蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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一. アッシュの章

18. 囚われの囚人達、一同に会する

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 この地下室は、存外広い作りだったのだと知る。

 俺達を閉じ込めていた鉄格子の嵌った小部屋は、中心の土壁に添うように四角を描いて作られていた。

 途中、角になるから全体像までは把握できない。

 部屋と部屋の間には少し距離があり、走って数秒ほどかかる。

 俺達の部屋と、男がいた部屋、そして誰も入っていない空の部屋が一つ。

 側面に三つの部屋を設けているとしたら、反対側にもう三つ。
 手前側の側面にも三つ。

 奥の側面には何もなく、ただの土壁と細い通路。


 あの怒れる神グレフは、その通路からワラワラとやってきては旦那に瞬殺されている。

 不思議なことに、旦那からは詠唱の声が聴こえてこない。

 俺が渡された、精霊の声をマナに変換する真霊晶石の触媒も持っていないように見える。

 部屋の開放を俺に命じた旦那は、一つしかない通路に陣取って無言でグレフを抹消している。

 武器は使用していない。

 旦那を裸に引ん剥いた俺が言うのだ。
 ローブの下は質素な衣服と小さな腰鞄だけで、旦那は至って軽装だった。


 豚を模ったグレフは、地面をえぐるような咆哮を纏い旦那に突進していくが、どいつもこいつも旦那に触れる奴はいない。

 旦那の前に透明なガラスでもあるのか、旦那に届く瞬間にぐちゃりと潰れていくのだ。

 豚の死体は積み重なり、白いモヤとなって消えていく。

 旦那は死体がある程度溜まると足蹴で地面を綺麗にし、また死体を積み重ねていくのだ。


 恐ろしい絵図だった。


 鉄格子の小部屋は全部で九つ。

 俺はほかに捕まった人達はいないか、一つ一つの部屋を確認していく。

 しかし、ほっとすべきなのか、俺達以外の人は誰もいなかった。

 そのどれもに使用の形跡があった。

 汚くて臭い体液塗れの薄い布団も、いずれの部屋にもあった。

 すると、無理やりこじ開けられたような、へしゃげた鉄格子が二つあるのに気づく。
 その二つの部屋は、その直前まで人がいた気配がしている。土と黴の匂いのほかに、排せつ物だったり汗だったりの生活の匂いだ。

