日本、老人のせいで若者が疲弊する国

ウーロン・パンチ

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最終話 言われる

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「今日の午後、御手洗さんの家に行くわよ」

 実習の最終日となったこの日、事務所の休憩室で昼食を食べていたら、大塚さんに言われた。御手洗さんとは私が実習の初日に行ったウンコで汚れた家の人だ。鼻の奥からあのババアの家のニオイがした。できれば食事中に聞きたくなかった。

「心配しなくて大丈夫よ。他のヘルパーさんが掃除してくれたみたいだから」

 私の気持ちを読み取ったのか、大塚さんがそう言って擁護する。

「そうそう、部屋がきれいになったからか、御手洗さんがおしゃべりをよくするようになったんですって」



 大塚さんの運転する車に揺られ、ババアの家に着いた。今回はマスクとシューズカバーをもらえた。車に乗り込む前に確認したのが良かった。

 御手洗さんの家にはいると、確かにキレイにはなっていた。ただ、相変わらず床には茶色や黄色のシミがうっすらと残っていた。室内も消臭剤のニオイが充満している。

「なんだい、あんたたち。」

「今日は御手洗さんと夕食を一緒にしようと思いまして」

 大塚さんが耳元で大きくはっきりとした声で説明する。

 今日は16時から17時まで御手洗の夕食の介助をする。ご飯の準備をして、スプーンを使って食べさせてやるのだ。この日の実習は17時までだったので、現地解散ということになっていた。

「よかった。また病院に連れていかれるのかと思っちゃったよ」

 傲慢だ。無料で診察してもらえるくせに。

「弁当はさっき配達の人が届けにきたよ。その辺にあるだろ?」

 大塚さんがこれですねと言って、白いプラスチックのお弁当を取り出した。

「御手洗さん。今日のお弁当は美味しそうですね。煮込みハンバーグときんぴらごぼうとポテトサラダですよ」

「その弁当は不味いからやなんだよ」

 とても戦争を経験した人とは思えない発言だ。電子レンジでお弁当を暖めている間に、大塚さんはお茶を入れていた。

「あ、神崎さん。私のバックからとろみパウダー取り出して」

 言われた通り、とろみパウダーが入ったスティックを手渡した。大塚さんはスプーンでかき混ぜながらお茶にパウダーを加えていった。カチャカチャと湯飲みとスプーンが当たる音が部屋に響き渡る。サラサラしたお茶の粘度がみるみる高まり、次第にドロッとしてきた。

「お年寄りは飲み込む能力が低下するから、サラサラのお茶はダメなの。トロっとさせないとね。お茶が肺に入ってむせちゃうのよ。むせてる途中に食べたものを吐いちゃうと大変。喉につまらせて死んじゃった人もいるのよ。」

 大塚さんはそう説明しながら、手際よくかき混ぜていた。温まったお弁当をババアののところに持っていくと、ちょいちょいと手招きをされた。

「そうそう、お嬢ちゃん。この前病院でもらった薬があったでしょう。見当たらないのよ。どこにも。お嬢ちゃんが帰る途中になくしちゃったのね。薬が飲めなくて困ったわ。責任もって仕事しなさい。若い子はほんとにダメね。私らの頃なら恥ずかしくて外を歩けなかったわ」

 床に落ちてるビニール袋、全てお前の薬だ!そう言ってやりたい。なんで薬があることはボケて忘れるのに、薬を飲まなきゃいけないことは忘れないんだ。


「今の若い子はクーラのついた教室で勉強してんでしょ。贅沢なもんだね~」

 責任感のない若い子という言葉が何かのスイッチだったのか、ババアは若い子の批判を始めた。

「そんなところに金を使うなら、もっと福祉を充実させないとね。私の友達が言ってたよ。頑張って社会を作ってきたのに、金がもらえない。国に死ねと言われてるみたいだって。かわいそうなもんだよ。」

 社会を作ったのはあなたたちかもしれない。でも、今の社会を一生懸命作っているのは誰?これからの社会を作ろうとしてる人のことを考えたことはあるの?

「まったく今の世の中はおかしいね。昔は介護なんて家族や近所の人たちで助け合ってやったんだ。それなのに今じゃ金を払わないとなにもしてくれやしない」

(お前は払ってないだろう)

「お嬢ちゃんはいくらもらってんだい」

 一円ももらっていない。形だけでいえば、私は学ばせてもらってる立場なんだ。こんなババアの食事を私はさせてやらなきゃならないのか。スプーンで小さく切ったハンバーグを口元に運んだ。ババアは一口食べては不味いといい顔をしかめている。

「お茶はまだかい。たくっ、ほんっと使えないね」

 お茶を持っていくと私の手から奪い取った。ババアはズズズーと汚ならしい音をたてて、鼻水みたいにネバついてるお茶を飲み干す。コップを置くと、スプーンを掴み意地汚く食べ始めた。なんだ自分で食べれるじゃないか。台所では大塚さんが薬を飲む用の白湯をコップに入れていた。



時刻は16時50分。あと10分で帰れる。こんなババアとは一秒たりとも一緒に居たくない。

ブー…ブー…

突如、スマホのバイブ音が聞こえた。大塚さんはスマホを取り出し、耳に当てた。

「はい、もしもし。ええ!? わかりました。すぐ行きます」

 電話を切り、大塚さんは慌てて帰り支度を始めた。エプロンを乱暴に丸めている。

「他の利用者さんのところでちょっとトラブルがあったみたいだからすぐに行かなきゃ。お弁当のゴミを捨てといて。薬と白湯は準備したから持っていってあげて。簡単だからあとはできるわよね!」

 そういって、勢いよく扉を開けて出ていってしまった。

 私はババアのほうに目をやり、ほとんど手をつけずに残した弁当をビニール袋に捨てた。不味いといいつつポテトサラダはしっかり完食していた。

 薬と白湯をトレーごと運び、テーブルに置いた。腕時計に目をやると17時だった。時間だ。帰ろうと玄関に立ったその時、後ろからカタンッと音がした。振り替えるとコップが倒れている。そして、ババアが溺れているかのように両手を挙げ、苦しそうにもがいていた。


ゴポッ

ババアが口の中から薬と白湯を吐き出した。

ウェッー、ゲエ、ゴホッゴホッ

声にならない奇声をだし、喉元に手をやっている。

ヒュー…ヒュー…

必死に肺へ空気を入れようとしている音が聞こえる。だが、気道になにかがつまっているようだ。

ガ、あ…

うめき声が聞こえる。


『お年寄りはむせると、食べたものを吐いて窒息する』

さっき大塚さんに聞いたことが頭をよぎった。


 ババアは未だにしぶとくうごめいている。

 救急車を呼んでやらなくもないが、校則には『実習時間が過ぎたら、速やかに帰ること』と記載されている。

 ましてや私にはその手段がない。だって校則には『携帯・スマホなど通信機器の持ち込みを一切禁止する』と記載されているのだから。

そうこうしているうちにババアは動かなくなった。
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