ツギハギドール

広茂実理

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キューピッドドール

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 高校生、近藤つよしは、指定されたカフェで、ミルクたっぷりの紅茶を口にしていた。約束の時刻まであと五分というところで、相手が顔を出す。
 敢はちらりと視線を上げただけで、すぐさまティーカップに目線を落とした。その様子に、男女の二人組がそれぞれの反応をする。
「やあ、相変わらずだね、近藤くん」
「いくらなんでも、その態度は失礼じゃないっすか、近藤くん」
 にこにこと微笑みを崩さないのが、先に声を掛けてきた女性。名前を原田憶はらだおくという、敏腕警部補だ。
 そうして、隣で敢を睨みつけている若い男は、彼女の部下である刑事の永倉栄ながくらようだった。
 二人が、今日このカフェに敢を呼び出した人間だった。
「どうも、すみませんねえ。僕は、こう見えて忙しいので。貴方たちもそうなのではー? 無駄話なんてしている暇、ありますかー? 例の件、そちらはこれといった進展、ないようですからねー」
「ちょっ――」
 わざとらしい挑発に乗るのは、部下の男、永倉栄。敢は、以前から彼のことが気に入らなかった。
 年上というだけでこちらを見下し、あまつさえ敢の能力を懐疑的な目で見ている。
 お互い仕事上の付き合いだ。馴れ合うつもりはないが、こうまで虚仮こけにされると、いくら敢でも腹が立つというものだった。
「はいはい、喧嘩しない。本当に仲が良いね、君たちは」
「警部補――!」
「こらこら。お店に迷惑をかけるなら、永倉くんは別席でコーヒーでも頼んでいなさい」
「ぐっ――す、すみませんっした……」
 叱られた飼い犬のように項垂れる部下の刑事に、敢は一瞥をくれてやる。そうして、彼の存在など無視するように、目の前に腰掛けた女性へ視線を向けた。
「おや。飲み終えてしまったのかい? おかわりでも頼もうか」
「いえ、結構です」
 営業スマイルを浮かべて、敢はカップを横に避けた。早速本題に移ろうと、姿勢で示す。
「そうかい。遠慮しなくても、いいんだがね……ああ、私はコーヒーを」
「自分にも、コーヒーを」
 応対に来たカフェ店員に短く注文を告げ、二人は敢に向き直る。コーヒーは、すぐさま運ばれてきた。
「良い香りだ……いただきます」
 敢は、黙っていた。目の前の女性が切り出すのを、ただ待っている。
 原田がただ単にコーヒーを楽しんでいるわけではないことは、とうに承知していた。
 女刑事は、タイミングを計っているのだ。
 彼女は、店員や客の動きを見て、ベストな時間を探っている。
 というのも、あまり聞かれてはよろしくない会話を、あえて彼女はここで行う。それは、他愛ない会話に聞こえるよう工作をする原田憶の話術もさることながら、事情が事情なだけに場所が確保できないという特殊な難点に理由はあった。
「君のサイト、実に素晴らしいね。見やすくて、わかりやすくて、面白かったよ」
「ありがとうございます」
 事前に連絡しておいた情報サイトには、既にアクセス済み――もちろんその状態で来てくれることを、敢は望むまでもなくわかっていた。
 この人が、そんなことで抜かることはない。
「黒髪の彼女は、実在するのかい?」
「しますよ。どうぞ、こちらを」
 スッと滑るように差し出したのは、一枚の写真。コピーだが、彼らに提示するには十分だ。
「……この少女は、例の?」
 警部補の声が潜められる。瞳も先程の穏やかなものから、一転。ひどく冷ややかな氷のように、尖っていた。
「もう一ヶ月ちょっとになりますか……ここらじゃ有名になった悲劇のヒロイン、沖田奏ですよ。黒髪の彼女はご覧の通り、少女の所持品でした。その写真はコピーですが、彼女の兄からの提供です。本物を確認されたければ、ご自由にどうぞ」
「いや、それには及ばない。こちらで十分だ。君には合成写真を作るメリットがないからね」
 ふふっと微笑む彼女の瞳は、既にいつものそれに戻っている。こちらの方が話しやすいが、敢は内心、先程の鋭利な彼女との会話を楽しみたいとも思っていた。
「そうですか。そちらはどうぞ、お持ちください」
