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『生物研究部』活動記録 参
ひと握りの希望
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その日のあたしは、すこぶる機嫌が悪かった。
昨日の部活での佐々田夏瑪のナメた態度は、あたしのイラつきを宵越させるのに充分なものだった。
それに加えて、多分、昨日佐々田に投げつけたのは、あたしの消しゴムだったんだ。
あの時は、ポケットに入ってたものをテキトーに投げたけど、まさか消しゴムだったとはね。
おかげで、普段の授業で、どれだけ消しゴムの需要が高いものなのか、改めて知ることができたわ。……それくらいね、今日あった良いことは。今日のところは、同級の友人で美術部に所属する曼珠沙華から、練り消しを貸して貰って、事なきを得たけど。
そんなことがあって、絶不調のあたしが、今日それでも部活に来た理由は、これといって特別なものではない。ただ、『部活に行かない』ことにデメリットが生じるというだけ。あと、消しゴムの回収。
つまり、ここであたしが部活を休んだとしたら、佐々田に負けたことになるじゃない。それだけはゼッタイに許せない。
あたしだって自覚くらいあるわ。昨日のあれは『敗走』と言っていい。あの時は、面倒なことすべてから逃げるように、生物室を出たわ。
だからこそ今日は、何事もなかったかのような余裕を見せるの。あんたなんかあたしの障害になり得ない、ってね。
◇
「あの……えっと……。」
佐々田は、かんなちゃんと生物室に入ってくるなり、こちらに寄ってきた。
正直驚いた。
昨日の今日で、顔を合わせるなりすぐに話しかけて来たことに。
……良くも悪くも、少しだけ感心したわ。
これまでのこいつの言動からは、図太いというか無神経というか、とにかく面の皮がハンパなく分厚いのは感じてたけど、自分が怒らせてしまった相手に変わらず接するなんて、なかなかできないわよ?
それに、ちょっと気まずそうなこいつの表情から見て、おそらくは謝罪する意志がこいつにあるということも含めて、感心した。
佐々田がもにょもにょと言葉に詰まっている間も、あたしは毅然とした態度と表情で待っていた。
万が一、こいつが喋る内容が謝罪でなくとも、あたしは動揺なんてしない。というか別に謝罪なんて無くとも、あたしは気にしない。なぜなら、あたしは圧倒的にこいつよりも上位の存在だから。
昨日のあたしはもういないの。常にアップグレードするあたしはもう、こいつの言動で狂わされることはない。謝罪がしたいなら勝手にすれば良い。貶したいならそうすれば良い。あたしにとっては、もはや負け犬の遥かな遠吠えにしか聞こえないのだから。
「水仙先輩……えぇと……。」
……様子がおかしいわね。それに、なんか上着の右ポケットに手を突っ込んで、ちょっと失礼じゃない? ……いや、なんか取り出そうとしてる?
な、なに……? も、もしかしてバタフライナイフとか!? あ、ありえないことも無いわ……、だってこいつ、ちょっとサイコパス入ってる感じするし! あたしの態度が気に食わなくて、殺りに来た……!?
「な……なによ……?」
あたしは努めて平静を装った。
落ち着け、落ち着くのよ真珠田水仙……! そんなことあるワケ無いじゃない、冷静に考えて……! ただ、目の前の男が不審な態度でポケットからなにかを取り出そうとしてるだけよ?
……ヤバくない?
「そ、そのぉ……えっと……!」
こいつ、なんか若干息上がってる感じしない!?
「ちょっ、まっ、待って!」
「? ど、どうしたんですか……?」
「それはコッチのセリフよ!! どうしちゃってんのよ、あんたは!?」
「え、え~っと……。」
さすがのあたしも、平静を保てず、とうとう声を上げてしまった。けれど、こいつはまだ口をつぐんでいる。
……もし、あたしに危害を加える何かがあるとすれば、ここまで引っ張ることはしないだろう。その気があるとすれば、奇襲をすべきだろうから。
ということは、他の何か……。こいつがあたしに渡したいもの?
