蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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一. アッシュの章

2. amuse

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 ほんの両手で数えられる数年前まで、世界は変わらずここに在った。

 ヒトがいて、マゾクがいて、勇者サマがいて、退治される魔王サマがいた。

 多くの冒険者と云われるヒト達とせめぎ合っていたマゾクの軍団が、いつもどこかで小競り合いをしていた。

 陣地を獲ったり獲られたり。優勢になったり劣勢になったり。死んだり生き返ったり?いや生き返りはしないか。

 まあとにかく、そういう小競り合いが何千年も繰り返されてきた、俺たちにとっては読み書きを習うように当たり前の世界が在った。


 両手の指を折って事足りるぐらいの昔までは。


 ■■■


 世界は絶なる秩序に身をゆだねよ。

 享受せよ。

 然らば、大いなる真霊力マナは平等に与えられる。

 生きよ。

 いずれ死すその肉体に喜びを得よ。

 知恵あるものも、無きものも、
輪廻の回路に導かれるまま、廻りて再び降り立つだろう。

 怖がるなかれ、マナの仔達よ。

 さすれば永遠の幸福は。


 ほらすぐそこに、いやすでに、お前の手の中にある。



 ■■■


「でも、カミサマが落っこちてきて、めっちゃくちゃになっちゃったんだけどねぇ~」

 パタンと本を閉じる時に、思わず声が出てしまった。

 存外大きい声だったのだろう。カウンター越しに覗く6つの目ん玉がまんまると俺を見つめていた。

「あー、えっと、お話の邪魔しちゃった?」

 妙に気恥ずかしくなって舌を出すと、いつのまにか厨房にやってきた親父に一発頭をはたかれる。

「いてっ」
「こら、大人たちの会話に入ってくるんじゃない!鍋を見てろと言ったじゃないか」
「ゲンコツで殴んなよっ!鍋はバッチリだし。弱火でコトコトやってるし。ちょっと暇だったからさ…」

 そんな俺と親父の様子を見ながら、クスクスと笑う声が二つ聴こえる。

 俺は料理のセンスだけはいいんだぜ、と笑い返してやると、彼らが持ち込んだ『聖書』を振った。

「ったく、口だけは減らねえ奴だ。すみませんねえ、お客さん。気を悪くしませんでしたかい?」
「いいえ、お気になさらず」

 立派な一枚板で作られた親父自慢のカウンターに座る、少々角ばった感じの痩せた女性が言った。
 その右手に握られるフォークには今朝採ってきた新鮮なトマトが突き刺さっている。

「確かにですからね」

 女性の隣で同じようにフォークをサラダボウルの中で引っ掻き回し、う~んと舌鼓を打っていたちょいと小太りな男性が笑った。


 彼らの職業は、服装を一目見て分かる。ダボついた質素な衣服に大きなベルト。ベルトの中央に輪違いの紋章。同じ紋章を木彫りした首飾りが、革紐で揺られている。

 聖職者だ。

 カウンターに、彼らの経典を置く。
 男の方が、その本を手に取り懐にしまった。教義をするつもりはないようで助かった。
 正直いって、先ほどから教会の訓示やら規律やらを得意げにさもありなんと教鞭たれられ、欠伸をかみ殺していたのだ。

 勉強なんてものは日曜学校で十分である。まして俺はすでにハタチを超えた立派な大人であり、とっくの昔にお勉強は卒業している。

 ただ鍋を見ているのも飽きてきた俺は、聖書の一番最初に書かれている訓示を演説よろしく高々と謳いあげた男の声を遮るように、ついつい茶々を入れてしまったという訳である。

 しかしそんな俺をよそに、この村の一軒だけしかない食堂を任されている親父は、彼らの話を食い入るように聞いている。

 時たま「そりゃすごいですね、いやおみそれしました」だなんて、心の底ではカスにも思ってないような合いの手で、もはや彼らの機嫌は最高潮である。


「しかしこの村はとても美しい。人々は優しく、マナは澄み切っていて、自然豊かだ。料理も…とても美味しい。こんな場所を私たちは探していたのです」

 聖職者の男が続ける。

「この世界は根本から変わってしまった。憂いた心を安らげたくて新妻と旅に出たものの、まさかこんなに素敵な村に出会えるとは思ってもみませんでした」

 貴方が言った通りですからと、目を伏せる。

 ああ、さっきの台詞、めちゃくちゃになったって事ね。

「お!アツアツさんだったとはおめでてえ!!お二方とも、今はほんのひと時でも今の状況を忘れましょうや!」

 親父がワイングラスを手に取った。
 この新婚だという聖職者を祝うかの如く、並々とグラスに酒を注ぐ。

 親父が視線を俺に向けてきた。そろそろ鍋で煮こまれたメイン料理も出来上がる頃という合図。

 俺も親父も、めちゃくちゃに変わってしまった世界とやらを語るつもりはない。何故ならば、暗くなるからだ。

 この村は、そんな世界であっても昔と同様にずっとここに存在するし、別段困った事もない。敢えて暗くなる必要はないのである。



 さて、料理の仕上げは俺の担当だ。

 滅多に客なんぞ来ないから今日のメイン料理…なんてものはないけれど、親父はその珍しい客が来ると、それこそ積年の大親友かと思うぐらい最大級にもてなす。

 村人はほとんど口に出来ない最高級の牛肉を、村自慢の赤ワインとハーブでじっくりコトコト煮て煮て煮まくった俺の渾身の一品。
 それを誰かが食って旨いと言ってくれれば、それこそ感無量なのである。料理人のサガってもんです。


「ああ、どれも美味しい。有難く頂きますわ。ワインなんていつぶりでしょう。中央ではほとんど飲めませんもの」

 女性の方がくいっと飲み干した。すかさず親父がお代わりを注ぐ。

「世界が変わり、神亡き今、人々は安らぎを求めています。刹那の安寧でもよいのです。ほんのひとときの楽園を」

 皿にシチューを盛り、彩りの生クリームを垂らす。赤と白のコントラストが絶妙に美しい。見た目だけじゃない。俺の料理は味も最高級だと自負する。

「お姉さん、この村はあんたがたにとっての楽園エデンなんだぜ?はい、アッシュの特製ビーフシチュー、お待たせしやした~!!」


 食い手の歓喜の溜息を聞く瞬間こそ、俺の至福の時間ときである。

 今まさにこの瞬間、俺は至福を味わった。



 難しい事を考える必要はない。それでいいのだ。
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