蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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一. アッシュの章

28. 堕ちた村

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「グレフの齎す元素の及ぼす力は、『本能』に影響するのかもしれない」

「え?」
「一応は、力のバランスをとっていたんだろう」

 だがそのグレフがいなくなった今、力にあぶれた村人達は、『本能』のままに行動を開始する。

 それは食欲であり、性欲であり、暴欲。

「村がグレフの力に順応したのは、元々この村がその素質を持っていたからなんだろう」

 災厄を乗り越えた時、村はすでに疲弊していた。

 村は飢餓に苦しみ、疑心暗鬼に陥り、独自の文化を紡いでいった。

 食べるために性を売り、性を得る為に支配された。支配は継続されるために、不要なモノを殺す。

 生きるために編み出された、村の生存本能こそグレフの思う壺だったのだ。

 グレフは村を利用した。村が継続するには、犠牲はやむを得ないと考える村人達の『存続』と『利己愛』をとしたのだ。

 グレフの力によって、はさらに強調される。

 村人達が外の世界に無関心な理由は、そして親父が息子よりも村の未来を望んだ理由が、まさにその「」にあった。

「確かな事は分からない。でも、恐らくそうなんだろうな」

 俺は旦那の浄化によって、村の「」の轍から逃れた。

 村の自滅を、俺は免れたのだ。

「お前はもう、自由だよ」

 優しい口調だった。

 目の前で繰り広げられる、おぞましい「本能」の暴徒達は、それぞれが思うが儘に暴れている。

 その口調は余りにも周りとは不釣り合いに優しかった。

「村は恐らく自滅するだろう。いずれ食料も尽きる。グレフの力が及ばない今、村の作物も枯れるだろう。グレフの影響は彼らが死ぬまで続くかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、彼らが正気に戻った時、村は災厄の時に後戻りしていると気付くだろう。今度も誰も助けてくれない。渓谷の道を降りて、自ら道を切り開かない限り」
「ああ」

 村はあの日、災厄から三年後に、本当は死んでいたのだ。

 食料も希望も失って、死んでいたのだ。

 グレフの所為で、7年も延ばされた。他人の命を使って、死ぬべきだた俺達は、無駄に生き永らえさせられた。

 死ぬ運命だった。

「結局、あいつらはこの村で何がしたかったんだろう」

 最もな疑問だ。

 どうしてこの村だったのか。
 何故、放っておいてくれなかったのか。
 この村に何がある。何を必要とした。

 散々引っ掻き回しておいて、結局は自滅に追いやられた村を。

「分からない」

 旦那はぼんやりと村人達を見つめている。
 彼の綺麗な蒼は、醜い争いを繰り広げるかつての「ヒト」達を写してはいないのかもしれない。

 彼と同じものを見てみたいと思った。

「旦那。もう一回教えてくれねえか」

 旦那が俺に向き直る。

「あんたは一体何者なんだ?どこの誰で、何をしようとしてるんだ?」

 この質問は、実に三度目である。

 一度目は軽くあしらわれ、二度目はとても冷たく吐き捨てられた。

 そして、三度目。

 彼は何を語ってくれるだろう。

「あの災厄以降、【カミが堕ちて】から世界は変わった」

 魔族は絶滅し、創造神も死んだ。

 マナの循環が消え、代わりに【怒りの神(グレフ)】が現れた。

「たくさんの人が死んだ。たくさんの町や村が滅んだ。数多の夢が潰えた」

 旦那はどこか遠くを見つめている。
 彼の目にはもう、この村など映ってはいない。

「グレフは《王都》を占領し、10年が経った。《王都》の様子は分からない。王の生死さえも不明だ。勿論、その中にいるたくさんの人たちの安否もな」

 災厄による数々の影響は、ヤーゴ村だけを襲った訳ではない。

 この世界に在るものすべてに、それは起こった。

「残された人は、それこそ様々だったよ。《王都》を奪還すべく戦う者や、この機会に私利私欲にあくどい金儲けをする輩、全てに嘆き苦しみ自死を選ぶ人、宗教に縋る者、暴力で力なき者を屈服させる奴ら。食料の争奪、建築物破壊、物資の盗難、若い女たちへの強姦、小さな子どもの誘拐。そんなのが日常だった。人はグレフにも殺されていたけど、人間同士の争いほど醜いものはない」

 ヤーゴ村は、隔離されていたからこそ、荒らされなかったのだ。

 村の中だけで完結できたのは、渓谷の道を絶たれていたお陰。

「このままじゃいけないと誰もが思っていた。これじゃグレフの思う壺で、《王都》を奪還する以前に『ヒト』として終わってる。協力しなければグレフは倒せない。死ぬばかりが人間の役目じゃない」

