あの夏の歌を、もう一度

浅羽ふゆ

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「よし着いた。蛍。ここが今日から俺たちが住む家だ」
 車を止めてお父さんが笑顔を向けてくる。その笑顔越しに見えた家はそれなりに大きかった。
 でも、無駄に広い庭に石の塀も汚くボロボロで、おまけに家は木造の一階階建て。
 更に言えば、その遥か向こう側には山。向かいには田んぼ。道は舗装なんかされていない土むき出しで雑草も多い。ちなみに隣の家まで三十メートルくらいある気がする。
 なんだか空が近い。と言うより広かった。
「こういうの、平屋って言うんでしょ?」
 車のトランクから荷物を引っ張り出して家へと向かう父さんは僕の言葉に振り向いた。
「そう。良く知ってるな。何だかロマンを感じないか」
 父さんは何だか楽しそうだった。
 こういうのが好きだったのだろうか。悪いけど、僕にはそのロマンが全く感じられない。
 むしろ、これでもかってくらいの田舎の情景を見て既に嫌気がさしていたくらいだ。
『虫いっぱいいそうだな』
 僕の感想はこれだけ。父さんのようには笑えない。絶対に。
 家の中には既に送った荷物が届いていて、僕と父さんは手分けしながら中身を段ボールから出して運んでいった。
 その中には、もちろんだれも弾かなくなったピアノがあった。
 僕はそれを無視して、逃げるように別の段ボールを運んでいく。
 二人暮らしでもそれなりに家電や家財もあって、まだ完全とは言えないけど、何とか一通り片付け終わった時にはもうとっくに日が傾いていた。
「よし、飯にするか」
 一仕事終えたお父さんは首にかけたタオルで汗を拭きながら揚々と台所へ向かって行く。
 僕は居間として使う部屋に座り込んでその背中を見送った。返事をしない僕にお父さんは振り返る事も無く、程なくしてシンクに水が落ちる音が聞こえてきた。
 改めて部屋を見回してみると、想像通りの内観が僕の心を沈ませる。
 畳一畳、柱一本とっても全てが新しくない。
 一体、どれだけ昔からこの家はあるのだろうか。
 例え歴史があり、建造物としての価値が高かったとしても、住む家としての価値はゼロに等しいと思う。その価値と言うのも人によりけりなんだろうけど、生憎と都会で生まれた僕にはこんな古くさい雰囲気にノスタルジーは感じなかった。
 僕は暗く沈んだ気持ちを回復させられる事柄はないかと家の中をあっちこっちとウロウロしてみたけど、それは逆効果だった。
 何だかどこに居ても居心地が悪く感じてしまう。
 色んな部屋で座ってみたり寝転んでみたりを試した結果、結局居間に戻ってきてしまった。理由はないけど何となくここが一番居やすい気がして、だけどやっぱり居心地悪いまま、畳の上で後ろ手をついて足を投げ出し、夕食の準備をする父さんが出す音を聞いていた。
 窓の向こうに伸びていく奥行き深い景色は少しずつオレンジから紫がかっていく。
 暗くなるに連れて田んぼと道や山と空の境界が曖昧になっていって、街灯が全然ないという事を僕に教えてくれた――――。


◇◆◇◆◇◆◇◆


 記念すべき田舎人生初日のご飯はソーメンだった。
 六月の終わりにソーメンを食べるのはちょっと早い気がしたけど今年は六月の中頃からかなり暑くなっていたし、きっと父さんなりの「引っ越しそば」ってやつのつもりなんだと言う事はわかっているので黙って食べる。
 父さんは拘るようで拘らない変な性格だ。呑気とも言える。
 大量のソーメンを片手に台所からやって来た父さんは「せっかくだから」とソーメンをテーブルに置かず、縁側に置いて台所の電気を消しに行った。
 僕は台所と縁側を往復して喜々としながら器や箸の準備をする父さんの行動が理解出来ずに、手伝う事も出来ないまま、ぼーっと突っ立っていた。
「さあ、食べよう」
 沈みかけの夕日に照らされた父さんが縁側に胡座をかいて僕を手招いた。促されるがまま、縁側に腰掛けてちょっと大きめな父さんのサンダルに足を通す。
 かと言って外履きを履いた所でここから逃げ出せる筈も無く、僕は箸と麺つゆの入ったガラスの器を手に持った。
 ソーメンを一口啜るとズズっと音が響いた。
「……静かだなぁ」
「うん」
「夕日が綺麗だな」
 ソーメンに箸を付けずに父さんは夕暮れに溜め息をつく。
 早く食べないと伸びちゃうよと言うと父さんはようやくソーメンに箸をつけた。
 それ以上の会話も無くソーメンの啜る音がやたらと響く縁側には時々、風が通り抜けた。
 家の中を通ってどこから去っていくのかもわからないけど、おかげで外からも中からも体が冷えていく。
「今度、風鈴を買ってこよう」
 箸を止めて気持ち良さそうに目を瞑る父さんに返事はしなかった。
 父さんも別に僕の反応を待っている様子も無く、おもむろに目を開けてまたソーメンに箸を付ける。ロマンはわからない。でも、ソーメンは美味しかった————。


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