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一. アッシュの章

26. ケルベロスとの対決

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 ケルベロスの頭が縦横無尽に動き回る。

 余りの激しい動きに、豚達が近づけないでいる。

 とばっちりに遭うのだ。頭に当たると、簡単に吹き飛ばされる。

 幾つもの豚がそうやって自滅していく。

 ケルベロスは新たな豚を生み出してはいない。

 豚は結局、人質を逃がしてしまった。
 旦那の結界は破れなかった。

 自らが作った分身なのに、役に立たぬと憤慨して、ケルベロスは暴れている。

 フシュフシュと吐き出される息に、熱が籠りだした。

 怒りに身を任せて暴れるだけの攻撃は、俺達には当たらない。

 頭はその一つが岩の塊のようにでかく、重いのかスピードも遅い。

 重い頭を支えるにしては不釣り合いな胴体は、先程から頭が揺れるたびに持っていかれていて、フラフラとぎこちない動きになっている。

 注意すべきは鞭のような尻尾だった。

 撓る尾はとても鋭く、地面を抉る。
 あれに当たったらひとたまりもないだろう。

 俺は魔法を構築している。

 一度発動した魔法は身体が何となく覚えているものだ。
 豚のグレフを切り裂いた風の魔法をいつでも発動できるように、その風を身に纏いながらケルベロスをいなしている。

 豚や頭が近づくと、その魔法をぶつける。
 倒せないにしろ、切り裂く事は出来る。

 すぐに修復するが、その一瞬だけは隙が生まれる。痛みもあるのか、切り裂くと動きも止まるのだ。

 俺は俺のやるべきことをやっている。


 一方、旦那の方は、苦戦しているように見えた。


 俺と違い、旦那の魔法は殺傷能力がある。

 しかし、豚は殺せるけれど、ケルベロスは殺せない。

 俺とはケタ違いの威力の魔法をぶつけても、すぐにそれは復活する。
 すると別の頭が攻撃してきて、決定打を与えられていないのだ。

 堂々巡りで時間だけが過ぎていく。

「はあっはあ、はあはあ…」

 俺はもう、たくさんの魔法を使った。

 自分の許容するマナを大量消費したのだ。
 疲れ具合が半端ない。

 一方旦那は頭を何度も潰していて、その疲れは感じられない。
 どれだけのマナを持っているか計り知れない。


 とにかく旦那は、けた外れなのだ。


 足が覚束なくなってくる。

 そんな俺を目掛けて、鞭の尻尾が襲ってくる。

 風の魔法でそれを切り裂く。
 トカゲの尻尾のようにグネグネと動く様が気持ち悪い。

 旦那が俺の傍にやってくる。

「旦那、殺せないのか?」
「状況を見ている」
「なんだそりゃ」

 あくまで旦那の態度は冷静だ。
 本当にこの人は変わらない。

 一体全体この状況で何を見ているのだ。

 彼には少々、言葉足らずな部分もある。


「いい加減、疲れてきたんすけど」

 膝に手をつき、ハアハアと息をする。
 もうすっかり上がってしまった。

「お前が終わらすんだろ」

 ニヤリと旦那が笑う。ローブに隠されても雰囲気で分かる。

 くそ意地悪だ。

「頭と尻尾は無敵なんじゃねえか?回復の速度がめちゃくちゃ早い」
「だろうな」

 すると、弱点は胴体か?

