眠りについた頃またメッセージが増えた。
──────お薬は飲んでくださいねー!

は、と目が覚めた時、萌葱の額にはまだ冷えている冷却ジェルシートが張り付いていた。
萌葱はそれを手で押さえてぼうっとしていたが、よたよたと起き上がりリビングに出れば、扉の開閉音で気がついたらしい紫がキッチンから顔を覗かせ駆け寄ってくる。
「おはよう、起きた?あ、おはようじゃないね、ただいま」
「あー、おかえり?」
「おかゆ炊いたよ。食べれそう?卵粥にしてあるよ。僕も食べる!」
なぜが得意げに自分も食べると胸を張った紫は萌葱を座らせると自室から膝掛けを二枚持ってきて、一枚は萌葱の肩にかけ、もう一枚は膝にかけた。

てきぱきと動く紫をぼんやりとした頭で追う。
「なあ、紫、好きってなんだ?恋愛感情ってなんだ?」
聞くつもりはなかっただろうが、熱のせいか萌葱は紫に問いかけた。
「突然どしたの?ええー、高校生に難しい質問ですなあ」
無駄に表情を作り言う紫はお碗とスプーンをお盆に乗せ、テーブルの上に置く。
コップと麦茶の入ったピッチャー、萌葱の前にはそれに加えスポーツドリンクのペットボトルもおいた。
「僕だってわからないな。でも、うーん」
言葉に詰まった紫に萌葱はハッとして
「いや、悪い。あんな事があって落ち込んでる中の紫に言う事じゃなかった」
普段ならもう少し上手く言えそうな萌葱はやはり風邪のせいか、オブラートに包めずに謝り、紫は困った様に眉を下げ笑うが気にしないでと手を振った。
「僕は、僕の場合はね『この人のためにしたいな』とか『この人の笑顔を増やしたいな』とか思った時かな。そりゃー、友達や家族に対しても同じように思うけどねえ。でも、ちょっと違うんだ。何って言われても、僕にはちょっと説明出来ない。友達とか家族とかそんなカテゴリから外れたところで、その人が一番になってて、僕はなんていうか、僕の場合は『この人と楽しい時間を過ごせるなら、このくらいなんて事ない、むしろ楽しい』みたいなそういう気持ち?そういうのがブワって湧いて、転がったかんじ?」
「はあ」
「わかんないよー!僕にはわからないよー。でも、『これが恋愛の気持ちで好き』って萌葱くんが思った気持ちがあるなら、それでいいんじゃない?僕たちまだ子供だし、でいいんだよ!たぶんね」
顎を上げて自慢げに言う紫は「さあ、ごはんですよー」とキッチンに引っ込む。
薬味やちょっとした小鉢をテーブルに並べた紫は土鍋を持ってきた。
この三人用の土鍋は昨年末萌葱の実家から届いたものだ。同室者と食事をすると聞いた彼の母が、送ってくれたのである。
木製の鍋敷の上に置き、蓋を取れば優しい香りが萌葱の腹の虫を刺激した。
「でもね、萌葱くん。もし、萌葱くんが『が好きかな?』って気持ちが心のどこかに現れたら、それを大切にしたり、信じたって良いと思うよ。だって僕たちは若いんだから!たまの失敗なんてこの先の人生の糧だよ」
紫はそう進言し萌葱に粥をよそって渡す。
「たくさん食べて、元気になってね」
萌葱は碗をテーブルに置き、ふんにゃりと笑う紫の頭をいつもより熱い掌で撫でて

「そうだな。紫がボッチだと、かわいそうだからな」
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