 だから。

「有志を募って、”ギルド”を立ち上げた」

 ―――ギルド。

 確かアグネスが言っていたか。《中央》のギルドが云々と。

 アグネスは創造神を崇めるイシュタル教会に所属していた聖職者だ。
 旦那も最初はそうなのだろうと思っていたが、アグネスの態度から、教会とは異なる組織に旦那はいるのだと思った。

 つまり、それが”ギルド”だ。

「大抵が、王を救うという大義名分を謳って活動してる。その多岐に渡る活動の結果、《中央》のギルドを中心に、ヒトはヒトらしく生きるようになった」

 旦那は両手を俺に見せる。
 指が、いち、に、さん…………じゅう。

「10年だ。10年かかって、ようやくここまできた。でもまだ足りない。俺達がちまちまと手をこまねいている間にも、グレフが人を殺す。この村のように、何らかの目的をもって、奴らは人間を壊す」

 進んでいるように見えて、その実、全く進んでいない。後退していないだけで。

 しかし、アグネスが知らなかったように、不死身だと思われていたグレフも殺せる事が分かった。

 そして、今回で分かったように、グレフには急所が存在する。

 ほんの少しずつ、人間はグレフに対抗する力を見つけ出している。

 それは進んでいないのではない。
 一歩一歩着実に、とても歩みは遅いだろうが、確実に前へと歩けている。

 そう旦那に力説するも、彼は悲しそうな顔を見せただけだった。

「もう分かっただろうが、俺はそのギルドに所属する人間だ。まあ、正確に言えば、ギルドを立ち上げた者、”ギルドマスター”といえばいいかな」
「え?」
「《中央》には4つのギルドと教会が存在する。ギルドにはそれぞれ役目がある。先ほども言ったように、ギルドの最終目的は、グレフの滅亡と《王都》の奪還だ」

 その魔法の威力といい、判断力といい。
 常に周りに目を向けて状況を見ているのは、彼がギルドを指揮する人物だったからに他ならない。

 妙に納得してしまう。

「俺の場合、王の生死など知った事じゃないがな。俺は俺の目的で、ギルドにいる。他のギルドの大義名分など、ただの偽善だ」

 また物騒な台詞を言い始めた。

 幾ら何でも、外界を知らない俺でも、王様っつう奴はこの世界で一番偉い人だって事ぐらいわかる。
 王の元に人間は成り立ち、王の為に生きるのだ。

 かつて魔族がいた10年前まで、冒険者は王の血筋を護るために、魔王を倒す旅に出ていたのだから。

「あんたのギルドにゃ、他のメンバーはいるのか?こんな辺境の村にたった一人で乗り込んできやがって、あのロンって奴と二人しかいねえ小さいギルドっつうワケか?」
「まさか」

 旦那はフっと鼻で笑う。

「《中央》に住む人間は、その全てが4つのいずれかのギルドに所属するようになっている。例外は無い。管理し、均衡を保たなければ、人はすぐにヒトを止めてしまうからな。俺のギルドには…そうだな、末端まで含めたら3000人はいるな」
「な!」

 驚いた。

 そんなでかい組織のトップである事にだが、それよりなにより、そんな偉い奴がこんな村くんだりまで一人でのこのこ何日も時間を潰していいのかという驚きの方が強い。

「管理するには人がいる。正直言って、人手不足なのは否めない」

 だから。

「お前の質問に答えるよ」

 旦那が真っ直ぐに俺を見つめる。

 その真摯な瞳に見つめられると、俺はどうしようもない衝動に駆られる。

 色んな感情を押し殺し、頑張って旦那を見つめ返す。

「《中央》を組織する4つのギルドの一つ。魔法使いを中心としたギルドー”紡ぎの塔”―を束ねるギルドマスターが俺だ。名は。最も、その名で呼ばれる事は殆ど無いがな」

「俺は俺の個人的な目的の為にギルドを作った。俺の目的はただ一つ、王都を牛耳るグレフを一匹残らず殺して、世界を10年前の在るべき姿へ戻す事だ。それ以上でもそれ以下でもない」

