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一. アッシュの章
29. アッシュ
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ほんの両手で数えられる数年前まで、世界は変わらずここに在った。
ヒトがいて、マモノがいて、勇者サマがいて、退治される魔王サマがいた。
多くの冒険者と云われるヒト達とせめぎ合っていたマモノの軍団が、いつもどこかで小競り合いをしていた。
でも、それは覆された。
世界が堕ちたその日以来、何千年も繰り返されてきたマナの循環が止まった。
当たり前の世界は、当たり前ではなくなった。
両手の指を折って、事足りるぐらいの昔をそうして懐かしむ。
俺達は、変わらざるを得なかった。
■ ■ ■
デニムの生地が翻る。
しっかりとした造りなのだ。多少の油の跳ねなど熱くもなんともない。
「おらよ、これ持ってけ!!!」
大きな鍋の中、炒めた野菜がいい匂いを発している。
何十人分の料理を毎日かき回していれば、自然と体力がつく。
料理というものは繊細なだけではない。体力勝負な所も料理の面白い所だ。
手早く皿に盛りつけて、所狭しと並べていく。
その都度、皿は運ばれていく。
「これ、洗ってくんね?」
まだ熱い鍋を部下に託す。
俺にはまだやることがあるのだ。
時間は昼間近。
腹を空かした訓練兵が、しこたまこの食堂に押し寄せるまで残り数十分。
今日のランチは野菜炒めとヤキソバだ。
ソバの具材を切った部下と交代して、味付けに入る。
俺の料理の評判は上々なのだ。これを喰った連中の喜ぶ顔が目に浮かぶ。
料理人ってのは単純なのだ。
美味いと言われれば言われるだけ調子に乗る。
そしてもっと美味いものを食わせてやりたいと思う。
料理への探求は尽きないのだ。
「アッシュさ~ん、第一陣、やってきました~」
間延びした声。
ちっとも緊迫感がねえが、そいつはそいつでさっきから走り回っている。
「もう来やがったか。よし、今日もいっちょ働きまくるとしますか!!」
腕まくりして気合を入れる。
ソバにソースを投入したところで、ドヤドヤと扉が開く音。
何十人も一気に収納できるとはいえ、すでに食堂は満員御礼である。
この食堂を預かる老齢の料理長が唸っている。
また、持病の腰痛が悪化したようだ。
彼はいつもこの時間になると腰が痛いと言ってはいなくなる。
毎日決まって同じ時間。
朝昼晩の三回だ。
「アッシュ、もうワシは歳じゃ…」
毎度の台詞もこれだ。
いずれ、この食堂を俺に譲るのだと言って聞かない。
すでに旦那の許可は得ているようで、本来はすぐにでも引退する用意は出来ているのだが、如何せん、俺がここに来てまだ2か月ちょいである。
まだまだ気が早いってな話で、もう少しこのご老人には頑張ってもらわねば。
気付くと長蛇の列がカウンターに出来ていた。
まだかまだかと大合唱である。
こっそり食堂を抜け出す料理長を放っておいて、俺は気合を入れなおした。
今日はこの後、特別に試してみたい事が控えているのだ。
早く捌いて、すぐにでもあの人の所に行きたい。
どんな顔するだろうか。驚くかな。それともいつものように無言で頷くだけかな。
頭にローブの姿を思い浮かべながら、俺はひと時の間、彼への思考をやめて、腹を空かせた子羊たちの相手をするのであった。
■ ■ ■
「旦那、いるか?」
”塔”と名がつくだけあって、無駄に縦長く作られた階段を昇る。
食堂は一階。旦那のいる執務室は最上階。
行き来だけでも重労働な上に、手には先程の野菜炒めとヤキソバを盛った皿に、飲み水とデザートを持っているのだ。
初めはただキツいだけだったが、2か月も毎日こんな事をやっていれば慣れてくる。
”塔”の最上階、階段の途中で近衛兵に挨拶する。