「ありがとう。では、その代わりと言っては何だが、所望の書類だ。しかしこちらは――」
「わかっています。ここで目を通すだけ。すぐにお返しします」
「何でこんな子どもに、持ち出し厳禁の捜査資料なんか……」
 ぶつぶつと文句を垂れている一名は置き去りに、敢は渡された資料にさっと目を通した。その間、原田は黙ってコーヒーを口に含み、楽しんでいる。
「どうやら、見終わったみたいだね。いやあ、早い早い」
 書類を返しながら、敢はいつもの笑みを浮かべて見せた。だが、どこかぎこちないのは、思ってもみなかった成果があったからだろう。
「大方のことは、ニュースで把握していましたし、被害者の兄と知り合ったのでね。話は聞いていたんですが……」
「君でも知らなかったことが、あっただろう?」
「ええ――あの、この事件……被害者は、一名だったのでは――?」
 近藤敢が警察の協力者として今回提示したのは、ドール連続殺人事件に関する情報だ。警察は最初のバラバラドール事件の再捜査を始めたものの、一向にバラバラになった女の子のドールの購入ルートすら掴むことができず、二件目のひき逃げ事件で使われたドールはもちろんのこと、ひき逃げ犯すら見つけられないでいた。
 ネット上で噂になっている黒髪のドールの目撃情報も後手に回り、沖田奏の事故死が発端だと騒ぎ出す連中や、彼女の呪いだと主張する者。そもそもの沖田奏死亡事故自体に、何か見落としがあったのではないかという声まで上がり、関係者はほとほと頭を悩ませていた。
 そのため、このままでは埒が明かないと判断した彼らが、近藤敢という協力関係にある特殊探偵に連絡を取ったのである。
 ただ、敢も協力者だからといって、ほいほいと情報を提供したりはしない。彼は、その代わりに対価となる機密情報を得るという約束を交わしている。
 今回、敢が欲しがった情報というのが、沖田奏死亡事故に関するすべての資料だった。
 何かあるとは思っていなかったが、あれがすべての始まりであることは、明白の事実――敢は、その点を確認しておくことで、次の被害者や犯人を見つけようとしていたのだった。
 しかし、敢は自身の考えが甘かったことを知る。
 そこで発覚した新事実は、今日までの敢の推理をことごとく打ち砕く、とんでもない情報であったのだった。
「だって、確か当時のニュース……覚えてますよ、僕。入学したばかりの女子中学生が即死。道路に飛び出した、見ず知らずの子どもを庇って犠牲に――って、なかなかのセンセーショナルでしたからね」
「そうだね。随分と話題になった。悲劇のヒロインの誕生の話で、どこももちきりだったからね。とはいえ、運転手はその場にいたし、逃走した人間もいない。事件性はなく、不運が重なった不幸な事故として、あっというまにメディアからは情報が消え失せた。その後を知る人物なんて、当事者くらいじゃないかな?」
「ということは……」
「そう……誰もが注目した即死の中学生――沖田奏の存在が大きくて、その陰に隠れてしまった重症患者一名の存在を、誰もが見落としてしまった。見逃してしまった。聞き流してしまったんだ」
「その子が、数日後に亡くなったことを、当事者以外は、誰も知らない……」
「そういうことだね。当時、大物俳優の熱愛報道が盛んだったからね。メディアもそちらにご執心。彼女のことは、ひっそりと流されていってしまったんだ」
「だから、僕も知らなかった……」
 特殊探偵は、項垂れる。まさか、こんな事態が起きていたとは、想像もしていなかった。
 今回は、自身が持つ「特殊な目」が仇となってしまったようだと、舌打ちをしたい衝動に駆られる。
 一般の人が認識しづらいモノ――それを見ることができる目があるからこそ、近藤敢は特殊探偵であり、警察の協力者として働くことができる。
 その目で見逃すなんてことは、彼にとって屈辱的だった。
「しかし、悲劇のヒロインの兄と接触したのだろう? その時に、聞かなかったのかい?」
「ええ……妹の話ばかりで……それこそ、死んだはずの彼女がメッセージを送ってきたとか、黒髪ドールのこともありましたから。そっちにばかり気を取られてしまいました」
「その黒髪ドールだけど……」
「ええ。おそらく、斉藤初に似せてあると、僕は踏んでいます。沖田奏と斉藤初は、小学生の頃から一緒だ。友人関係にあったと言っていいはずです。沖田奏は、黒髪ドールに『はつ』という名前まで付けていますから」
