蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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三. セトの章

16. 将軍の目論見

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 結論から言うと、フレデリク騎士団長将軍閣下は本当に視察のついでにヴァレリを訪れただけだった。


 では何処で何を視察していたのかというと、目的は「砂漠」であったのだ。

 災厄から10年。蠢く砂漠に道は無く、《王都》への道を結ぶ事は当然ながら砂漠越えそのものも不可能だった。
 《中央》の連中が怒れる神グレフと呼ぶ正体不明の化け物が多く砂漠をうろついている事もあって、今では足を踏み入れる者も少なくなった。


 グレフが何の因果か、《王都》を占拠して10年と少し。
 騎士団はしつこく砂漠越えを試みている。

 何が何でも《王都》の解放―――つまりは王様の無事を知りたいのだ。


 今、騎士団を…いや、フレデリク将軍を突き動かすのはその一点に尽きないだろう。
 大事な時に王を護れなかったやるせなさが、沸き起こる衝動として行動に変換される。


「やはり砂漠越えは厳しい、ぞ。砂丘は常に姿を変え、磁石も役に立たぬ。空でも飛べればと、いつも考える」

 そして案の定、此度の視察も不発に終わったと。

「ギルドが本格的に稼働して、閣下はお忙しいのでしょう?御身自らが出向かなくとも、優秀な騎士の方々がいらっしゃるでしょうに」
「10年…いや、11年になる、か。躍起になっている自覚はあるが許せ、我の日課となっているのだ。ヴァレリの主人、よ」

 食後の紅茶に舌鼓を打つ将軍は笑っている。特に気に障った様子は見られない。


 食事の最中も、そして今も。話は世間話が中心で、人払いをするほど内密な内容ではなかった。

 将軍は終始笑顔を張り付かせていて、それが返って不気味ではあったのだが、父はすっかり気を許して長年の友人のように気さくに話しかけている。
 主にヴァレリが如何に優れた町であるか、公共事業の成功の暁には《中央》にも技術者を提供するであるとか、よくもまあ口が回るものである。

 そして将軍も、饒舌な父に併せて乗っかるものだから、益々調子に乗って余計な事まで喋らないか冷や冷やさせられている。

 営業トークの基本を実践させられているのに、この耄碌ジジイはどうしてそれに気付かないのだ。

 あれこれと、将軍が訊いてもいないのに内部情報を明け透けなく自慢げに語る父に、自覚はないだろう。


 父自身に探られて痛い腹は無い。精々が複数の女を嫁に娶っているのに浮気三昧であるというみっともない事だけだ。

 だけどこの町の情報が、どう使われるか分かったものではない。

 まして相手はそんじょそこらの凡愚ではないのだ。

 自頭も大層良いと聞く。
 軍師要らずと世を至らしめた誇り高き騎士団長にとって、僅かな陰りが命取りとなる情報をこれ以上与えるわけにはいかないのである。


「恐れながら将軍閣下。父は嬉しさの余り少々喋りすぎで申し訳ありません。出来ればもっと身になるお話を僕として頂けませんでしょうか?」
「ほう?」
「なんじゃ、セト。人が気持ちよく喋っている最中に」

 後で父はお仕置きだ。本当に役に立たない。

 僕はエヘンと咳払いして姿勢を正す。
 父が紅茶のカップをソーサーに戻した時を見定め、空気を換える。

 今までは将軍のターン。無能な父だとターンエンドは試合終了の時までない。
 これからは僕が知りたい情報を、《中央》の筆頭ギルド長から聞き出す番だ。


「将軍閣下。時に《中央》のギルドの方から協力を要請されていましてね」
「ふむ」
「騎士の方々は良いのです。ですが最近は、違う方をお見受けするのが増えております」
「“紡ぎ”…である、か」

 “紡ぎの塔”。4大ギルドの一つ、魔法使いを中心に構成された市場を管理する謎の組織。

 何の挨拶もなく我が町で堂々と勧誘しているだけでも腹立たしいのに、個人的に「魔法使い」は胡散臭くて苦手。
 そして、僕の【ツテ】が最もその内部と人物を知りたがっていた、本当にそんなものが存在するのか疑わしささえあるギルド。

 戦闘において殆ど役に立たない魔法使いが、最終的に神との戦争の為に立ち上げたギルドの中で戦力を底上げするものであるとは考えにくい。
 長い詠唱を必要とする割には制約も多く、例え魔法を発動したとしても威力は物理と早々変わらない。
 前線を物理に任せ、安全な後方で暢気に呪文を呟いているというのも気に食わないのだ。