 グレフに弱い攻撃は効かない。

 渾身の一撃を以って、または大量の攻撃を食らわせる事でその命を絶つことが出来ると旦那は言った。

 グレフに弱点があるのかすら分からないけれど、ふらついている胴体はまだ攻撃しちゃいない。

「急所があるんじゃねえか?」

 グレフをイキモノとして見るならば、生き物は必ず生命を司るに必要な丹田、つまり急所があるはずだ。

 人間でいえば、脳であり心臓であり、生殖部分だ。

 奴らは白いモヤの塊みたいなもんだが、塊を動かすのに、その動力となる何かはあるはずだ。

 豚のグレフは、首を落としたら死んだ。
 だとすると、こいつの急所は頭か首だ。

 ケルベロスは頭を落としても平気だ。
 尻尾は何度も生える。

「弱点か…」

 考えた事がなかったと、旦那が言った。

「なるほどな、一斉に渾身の一撃を身体中に食らわせて死んだということは、その攻撃の中に、という事か」

 その急所の場所が分からないだけで。

 言い方を変えれば、急所さえ分かれば、グレフは簡単に殺せるのかもしれない。

 確かめた事がないから、あくまで仮定での話だけど。


 グレフの図体がでかければでかいほど、攻撃しなければならない箇所は多い。
 このケルベロスを例にとると、腕っぷしの強い歴戦練磨の達人を一体何人必要とするのか。

 それは現実的ではない。

「急所を探したい」
「え?」

 旦那が胴体をぶっ壊してしまえば、そこに急所があるなら終わりなのだ。

 でもそれは嫌なのだと言う。

「簡単に殺せるのなら、その活路を知りたい。グレフの被害に遭っているのは、ここだけじゃないんだ。俺は自分が別格だと理解している。俺のように戦える人間は、ほとんどいないんだ。みんな力を合わせて、苦労して犠牲を出して、それでやっと一匹のグレフを殺せるんだ。その状況を打破したい」

 旦那は自らが特別なのを理解していた。

 一人でこんな敵地に乗り込んだのも、旦那が自分の力がほかの人とは群を抜いて秀でている事を知っているからだ。

 普通の人間は、アグネスのような人たちだ。
 元・冒険者の男のように、ある程度戦えるぐらいが関の山だ。

 俺も含めて、そのほとんどがそうだ。

 旦那の言葉に、過信は無かった。

 他の人を遥かに凌ぐ力を保持するが故に、その身を危険に晒すのは、彼にとっての義務と思っているのかもしれない。

 あの時、俺達を結界に閉じ込めて先に逃がそうとしたように。

「あんた、優しいんだな」
「………」

 旦那は答えなかった。

 ほんの少し、哀しそうに肩を落としただけだった。

 俺は旦那の顔が見たくて、そのローブを脱がせたい衝動に駆られたが、ぐっと我慢した。



 ■■■



 俺達はケルベロスに向き直る。

 もう遊ぶのは終わりだ。

 旦那が動き出す。
 俺はその場に残り、意識を集中させている。

”氷の加護を受けし精霊フラウよ……”

 両手には輪違の紋章。胸に抱き、瞳を閉じる。

 深く、意識を集中させる。
 閉じた瞳の奥に、ぴこぴことミジンコが踊っている。

 マナの集約に気付いた残りの豚達が、立ち尽くす俺に攻撃を仕掛けてくる。

 鼻をぶひぶひ鳴らして突進するだけしか能の無いグレフは、旦那によって一撃のもとに天に召される。


 旦那は豚のせん滅に走り出した。

 走るのにローブは邪魔なのか、頑なに着続けていたそれを今は脱いでいる。


 そしてここにきて、ようやく旦那は女装を解いた。

 しかし現れたのは、女装した時と寸分違わぬ旦那の姿であった。

 あの腰まである美しい金髪はローブと共に脱ぎ捨てられている。
 カツラと分かった時は少し笑ってしまった。

 彼は以前、顔は自前だと言っていたと思い出す。

 ため息がでるほどの、美しい顔をしている。

 女性とは違い、その眉だったり輪郭だったりと、若干固くなった感はあるが、それでも切れ長の瞳だったり、真っ直ぐに通った鼻筋だったり、ピンクに色づいた薄い唇は、その美しさを更に引き立たせている。

 髪はやはり金髪で、短い。
 少し癖っ毛を、後ろに撫でつけている。


 しばし見惚れるのも無理は無かった。


 俺は旦那が好きだと本人の目の前で言ってしまった馬鹿野郎である。

 本来の姿に幻滅どころか、ますます興味を引かれるとは、恐ろしくなってしまう。

 その気持ちに揺るぎが無い事も改めて思い知らされて、心の中で親父に謝った。

 すまん、俺は、もう色んな意味でダメだ。


”千の雪 万の氷 銀の大蛇の花を咲かせよ”


 旦那に教えてもらった通りの詠唱を唱える。

 同時に、脳裏に浮かぶ鮮明なイメージ。

 粗方、豚の始末を終えた旦那は、今度はケルベロスに突撃している。

 うまく三つの頭を交わし、その胴体を剥き出しにするまで翻弄している。

”針となり 細の目を探すが如く 針となり 貫くが如く”


 頭に浮かべる、氷の氷柱。

 その先は鋭く、針のように細く、石のように固い。
 冷たい絶対零度の解けない氷が、千本の針を作る。


 目標はただ一つ。

 ケルベロスの急所。


氷針刺アイシクル・ヘル!!!!”