 鉄格子は折り曲げられ、ところどころ焼けた痕もある。どう考えても人の力では出来ない仕事だ。


 魔法かもしれない。

 魔法は森羅万象。
 思い描けば大抵の事は出来る。自身が所有するマナの許容量内であれば。

 俺達のほかにも、脱出した人たちがいるかもしれない。

 また走って旦那の元へと戻る。

 ひっきりなしに現れては成す術もなく瞬殺されていたグレフの侵攻が止まっていた。


「旦那、逃げた人がいるかもしれねえ」
「数は」

 旦那は通路の先を覗いている。
 何か気になるものがあるようだ。

「魔法みたいな力で鉄格子が壊れてた。数は二つ」
「そうか」

 旦那は歩き出す。
 モヤを蹴散らしながら、土の通路を進む。

 通路の先は暗くて何も見えない。

 俺は松明を手に旦那の後ろから情けなくついていく。

 兎にも角にも、すげえ頼もしいのだ。

「マナの波動を感じた」
「あんたそれ、畑でも言ってたな。それ、なに?」

 ずんずんと歩く旦那の足に迷いは無い。

 ただ暗くて前が思うように見えないのが嫌らしく、松明の火をもっと掲げろとだけ告げられる。

 俺と旦那の背格好はあまり変わらない。

 女装するぐらいだから、旦那は男としては華奢で小さい方だ。 俺は痩せててヒョロ長い体系で、ガッシリ系の親父によく揶揄われていたが、旦那よりも幾分か背は高い。

 うんと腕を伸ばして炎を掲げる。

 魔法で光を照らせばいいのにとぼやいたが、そう何でもかんでも魔法に頼るのは良くないと言われてしまった。

 魔法を構築するには集中力が要る。
 詠唱中は無防備だ。

 光を照らしている間に敵に遭遇したら、今度は敵を倒す魔法を構築し直さなければならない。
 敵に自らを滅す魔法の詠唱を待ってあげる愚かさはない。

 その一瞬の隙が命取りなのが魔法使い。

 万物の力を操れるが、魔法使いは万能ではないのだ。

 デメリットのほうがでかい。

 文明の利器で利用すべきものは利用する。
 マナの温存も大事な仕事だ。

 前線で戦う戦士職がいるから、魔法使いが戦える。

 本来魔法使いとは、後衛で素早く状況を判断し、的確な指示と、どでかい魔法をお見舞いするのが仕事なのだと旦那は言った。


「性格みたいなもんだ。人それぞれ持ってるマナの性質は、一つとして同じものはない。許容量が違うのと同様にな。魔法には得手不得手もあって、最も波長の合う精霊を使役する場合が多い。火に特化した魔法使いは、火に関する魔法ならお手の物だが、他の属性は初心者並みだったり使えなかったりする。その波長を追ったんだ。マナの波動は魔法を発動した軌跡と思ってもらっていい」
「ううん。よくわかんねえけど、俺にも得意分野があるってこと?」
「お前の場合は、不思議と属性が固定されてない。俺はお前のマナを引き出しただけに過ぎないけど、元々お前には、魔法の素質はあったのかもしない」

 だから、光も水も風も火も。
 なんだってその気になれば使えるのだそうだ。

 すげえ。

 すげえじゃねえか、俺。

 料理の他にも、こんな潜在能力があっただなんて、凄すぎる。

「じゃあ、魔法が使われた形跡があるって事すか」

 旦那はこくりと頷く。
 前方に顔を向けたまま、足を緩めず歩く。


 土はとても丁寧に地面を均している。

 土特有のでこぼこした歩きにくさなど感じない。

 それはまさに、よくこの地下室を使っているという証拠。
 袋小路となっている鉄格子のある部屋へ、よく通っていたという事実。


 胸糞悪くなってきた。


 俺は口を噤み、旦那は無言で、しばらく歩く。



 ■■■



 思いのほか長い通路だった。

 途中、開けた場所に出てきたかと思ったら、俺達が入ってきたこの地下室の入り口まで続く土階段にたどり着いた。

「埋められているかもな」

 階段の先を見据え、旦那の足が少しだけ止まる。

 この地下室は、村を護るカミサマを奉った枯れた木の下に入り口を隠してあったのを思い出す。

 あの木は、グレフが擬態化したもの。
 旦那が光の束をぶつけて殺したから、その入り口は剥き出しの状態であろう。

 一方俺達のような若い村人は、この畑の真下にこんな人間牧場が作られていた事実を知らずに過ごしている。
 村の重鎮たちがひた隠しにしたいのならば、この入り口がほかの村人に見つからないように手を打つのは当たり前かもしれない。

 ならば、出口は他にあるはずだ。


 そして再び歩を進めていくと、徐々に地面が明るくなってきた。

 旦那の姿は闇に慣れた目でなくとも、漏れた光を通して判別できるまではっきりと輪郭を捉えている。

「あかりだ」

 とても懐かしい気持ちになる。

 松明の炎以外の灯りを浴びたのは、ここに来る前、村で何も考えず羊を数えて眠気が来るのを待っていたあの夜以来だったのだ。

 そこで旦那が足を止めた。

 俺は光に集る虫の面持ちになっていて、その光に誘われるかのように思わず走り出そうとしたのだが、旦那の腕がその愚なる行為を止める。

 旦那は顔を前方に向けたまま、急にしゃがみ込む。

「旦那?どうしたんだ」

 旦那は足元の土を弄っている。
 右手で土を穿り返し、左の掌に載せる。

「アッシュは後から来い」

 状況が分からぬまま旦那を見つめる。


 ゴボォ!!