彼らももう見知った仲で、既に俺は顔パスなのだ。
簡素な造りの両番の扉を開き、旦那の返事を待つ間もなく、中に入る。
無礼だと怒る輩もいるだろうが、そんな事で旦那は俺を咎めたりはしない。
「ああ」
整然とした広い部屋に、所狭しと書類が散乱している。
真ん中にドカンと置かれた立派な机にも、紙の山だ。
いつもはその書類に埋もれるように座っているはずの旦那が、いない。
しかし声はするのでキョロキョロと探すと、あ、いた。
執務室の隣に併設された旦那の私室のバルコニーに、旦那がいる。
エンジ色の落ち着いたローブを身に纏い、大きな紐で前を止めている。
フードに隠された顔は相変わらず見えないが、その口には一本の煙草が咥えられている。
ここにきて新たに分かったのは、旦那が喫煙者だったって事だ。
それも結構なヘビースモーカーで、書類とにらめっこしている以外は、大抵煙草を咥えている。
「旦那、昼飯の時間だぞ」
「ああ、ありがとう」
のんびりと息を吐き、俺を横目に見ながら旦那が言った。
旦那は、忙しい。
この書類の山を見ても分かる。
ギルドには様々な案件が流れてくる。
《中央》を管理している所要なのだから当然なのだが、それにしても仕事量がハンパ無い。
二か月前、彼の云った慢性的な人手不足とは、まさにこれなのだろう。
しかし旦那は無能ではない。
体力仕事は苦手だが、客観的判断力に長けていて、最たる指示を出す。
それも簡潔にだ。
それが良い方向へ行くものだから、皆、旦那を頼る。
事案は殆どが、ギルドのメンバーをすっ飛ばして、直接旦那に持ち込まれる。
旦那は日々、それをこなしているのだ。
彼は時たま、寝食をも忘れて仕事に没頭する節があった。
執務室からなかなか降りてこないと思ったら、三日三晩徹夜しているのも珍しくはない。
そんな旦那の傍に控えているはずの、あの黒ずくめの「影」も、旦那の命令が無いからずっと黙ったままだ。
これじゃいけないと思って、旦那の食事は俺が面倒みる事にしたのだ。
旦那が”塔”にいる時は、俺は必ず旦那を訪れるようにしている。
朝昼晩の三回だ。
程のいい言い訳なんだけどな。
本当は、旦那に会いたいだけなのだけど、黙っておく。
そんなわけで、今日も旦那に昼食を持っていった次第なのである。
旦那が食ってる間、他愛もない話をする。
旦那も仕事づくめで息抜きが必要だと思ったからだ。
ついでに、あの黒ずくめ野郎の―――旦那はロンと言っていたが、本名はロベルトだった―――食事も俺が世話している。
彼が一緒に食うことはまず在り得ないが、いつのまにか食器が食堂に戻されているので、ちゃんと食っているんだろう。
「そういや、アグネスが食堂に来たぜ」
「そうか」
気の強い、聖職者の女。
二か月前、あの村で出会った、囚人の生き残りである女性を思い出す。
「教会で採れた野菜を持って来てくれた。元気そうだったよ」
「………」
旦那は無言で食っている。
アグネスは、村での活躍というか功績が認められ、教会の幹部までのし上がった。
旦那という”塔”との接点が出来たおかげか、双方のギルドを繋ぐ連絡係をやっているそうだ。
もう一人の聖職者の男。
俺はてっきりアグネスの旦那だと思っていたが、ただの同僚だったらしい。
その彼は、村で薬に侵されて前後不覚に狂ってしまっていたのだが、残念ながら二か月経ってもあのままだった。
アグネスの取成しで、教会のシスターになったもう一人の女性の夫も、その意識ははっきりしていない。
グレフが介入した正体不明の薬だ。その原理が分からない以上、俺達はどうすることもできなかった。
元・冒険者の男は、てっきりこの”塔”に来るかと思っていたが、彼は根っからの脳筋らしく、別のギルドに渡っていったきり姿を見ていない。
あの日から二か月。
俺達の状況は、確実に変化している。