「『はつ』……名前の初を使ったということか。なるほどね。それで、死人からのメッセージの方は、本物かい?」
「こればかりは、何とも。でも、周りがそんな嘘を吐く理由がありません」
 言いながら、敢はこちらもコピーを彼女に手渡した。
「ふむ……『あの子を止めて。歯車は狂い出した』――か」
「僕は、沖田奏のドールが『はつ』なら、斉藤初もドールを所持していて、そのドールが『そう』または『かなで』であると読んでいます」
「じゃあ君は、斉藤初の所持しているドール、仮に『かなで』としよう。『かなで』が、一連の犯行を実行していると?」
「そこまでは、まだ……この手の話が事実なら、相応の証拠が必要になるでしょうからね」
「そりゃあ、呪いの仕業や人形が犯人でしたーじゃ、世間は納得しないっすよ」
「君はまだ浅いから知らないだろうけど、結構多いんだよ、そういう事件が」
「け、警部補、ご冗談を……」
「おや、私が冗談を言っていると?」
「い、いえ……すみませんっした……」
 横やりを無視して、敢は息を一つ吐く。水をくいっと口に含んだ。
「じゃあ、斉藤初の両親に話でも聞くとしようか。彼女の部屋に入らせてもらえたら、上々だね。――まあ、その前に追い返されてしまうだろうけど」
「まさか、、沖田奏以外も、なんて言いませんよね?」
「そちらは、今回の依頼外の話だ」
 原田憶の冷ややかな言葉に、敢の瞳が鋭くなる。まさか、もう一人の被害者まで更なる事件の餌食になっていたとは――
「それはそれは。さぞかし、早く見つけないと大問題になりますね。斉藤初の家か――いや……それよりもまず、学校に行くべきですね」
「学校?」
「沖田奏と斉藤初の通っていた、中学校――あそこには、まだ犯人のターゲットがいます」
「待て待て、近藤くん。どういうことだい? まだ犯人は、誰かを狙っていると? かなでやはつといったドールが悪さをしているなら、彼女たちの目的は、復讐。死の原因となった運転手と親子は、既に亡くなってしまっているよ」
「そうっすよ。他に、誰がいるんすか?」
「誰って、書いてあったじゃないですか」
 探偵が示すのは、先程の機密資料。そこには、現場に居合わせた者の名前や聴取内容がびっしりと書かれていた。
「彼女たちのそばにいて、ただ呆然と成り行きを見守っていた傍観者――クラスメイトです」
「クラスメイト? だけど、そんなの下手に動ける状況じゃ――ん? 待てよ? もしかして、立ち位置?」
「立ち位置? どういうことっすか?」
 ガタンと敢は立ち上がる。紅茶代の小銭を置いて、未だ情報を整理しきれていない二人に声を掛けた。
「僕はもう行きますからね。追い返されないように、何とか斉藤宅と学校、あと沖田家も頼みましたよ」
「ああ、待ってくれ。これも、目を通しておいてほしい」
 上着を手に歩き出そうとした敢の前に、とある分厚い封筒が差し出される。原田はそれ以上、何も言わない。
 胡乱に彼女の瞳を捉えつつも、敢はその封筒を受け取る。そうして、中を見て目を見開いた。
「これは……いったい……」
「それは、沖田奏の通学カバンから出てきた。これは推測だが、彼女、それを持ち歩いていたようだよ。家族もクラスメイトも、誰もその封筒の存在を知らなかったようだ」
「沖田奏が持ち歩いていた……どうして……」
 瞠目する敢に、原田は首を横に振る。
「わからないが、一連の事件に関係あると踏んでいる――って、近藤くん! ああ、行ってしまった……」
「警部補、追いかけるっすか? あの封筒……」
「いや、いい。きっと後で返してもらえるだろう。とにかく一旦戻ろうか。話は、車内で」
「わ、わかりましたっす」
 永倉が急いで会計を済ませている間、原田は車の窓から空を眺めていた。
「これは、強い思いが引き起こした、執着によるものかもしれないね……」
 ドールは勝手に動き回っているかもしれない。死人から確かにメッセージがあったかもしれない。
 それでも、それらの元になったのは、すべて人間だ。
 人の強い思いが、人形に宿ったのかもしれない。
「だけど、思念だけだと、いずれ暴走する……彼女たちを引き裂いた者が、罰を受けているのならば――」
「警部補?」
「応援を要請するよ。説得に時間がかかるだろうけど、とにかく急いで署に戻ってくれ」
「は、はい――!」