 その瞬間だった。

 旦那がいる場所、そのしゃがみ込んだまさにその土床が、旦那を中心に抉れた。

「先に行ってる」

 そう告げたのも束の間、旦那が宙に浮いた。

「えええええ」

 否、正確には窪んだはずの地面が突起し、旦那もろともせり上がったのである。


 途端に俺の視界から消える旦那。

 目の前は、でこぼこの隆起した土の塊。
 大人二人分ほどもある、地下室にしては随分と高い天井すれすれに、しゃがんだままの旦那がいる。

「ちょ!待っ…」

 隆起した土に足を取られ尻もちを付く。

 俺が止める間もなく、隆起した土の塊は、旦那を載せて遥か前方まで、あの淡い光を発する場所まで、凄いスピードで吹っ飛んでいった。


 いや、旦那は浮いちゃいない。

 地面の土を殆ど抉って馬鹿でかい壁を作ったのだ。壁はその上に旦那を載せたまま、長~い壁を作りながら前方へと伸びていく。


 土壁に沿う地面は両側を斜めにし、歩きにくいったら無かったのだが、旦那を追い掛け俺は走る。途中何度も転げそうになる。


 一体全体なんだってんだ。

 俺が通路の真ん中を陣取るでかい壁と、やけに斜めで歩きにくい地面に格闘していたら、あのつんざくような悲鳴と、何か凄いものが爆発したような、とにかく凄い音が同時に聞こえた。


 グモオオオオオオオォォォォォォオォ!!!

 ドガガアアアアアァァァァアアァ!!!!


 そして、身体に伝わる振動。

 支えにしていた壁が上下に激しく震える。

 天井付近の土が落ちてくる。
 ここは地下室だ。右も左も上も下も全部土だ。

 めちゃくちゃ嫌な予感がして。文字通り転がりながら通路を突破する。

 歩くより格段に速かったのは言うまでもない。



 ■■■



 土砂崩れの危険を察知して慌てて飛び込んだ先は、淡くも明るく光る一つの大きな部屋だった。

 部屋というよりも、空間と言った方が正しいか。

 やけにだだっ広いその空間に、あちらこちらと通路が伸びている。
 通路の集まる中心部分のようだ。

 あの淡い光の正体は、丸く形作られた空間の壁に沿うように置かれたカンテラだった。

 太陽の光じゃなくてガッガリしたのは一瞬だった。


 キインと音が鎮まっていく中、俺は目を見張る。

 旦那が作った土壁は、通路から真っ直ぐと、空間の中央を通って部屋の突き当りまで伸びている。

 その壁の上には仁王立ちしている旦那。

 壁を挟むように、左側に豚の大群。
 大群の後ろに、これまた豚三匹分はあろうかと巨大な豚が鎮座している。

 右側には人間。

 遠目からではよく分からないが、四つの肌色。
 一様に皆、辛うじて下着を身に着けているだけの裸同然の姿。


 そして壁のど真ん中。

 仁王立ちする旦那の足元の土壁に、鎮座する巨大なやつと同じ大きさの豚がめり込んでいる。

 左側の豚たち、ジリジリと後退する仕草を見せている。しかし後方のボスっぽい巨大豚が逃亡を許していない。
 前も後ろも地獄といわんばかりに、うめき声をあげている。


 旦那はそいつらをただ見下ろしていている。


「旦那ぁ!!!」

 つい叫んでしまう。

 奴らのうめき声以外、無音だったこの空間に響く声。

 ギクリと豚たちの視線が俺に集まる。

 あ、やっちまったかもしれない。



 グモオオオオオオオォォォォォォオォ!!!!!