粗方食い終わった食器を片付けて、俺はいそいそとデザートを準備する。
その浮つき立った様子に、旦那が首を傾げている。
また煙草を吸っている。
口寂しいのだと旦那は言うが、あの村で旦那は一度も煙草に手を出していなかったのだから、禁煙しようと思えばできるはずだ。
まあ、旦那の嗜好に口を出すほど、鬼女房でもないのだが。
「旦那、見てくれ。ってか、食ってくれ。自信作だ」
じゃじゃーんと取り出したるは、何の変哲もない饅頭一個。
朝っぱらから小豆を煮詰めてちゃんと作ったんだ。
小さい成りの割には、手を掛けてる。
だが、俺が旦那に食ってもらいたい理由は他にある。
煙草を灰皿に置き、手を伸ばす。
素直に応じる旦那の仕草が、なんだか可愛く見える。
いかんいかん、旦那は男だ。
うつつを抜かしてる場合じゃねえ。
躊躇なく、一口でそれを放り込んだ。
ゆっくりと租借し、ごっくん。
すると、一瞬だが旦那の身体がパアと発光した。
「やった、成功だ!!」
「………」
しばし沈黙。
旦那がスクっと立ち上がり、徐に俺の両手を掴む。
「だ、だんな?」
「すごい…」
「え?」
「すごいな」
見ると旦那がフードを取って、ニッコニコと満面の笑みを浮かべている。
実に珍しい…というより、初めて見たかもしんねえ。
「美味いだろ?」
コクリと頷く。
いい加減、カラクリを話そう。
実は、この饅頭の中に、『魔法の力』を入れたのだ。
俺は旦那のお陰で魔法を使えるようになった。
このギルドには、魔法使いギルドと謳っているだけあって、手練れの魔法使いが数多く在籍している。
俺は食堂を切り盛りしながら、彼らの話を聞き、色々と自分でも魔法を試していたのだ。
魔法と云ってもその種類は多岐に渡り、6大元素を中心に紡がれるが、その多くは攻撃魔法だ。
回復魔法を得意とする魔法使いは、案外少なかったのだ。
俺はこっそり回復魔法を練習していた。
魔法は常に即興だ。リアルタイムで魔法の力は行使される。
俺はそれを、離れている相手、つまり魔法の温存が出来ないか考えたのである。
この二か月、試行錯誤を繰り返して、俺は俺の得意分野にそれを見出した。
それが、食べ物の中に、回復魔法の効果を入れる事だったのだ。
まだ試験段階である。
回復といっても、若干の疲労が取れるだけか、擦り傷が癒える程度の代物だ。
だが、旦那には充分驚愕に値するものだったらしい。
「お前には底が見えないところがあったが、まさかこんな事を成し得るとは、な」
感動に打ちひしがれてる旦那に、俺もニッカニカの笑顔で返した。
どうだ、すげえだろ!!
この効果がどれだけの時間続くのか、食材が腐るとどうなるのか、大勢を癒すにはどうすべきかなど、やるべきことは多い。
「その着眼点に恐れ入るな」
素直に旦那が俺を褒めてくれた。
いつか、戦争はやってくる。
俺達ギルドが中心となって、グレフ達から《王都》を解放するために。
ほんの少しでも、人間側に勝利を得るには、人は前進し続けなければならない。
俺は旦那がグレフの大将の首を掲げて、王様に感謝感激されまくってる姿を見たいのだ。
だから、俺が出来る事なら何でもする。
これはその第一歩だ。
まるで子犬でも愛でるかのようにヨシヨシと頭を撫でられる。
子ども扱いは嫌だったが、これはこれで役得だと思った。
「お前があの村で完全に自我を失わずに済んだのは、こういう事だったのかもな」
綺麗な旦那の顔。
その顔がいつもより暖かい。
「俺はお前を手に入れる事ができて、心底良かったと思ってるよ」
何よりの賛辞だった。
二か月が経った。
俺は未だ、旦那から「美味い」を貰ってはいない。
何だか頑なに言おうとしない風にも感じたが、それは旦那なりの発破なのだろうと思う。
「港の町で、グレフらしき形跡が見つかった」
「そうなのか」
「俺は暫く”塔”を留守にする。…お前も、来るか?」
