蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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一. アッシュの章

20. 聖職者の夫を持つ妻の話①

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 〇月〇日 晴

 地震が来た。

 たくさんの家が壊れた。色んなものが崩れた。

 大勢が死んだ。

 死んだ人が、壊れた教会に運ばれてきた。屋根なんかないのに。

 果樹園の奥さん、地図を覚えたばかりの男の子、
 食堂の奥さん、村長の叔父さん、お隣のご夫婦――


 書ききれないや。



 ■■■



 毎日が平凡に過ぎていき、そうそう変わらぬ日々を送りながら、最期の日までずっと同じ日常が続くのだと漠然と考えていた。

 その日はとても晴れていて、雲一つないとても綺麗な青空に自分の影法師を作って私は遊んでいた。

 いい大人が子供っぽい遊びをする事に多少の恥ずかしさはあるけれど、少女のような立ち振る舞いが好きだと夫が私を褒めてくれるから、こうやって時々遊ぶ姿を見せている。

 もうすぐ昼という時間帯。

 午前の仕事を終えた人たちがまばらに見える。
 昼食を家族と過ごす為に家に帰るのだろう。

 あの人たちも、この日々を満喫しているのだろうと思うと、同じ気持ちを共有する一員としてなんだか誇らしくも感じてくる。

 今日は珍しく夫が昼食を作ってくれた。
 彼は今、教会の軒先でのんびりと私を眺めている。

 ぐう。

 お腹が鳴った。

 この音が夫に聞こえてなければいいなと私が夫の方を振り返った時。


 轟音が襲った。


 縦に横に身体ごと振り回される。私は掴まるものがなくて、そのまま平野を転がった。

 足を踏ん張る。立てない。
 腕を突っ張る。支えられない。

 今まで経験したことのない衝撃だった。


 冷静になってあれは、地震だったのだと理解するのだが、その時の私には分からなかった。


 余りの振動に地面が抉れ、高台に建っていた教会の支柱が全部折れた。

 私がアッと声を出す前に、私の家は壊れた。

 軒下にいた夫ごと、まるでサンドウイッチの具材になったかのように、潰れた。


 そこから先はあまり覚えていない。


 村の人たちが言うには、手を真っ赤に泣き叫びながら、瓦礫を素手で掻き分けていたようなのだが、夫はすでに駆け付けた村人達によって救い出されていて、私は空っぽの瓦礫と格闘していたと知ってひどく狼狽したのを覚えている。

 私たちが支持する神――イシュタル神は、この世界を創造した最初の神として崇められていて、教義は主に輪廻転生を謳っていた。

 私たちが生き、そして死ぬことでマナは巡り、再びこの世界に還ってくると信じられている。

 死ぬことは次に生きるための布石なのであって、ちっとも怖いことではないと、そう子どもたちに教えている。

 だから、死者は皆、この教会に集められる。

 もはや原型さえ留めていない瓦礫の上に、この地震で死んだ村人達が集められた。


 日が暮れ、徐々に被害の状況が分かってきて、村人達も段々冷静になってきて、助け出された人や怪我人の治療が行われる中、粛々と死者が運ばれてくる教会。

 夫は血だらけで擦り傷だらけで足の骨も折れていて、どこからどう見ても大丈夫な姿じゃないのに、懸命に村人の為に働いた。

 働き、死者に祈り、率先して怪我人の治療にあたり、私に炊き出しの準備を頼んだ。


 私は死者の数が20を超えたあたりから数えるのをやめていた。


 この村は小さな村だ。
 みんな互いに協力し合いながら慎ましく暮らしている。

 死者はどれも、どの人も、私の知っている人だったから。


「アンナぁ~あああああぁぁぁああああ!!!!」


 遺体の一人にしがみ付いて号泣している男性がいた。村長がそっと彼の肩に手を置いている。

 男泣きに泣きっぱなしの男性の横に、少年が立っていた。
 明るい茶色のサラサラとした髪を、後ろで一つに縛ってにこやかに笑う元気な少年だったのだが、今はその成りを顰め、耐えるような目で遺体をじっと見つめていた。