 巨大な豚が啼いた。

 余りのでかさに耳を塞ぐ。

 右側にいた人達が互いに抱き合って地べたに座り込む。

 豚たちが動いた。

 壁にめり込んだ仲間の亡骸を踏みながら、次々と壁に向かって突進する。


 ドガンドガンドガン
 ドガンドガンドガン


 土壁は強固だった。

 壁を壊そうと無心に体当たりする豚達を、旦那が上から攻撃している。

 シュパっと風を切る音。

 豚の首がスッパリと切り裂かれ、転がる。
 兵隊であろう豚達は、その亡骸を踏み越えて壁に体当たりを繰り返す。


 数が少なくなると後方の巨大豚が口からモヤを吐く。すると小さな豚が生まれるのだ。
 生まれたばかりの豚は旦那が殺した仲間の豚の破片を食い少し大きくなってから壁を壊す要員となる。

 どう考えても、キリがない。

 俺は這いながら右側に回り込み、固まって震える人たちの方へ向かう。

 旦那も分かっているはずなのに壁を盾にして順繰り巡りの攻撃を繰り返していたのは、彼らと俺が合流するのを待っていたのかもしれない。


 抱き合う四人のうちの一人が俺に気づいた。

 あ、と声を出し、身構える。

 女だ。

 俺は敵ではないと両手を上げる。
 彼らの顔が判別できるところまで近づいて、歩みを止める。
 腕は上げたままだ。

 男が二人に、女も二人。

 どれも目も当てられないみすぼらしい恰好をしている。

 男は布切れ一丁、ざんばらなボサボサの髪と顔を覆いつくす髭、どれも栄養不足で痩せていて、はたから見ると二人の男はまるっきり同じ姿の双子だ。

 女の方も隠すべき部分に布を当てている程度で、長い髪を適当に結び、男と同様に痩せている。

「村人だ!!」

 女が俺を見て叫んだ。

 その声を聴いて男が二人、震えあがる。
 身構える女の足にしがみ付き、ガタガタと歯を鳴らす。女の方は気丈にも俺に立ちふさがって、ナイフらしきボロボロの金属を突き出している。
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 そのうちの一人に見覚えを感じた。


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 旦那のバックには、アグネスとかいう女が絶対に逆らえないやべえ奴がいるんだろう。
 しかしアグネスにとって旦那は、目上の存在なんだろうが尊敬する相手ではなさそうだ。


「生きているのはこれで全部か?」

 旦那が豚達の方に向き直る。

 少し豚達の動きが弱まった。ドガンドガンと土壁を抉る振動が弱まったからだ。

「は。残念ながらこれだけにございます」

 もう一人の女の方を見た。

 薄汚れてくしゃくしゃの髪を紐で一つ括りにしている。
 よくよく顔を見ると、この人もまた見覚えのある顔。


 確か二年ほど前か。

 記憶は薄いが、その時の彼女は今よりもっとふくよかで、豊満な胸も尻もやたら張りがあって大人好みのたまらん身体だと親父が涎を垂らすもんだから、フライパンでぶっ叩いた事があったっけ。

 その時の彼女だとしたら、丸二年もこんなところに閉じ込められていたことになる。

 随分印象が違うのも、当たり前である。

 その彼女も、俺をギリリと睨みつけるだけで、旦那とアグネスの会話を聞いている。


「そうか」

 そして旦那はようやく攻撃の手をやめ、俺達の所まで壁を滑って降りてきた。


 ドガンドガンドガン


 再び豚達の攻撃が始まった。

 ズシンと響く地鳴り。
 壁の上からボロボロと土が零れ落ちていく。


「男たちは走れるか」

 チラリと今だ蹲り、女の足にへばり付いている男たちを見やる。

「何度もクスリを打たれ、廃人寸前です」

 労しい者でも見るかのように目を細め、アグネスが言った。

 見ると男たちは腰が砕け、ブルブルと体中を震わせているのに、その下半身は元気に上を向いているのだ。
 声にならない喘ぎ声を発し、口からはだらしなく涎を垂らし、女の足に下半身を擦り付けるように泣いている。

「あの薬か!?」

 俺が村人たちに飲まされた、眩暈と吐き気と何ともし難い高揚感に見舞われたあの興奮剤。

 前後不覚になるまでものの数分も掛からなかった。
 目の前の旦那に欲情して、開放感を求めて動くだけの動物と成り果てる、人権もクソも無視した悪魔の薬。

「だろうな」

 最悪だ。

 そんな薬を俺は飲んだのか。

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「お前も飲んだのか?どうやって戻ってこれた。ヤったのか?相手は誰だ、女などいなかろう…ってまさか、ああ」

 アグネスが畳みかけるように質問している途中で、唐突に何かを納得する。

 俺と旦那を交互に見て、俺の肩をポンと叩いた。

「ご愁傷様」
「は?」
「よりにもよって相手が男だとは心中御察しする」

 なんだその同情の目は。ええい、こっちを見るな!旦那は俺の中の悪い薬を浄化してくれたんだ。
 それに俺は薬に浮かされていて、旦那は絶世の美女に変装してて、ああもう、今はそんな事を話してる余裕なんてねえだろうが。


 ドガン!!