 魔法使いを「紡ぎ」と呼んだ将軍は目を細める。

 その表情に何となくだが、若干の違和感を僕は感じる。
 どう表現していいのか分からない。例えるなら、思慕にも似たような、そんな曖昧なかお面だ。

 この騎士団長に限って恋慕など有り得ない事だから、見間違えかもしれない。


 さて、ギルドの長として、彼はどうでるか。


「僕たちは、このヴァレリの町はご存知の通りギルドに属していません。ですが騎士団の御方々には間接的に町を守って頂いております故、災厄前から今日に至るまでとても良い関係を築いていると思っています。ポッと出の“魔法使い”とは違います。正直、よく分からないのが本音です」

 将軍は大剣クレイモアを得物とするという。
 先刻、飲み屋で小貴族の騎士団員も言っていた。物理攻撃至上主義者であると。

 そんな人が魔法使いを好ましく思っているはずがない。自信をもって言える。
 魔法使いを陥れる発言をすれば、将軍が「乗る」確率は、高い。


「現時点で彼らは様子見と称して、しかし町中の店を観察すでに接触しております。僕らは僕らのやり方、そしてギルドはギルドの在り方があるでしょう。互いに干渉せず不可侵であるべきだと僕は考えているのです」

「ギルドという組織を結成し、他の3つと結託しているであろう閣下にこんな事を言うのは憚られるのですが、あくまで我々は対等。訪れるのは勝手ですが、挨拶もなく土足で踏み荒らされるのははっきり言って好ましく思っておりません」
「そう、か」

 将軍は腕を組み、目を伏せる。
 甲冑を着込んでいるのにその動作は滑らかで鎧の合わせる音すらしない。

 端正な魅力的な顔が俯いたかと思ったら、その肩がくつくつと震えてきた。

「ふははははは!セト、と申した、な」
「は、はい」

 急に笑い出したから驚いてしまった。
 父も目をまん丸くして、禿げた頭をペシペシと叩いている。

「若い身の上で、なかなかの事を言うではない、か」
「恐れ入ります」

 大笑いする将軍に怒りは微塵も感じられない。僕の不敬に対する咎めも無い。

 うん、これは。
 将軍は「乗った」のだ。


「怖いもの知らずなのも良い。恐れ知らずなのも微笑ましい。若い内は無鉄砲であればあるほど経験となる。主よ、未来を託せる良き子に育ったものだと思わぬ、か」
「は、はへひ!」
「……」

「全くその通りである、ぞ。一理も二理も筋が通っておる。これは面白い」
「閣下?」

 何が可笑しいのか将軍はいつまでも笑っている。

 しかしその目は、一切笑っていない。
 どこも見ていない。

 僕らが近くにいるのに、僕らではない何かを見ている。遠き目で、口だけは笑っていて、また先ほどの違和感を将軍に見る。


「我も“紡ぎ”にはほとほと困り果てておるのだ、よ」

 少し目尻を下げ、僕を真っ直ぐに見つめた。
 ギクリと背筋が凍る。

 この感覚はなんだ。将軍は笑っていて、この場の空気は和やかで悪くない。

 だけど妙に落ち着かないこの心地はなんなのだ。


「あれは頑固で融通が利かず、真面目一徹。あれの気質がギルド内にも浸透しておる。空気も読まず、傍若無人。我儘が過ぎ、決して屈さぬ。我を顎でこき使い、平気な面で憮然としておる。何ともやりにくい相手、ぞ」
「それは、魔法使いのギルドマスターの事を仰っているんで?」
「それ以外に何がある」

 父が途中で口を挟む。
 余計な真似をと思ったが、しかし最も聞きたい話題であったのだ。

 フレデリク将軍はある意味良い。
 その正体、素性、人物は明白であり、彼の率いる騎士団も災厄前から任務はほぼ変わらず隠匿もされていない。

 エルフの長もそうだ。
 ギルド名は公表していないが、そもそも名付けていない可能性もある。人外はそれぞれの縄張りから殆ど出てこないけれど、エルフの族長は誰もが知り得る人物である。