「さーて、相手を溺愛していたのは、いったい誰だったのかな……? 君には、そこまで見えているのかい? 近藤くん」
「で、溺愛? 何の話っすか? さっきも、立ち位置がどうとか……」
 車が発進する。前方を見据えながら、原田はいつもの様子で語り始めた。
「ああ、さっきの話だね。――沖田奏と斉藤初は同級生だった。小学校から一緒で、帰宅方向も同じ。だが、彼女たちには他にもクラスメイトがいる。友人と呼べるものかは、わからないけれどね」
「は、はあ……その、現場に居合わせた学生たちのことっすよね?」
「そう……飛び出したのは、沖田奏一人。証言では、その瞬間、四人の子たちが彼女のそばにいた。そうして、後方から飛び出したのが、もう一人」
「それが、斉藤初……」
「そう。その時、斉藤初に突き飛ばされて膝を擦りむいたと証言している子が、一人いる。出血もない、ほんの掠り傷だったようだけれどね。この話を、今どう思った?」
「え? 緊急事態だから、ぶつかるのは、仕方ないっすよね」
 部下の答えに、助手席の彼女はこれみよがしに盛大な溜息を吐いた。これには、さしもの彼も狼狽せずにはいられない。
「君ね……今聞いているのは、そういうことではないんだよ。先程、立ち位置と言ったじゃないか」
「立ち位置…………あ、斉藤初だけ、後ろにいた……?」
「そう――同じクラスの同級生。帰る方向も一緒であるのに、一人だけ輪からはみ出ている……仲が良くなかったのかもしれないね」
「いじめを受けていた可能性も、あるっすね」
「そうだね……だけど、本当にそうかな?」
「え?」
「君は、たとえば仲が良くないただのクラスメイトやいじめてくるような同級生が轢かれそうになっている場面で、飛び出した子を同じく助けようと、駆け出すかい? それも、大型トラックが目前に迫っている中で。引っ込み思案の一女子中学生が。咄嗟に、飛び込んでいけるとでも?」
「……自分が中学生の頃なら、尻込みしていそうっす」
 あははと乾いた笑みを張り付ける部下にやれやれと肩を竦めて、女刑事は前方を見据えた。
「君、そんなことを馬鹿正直に話していたら、モテないぞ?」
「なっ、そ、そんなことないっすよ。嘘を吐くよりも正直なところがいいって、彼女は言ってくれるっすからね」
「へえ? 君、彼女いたんだ」
「……どういう意味っすか? いますよ。年下なんですけど、しっかりしてて、名前の通りキラキラした可愛い子なんっすから」
 でれでれと鼻の下を伸ばす部下に、淡い苦笑を向ける原田。
「君より年下ってことは、もしや学生かい? とやかく言うつもりはないが、健全なお付き合いを頼むよ」
「も、もちろんですよ。彼女は、大切に守るっす」
「大切に、ね……そういえば、時々姿が見えないけど、彼女に電話でもしているのかな? まさか、会いに行ったりなんてしていないよね」
「ま、まさかー。休みならともかく、そんなこと……」
 あははははと、彼にしては珍しく空笑いを浮かべている様を横目に、原田はこっそりと溜息を吐く。
「そうかい……まあ、常識の範囲内で行動してくれたら、何も言わないよ。思いは、止められるものじゃないからね」
「警部補……」
「きっと、君が抱く彼女への気持ちは、少なくとも、斉藤初にとって沖田奏に抱くそれに似ていたんだろうね。大事な存在だったんだよ。見ず知らずの人は助けられなくとも、大事な人を守れる勇気を持った子だったんだ。……だからこそ、守れなかった上に、今も尚穏やかでない話が流れている。斉藤初にとって許せない人間は、どんどんと増えていくだろうね」
「じゃあ、この一連の犯人は――」
「斉藤初――もしくは、彼女の心を宿したドール――かもしれないね。さ、それを調べるのが私たちの仕事だよ! これ以上犠牲者を出さないためにも、近藤くんが頑張ってくれているんだから。私たちは、私たちにしか動けない仕事をするよ!」
「は、はいっす!」
 運転に集中する部下を横目に、女刑事はしかし腑に落ちないでいた。
「近藤くん……斉藤宅と、学校はわかるけど……どうして、沖田家を指定したんだ?」
 沖田家に、何かあるのか。そうして、近藤敢はどこへ向かったのか。
 このことを知るのは、近藤敢。ただ一人であった。
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