再び冷静を取り戻しつつあるあたしは、佐々田の後ろ——向こうのテーブルにいるかんなちゃんに、ふと目が行く。
彼女は、なんというか、ニヨニヨとした表情でこちらを……いや、佐々田を見ていた。ニヨニヨ……うん、『ニヨニヨ』だ、あの表情は。『ニヤニヤ』というほどの悪意は感じない。今にも付き合い始めそうな男女のやり取りを遠くで見守る第三者のような、生暖かい目つきだ。
……え? え、待って? そういうこと?
「水仙先輩、これ……。」
あたしが考えを巡らせていると、佐々田はついに、ポケットからなにかを握りしめたまま、右手をこちらに突き出してきた。
「っ……!」
あたしは思わず生唾を飲み込んだ。
生まれてこのかた男に興味が無かったし、そうでなくとも、なぜか避けられがちだったから、そういう経験をすることなく17年生きてきたけど……。
これはもしや、『プロポーズ』というやつでは?
どっかで見たことがあるわ、こういう形式……! そう、指輪よ、指輪! 掌に収まるサイズ感だし!
そして、こいつの緊張した態度に加え、かんなちゃんのあの笑みときたらもう……!?
「これ、昨日落とした消しゴ……
「ちょっと待って!!」
「ム……え?」
「……え?」
ん? え? 消しゴム? こいつが持ってるの……え? あたしのやつ?
「あ、いや、これ……昨日ココに落としていきましたよね……?」
「あ……うん。」
……は、はは。そうよね、そうよね。そうでしかないわよね。うんうん。はあーー……!
「いやー、良かったですよ。水仙先輩、昨日すごい怒って帰っちゃったと思ってたんで。」
緊張の糸が切れたように、途端に捲し立てる佐々田から、あたしは消しゴムを受け取った。
……受け取った。
「でも、今日普通に落ち着いた様子でしたんで、ホントに良かったです。じゃ、仲直りっすね!」
んムッッッッカぁぁーーーーっっっ!!!!!
「えっ?」
スパァン……と、室内に音が響いた。綺麗な音だった……。
あたしの右腕は、肩を軸にして速く美しく弧を描いた。右手の人差し指と中指で挟むように持った消しゴムが、呆けた佐々田の額めがけて射出され、それはそれは爽やかな音が鳴り響いた。同時に、あたしの心も晴れるような感じがした。
昨日の部活での佐々田夏瑪のナメた態度は、あたしのイラつきを宵越させるのに充分なものだった。
それに加えて、多分、昨日佐々田に投げつけたのは、あたしの消しゴムだったんだ。
あの時は、ポケットに入ってたものをテキトーに投げたけど、まさか消しゴムだったとはね。
おかげで、普段の授業で、どれだけ消しゴムの需要が高いものなのか、改めて知ることができたわ。……それくらいね、今日あった良いことは。今日のところは、同級の友人で美術部に所属する曼珠沙華から、練り消しを貸して貰って、事なきを得たけど。
そんなことがあって、絶不調のあたしが、今日それでも部活に来た理由は、これといって特別なものではない。ただ、『部活に行かない』ことにデメリットが生じるというだけ。あと、消しゴムの回収。
つまり、ここであたしが部活を休んだとしたら、佐々田に負けたことになるじゃない。それだけはゼッタイに許せない。
あたしだって自覚くらいあるわ。昨日のあれは『敗走』と言っていい。あの時は、面倒なことすべてから逃げるように、生物室を出たわ。
だからこそ今日は、何事もなかったかのような余裕を見せるの。あんたなんかあたしの障害になり得ない、ってね。
◇
「あの……えっと……。」
佐々田は、かんなちゃんと生物室に入ってくるなり、こちらに寄ってきた。
正直驚いた。
昨日の今日で、顔を合わせるなりすぐに話しかけて来たことに。
……良くも悪くも、少しだけ感心したわ。
これまでのこいつの言動からは、図太いというか無神経というか、とにかく面の皮がハンパなく分厚いのは感じてたけど、自分が怒らせてしまった相手に変わらず接するなんて、なかなかできないわよ?