 その姿がとても印象に残った。


 あんな小さな子供が、耐え忍ばなければならない事に、理不尽さを感じた。



 ■■■




 〇月〇×日 雨

 今日も灰色の雨が降っている。

 夫の怪我が治らない。

 みんなで死んだ人たちを埋めた。



 ■■■




 地震から数日が過ぎた。

 悲しんでばかりではいられない。私たちは生きるために動くしかなかった。

 教会に運ばれた遺体は少し臭いだしてきて、私と夫はそこにはいられなくなった。

 みな、家が無かった。

 元々が貧乏で簡素な村だ。
 丸太を組み合わせただけの簡単なつくりの家は、あの地震に耐えられるはずもなく、そのほとんどが私たちの家と同じように潰れたのだ。

 あれから空は黒く曇り、灰色の雨を降らせている。

 雨は野ざらしの私たちを容赦なく汚した。

 飲み水にすらなってくれなかった。
 灰色の水はとても飲めた代物ではなかった。

 なんと被害に遭っていなかった農作物を枯らしたのだ。

 私たちは慌てて実りの少ない作物を全部獲って、板切れを貼り合わせて備蓄庫を作り、そこに食べ物を詰め込んだ。

 備蓄庫は村長が管理し、村人平等に分け与えるように徹底管理される事となった。

 数か月はもつ計算だ。
 それまでには外界の助けが来るだろう。


 私たちはそう信じていた。


 男たちが飲み水の確保に、土砂崩れで埋もれた水路を掘り出している中、残った女たちは怪我人の手当や炊き出し、親を失った子供の世話や枯れた畑の耕しと忙殺された。

 腐り果てゆく困った死体をどうにかしたくて、私は村長さんに相談した。

 すると彼も高台から臭うあの腐敗臭には閉口していたようで、早速男達を使って村の入り口の脇に土を掘り、彼らを埋めてくれた。

 本当は焼いてくれた方が臭くなくていいのだけれど。

 そう思ったけど口には出さなかった。



 ■■■




 〇月△日 雨

 夫が死んだ。

 芽は今日もでてこない



 ■■■




 今日、碌な栄養も手当ても受けていない、自己犠牲愛が強かった夫が死んだ。

 夫は傷口から何か悪いモノでも入ったのか、可哀相に生きながら腐って死んでいった。

 しかし夫は神の盲目的信者だったので、死ぬときはとても幸せそうな顔をしていた。

 私はすでに覚悟はできていたので、泣かなかった。

 生前とても愛してくれていたが、結局のところ彼は神の方を取ったのだ。

 涙は最初の日から出ていない。

 私は壊れてしまったのかもしれない。

 でもそんな事を考える余裕は無かったのが実情だった。


 男たちが頑張ったお陰で、山脈からの雪解け水を確保することができた。
 水路を引くまでには至らないが、飲み水は豊富にあり、私たちは久方ぶりに思う存分水を飲んで、汚れた服を洗濯し、自らをも洗った。

