蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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一. アッシュの章

13. それはすごい美人だった

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 喉が渇いた。

 腹も減ったし、睡眠も足りてない所為かめまいもするが、何より喉が渇いた。
 昨夜から何も口にしていない。

 自然に口が開き、ぜえぜえと息が上がる。

 地下は狭い上に臭い。土壁は湿って息苦しい。

 俺は汚れた服を脱ぎ、精一杯絞る。汗が水分の代わりになるかと思ったが、滴り落ちるほど汗は出ていない。


 あれから随分と時間が経つ気がする。
 時間経過の分からない地下では自分の体感を信じるしかないが、一日ほど過ぎているのではないかと思う。

 不思議な事に、監禁するだけしておいて、あの村の重鎮達は俺達に尋問やら拷問やらをするワケでもなく、様子すら見に来ていない。

 当然、水も食料も無いままだ。


 恥ずかしながら、余りの喉の渇きに耐えきれなかった俺は、自分の小便を飲んで何とか渇きを潤していた。

 俺がこんなに苦しいのだから、旦那もそうであるはずと彼の様子を窺うも、この牢屋に入れられた時とほとんど変わらず、あくまでローブで隠れて見えないけども、涼しい顔で座っている。

「魔法使いってのは、飲まず食わずでも生きていける生物なんですかねえ」

 無性に歯痒くなって多少の嫌味を込めて言ってみた。

 村以外の世界を知らない俺は、実のところ、魔法使いというものがどんなものなのか全く分かっていない上の発言である。

「水が欲しいのなら、早く言えばいいのに」

 なんと。誰が好き好んで小便を飲むか。

「持ってんのならそっちこそ早く言えよ!!!飲まなくてもいいもの、飲んじまっただろうが!!」
「いや、持ってない」

 なんと。こいつ、俺をおちょくってんのか。


「魔法は森羅万象。この世のすべての物質に関与する。水の精霊の力さえ借りれば、あらゆる物質は具現化できる」
「マジかよ!!」

 いや、まさか。いやいや、まさか。

 この俺が、小便捻りだして吐きそうになりながら飲んでる姿を後目に、こいつだけ魔法でちゃちゃっと水を出して、一人で潤いまくってたとでも言うんじゃねえだろうな。

 仮にも同じ牢獄仲間じゃねえか、成り行きでこうなっちまってるけど一蓮托生ってやつじゃないのかよおおお!!!