 ひと際大きな音を立て、壁の一部がごっそりと崩れる。

 見ると反対側から豚の鼻がこんにちわしてやがる。

 貫通したのか。

 途端に俺達に緊張が走る。

「グレフは無敵だ。どんな攻撃も奴らには効かない」

 アグネスが口早に喋る。

「え?」
「お前も見ただろう。あの馬鹿でかい豚の親玉が永遠に生み出していると。彼の魔法はけん制だけで、実際にグレフは死んではいない」

 そうなのか。そんなの、初めて聞いたぞ。

 俺は旦那が何度もグレフを倒すのを見ている。
 あの夜もそうだし、牢を脱出した時も簡単に蹴散らしていた。

 でもそれは死んでなかったというのか。


 俺は土壁にハマっている豚の鼻に向けて、両手をかざした。

 アグネスが何をするんだという声が聴こえるが、無視して集中する。

「魔法が使えるのか?」

 アグネスの驚いた声。

 両手に掴んだ輪違いの紋章を掲げる。
 足元で蹲っていた男の一人が顔を上げる。

 嘘だろ、魔法は何でもできるって話じゃなかったのか。

 森羅万象、強く望めば、大抵の事ができると旦那は言った。


 ならばこいつを今、俺の手で料理してやる!!


 深く集中。

 精霊を呼ぶ。

 周囲のマナが集まる。

 遠くで息を飲む声。アグネスは刮目したままだ。

 旦那からの詠唱のアドバイスは無いが、旦那が奴らの首を切り裂いていた攻撃を模写する。

 鋭い風のかまいたちで、奴らを蹴散らす。

 首という急所を狙われたら、どんな生物でも生きてはいけない。


”風の精霊!!”

 精霊の名前は分からない。
 必死に目を瞑ると次第に見え出すピコピコのミジンコ。


”俺に力を貸せ 風の突風 奴らを突き刺せ!!!!”

 難しい詞は知らない。

 格好良い言い回しも知らない。
 ただ俺の思いを伝える。

 奴らを殺せと。


疾風殺傷ゲイル・ヴァーユ!!!”


 その字の如く、マナを代償に生み出された小さな掌サイズの豪風を、グモモとうるさい鼻っ面めがけて打ち込む。

 秒速を超える回転で風は黒く渦を巻き、土壁を削りながら一直線にグレフへと飛んでいく。

 突風がグレフの頭にまとわりつく。
 その凄まじい回転を以って、力づくでグレフの頭をもぎ千切ろうとする。

 旦那の魔法のようにスマートではないが、これはこれで殺傷能力は高そうだ。


「いけえええええ!!!」


 グモオオオオオォォォ!!!!