俺は二言返事で頷いた。
旦那の行くところ、俺も行くのだ。
それが俺、アッシュの生き様なのである。
アッシュの章 完
ヒトがいて、マモノがいて、勇者サマがいて、退治される魔王サマがいた。
多くの冒険者と云われるヒト達とせめぎ合っていたマモノの軍団が、いつもどこかで小競り合いをしていた。
でも、それは覆された。
世界が堕ちたその日以来、何千年も繰り返されてきたマナの循環が止まった。
当たり前の世界は、当たり前ではなくなった。
両手の指を折って、事足りるぐらいの昔をそうして懐かしむ。
俺達は、変わらざるを得なかった。
■ ■ ■
デニムの生地が翻る。
しっかりとした造りなのだ。多少の油の跳ねなど熱くもなんともない。
「おらよ、これ持ってけ!!!」
大きな鍋の中、炒めた野菜がいい匂いを発している。
何十人分の料理を毎日かき回していれば、自然と体力がつく。
料理というものは繊細なだけではない。体力勝負な所も料理の面白い所だ。
手早く皿に盛りつけて、所狭しと並べていく。
その都度、皿は運ばれていく。
「これ、洗ってくんね?」
まだ熱い鍋を部下に託す。
俺にはまだやることがあるのだ。
時間は昼間近。
腹を空かした訓練兵が、しこたまこの食堂に押し寄せるまで残り数十分。
今日のランチは野菜炒めとヤキソバだ。
ソバの具材を切った部下と交代して、味付けに入る。
俺の料理の評判は上々なのだ。これを喰った連中の喜ぶ顔が目に浮かぶ。
料理人ってのは単純なのだ。
美味いと言われれば言われるだけ調子に乗る。
そしてもっと美味いものを食わせてやりたいと思う。
料理への探求は尽きないのだ。
「アッシュさ~ん、第一陣、やってきました~」
間延びした声。
ちっとも緊迫感がねえが、そいつはそいつでさっきから走り回っている。
「もう来やがったか。よし、今日もいっちょ働きまくるとしますか!!」
腕まくりして気合を入れる。
ソバにソースを投入したところで、ドヤドヤと扉が開く音。
何十人も一気に収納できるとはいえ、すでに食堂は満員御礼である。
この食堂を預かる老齢の料理長が唸っている。
また、持病の腰痛が悪化したようだ。
彼はいつもこの時間になると腰が痛いと言ってはいなくなる。
毎日決まって同じ時間。
朝昼晩の三回だ。
「アッシュ、もうワシは歳じゃ…」
毎度の台詞もこれだ。
いずれ、この食堂を俺に譲るのだと言って聞かない。
すでに旦那の許可は得ているようで、本来はすぐにでも引退する用意は出来ているのだが、如何せん、俺がここに来てまだ2か月ちょいである。
まだまだ気が早いってな話で、もう少しこのご老人には頑張ってもらわねば。
気付くと長蛇の列がカウンターに出来ていた。
まだかまだかと大合唱である。
こっそり食堂を抜け出す料理長を放っておいて、俺は気合を入れなおした。
今日はこの後、特別に試してみたい事が控えているのだ。
早く捌いて、すぐにでもあの人の所に行きたい。
どんな顔するだろうか。驚くかな。それともいつものように無言で頷くだけかな。
頭にローブの姿を思い浮かべながら、俺はひと時の間、彼への思考をやめて、腹を空かせた子羊たちの相手をするのであった。
■ ■ ■
「旦那、いるか?」
”塔”と名がつくだけあって、無駄に縦長く作られた階段を昇る。
食堂は一階。旦那のいる執務室は最上階。
行き来だけでも重労働な上に、手には先程の野菜炒めとヤキソバを盛った皿に、飲み水とデザートを持っているのだ。
初めはただキツいだけだったが、2か月も毎日こんな事をやっていれば慣れてくる。
”塔”の最上階、階段の途中で近衛兵に挨拶する。
彼らももう見知った仲で、既に俺は顔パスなのだ。
簡素な造りの両番の扉を開き、旦那の返事を待つ間もなく、中に入る。
無礼だと怒る輩もいるだろうが、そんな事で旦那は俺を咎めたりはしない。
「ああ」
