蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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一. アッシュの章

1. prologue

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 ハアハアハアハアハア!

 息切れが激しい。

 目の前が見えない。上も下も横も後ろも!真っ暗で何も見えない。
 この世界にただひとり、取り残されたかのような暗闇。

 いや、違う。

 ハアハアハアハア!

 いい加減苦しい。自分が何処にいるかさえ分からない。

 違う、私は一人じゃない。もう一人連れがいる。私よりも遥かに戦闘慣れしているはずの連れの男が。
 いるはずなのに、見えない。

「ハアハアっ!ど、どこなの、なんなのこれはっ!!」

 私の声は闇に掻き消える。相手に届いているかも分からない。そもそも彼が無事なのかすら、何もかも分からない。
 混乱する私に分かる事と云えば、今は真夜中であり、畑らしき草の中にいて、正体不明の何者かに追われているという事だけだ。


 ザッザッザッザ


 どれだけ走ったか、全速力で逃げているはずなのに、草の根をかき分け追いかけてくる音は、悔しいぐらいに一定である。だから怖いのだ。

 疲れないのか?もしや魔族?いや、そんなはずはない。はとっくに絶滅している。
 だったらこれは何だ。

 ハアハアハアハアっハアハアハア!!

 光の精霊の力を借りて、光を灯す魔法を使えば、最低自分を追ってくるモノや彼の安否、自分の居場所が分かるのだが。それによって対処の仕様もあるというのに。

 落ち着け、落ち着くんだ!!

 ハアハアハア


 追われているという状況は、闇の中に在るといる状況は、如何せん集中力が乱れるものだと初めて知る。

 自分は教会で戦闘訓練は受けているが、実践経験は無い。だからなのか、この危機的状況に頭がついていかない。混乱している脳みそでは、魔法を構築できない。

 ぎゅっと胸元の紋章を握りしめる。

 これは誇り高き聖職者の証。私が私であれる依代。いつでも魔法を使えるようにと、マナに直接干渉できる真霊晶石マナの石を埋め込んで触媒にした特製品だ。

「い、息が…ハアハアっ、もた、な…」

 足がもつれてしまう。

 私の背丈ほどもある逞しい茎から生える葉は、どれも大きくてピンと張っている。すでに何度もこの葉で身体中を切られている。
 地面に近くなるほど、茎は太い。多少の力では押し戻されてしまうほどに立派な穀物。

 今朝がた、私はこの青々と生い茂る立派なトウモロコシの畑を見て言ったのだ。

 なんて生命力に溢れた植物でしょう。何事も動じない、真っ直ぐでとても強く、美しいと。

 まさかこの動じない植物に、自分が囲われてしまうとは思わなかった。思いもよらなかった。

 相変わらず何者かは、私を追ってくる。それ以外の気配は感じられない。ああ、あの人は捕まってしまったのか。


 ザッザッザッザっ

 ハアハアハアハアハアっ!!


 一体何処で間違ってしまったのだろう。

 今朝、早くにここを通った時は普通だった。こんな世の中に、壊れてしまった世界の中に、こんなにも美しい畑を手入れして、慈しみ、育てている村が在るのだと知って、純粋に嬉しかった。

 しばらく歩いてたどり着いた村は、世の憂いを吹き飛ばすかのように生命力に溢れていた。
 草木は生い茂り、果実からは甘い香り、色とりどりの花々はまるで万華鏡のようだった。

 村人はみなとても親切で、旅人の私達を温かく祝福してくれた。

 とっさについた『新婚』というも、まるで疑った様子はなかった。

 村の食堂で頂いた料理は、どれも口にした事の無い美味しさだった。私たちの住む《中央の町》では、質素なパンとスープが日々の食事だったから、夢中になって食べたのがいけなかったのか。

 調子に乗って彼も、敬愛する我が神の教えを連呼していた。厨房にいた赤い髪の男の子が苦笑いをしていたけれど、ご主人はもっと聞かせて欲しいと笑ってくれた。
 出されるままに料理を食べ、ワインを飲んだ。

 お店を出ると村長さんが来てくれて、酔った私達に歩いて帰るのは危険だからと、馬と荷車を貸してくれた。

 疲れていた私たちは有難く使わせていただいた。

 それがいけなかったのか。


 ドンっ!!


 突然、何かにぶつかった。

 鼻を打ってしまったが、痛がる余裕はない。両手を這わせ、何かの正体を探る。

 ゴソゴソとした触感。ああ、このでっぱりは幹か。しゃがんで足元を確認する。ほんの少し闇に慣れた目が、地面を這う根を確認する。

 木だ。

 畑の真ん中に、木?

 訝しがりつつも、木を背にし、もたれかかる。とても楽だ。

 前方に目を向ける。

 そういえば、さきほどから草の音がしない。私を執拗に追いかけていた、あの恐怖の音が無くなっている。

 怖い、でも今がチャンスかもしれない。


”全知全能たる唯一神、イシュタルの名に於いて命ず。真霊力の理に介入するお許しを。どうか我の願いを聴き届け給え――”


 紋章を両手で握り、魔法の詠唱を開始する。
 紋章が淡く光りだした。成功だ!