 生き返ったような気分になった。


 先行きに光が見える兆しかと思っていたが、肝心な食糧になる畑は、耕しても耕しても一向に芽が出る様子は無かった。


 あの灰色の雨が畑を汚すのだ。この雨は毒だ。


 けれど生きるためには諦めるわけにはいかなかったのだ。

 誰かが弱音を吐くと、それが連鎖して瞬く間に人はダメになる。
 だからみんな気丈で在り続けた。


 懸命に働いたけれど、やはり今日も畑は枯れている。


 明日も多分、何も変わらないだろう。



 ■■■





 ×月△日 曇

 はじめて雨がやんだ。

 助けはやってこない。

 食料が尽きかけていて、
 今日も殴り合いの喧嘩が始まる。


 どうせ強い方が全部持っていくのに。
  


 ■■■




 地震から四か月が過ぎた。


 そして今日、私たちを散々翻弄してくれたあの憎き灰色の雨が、ついに止んだ。

 相変わらず雲は黒く澱んでいたが、髪を濡らすあの忌々しい刺激がないだけでも充分である。

 村のみんなにも笑顔が見える。

 余りにも長い間日光に当たっていないと、人は本能的に光を渇望してそれが叶わぬと知ると理性を崩し、最終的には精神的に病んでしまうものだと分かる。


 この村の人たちは、随分と荒んでしまった。


 ここにきて、外界の助けを待つ人と、村を仕切りたがる人、すべてを諦めた人と色んな人達が出てきた。

 地震の前はあんなにも仲の良かった村人達が、いまや内部分裂して幾つかの派閥ができている。

 その中でも武闘派と呼ばれるグループが、村長の管理する食料を巡って口論する姿が見られるようになった。

 生きるか死ぬかの有事の際、人はどれだけ「人」で在り続けられるのだろうか。
 どこまで他人を思いやることができるだろう。

 結局のところ、信じられるのは「自分自身」であり、自身が生きるためには、本能的な部分に頼らざるを得ない。


 それはまさに「人」の終焉を意味する。


 灰色の雨はやんだが、人々の心はいまだ灰色に覆われている。


 数少ない食料を巡って、今日も不毛な戦いが繰り広げられる。
 単純な殴り合い。


 殴り合いに参加しない人は結局食えないか、何らかの知恵を使っておこぼれに預かるかのいずれかしか残っていない。



 ■■■





 ×月〇日 晴のち雨

 地震から今日で一年だ。

 少し青空が見えてきた。でも芽吹かない。

 誰が悪いのかまた騒いでいる。
 文句を言う人はいつも決まって同じ人。


 死ねばいいのに。



 ■■■




 地震から丸一年が経った。


 私は一応、生きている。

 ここまで来ると、村の上下関係がはっきりとしてくる。

 世は弱肉強食とはよく云ったもので、とどのつまり強いものが食べ物にありつき、女を抱いて子孫を残し、次代へと繋いでいくのである。

 村は文明を捨て、野生に戻ったかのような暮らしをしている。

 天気はいつも不安定で、この頃少し見え始めた青空が顔を覗かせたかと思ったらすぐに厚い雲に覆われたりと、季節感が全く不明瞭となっている。
 これも地震の影響なのかもしれない。

 この天候の頻繁な変化と気候の不安定さ、そして灰色の雨が残した毒の大地が相まって、畑に新しい生命の誕生は見られない。


「神様は輪廻転生を謳っているんじゃないのか。一体どれだけの人間が死んだと思っている。これだけ死んだら、さぞかし花で満開に咲き誇っているだろうな」


 なんて、枯れた花壇の前で嫌味を言われることも少なくはない。

 本能を剥き出しにした人に宗教の教えは逆効果だった。

 本来はその教えを以って彼らを諭すのが私の役目なのだろう。

 死んだ夫ならば、必ずそうしたはずだ。

 しかし私はただの助手であり、牧師である夫の妻なだけで、教会の偉い人に洗礼を受けたわけでもなんでもない。

 私はもはや癖になってしまったため息を飲み込み、畑の世話に精を出すしかなかった。


 村長は傀儡である。

 元々気の弱い老人で、妻のアマラの尻に引かれっぱなしの人が良いだけの人物だった。

 この一年で、村を実質的に動かす人たちが出てきている。

 村を精力的に活気づける為にとにかく働く事を第一に考える一派と、とにもかくにも暴力の一点張りで強い者こそ至高と考える一派。

 後者の一派は村の秩序を乱す人物であるが故に、その脱落を願う人たちも多い事を私は知っている。



 彼らの不幸を願って、私は今日も畑に腰を屈めた。




 ■■■





 △月△日 晴

 食料の取り合いが激化している。

 私は身体を使って食べ物にありつく。



 夫には悪いけど、
 彼はもう死んでるから誰も私を咎めない。



 ■■■




 備蓄庫に底が見えてきた。

 いや、かなり前からそこはもう尽きかけていたのだけれど、村独自の通貨、つまり食料を得るために支払う対価をそれぞれが見つけ、それぞれの方法で食べ物を確保していたのだ。