「水を出せない訳じゃないが………アッシュ、人が来る」
「え??」

 旦那のローブを持って首をガクガクと振りまくっていた俺を制し、旦那が前方へ顔を向けた。錆びた鉄格子のその先を見据える。

 耳を澄ますと。確かに聴こえる。

 土を踏む音、少し抜かるんだ泥を弾く足音。
  

 俺はローブから手を離し、鉄格子に近づく。
 格子を両手に掴み、明らかにこちらへ向かって歩いてくる人物を待つ。

 一言罵声を浴びせてやろうと思ったのだ。そして要求する。

 何よりもまず、水をくれと。


 足音が止まった。

 隣の部屋、あの客人の夫婦が閉じ込められた牢屋の前で止まる。
 隣の部屋からは、ここに入った時より全く物音がしていない。

 あの夫婦は無事なのだろうか。
 女性はあのグレフとかいう化け物に身体を折られていたはず。夫の方も満身創痍だった。

 食べ物も飲み水すらもないこの空間で、怪我人は耐えられるだろうか。

 足音が動く。部屋の様子を見ただけのようだ。

 そして、ついに俺達の部屋の前へ。


 薄暗くて顔が分からないが、対の足。
 ダボついたズボンに汚れた靴。村の男の誰かだろう。そいつは下げていた松明の炎を牢屋の入り口の篝火に移す。

 ほわんと炎の暖かな光が牢屋を照らす。

 逆光を背にしたその男の懐かしくも見知った風貌に、俺はあっと鋭く叫ぶ。

「すまない、アッシュ」
「――親父……」

 陽気だけが取り柄だった中年男は、その背をすっかりと落とし、やけに腫れぼったい情けない面で俺に許しを乞うた。



 あの激動の夜から約丸一日。

 脅されるまま地下へ幽閉され、放置され、ようやく一人やってきたかと思ったら、俺の親父だった。

 俺の、唯一の家族。

 愛すべき、非道な輩の一員である親父。

 親父は俺の顔を見て、汚れて唇もカサカサで目に隈を作って、成す術もなく牢屋に入れられている俺の姿を見て。

 ただただ、項垂れた。



 親父のその青白く景気の悪いツラを見た途端、俺の怒りがドカンと爆発してしまった。
 無駄だとは分かっていながらも、錆びた格子をガタガタと思いきり揺らす。

 俯いた親父の頭に唾を散々飛び散らせ、口汚く罵る。

 格子を殴る。手が赤く腫れる。

 痛みなんか感じない。
 心の痛みの方が辛くてたまらない。

「クソ親父!!出せよごらあああ!!」

 格子の錆びた塊が、足元に落ちる。親父と俺の靴を汚す。

「説明しろってんだ、こんちくしょう!!」

 ああ、叫んだら喉が渇く。

「この人殺しが、一体何をしてんのか分かってんのか、くそったれ!!!親父、聞いてんのかよお!!!」

 興奮すると涙も出る。

 あれだけ水を欲してカラカラだったのに、涙に使う水分は豊富にあるもんだなと、頭の端っこで思ってしまう。

「う、うえ、うええええええ……お、おやじ…なんか言えよお」

 格子を握ったまま、俺は膝から崩れ落ちてしまった。

 涙がボトボトと土に染みを作っては消えてゆく。これを舐める事が出来たなら、少しは渇きを潤せるだろうか。

 親父は相変わらず黙ったまま、微動だにしない。

 だが、間近にあった親父の足が、震えていた。
 俺はそんな親父の足に縋りつくように乞うた。

 俺達の間に無慈悲な鉄の格子があったが、それに頭をこすり付け、何とか親父に辿り着けるように。

 その時、旦那が喋った。

を告げに来たんだな」

 本当に何でもないような、どうって事ないような態度でそう言った。

「へ…?」

 思わず顔を上げる。

 親父の震えが強くなった気がした。

「さ、いご?」
「死ぬ人間に、食わす必要はないからな」

 親父を見上げた。

 親父は言葉を発した旦那の方を向いて、唇を噛みしめている。

 何を余計な事をとでも言いたげな表情。
 ぎりりと音まで聞こえてきそうな歯ぎしり。

「最期に一目でもとアッシュの顔を見に来たんだろうけど」

 ふんと、鼻を鳴らす。

「さすがに手前の息子は、お前たちが犠牲にしてきた奴らとは違うか」
「…当たり前だ、誰が好き好んで自分の息子をこんな目に遭わせる…」
「実際に遭わせているのは何処の誰だ」

 まるで挑発しているような口ぶり。

 いや、明らかに挑発している。


 俺達は囚われの身。

 生殺与奪の権利は親父側にあるというのにこの強気である。

 そしてその挑発に、単純な親父は乗った。

「その原因を作ったのはてめえじゃねえか」

 震える足はそのまま、親父は旦那と対峙する。

 緊迫した雰囲気。

 俺は気圧され、しゃがみこんだまま動けない。

「てめえさえ、てめえさえ村に来なければ俺達はいつまでも変わらないまま暮らしていけたんだ!」
「村人以外の人間を犠牲する事で得られる生活だろうに」

 旦那も負けていない。
 というより、旦那の口調は一貫して変わらない。

「事情も知らねえで勝手な事を抜かす!!俺達が生きる為に、仕方がなくやっているとも知らず!!」
「その自分勝手な理由で殺される方は、たまったものではないな」
「村の存続の為だ!彼らの死がオレ達を生かしたんだ!」

「やはり、いたか」

「!!」

 稚拙な誘導尋問。

 そして、明確な殺意を持って旅人を殺していたと自白する親父。

「ち、違う!殺したのは俺じゃねえ!!俺達は殺さない、誰も殺した人はいない!!」

 カミサマだ、カミサマなんだと親父は頭を抱えた。

 村の存続の為、村人以外の人間を殺していた。

 親父はそう言った。
 そして実際に手を下したのは村人達ではなく、恐らくあのグレフとかいう怒りの神。


 まるで生贄ではないか。


「一日かけて話し合ったのか。手前の息子を生贄に捧げると。今まで外界の人間を使っていたのに、初の村からの犠牲者がお前の息子とは笑えるな」
「それもてめえの仕業じゃねえか!!!そもそもてめえが俺の息子を、アッシュを誑かすからこんなことになる!!アッシュはまだ知らなくて良かったんだ、まだ!!!てめえが余計な事するから、てめえが俺達のカミサマを殺しやがったから!!…くそっ」

 途中で唇を噛んだ。唇から僅かに滲み出る赤い血。

「俺は、俺は!頼んだんだ!!!アッシュを贄にするのはやめてくれと!アッシュは胡散臭い野郎に誑かされただけだと、アッシュは何も事情を知らない、悪くないと。俺から息子を奪わないで欲しいと何度も頼んだ。何度も床にへばり付いて頼んだ。俺の唯一の家族を、殺さないで、くれと…」

 親父の目から涙が零れ落ちる。

 大粒の涙、一晩で随分と扱けてしまった頬を伝う。
 ひぐひぐと、泣きじゃくる子供のように嗚咽する。
 俺の母親が地震で亡くなった時に見せたあの時と同じ涙を、今親父は流している。

「すまねえ、アッシュ!!俺は助けられなかった、もうダメだった。お前と一緒に捕えた夫婦は結局使い物にならなかった。カミサマを鎮めるには、もうこれしかなくなった!!」

 何を言っているのだ。

 隣の部屋に捕えたあの客人達を言っているのか。

 使い物にならないとはどういう意味だ。


 親父は身内を失う悲しみの涙を惜しげもなく流してはいるが、まだ腹に持ってるモンがありそうに見えた。

 先ほどから俺を生贄にするだの殺すだの、絶望的な科白しか聞こえてこないが、ヤケに冷静なのは旦那があくまで落ち着き払っているからなのか。
 旦那の態度に感化されたのか。