 大きく深呼吸し、精神を統一する。

  魔法はマナの力で誰でも使う事ができるが、エネルギーの元となる精霊の力を借りるのにマナの形質を変化させねばならない。
  その図式を構築するのに詠唱を必要とし、魔法を具現化するのに真霊晶石マナの石の触媒が必須となる。

 その煩わしさ、面倒臭さから魔法を使うものはあまりいない。万物の力を操れるが故の犠牲なのだろう。

 ゆえに『魔法使い』は数ある職業の中でも底辺を争う不人気職でもある。


 追ってくる何者かを攻撃する呪文か一瞬悩んだが、すぐさま光を照らす魔法に切り替えた。


 まずは状況判断である。
 この旅に出る前、敬愛なる聖女様に出発のご報告を申し伝えた時に、不敬にもふてぶてしく隣で突っ立っていたフードを被った怪しい男の言葉を思いだしたからだ。

 そういえばその不敬な男の職業は『魔法使い』だったか。
 彼は聖女様に跪く我々を見下ろしながら言ったのだ。

『魔法使いは後衛で状況を素早く判断し、的確な指示と、でかい魔法をぶっ放すのが役目』だと。

 偉そうで腹が立ったが、今はその助言を有難く思う。


”小さな光の灯よ 重き常闇に支配されしこの地に降り立ち 宙へと舞い散れ”


 彼は更に『無茶だ』とも云った。

 ここ数年ほど、決まって男女のカップルが行方不明になる事例が起きていると、年齢は決まって若く、たった二人だけで旅をした結果、戻ってくることはなかった事案が教会に寄せられていた。
 帰ってこない息子や娘を心配した親が最後に縋るのが神である。

 信者を助けるのが聖職者の務め。無茶で何が悪いと噛み付いたが、彼の態度は落ち着いたままで気に障った。


 パアアアアア――!!!


 触媒を得て、精霊が我が声に応える。触媒に籠った光の粒が、今か今かと解放を待ち望んでいる。

 首の革紐を引きちぎり、両手を伸ばして高く掲げ――。


光粒放射ルクスラジエーション


 叫んだと同時に真っ白な光が私を、木を、周囲の草を。瞬く間に包み込んで、弾けた。




 思えば不可解な布石は、この村に入る手前からあったのかもしれない。

 例えば、豊饒の大地。
 例えば、馴れ馴れしい村人達。
 例えば、美味しすぎる料理。

 例えば、昼間でも視界の利かないトウモロコシ畑の真ん中で、借りた荷馬車が壊れてしまい、そこで夜を迎える羽目になってしまう事。



 触媒から飛び出した白い光が徐々に落ち着き、黄色く淡い光を保ちだした時、ようやく私の目も追いついた。

 この間、体感ではものの数秒だと判断する。
 素早く確認する。敵の位置、自分の居場所、分かるなら、連れの男の安否。

 足元は太い樹木の根。目の前は、案の定トウモロコシの畑。
 自分が這い出た所だけ、獣道のように茎がしなっている。不思議な事に、私の周囲だけ木を取り囲むように草がない。

 掲げた腕を見る。あちこち草で切れているが、大した傷ではない。

 だが、安心はできなかった。むしろ、息を忘れてしまった。それぐらい驚いた。

 追ってくるものはいなかった。そう、追うものはいない。


 何故ならば、すでに私は追いつかれていたからである。

「!!!!」

 声も出ない。驚きすぎて、間抜けにも口をあんぐり開けたまま立ち尽くすしかなかった。


 グモモモモモモモォォオ!!!!!


 その時、何とも表現し難い、くぐもった悲鳴のような慟哭が鳴り響く。

 地獄の雄叫び、悪魔の嘆き、神の――怒り。

「グレ、フ…」



 私が寄りかかっていたそれは木ではなかった。地面から見えるのは根でもなかった。

 その瞬間、私は自分の命の灯が、あとわずかであることを悟った。

 それを見る事は、触れる事は、すなわち【死】である。

 私は本能的な恐怖からガタガタを震えを感じる。もはやどこが震えているのか分からない。

 身体全体が震えている。聖職者であるはずなのに、輪廻転生を謳い、死を恐それる事なかれと自分が説いているはずなのに、唐突に出現した【死】に慄き自我を保つ事すらできない。


 それの後ろから、見知った顔達が現れた。

 ああ、あの人は村長だ。私達に荷馬車を貸してくれた人。

 その横には料理をふるまってくれたご主人と、気さくに声をかけてくれた貴婦人も。可愛い服を私に似合うねと朗らかな笑顔で接してくれた雑貨屋の女店主の姿もある。

 皆、一様にして固い表情をしている。

 罠であることに、今さらながら気づいた。薄々思っていたけれど、彼らの姿を見て確信した。

 無茶だと、私達に警鐘を鳴らしてくれたあのフードの男の言うとおりだと思った。
 ここは二人で来てはいけなかったのだ。聖女の笑った顔が見たくて、急いた自分を責める。責めてみてももう遅いのだけれど。

 自分を取り囲む村人達の中に、あの軽快に憎まれ口を叩いた人懐こい雰囲気の若き料理人の姿がない事に、何故かホッとする自分がいた。


 ▪️▪️▪️


 木の幹がミシミシと動き、いまだ寄りかかったままの女の細い身体を囲む。

 女は硬直し、抵抗する様子は見せていない。

 魔法を使われた時は焦ったが、魔法を発動する触媒の紋章は、ダランと垂れ下がった女の手に力なく握られているだけである。


 カミがおもむろに動いた。


 容赦のかけらもなく、僅かな慈悲すらなく、余った幹のような枝の塊を、女の頭上に思いきり振り下ろした。

 何かが砕け散る音がした。




 そして、一切の音が消えた。
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