 もはや備蓄庫は村共有の財産ではなくなった。


 強い者は弱い者に求めるのは服従。
 その弱い者が強い者へと狡猾に取り入り利用する。

 まさに疑心暗鬼が日常化していた。


 私はその得物を持って、今日も強い者の住まうあばら家へと向かう。


 通貨は様々だ。

 物々交換から始まったそれは最初は金や宝石だったが、地形の変わった渓谷を抜けられず助けに来ない孤立化した村では、外貨なんてただの持ち腐れである。


 それは食料になり、種になり、労働力となり、そして性になった。


 私は女である事を最大限に利用した。

 村の女の大半はそうなった。
 家族を食わせる為に、自分の子どもを養う為に、強い者に抱かれに行く。

 散々喘がされ、肢体に力が入らなくなるまで抱きつぶされ、私たちは家族の待つ家に帰る。

 力の無い男を夫に持つ女の発言力が高くなるのも当然だ。今や一家の大黒柱なのだ。
 自らが身体を張って、稼いでくる妻を、どうして咎める事が出来るというのか。

 強い男の元で次第に強くなっていく女たち。

 今度は女たちによる、男の争奪戦が始まった。
 そして男たちは、そんな女たちにいつまでも君臨し続ける為に、争いを激化させていく。

 争い事は苦手だった。

 でも、食べるためには仕方がなかった。

 最初は夫に申し訳ないと思っていたが、神に召された人間に一体何が出来るというのか。


 運よく私は強い男たちに拾われ、その身を捧げる事でその命を繋げる事が出来た。



 でもその裏で、私は彼らの死を望んでいた。



 ■■■





 〇〇月△日 雨

 数日前、靴屋さん一家が渓谷を降りていったけど、
 死体となって見つかった。

 今日はおじいさんが二人死んだ。

 死ぬと必ず私の家まで持ってくるのは
 もうやめてほしい。

 教会はなくなったのだから。


 臭くて嫌になる。



 ■■■




 村が性と暴力で支配されようとしている中、全員が全員、こんな暮らしを受け入れた訳ではない。

 生存競争に負けて死ぬ者や悲観して自死する者もいたが、外の世界に目を向ける人も少なからずいたのだ。

 地震の影響は凄まじく、元々険しかった渓谷の隆起をさらに鋭くさせていた。

 こんな辺鄙な村にも少なからず訪れる冒険者はいて、彼らは渓谷に村へと繋がる道を通って来ていたのだが、外界へ繋がる唯一の道は揺れと共に跡形もなく消えていた。

 村から有志を募って道を少しずつ開拓しようとする声もあったが、まずは衣食住を優先させるべきであるとの多数決に負け、渓谷の方は後回しになっているのが現状だった。

 しかし、堕落していく村に逃げていく人々も多い。

 だが、こんな村でも外の世界よりはマシだった。

 渓谷を降りていく人は、もれなく死人となって帰ってくる。

 慢性の栄養不足で体力もなく、碌な装備も身に着けず、無計画に渓谷を渡るのがどれだけ危険な事か。

 高台にあった教会の跡地に運ばれる死体が、その犠牲を以って教えてくれる。


 思い知らされるのだ。




 私たちはもう、孤立してしまっている事を。




 ■■■




 △△月〇日 曇


 二年目。



 何も書くことがないなあ。



 ■■■




 あの地震から二年が経った。


 相変わらず食料を巡る争いは減らないが、村人の暮らしは何となく落ち着いている。

 発言力を持ち出した女性たちの台頭により、その力構図に幾つかの変更はあったけれど、もはや皆流れに従うのみなのか慣れたのか、一応の平穏さを取り戻している。

 どれだけの苦境に立たされても、それが日常的に続くのならば、人はその生活に段々と慣れていくものである。

 人間の逞しさに驚いてしまう。


 存外、生き物とはそんなものなのかもしれない。




 ■■■




 △△月〇〇日 晴

 少し芽が育つ傍から食べられるの繰り返し。
 嫌になる。

 村長さんに相談したら、
 牢屋に閉じ込めちゃおうって話になった。



 はやくそうすればいいのに。



 ■■■





 ついに備蓄庫が空になった。

 もう籾すら残っていない。

 完全に支配者が女性と移り変わり、女性の指示のもと、男性があくせくと力仕事をしている。

 そのお陰で皆、屋根のある家を持つまでに復興することができた。


 食べるものを探して、男たちは渓谷とは逆の山脈まで足を延ばしている。男たちの帰りを待つ間、女は畑を耕すのだ。

 苦労の甲斐あって懸命に耕した畑は、ほんの少しずつ芽を出し始めている。



 もう、誰も渓谷を降りようとはしない。



 争いの火種だった備蓄庫が空になったので、一から食料を調達せねばならなくなった今、村は多少の食料の奪い合いはあるものの、男と女それぞれに役割があって、それぞれを利用せねばならないと気付いた村人達は、かつてない協力体制の元、組織的に動くまでになっていた。

 しかし、かつて村中の女を抱き、暴力の頂点に立っていた一部の男たちにとっては非常に気に食わない事でもあった。

 王として君臨していた男は、村の徹底した組織図から外れ、今や爪はじき者としてその地位は最下層に落ちた。


 働かざる者は食うべからずが村の信条である。
 当然、彼らは食料にありつけない。

 そこで彼らは愚策を高じ、芽吹いた畑から根こそぎ引っこ抜いては食うといった愚行をやらかしていた。


 目に余るその行為に、何度も話し合いが行われる。

 彼らを野放しにはできない。この村は、強固な協力体制をとって互いをけん制し合っているだけの、細い線で辛うじて繋がっているに過ぎないのだ。

 便乗する輩も現れるかもしれない。
 線が切れたら、今度こそ村は終わりだと私は思っている。

 もう、醜い殺し合いしか残っていない。



 だから排除しなければならない。



 村に害成す人間を、村の組織を護るために、村が村で在り続けるために。


 満場一致で、かつての支配者を牢屋に入れる事が決まった。



 私はいつの間にか、村の重鎮の一人となっていた。
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