 いや、知りたいのだ。

 俺の思考を読み取っているかのように、旦那は的を得た質問を親父に投げかけている。

 旦那も知りたいのだろう。
 村がこんな事をするそもそもの理由を。


「もう間に合わない…。せめて、女さえいれば。仔さえ成せば良かったのに…。もうダメだ」
「女?」

 旦那がピクリと反応した。

「女がいればどう変わる?」
「ほわ?」

 唐突な質問だった。

 親父はしゃくり上げる声を震わせ、間抜けな返事をする。

「女がいれば、助けられるのかと聞いている」
「え?いや、それはその通りだが、女だけいても仕方ねえん、だけど」

 先ほどまでの勢いは何処に行ってしまったのか、モゴモゴとはっきりしない。

「親父、女が必要ってどういう意味なんだ?」

 俺が助太刀に入ると、親父は観念したのか吐いた。



「仔を、子供を成せば、いいんだ」
「子供?」
「子供を成せば、カミサマの要求に応えられるハズだったんだよ。だがそれも、もう終いだ」

 使い物にならなくなっちまったから。

 横目で隣の鉄格子の方を見やる。 
 大きな溜息をついて、再び俺達と目を合わす。

 急に毒気が抜かれ、親父は真顔になった。
 涙の痕はそのままに、親父の視線は真っ直ぐに俺達を見る。


「カミサマのそもそもの要求は、子供だ。だから俺達は、男女を浚った。村の為に、村を存続させる為に、彼らに子づくりさせた。村から赤ん坊を差し出すわけにはいかなかった。だから彼らにその役目を与えた」

 また身勝手な持論を述べだした。

 この親父、客観的に自分の言っている事がどれだけ人道外れたものなのか理解しているのだろうか。

 ことさら村を擁護し、村を護る一点張りであるが、村以外の人間を利用できるモノとしか見ていない発言なのが何故分からない。

 俺には優しくて、村では頼もしくて、そんな親父の、外の人間を語る時は別人のようにとても冷たい。

「もう一年も捧げていない。次が最後のチャンスだった。カミサマは要求を呑めない村に怒り、そこの不届きな野郎に一部を破壊されて激怒しておられる。怒りを鎮めるには、二つ目の要求をのむしかなかった。この騒動を起こしたあの夫婦、このフード野郎、そしてアッシュ――を贄に…」
「だから?」

 旦那は親父の懺悔とも云える科白を中断し、徐にローブに手をかけた。


 地に根っこでもついているかと勘違いしそうになるほど、座りっぱなしだった旦那がようやく立ち上がる。

 あの汚い体液だらけの布団を蹴っ飛ばして、ゆったりとした動作でローブをまくり上げていく。


 突然旦那が動いたからか、あの夜に旦那が発動した魔法とやらの力を警戒したのか、格子の前で思わず構えてしまう親父だったが、次の瞬間、俺と一緒におんなじ顔で目をまん丸くする羽目になる。


 ローブの内紐を解き、ダラリと前へ垂らす。

 ローブの中身が見えてくる。

 簡素な服、膝まである革靴。
 二重に巻きつた紐のベルトの腰の位置に、小さな革袋。

 食い入るように見つめる、俺達親子。

 旦那は少しも気にしないそぶりで、ローブを脱いでゆく。

 前が開かれると、首元も同時に露になる。
 窮屈そうに閉じられていた口元の布を、ぐいと剥がす。

 薄い唇が現れる。
 俺は何故か息を呑む。唇は笑っている。
 真摯に見つめる俺を嘲笑うかのように、孤を描く。

 そしてついに、あのピコピコと揺れる頭のローブを引っ張って、一気に取り払った。


 目の前を、金色が泳ぐ。

 ふわりとたなびく、美しい絹のような髪。
 背まであるそれを無造作に掴み、乱れた毛先を手櫛で整える。

 白い肌。陶器のような、初々しい光沢。

 真っ直ぐに伸びる高い鼻筋の下に、未だ薄笑ったままの唇。薄紅色のあどけない光を携えて。

 湖の底のような深い蒼が、俺を見据える。
 両の眼いっぱいに俺を映す深淵の蒼は、どこまでも尊く、純粋無垢。

「俺がだったら――」

 ローブを捨てた。


 あんぐりと口を開け、まん丸く目を見開き、ヒクヒクと鼻の穴を広げ、額から一気に発汗する俺達親子を楽しそうに見ながら、細く美しい首をちょこんと傾げ、あどけなくも妖艶な声で旦那は言った。

「俺がアッシュとすれば、俺達は助かるのかって聞いてるんだけど」

 どんな賛辞も事足りない、この世のすべての言葉を組み合わせてもこの人の前では敵わない。

 俺達の目の前に、そんな絶世の美女が立っていた。


 ゴクリ


 唾を呑んだは親父か俺か。


 俺達は言葉も忘れ、しばし彼女の容姿を目に焼き付けるのみであった。
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