それに、ちょっと気まずそうなこいつの表情から見て、おそらくは謝罪する意志がこいつにあるということも含めて、感心した。
佐々田がもにょもにょと言葉に詰まっている間も、あたしは毅然とした態度と表情で待っていた。
万が一、こいつが喋る内容が謝罪でなくとも、あたしは動揺なんてしない。というか別に謝罪なんて無くとも、あたしは気にしない。なぜなら、あたしは圧倒的にこいつよりも上位の存在だから。
昨日のあたしはもういないの。常にアップグレードするあたしはもう、こいつの言動で狂わされることはない。謝罪がしたいなら勝手にすれば良い。貶したいならそうすれば良い。あたしにとっては、もはや負け犬の遥かな遠吠えにしか聞こえないのだから。
「水仙先輩……えぇと……。」
……様子がおかしいわね。それに、なんか上着の右ポケットに手を突っ込んで、ちょっと失礼じゃない? ……いや、なんか取り出そうとしてる?
な、なに……? も、もしかしてバタフライナイフとか!? あ、ありえないことも無いわ……、だってこいつ、ちょっとサイコパス入ってる感じするし! あたしの態度が気に食わなくて、殺りに来た……!?
「な……なによ……?」
あたしは努めて平静を装った。
落ち着け、落ち着くのよ真珠田水仙……! そんなことあるワケ無いじゃない、冷静に考えて……! ただ、目の前の男が不審な態度でポケットからなにかを取り出そうとしてるだけよ?
……ヤバくない?
「そ、そのぉ……えっと……!」
こいつ、なんか若干息上がってる感じしない!?
「ちょっ、まっ、待って!」
「? ど、どうしたんですか……?」
「それはコッチのセリフよ!! どうしちゃってんのよ、あんたは!?」
「え、え~っと……。」
さすがのあたしも、平静を保てず、とうとう声を上げてしまった。けれど、こいつはまだ口をつぐんでいる。
……もし、あたしに危害を加える何かがあるとすれば、ここまで引っ張ることはしないだろう。その気があるとすれば、奇襲をすべきだろうから。
ということは、他の何か……。こいつがあたしに渡したいもの?
再び冷静を取り戻しつつあるあたしは、佐々田の後ろ——向こうのテーブルにいるかんなちゃんに、ふと目が行く。
彼女は、なんというか、ニヨニヨとした表情でこちらを……いや、佐々田を見ていた。ニヨニヨ……うん、『ニヨニヨ』だ、あの表情は。『ニヤニヤ』というほどの悪意は感じない。今にも付き合い始めそうな男女のやり取りを遠くで見守る第三者のような、生暖かい目つきだ。
……え? え、待って? そういうこと?
「水仙先輩、これ……。」
あたしが考えを巡らせていると、佐々田はついに、ポケットからなにかを握りしめたまま、右手をこちらに突き出してきた。
「っ……!」
あたしは思わず生唾を飲み込んだ。
生まれてこのかた男に興味が無かったし、そうでなくとも、なぜか避けられがちだったから、そういう経験をすることなく17年生きてきたけど……。
これはもしや、『プロポーズ』というやつでは?
どっかで見たことがあるわ、こういう形式……! そう、指輪よ、指輪! 掌に収まるサイズ感だし!
そして、こいつの緊張した態度に加え、かんなちゃんのあの笑みときたらもう……!?
「これ、昨日落とした消しゴ……
「ちょっと待って!!」
「ム……え?」
「……え?」
ん? え? 消しゴム? こいつが持ってるの……え? あたしのやつ?
「あ、いや、これ……昨日ココに落としていきましたよね……?」
「あ……うん。」
……は、はは。そうよね、そうよね。そうでしかないわよね。うんうん。はあーー……!
「いやー、良かったですよ。水仙先輩、昨日すごい怒って帰っちゃったと思ってたんで。」
緊張の糸が切れたように、途端に捲し立てる佐々田から、あたしは消しゴムを受け取った。
……受け取った。
「でも、今日普通に落ち着いた様子でしたんで、ホントに良かったです。じゃ、仲直りっすね!」
んムッッッッカぁぁーーーーっっっ!!!!!
「えっ?」
スパァン……と、室内に音が響いた。綺麗な音だった……。
あたしの右腕は、肩を軸にして速く美しく弧を描いた。右手の人差し指と中指で挟むように持った消しゴムが、呆けた佐々田の額めがけて射出され、それはそれは爽やかな音が鳴り響いた。同時に、あたしの心も晴れるような感じがした。
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