 魔法を発動。

 俺の中に残るマナを全部使って、この針を生み出す。

 頭上に高く、針が舞い上がる。

 千本の針が、ふわりと宙に浮く。それは一定の間隔で、ケルベロス胴体を捉えている。

 後はなるようになれだ。

 詠唱を終えた俺の姿を確認した旦那が、3つの頭を同時に破壊した。

 ボフンと大きな音を立て白いモヤが霧散する。
 シュウシュウと瞬く間に復活していく。旦那は復活する間も与えず、攻撃を繰り返している。

 尻尾が旦那を捕らえた。

「旦那!!」

 思わず声が出てしまう。

 ダメだ、集中をしなければ。

 旦那は大丈夫だ。
 この人は大丈夫。

 旦那を心配するよりも、俺だ。自分の事に集中するんだ。

 旦那にうつつを抜かしている場合でもない。惚れた張ったは後の話だ。

 旦那は尻尾も破壊した。

 俺と最も違うのは、旦那は一切詠唱をしない点にある。よって彼の魔法は瞬時に発動できるのだ。
 これが普通の人たちと違う、別格たる所以なのだろう。

 頭と尻尾を同時に失った胴体が、その重さが急に無くなった事でバランスを失い、急激に揺れる。

 頭の回復が追いつくと、それを旦那に瞬時に消される。
 胴体は揺れに揺れ、ついにはこける。

 ケルベロスは、俺に腹の底を見せて地面をのたうち回っている。

 旦那の身体が発光する。
 最後の仕上げだ。

 俺の発動した氷の刃ではなく、光の刃を頭上に掲げる。

 それは丸太のように太く、逞しい。
 腹を見せた胴体を、押しつぶすかのように刃を落とした。

 光が胴体を貫く。

 もがく胴体。
 短い手足が、バタついている。

 光は胴を貫いただけではない。その状態で熱を発して、刃が爆発したのだ。


 ベシャリ


 血ではなく、白いモヤだったが、それは液体のように飛び散る。

 胴体が破裂した。


「今だ、アッシュ!!」

 旦那が叫ぶ。

 俺は目を凝らす。
 破裂した中に、見つけるのだ。

 散り散りに弾ける肉片が、再び再構築し始める。

 シュウシュウと音を立て、頭と同じように肉片同士がくっつき始める。

 無いのか、急所なんて。

 俺は探す。

 すると、肉片と肉片が繋がる隙間に、旦那の魔法の光に反射して何やらキラリと光る物体が見えた。

「あれだ!」

 俺はその物体目掛けて、渾身の力を込めて氷の刃をぶつけた。

 光の速さで飛んでいく刃。旦那が避ける。

 千本の針を掻い潜るのは難しいだろう。
 それは避ける事も出来ず、俺の魔法をまともに食らう。


「いけえええええええ!!!!!!」


 追い打ちをかける。
 遠くからでもその硬さが分かる。

 針が数本、その何かを貫通する。

 ビクリとケルベロスが身を震わせる。

 汗だくの俺は、これでもかと力を籠める。

 刃は鋭さを増し、貫通した傍からそれを凍らせていく。

 それでも復活した頭が、吼えた。


 グモモモモモモモモモオオォォォォォオオォォォオ!!!!!


 断末魔のような叫び。


 3つの頭が、互いに互いを攻撃し合っている。

 尻尾は復活していない。

 胴体は未だ、腹を見せたままだ。
 手足を思い切りバタつかせ、俺の魔法の刃に貫かれて成す術もない。


 その時である。


 それは唐突に終わった。


 氷の刃が完全にそれを凍らせたかと思ったら、それを中心に弾けたのだ。


 3つの頭も、残りの胴体も。
 パアンと大きな音を立てて、風船が弾けるように、まさにそんな感じだった。


 弾けた白いモヤが、空洞内を穢す。
 べったりと血糊のように、モヤが糸を引く。



 旦那が何時の間にか俺の傍にいた。

 俺の頭をポンポンと叩いて、

「やったな」

 と、初めて見る清々しい笑顔で、俺を抱きしめてくれた。



 その手には、小さな木片が握られていた。
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