整然とした広い部屋に、所狭しと書類が散乱している。
真ん中にドカンと置かれた立派な机にも、紙の山だ。
いつもはその書類に埋もれるように座っているはずの旦那が、いない。
しかし声はするのでキョロキョロと探すと、あ、いた。
執務室の隣に併設された旦那の私室のバルコニーに、旦那がいる。
エンジ色の落ち着いたローブを身に纏い、大きな紐で前を止めている。
フードに隠された顔は相変わらず見えないが、その口には一本の煙草が咥えられている。
ここにきて新たに分かったのは、旦那が喫煙者だったって事だ。
それも結構なヘビースモーカーで、書類とにらめっこしている以外は、大抵煙草を咥えている。
「旦那、昼飯の時間だぞ」
「ああ、ありがとう」
のんびりと息を吐き、俺を横目に見ながら旦那が言った。
旦那は、忙しい。
この書類の山を見ても分かる。
ギルドには様々な案件が流れてくる。
《中央》を管理している所要なのだから当然なのだが、それにしても仕事量がハンパ無い。
二か月前、彼の云った慢性的な人手不足とは、まさにこれなのだろう。
しかし旦那は無能ではない。
体力仕事は苦手だが、客観的判断力に長けていて、最たる指示を出す。
それも簡潔にだ。
それが良い方向へ行くものだから、皆、旦那を頼る。
事案は殆どが、ギルドのメンバーをすっ飛ばして、直接旦那に持ち込まれる。
旦那は日々、それをこなしているのだ。
彼は時たま、寝食をも忘れて仕事に没頭する節があった。
執務室からなかなか降りてこないと思ったら、三日三晩徹夜しているのも珍しくはない。
そんな旦那の傍に控えているはずの、あの黒ずくめの「影」も、旦那の命令が無いからずっと黙ったままだ。
これじゃいけないと思って、旦那の食事は俺が面倒みる事にしたのだ。
旦那が”塔”にいる時は、俺は必ず旦那を訪れるようにしている。
朝昼晩の三回だ。
程のいい言い訳なんだけどな。
本当は、旦那に会いたいだけなのだけど、黙っておく。
そんなわけで、今日も旦那に昼食を持っていった次第なのである。
旦那が食ってる間、他愛もない話をする。
旦那も仕事づくめで息抜きが必要だと思ったからだ。
ついでに、あの黒ずくめ野郎の―――旦那はロンと言っていたが、本名はロベルトだった―――食事も俺が世話している。
彼が一緒に食うことはまず在り得ないが、いつのまにか食器が食堂に戻されているので、ちゃんと食っているんだろう。
「そういや、アグネスが食堂に来たぜ」
「そうか」
気の強い、聖職者の女。
二か月前、あの村で出会った、囚人の生き残りである女性を思い出す。
「教会で採れた野菜を持って来てくれた。元気そうだったよ」
「………」
旦那は無言で食っている。
アグネスは、村での活躍というか功績が認められ、教会の幹部までのし上がった。
旦那という”塔”との接点が出来たおかげか、双方のギルドを繋ぐ連絡係をやっているそうだ。
もう一人の聖職者の男。
俺はてっきりアグネスの旦那だと思っていたが、ただの同僚だったらしい。
その彼は、村で薬に侵されて前後不覚に狂ってしまっていたのだが、残念ながら二か月経ってもあのままだった。
アグネスの取成しで、教会のシスターになったもう一人の女性の夫も、その意識ははっきりしていない。
グレフが介入した正体不明の薬だ。その原理が分からない以上、俺達はどうすることもできなかった。
元・冒険者の男は、てっきりこの”塔”に来るかと思っていたが、彼は根っからの脳筋らしく、別のギルドに渡っていったきり姿を見ていない。
あの日から二か月。
俺達の状況は、確実に変化している。
粗方食い終わった食器を片付けて、俺はいそいそとデザートを準備する。
その浮つき立った様子に、旦那が首を傾げている。
また煙草を吸っている。
口寂しいのだと旦那は言うが、あの村で旦那は一度も煙草に手を出していなかったのだから、禁煙しようと思えばできるはずだ。