 教会も隠すものは無い。
 神殿は常に開け放たれているし、聖職者でなくとも教会の加護は受けられる。教会が崇め奉る聖女も、彼女が産まれた時から皆知っている。

 問題は残る二つだ。

 魔法使いも盗賊も、その組織の頂上に立つ人物は正体不明。
 どちらも無名からのし上がってギルドを立ち上げるに至ったが、過去の生い立ちなど一切は謎のままだ。

 盗賊の方は男である事以外は不明。魔法使いはその存在すら希薄。


 だからつい聞き返してしまったのだ。
 将軍が話す、“紡ぎ”とやらの人と成りが、あまりにも『存在感があり過ぎた』からである。


 それほどまでに魔法使いの情報は得られなかったのだ。組織は実在するが、トップはいない。
 誰に聞いても、どれだけ探らせても出てこなかった。
 有能だからこそギルドを立ち上げたであろうに、出来るからこそギルドを背負っているだろうに。

 そんな才能に突出した人間は、将軍以外はいなかった。災厄前にも後にも、聞いた試しがなかったのだ。


「いえ、ちっとも話が伝わってこないもので」

 引っ切り無しに汗を拭く父の禿げ頭を将軍が見据え、含みを込めた笑みを僕に向けた。
 質問した父ではなく、僕に。

「どうした?そんなものはとでも思っていた、か?」
「!!」
「ふふふ。《中央》にギルドは三つしかなく、我が自由に動ける為の傀儡を企てているとでも言いたげな表情である、ぞ」

「閣下、あなたは何処まで…」

 知っているのか。

 僕らが《中央》を探っている事を。
 実際に何人か影を潜り込ませ、内部から情報を得ようとしている事を。

 そう喉まで出かかるが、グッと堪える。

 散々手は尽くしているのに、結果が伴っていないのだ。
 こんなに人を《中央》に行かせているのに、ちっとも有利になる情報を持って帰ってこない。

 それに、どうしてこの人は知っているのだ。どこまで僕らを把握している?


 まさか、あの貴族の騎士団員。
 酒に酔い、随分と口軽く喋ってくれたものである。空っぽの脳みそで、騎士団の失墜を様々と見せてつけてくれたあの連中。

 今思えば、都合が良すぎたのだ。
 僕が催促するまでもなく、彼らはギルドを語ってくれた。


「はは…いや、御見それしましたよ」

 いつから仕組まれていたのか。いや、本当に仕組まれていたのか?

「やけに魔法使いが気になるようだ、な。あれが何かしたか?」

 しなさ過ぎるのだ。この町の市場に介入してくる割にだ。

 現れるのは下っ端ばかり。マスターどころか、役職付の「お偉い方」すら音沙汰なしだ。
 領主である僕らに、一言も挨拶無しに、ギルドの本意すら知らざれず、もどかしい思いだけをさせられた。


「あなたは魔法使いをご存知なのですよね。その、“紡ぎ”というギルドマスターを」
「思想は違えど、我らは同志。《王都》を解放する志に突き動かされ、ひたすら前へ進む者。“紡ぎ”もそうである。我ら4人は決して馴れ合う事も分かち合う事もなく、利害も一致しない。我も含めて曲者揃いだから、な」
「ギルドの理念とやらは理解しましたよ。随分とお高くていらっしゃる。それは素晴らしいお志だ。しかし、僕らには関係ありません」
「セト!」

 将軍がどこまで僕らを見定めているかは分からない。だからこそ、ここで更に「乗る」のも一つの手だ。

 彼に世辞や媚びは通用しない。ならば本音で語ってやろうではないか。

 決して屈しない、僕らの志を。


「《中央》がどれだけ大きくなろうと、強くなろうとも。僕らがヴァレリを手放すつもりはありません。《中央》に与する事はあれど、従属する事は叶いません。父が、そしてこの僕がこの町で生きている限りは」

