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第2章 青の色
第86話 衛生の色
しおりを挟む穴から登り、見た様子だと人はいない。地面に足をつけ辺りを見渡すと壁にかかった一つのランプに明かりが灯っており、それが部屋を明るく照らしている。自分が開けた穴は、ちょうど木箱と木箱の間でありこれならば抜け出て元に戻る時も何かで塞いでごまかすことができると思った。
さて、問題のトイレだ。
目の前には頑丈そうな鉄の扉、おそらくそこから出入りをするのだろう。他を見てもそこ以外に出口はない。よく周囲の音を警戒しながら扉の方へと近づいて行く、扉に耳を当てると人の動き回る気配がする。何やら騒々しい。少し扉から離れようと、後ろへと下がると足元で何かとぶつかる。
「い....っ、やべ....っ!」
何かの詰まった樽を地面へと転がしてしまう。たちまち中身のものがこぼれ出し、大きな音を立てる。思わずそのこぼれ出た何かを地面にへばりつきながら必死に抑えにかかるが、胸にかかるこの感触にどうも違和感を感じた。
「....? 何だ、これ」
こぼれ出た何かを持ち上げてみると何やらずっしりと重い、おそらく鉄製なのだろうかランプで照らしてみたそれは、明らかに鉄球だった。
もしかしてではあるが、これはおそらく大砲の弾なのだろうか。こんなもの映画の世界でしか見たことがないが、いや待てよ。俺の見た映画でこんなの使ってたのって海賊か海軍じゃなかったか?
この船、貿易船だよな。
いや、でもこのいくら貿易船だとしても自分の船の身は守らなきゃなるまい。当然大砲の10くらいは積んであるだろう。
こぼれ出た大砲の弾を一つ一つ樽の中に詰め直していると、その中で一つだけ二つの弾が鎖で繋がれているものがあった。そういえば映画でこの弾を飛ばして敵船のマストを破壊していたような気がする。
いや待てよ、あれ飛ばしていたのも海賊船じゃなかったか?
でも確かに港について荷物を積み込んでいたし、そうだ。ここの近江はなんか危険な生物がいたりとかで危険だからこんなにも武装を強化しているのだろう。そうに違いない。
すべての弾を樽に詰め直し、再び耳を扉に押し付けると、人の気配は感じなかった。出るのなら今しかない。
内鍵を開け、その頑丈な扉を開けると船内はもぬけの殻となっていた。いや、あくまで単純に人がいないというだけなのだが、先ほどまでの騒々しさが嘘のようだった。
「さて....」
トイレはどこだろうか。すでに限界をとうに超え、ちょっとの衝撃が命取りになる。扉を出ると、そこには船員たちが寝るのであろうハンモックが複数ぶら下がっており、足元には衣服類、酒瓶などが転がっておりとても汚い。そして海の上にいるからだろうかとてつもなく磯臭い上に、生乾きの洗濯物の匂いが酷い。
船員たちがここで寝て生活をしているというのならばだ、普通に考えてトイレもここにあるはずだろう。揺れる船内をなるべく体に衝撃を与えないように慎重に進んで行く。行く先には二つの扉、どちらかといえば壁よりに設置されている扉にはおそらくトイレがあるはずだ。そうに違いない。そうであってほしい。
そして、順調かつ慎重に進んでいった結果、トイレがあると思われる扉のドアノブに手をかける。
どうか頼む。トイレであってくれ....っ!
願いを込めて、扉をあける。地球産のパンツはとうの昔にダメになった、その結果履き心地の全く良くない麻でできたボクサーパンツのようなものを履いているがそんなもので漏らそうものならばこの先に待っているのは地獄だ。
しかし。願いは届いた、だが....これは。
日本の水洗トイレは世界でも有数の清潔さを誇る。自分の住んでいた家には水の節約という名目からシャワートイレなどという贅沢品はなかったが、毎日綺麗に磨いて使用していた。
しかし....これはひどい。
便器は日本でも見た洋式だ。リーフェさんの家にあったのとほとんど変わらない。しかしあまりにも汚れが酷すぎる。元の色はおそらく白だったのだろうがすでに汚れまくり全体的に黄ばんでいる。そばに用を足したものを流すようの水を汲む桶も置いてあるがひどく濁っていてとても清潔感の『せ』の字も感じない。
「....くっ....」
3分後....
トイレの流し方は桶に汲んである水をそのままようを足した便器に流すだけ。その水はおそらく海水からとったものだろう。とりあえずひどかった。今まで地球に戻りたいだとかはあまり考えたことはなかったが今日ほど地球のトイレを羨ましいと思ったことはなかっただろう。
とりあえず今は戻ってレギナにトイレの存在を知らせなくては。
再び火薬庫のところに戻ろうとした、その時だ。
「ん? 誰だ?」
「っ!」
突然背後から声がかかる。声は男性で若い。当然背後から声をかけられているため顔は見えない。突然声がかかったことで思わず体が反応をしてしまったが、今ならまだごまかしが効くはず。
「あ、船長に火薬の備品を確認してこいって言われて....」
「ん? そうなのか。ちょうど暇だから手伝ってやるよ」
なんだこいつ、案外優しい。
「い、いや。いい、自分でやる」
「いいって。二人でやった方が効率がいいだろう」
今そういう優しさはいらねぇんだってっ! とりあえず今は諦めて向こうに行ってくれよっ!