 グレフが風を振り落とそうと首を激しく回す。

 とばっちりに合いたくないのか、周りにいたグレフ達がそいつから離れる。


 そして、バチュンと肉を切る音。

「やった!!」

 手ごたえを感じた。

 旦那の助けが無くとも、俺は自分一人で魔法を発動し、グレフを一匹仕留めたんだ。

 身体の力がゴッソリと抜けていく感じがしたが、まだ余力ありそうだ。

 余裕じゃないかとアグネスを振り返った時、彼女がアッと叫んだ。

「まだだ、奴は死んではいない!!」

 風が収まり、空気が昇天していく。

「な!」

 確かに手ごたえはあった。

 肉を切った。そして実際に切れている。

 首を半分もがれた状態で、グルグルと俺を威嚇する白いモヤ。
 シュウシュウと肉が切れた部分が音を立てているだけで、グレフは死んではいない。

「まじか!」

 力が足りないとでもいうのか。

 慌てて魔法を構築し直す。今度はもっとでかい魔法を。


 しかしその掲げた腕を、今まで黙って見ていた旦那が制す。

 下ろされた腕の行き場が見つからず、棒立ちで旦那を見る。

「言った通りだろ、グレフは死なない。奴らは不死身なんだ。人間には奴らをどうすることもできない。10年間、苦渋を舐めさせ続けられても、仕方がなかったのだ。魔族を滅し、ヒトの力も通じない奴らには!!」

 アグネスの悲痛な叫び。それをも旦那は制した。

「不死身だと、

「え?」

 グレフはもがれた首をそのままに、俺の魔法の所為でもっとえぐれてしまった土壁にまた鼻を擦り付けている。

「グレフには剣も槍も斧も弓も、あらゆる武器は効かなかった」

 坦々と旦那は言う。

「魔法も効かなかった。俺たち人間は、成す術もなく殺されていくだけだった」

 何故、森羅万象の力を操れるのに、災厄から人間は衰退していったのか。

 それはまさに、グレフが不死身だったからの一言で終結する。


「でもそれはの話だ」
「なにを…」

 アグネスが不審な顔で旦那を見つめている。

 両手をぎゅうと強く握りしめ、旦那の次なる言葉を待っている。
  
 旦那は唐突に両手を広げた。

「な!」

 俺達の目の前に盾の役割を果たしていた迫立つ強固な土壁が、一瞬にして塵と化した。

 舞い上がる砂ぼこりの前に、白いモヤでできた豚の大群。俺達を隔てるものが、一瞬にして消えた。

 土壁を壊そうと、その身を犠牲に体当たりをしていた豚達も、怯んだ様子である。
 だがすぐに、俺達の姿を捉え、じりじりと歩を詰めてきた。


 万事休す。


「なにするんだ、旦那!自殺する気かよ!!」
「まさか」

 旦那が嘲笑う。

 ローブが翻った。
 旦那が魔法を発動する前に起こる、空気の蠕動。

「人海戦術。兵法も作戦もクソったれな総当たり戦で判明した事実だ。グレフは大勢で一緒くたになって渾身の一撃を食らわせ、ある一定のダメージまで蓄積されると消滅する」
「ええ?」
「奴らが耐えきれない物量の攻撃を食らわせる事さえできれば、奴らは殺せる。個々のへなちょこな攻撃は奴らにとっては蚊に刺されたようなもの。すぐに修復する」
「《中央》のギルドの連中が何かしていたと思っていたが、まさかそんな実験を…」

 《中央》のギルド。
 この旦那は、聖職者が属する教会ではなく、ギルドとやらの人間なのか?


「いつまでも手をこまねいているほど人間は愚かじゃない。世界の支配者は神なんかじゃない」



 ――俺達、人間だ。



 有言実行。


 ダメージを与えられないのならば、もっと強い攻撃にすればいい。

 すぐに修復するのならば、修復できないようにバラバラにしてしまえばいい。

 個々に攻撃するのが無力であれば、一人で大勢の働きをすればいい。

 渾身の一撃が必要ならば、それを超える会心の一撃を放てばいい。


 旦那の身体が強く発光する。

 眩しくて目を開けていられない。


「同時に二つの呪文を!?」

 アグネスの驚愕の声が聴こえる。
 この光に、彼女は何を見ているのだろう。


 次の瞬間。



 重力が落ちてきた。




 旦那が同時に張った結界の中にいた俺達以外が、ミクロの単位で潰れた。

 部屋の中にあった淡い光を放つカンテラも、俺達を取り囲んでいた豚の大群も、その後ろでどんどんグレフを生み出していた巨大な豚も、奴らの啼き声さえも。忌まわしい白いモヤすら全く残さずに。



 潰れた。



「不死身じゃなくて良かったな」


 ちっとも嬉しそうではない声色で、旦那は笑った。
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