「そして俺のギルドは慢性的な人員不足だ。だからお前をスカウトする。俺についてくるか否か、選ぶのはお前だ、アッシュ」

 一息に一気にそう言うと、リュシアと名乗った男は俺に手を差し出した。

 俺は考える。

 嘘だ。考える振りなのだ。
 もう答えは初めから出ている。

「俺は、渓谷を降りたい」

 何の因果か、俺は旦那と出会った。

「外の世界を知りたいと思った」

 俺の言葉を、差し出された手はそのままに、リュシアの旦那は黙って聞いている。

「俺はあんたと一緒にいたいとも思った」

 純粋な俺の気持ち。

 旦那が好きだからというのも一理ある。
 でも、本音はそうじゃない。

 本当は、この世界を見たいのだ。

 グレフがやろうととしている事、変わった世界の事、俺は何も知らない。

 旦那が見てきた、旦那が成すべき事を知りたいと思った。
 旦那が語ってくれた今、俺は実際にそれを見てみたいと思い始めている。

 旦那がグレフの鼻を明かして、ほらみろやってやったぞと、その喜びの一端に俺の存在を残したいと思った。


 ふいに俺には夢があったのを思い出す。

 そうだ。俺は、料理人になりたかったのだ。

 村だけではなく、世界中の料理を知って、いろんな奴に食ってもらって、「うまい」の一言が欲しかった。

「俺、あんたにまだ「うまい」って言わせてない」

 俺は旦那を見つめた。

 空は随分と暗くなった。

 紫の光を浴びる旦那は、神秘的で美しかった。
 愁いを帯びた瞳が、長い睫毛を靡かせる。

「だから俺はあんたと一緒にいくよ」

 俺は旦那に手を差し出した。

 血豆だらけで、土塗れの汚い手。
 旦那はその手を躊躇せずに掴んだ。

「俺を精々、こき使ってやってくれ」

 二人向き合い、手と手を繋ぐ。

 周りの喧騒は一切気にならなくなった。


「一つだけ、条件がある」

 旦那の手に力が入るのを感じる。
 彼の眼差しは、真剣そのものだ。

「俺が求めるのは、俺に対する絶対的な信頼だ。服従でも忠誠でもなく『信頼』が欲しい。それを俺にくれるのなら、俺はいつでも、俺をくれてやるよ」

 ――俺の心以外は。

 身体は好きに使っていい。利用すらもしていい。
 基本は自由。

 旦那の人権すら、俺のもの。

 だが、旦那を裏切る事だけは許さない。

 それが俺への唯一の報酬。

 心は明け渡さないが、こんな身体などいくらでもくれてやる。


 俺はその話に乗った。

 旦那を好き勝手に使うつもりなど無い。
 俺のちっぽけな忠誠心なんてくれてやる。


 その代わり、俺はあんたをもらう。

 あんたからの「美味い」をもらうのだ。


 ほら、おれは料理人だろ?
 少しは恰好付けさせてくれ。


 ほんの少し震える手でそう告げる。



 その時の旦那の顔は、まあ、俺だけの秘密にさせておいてくれ。





 こうして俺は、劇的な変化を得た。

 それは嬉しいのに泣きたくなるような、そんな不可解な変化だった。


 リュシアの旦那との出会いによって、今後の俺の人生がまるっと変わっちまった瞬間であった。



 ■■■




 少し時間をもらって、俺は自分の家に帰る。

 シンと静まり返る食堂は、もう誰も火を熾す者などいない。

 親父のお気に入りだった一枚板のカウンターを手で撫で、しばし感慨に耽る。

 厨房の棚の一番下。
 普段あまり使っていない引き出しを開け、中から埃っぽいデニム生地のエプロンを取り出す。

 軽く埃を叩いて、身に着ける。

 懐かしい匂いがした。

 かつて、母さんがこの食堂を切り盛りしていた時に、いつも来ていたエプロンだった。

 何かの結婚記念日に、親父が母さんに贈ったもの。
 こんな片田舎で、こんな上等な生地を仕入れるのは難しかっただろう。

 親父は本当に、母さんを愛していた。

 俺は親父が贈った母さんの形見だけを、村から持ち出した。

 村の食料は、グレフの未知なる元素に侵されている。それを知った今、とても口にはできない。

 身体はとても疲れていた。

 あの夜、初めて旦那と出会ってから、怒涛の連続だった。

 碌に休まず、碌に眠らず、自分でもよく身体が持っているなと感心するほどである。

 でもそれは旦那も同じだ。
 旦那は魔法の力は凄いけれど、それ以外はからきしだ。俺よりも体力はないのかもしれない。

 彼は気力のみで立っている。
 弱音を吐いても誰も助けてくれない事を、ギルドの頂点にいる男は知っている。

 食堂の前で俺を待っていた旦那と合流する。

 村はすでに日は落ちた。

 暗闇が支配する中、村は相変わらずの喧騒を未だ終わらせていなかった。

 食肉を免れた村長の馬を一頭拝借する。

 旦那を背に乗せ、本能に操られた村を後にする。

 暗い畦道の中、馬は駆ける。
 俺達はもう疲れて喋る事すらできていない。

 渓谷の入り口で馬を開放する。

 そして文字通り、バラバラになりそうなぐらい痛む身体を叱咤して、俺達は渓谷を降りる。


 一晩仮眠して、昼間は動く。

 いい加減うんざりしてきた三日目の朝、俺達はついに渓谷を抜けた事に気付く。

 互いに顔を見合わせ、道のど真ん中に大の字に寝そべって深く深く息をする。
 張り付く汗に、漂う風が気持ち良かった。


 そういえば、グレフに侵されていない空気は、とても軽く感じた。




 初めて見る外の世界は。


 想像以上に色褪せた世界なのだと、俺は思った。
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