 たれ目がちな目尻を意識してキリリと持ち上げて将軍を見つめた。

 少しも怖くなんてない。将軍を前に全く臆していない。
 年下だけれど、王に連なる者として精一杯の誇示を見せつける。

 百戦錬磨の将軍からしてみれば、洟垂はなたれ小僧のただの強がりに見えるかもしれない。

 でもそんなの構うものか。意思を示さなければ、それこそ相手の思う壺なのだ。


「しかしのう、若者よ」

 父がハラハラとした表情で僕と将軍を交互に見まわしている。

 将軍はここではない何処か遠いところを見つめていたその瞳をやめようとはしない。僕と対峙しているのに、こんなに本音で語っている僕を、僕自身をちっとも見ようとしない。

「我は、我らは…」

 彼は遠い目をしたまま、たっぷりと貯めて貯めて、そしてついに言ってはならない台詞を吐いたのである。



「!!」
「聡いお主の事ぞ。我らがしつこくこの地に現れる理由も勘づいているであろう」
「それは…」

「いずれ怒れる神グレフとの全面抗争となる。ギルドが一丸となり、そうするように動き始めたから、である。ここは最終防衛地とみておる。地平線を頂く草原地帯。地形に最も左右されない決戦の場。それは《王都》を占拠した奴らとてそうであろう。砂漠越えは容易くはいかぬ。軍を展開するのも、長い布陣は命取り。《王都》は余りにも遠く、果てしない道のり、ぞ」

 ヴァレリの周りは草原地帯だ。阻むものがないから、軍を展開するにはもってこいの場所だろう。

 僕らの町を中心に陣を組み、砂漠へ挑む。
 もしくは、砂漠から神をおびき寄せ、地の利を与えずここで迎え撃つ。

 いずれにしても、僕らの町は戦火のど真ん中に立たされる。
 そこに人が生活していようが、まるで無視である。


「誰とて、自分が住まう故郷を戦争の前線地にしたくはない。無駄死にもしたくない。だから我は、見極めておるの、だ」
「見極める…?」

 一体何を。
 何の権利があって、この町に手を出せると思っているのだ。

「フフフ…」

 僕の揉んだ気も知らず、将軍は目を細めて笑っている。

「これは、公式見解ですか?それとも閣下のただの『希望』ですか?」
「我が名乗りを挙げた瞬間に、この町は制圧される。それこそ問答無用、に」
「脅迫ですか?それをしないうちは非公式だけれど、いつかはギルドに従ってもらうと。そう仰っているのですね」

「ならば我から一つ問おう、ぞ」
「なんでしょう」


「主らはに従順、か?」


 また背筋がギクリと硬くなる。

 途端に冷たい汗が、首筋を伝っていく。初夏にもならない心地よい気候なのに、どうにも蒸し暑くてたまらない。

 将軍の物言いは先ほどと全く変わっていない。
 しかし、なんだ。何ともし難い圧を言葉端から感じるのは決して気のせいではないはずだ。


「……勿論ですとも、閣下」

 絞りだすように、ようやく言葉が出てきた。

 暫しの沈黙。
 父は既に会話を成す機を放棄している。オロオロと無様に汗を拭くだけの老害だ。


 大丈夫。大丈夫だ。

 痛いところを突かれて困る事はない。僕にとっては、痛くない。

 将軍は意地が悪いだけ。さもすべて知っているかのように振る舞い、相手からの陥落を待つのを「手」とする人物と見た。

 彼は何も知らない。知りようがない。


「僕らは人間です。10年も苦渋を舐めさせられたのは僕らも同じ。神に立ち向かう術はありませんが、神に最も近く、人との境界線を守り抜くのが使命だと常々思っておりますよ」
「ほう?」
「我らは元より砂漠の民。しぶとく強く、仲間意識が強いのが自慢です。砂漠渡りを生業としておりましたから、腕に自信のある者も多いのですよ」

「それに王に連なる身としては、王の無事を知りたい一人でもあります。万が一にも、僕が王座に就く羽目にならない為にも、です。ですから、最大限の協力をさせていただきますよ」
「ふははははは。脅迫は効かぬ、か。主は立派な領主である、な」
「勿体ないお言葉。しかし賛辞として受け取っておきますよ」

 この勝負、僕が仕掛け、将軍が乗り、将軍が挑発し、僕が更にそれに乗った。

 悔しいが、引き分けだ。


 なんの事はない。

 これだけ喋ったのに、何も分からなかったし変わらなかったのだ。


 でもあの将軍相手に、僕は良く屈さなかったと思う。ここに父だけであれば、とっくに町はギルドの内部に組み込まれていただろう。

 それを防げただけでも万々歳。

 この場の即答さえ避ければ良かったのだ。後はどうにでもなる。




 将軍はグイと勇ましく紅茶を飲み干した。

 嚥下する出っ張った喉仏を見つめながら僕は思う。



 この喉を今ここで掻っ捌いたら、僕はこの日、王になれるはずなのに―――と。
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