背後からずんずんと足音が近づいてくる。どうする、逃げるか、いや海のど真ん中でどこに逃げる気だ。気絶させる、いやだめだ、そんなことをやってたらきりがない。
「君...見かけない格好をしてるな?」
「っ!」
バレたっ!
思わず振り向き、腰に差してあるパレットソードの鞘を持って思いっきり後ろに立っている船員に向かって殴りつける。後ろに立っている彼には気の毒だが、今この場で気絶をしてもらって。
そんな考えは、どうやら甘かったようだ。
「....危ないな、君。一体誰だ?」
「....へ」
後ろに立っていたのは身長190センチもあるオオカミの耳を生やし、顔に大きな傷をつけた、いかにも船乗りと名乗るにふさわしい大男が立っており。その丸太のような両腕でパレットソードは押さえつけられていた。
「とりあえず、甲板に来てもらおうか」
「....はい」
こういう時の優しさって、いいんだけどね....
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「イマイシキ ショウ。私はトイレを探してこいと言ったはずだ」
「はい....」
「貴様があまりにも遅いからケロした樽に思わずしてしまった」
「はい....」
「それで、貴様が戻ってきたと思ったら見ず知らずの人間に下着を履いている姿を見られた」
「はい....」
「その挙句、なんで私が甲板で縛られているのか説明をしてもらおうか」
「すみませんでした....」
「謝罪は求めてない、説明をしろと言った。安心しろ、貴様の命で勘弁してやる」
どう転ぼうにせよ、俺に生存の道は残されていないらしい。現在、夕焼けに染まる美しい海のど真ん中に浮かぶ船の上で、レギナと俺はマストにくくりつけられ審判の時を待っていた。
「どうやって乗り込んだ。答えろ」
「え....と。積荷の入り口が開いてたもので....つい出来心で」
「ふざけるなっ!」
縛られた状態での筋肉隆々船員の強烈な張り手を食らう。ものすっごく痛い。口の中が切れたのかじんわりと血の味が広がってゆく。さて、向かって反対側のマストにいるレギナはといえば船員からのどんな質問攻めに対してもだんまりを決め込んでいた。しかし俺と違うのは女性という理由からか、殴られることなく、最初に俺と会った優しい獣人の男から尋問を受けていた。羨ましい。
そして真ん中のテーブルに並んでいるのは俺とレギナが身につけていた武器、防具等が並んでいる。それらを他の船員が手に取り眺めていたが、売り飛ばす気なのだろうか。あの剣は中にいる精霊ごと売りとばしても構わないが、パルウスさんの作った防具とリーフェさんの形見である髪の束をどうにかしようものならばここにいる全員を海に放り投げてやる。
「船長が来るぞっ!」
「マジか....お前さん、楽に死ねると思うなよ」
突如甲板の奥の階段にいた船員が船長の到着を告げる。それと同時に船員全員が俺を哀れんだ目で見てくる。
一体何が....
「ほぉ....俺の船に乗り込んできた輩が今回は二人か。それに片方は女と来てやがる」
甲板の奥、階段から降りてきたのは他の船員とは明らかに違う服を着た男、よく通る声に、その人の心を掌握するかのような低く重い口調。重々しい足取りで階段を降りてきた男は短く口ひげを生やし、長く伸びきった茶色い髪を一つ後ろで束ね船員の開けた道を通り、俺へと近づいてくる。
「さて、名前を答えてもらおうか? 大将」
「カケルです....」
「嘘だな」
まっすぐ覗き込んだ船長と呼ばれている男の赤い二つの瞳は俺の偽名をいとも簡単に看破した。
「なぁ、大将。名前なんかどーっだっていいんだが、一つ教えてくれよ。なんでこの船に乗ったんだ?」
「それは....リュイの貿易船だから」
再び赤い瞳が俺を覗き込む。一切ぶれることのない、まっすぐな眼が俺の目とぶつかり合う。しばらくその状態が続くと、突然彼は吹き出した。
「フ....ッアッハッハッヒャッ! おい、聞いたか野郎どもっ! こいつ....ぷっ! リュイに行くためにこの船に乗り込んだんだとっ!」
突如として船長と呼ばれる人間が笑い出し、それにつられ周りの船員たちが大きな声で笑い声をあげる。しばらくの間、海の上では船員たちの笑い声が響き渡った。
「ハァ~、まぁ、しょうがないとは思うがなぁ。何せ、リュイの船に見せかけたんだから」
「え....」
確かにあの港にあったこの船はリュイの貿易船だったはずだ。そばにいた作業員のおっちゃんだってそんなことを言っていたし、何より船には旗が立っていたはずだ。
「....海賊か、貴様ら」
突如反対側にいたレギナがそう呟く。その言葉に反応して、船長は振り返る。
「ほう、物分かりのいい女は好きだぜ」
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