まあ、旦那の嗜好に口を出すほど、鬼女房でもないのだが。
「旦那、見てくれ。ってか、食ってくれ。自信作だ」
じゃじゃーんと取り出したるは、何の変哲もない饅頭一個。
朝っぱらから小豆を煮詰めてちゃんと作ったんだ。
小さい成りの割には、手を掛けてる。
だが、俺が旦那に食ってもらいたい理由は他にある。
煙草を灰皿に置き、手を伸ばす。
素直に応じる旦那の仕草が、なんだか可愛く見える。
いかんいかん、旦那は男だ。
うつつを抜かしてる場合じゃねえ。
躊躇なく、一口でそれを放り込んだ。
ゆっくりと租借し、ごっくん。
すると、一瞬だが旦那の身体がパアと発光した。
「やった、成功だ!!」
「………」
しばし沈黙。
旦那がスクっと立ち上がり、徐に俺の両手を掴む。
「だ、だんな?」
「すごい…」
「え?」
「すごいな」
見ると旦那がフードを取って、ニッコニコと満面の笑みを浮かべている。
実に珍しい…というより、初めて見たかもしんねえ。
「美味いだろ?」
コクリと頷く。
いい加減、カラクリを話そう。
実は、この饅頭の中に、『魔法の力』を入れたのだ。
俺は旦那のお陰で魔法を使えるようになった。
このギルドには、魔法使いギルドと謳っているだけあって、手練れの魔法使いが数多く在籍している。
俺は食堂を切り盛りしながら、彼らの話を聞き、色々と自分でも魔法を試していたのだ。
魔法と云ってもその種類は多岐に渡り、6大元素を中心に紡がれるが、その多くは攻撃魔法だ。
回復魔法を得意とする魔法使いは、案外少なかったのだ。
俺はこっそり回復魔法を練習していた。
魔法は常に即興だ。リアルタイムで魔法の力は行使される。
俺はそれを、離れている相手、つまり魔法の温存が出来ないか考えたのである。
この二か月、試行錯誤を繰り返して、俺は俺の得意分野にそれを見出した。
それが、食べ物の中に、回復魔法の効果を入れる事だったのだ。
まだ試験段階である。
回復といっても、若干の疲労が取れるだけか、擦り傷が癒える程度の代物だ。
だが、旦那には充分驚愕に値するものだったらしい。
「お前には底が見えないところがあったが、まさかこんな事を成し得るとは、な」
感動に打ちひしがれてる旦那に、俺もニッカニカの笑顔で返した。
どうだ、すげえだろ!!
この効果がどれだけの時間続くのか、食材が腐るとどうなるのか、大勢を癒すにはどうすべきかなど、やるべきことは多い。
「その着眼点に恐れ入るな」
素直に旦那が俺を褒めてくれた。
いつか、戦争はやってくる。
俺達ギルドが中心となって、グレフ達から《王都》を解放するために。
ほんの少しでも、人間側に勝利を得るには、人は前進し続けなければならない。
俺は旦那がグレフの大将の首を掲げて、王様に感謝感激されまくってる姿を見たいのだ。
だから、俺が出来る事なら何でもする。
これはその第一歩だ。
まるで子犬でも愛でるかのようにヨシヨシと頭を撫でられる。
子ども扱いは嫌だったが、これはこれで役得だと思った。
「お前があの村で完全に自我を失わずに済んだのは、こういう事だったのかもな」
綺麗な旦那の顔。
その顔がいつもより暖かい。
「俺はお前を手に入れる事ができて、心底良かったと思ってるよ」
何よりの賛辞だった。
二か月が経った。
俺は未だ、旦那から「美味い」を貰ってはいない。
何だか頑なに言おうとしない風にも感じたが、それは旦那なりの発破なのだろうと思う。
「港の町で、グレフらしき形跡が見つかった」
「そうなのか」
「俺は暫く”塔”を留守にする。…お前も、来るか?」
俺は二言返事で頷いた。
旦那の行くところ、俺も行くのだ。
それが俺、アッシュの生き様なのである。
アッシュの章 完
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