蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

文字の大きさ
109 / 170
三. セトの章

25. Chrysiridia ツバメガ

しおりを挟む

「遠い所をわざわざありがとうございます。道中怒れる神にも出遭わず無事なお着き、なりよりでございますぞ」

 屋敷で待っていた父はメイドや執事をズラリと一列に並ばせ、彼らを恭しく出迎える。
 並みの人間ならばこれだけで気圧される。
 これは父のよく使う手で、政治的な絡みで優位に事を進めたい場合に、最初の段階から相手側に圧倒的な差を見せつける目的で行われる交渉術の一つだ。

 父が柏手をポンと一回鳴らすだけで、使用人がザザザと一斉に頭を下げる。僕の屋敷の使用人達はよく自分の立場を弁えている。

「わたくしめはこのヴァレリ領を収めるサミュエルでございます。ささ、ラクダは屋根のある舎で休ませましょうか」

 しかし、父の長年の経験から編み出された政治的手腕は、彼らの前では無駄な前振りにしか過ぎなかった。
 こちらの意図なんぞ、少しも効いてないのである。

 気圧されるどころか、調子に乗った白髪の少女が、勢いよくラクダの首から飛び降りた。
 随分とお転婆な仕草には似つかわしくない、上品で可愛らしいフリルのドレスがふわりと翻る。
 が、ラクダは到着してからずっと、飽きもせず少女の髪を噛み続けていたのだ。

「いやーー!!おねえちゃん、取って取ってぇ!!!」

 父に、最初に発せられた言葉がこれだった。
 緊張して吃音交じりに自己紹介でも飛んでくるかと思っていたのにこれである。
 彼らはやはり騒がしく、この町の領主たる父でさえも見ていなかった。

 キンキン声が鳴り響く中、赤髪の下男は両手を伸ばし、青髪の女性の身体をラクダから受け止めている。
 女は下男の首に手をまわし、顔を綻ばせ苦笑いしつつも地に降り立つ。ずっと馬上にいたからか、地面の感触に慣れず何度かよろけて「ハイハイ」と仕方がない風に返事をした。

「ごめん、アッシュ。あの子の髪、どうにかできる?」
「へいへい」

 すると赤髪の男は両手を大袈裟に仰いで、それから少女の頭にゴツンとげんこつを落とした。

「あいた!!」
「へいへい、ちっとも大人しくしてねえからだぞ。ほら、じっとして」
「あたたたたっ!!かみかみ、痛いっ!」
「ラクダが珍しいからって、顔面にへばり付く奴があるかよ」
「もう、静かにするっていうからその姿でいるのを許したのに…この子ったら」

 何とも場違いな、呑気で怖いもの知らずな輩だろうか。
 遠足にでも来ているつもりか。全く緊張感も無く、この町の最高統治者を目の前に失礼にも程がある。
 案の定、父の張り付いた笑顔の口元が、ピクピクと痙攣していた。

 下男が少女にかかり切りでポツンとラクダの上に放置された占い師の女は、彼らの様子を一瞥した後、僅かに溜息を吐いた。
 そして誰の介添えもなく、ストンとラクダの背から降り立つ。

 ドレスを思わせるような、薄い布地のローブがするりと舞う。とても滑らかな仕草であった。
 でも僕は何の変哲もないその仕草の底に、何処か淫猥な雰囲気を感じ取っていた。まるで敢えて見せつけるかのような挑戦的な空気を、ほんの一瞬だけ感じたのである。

 父は大本命である占い師の女に向き直る。
 コホンと一つ息を吐き、改めて口を開いた。
 他のあのうるさい連中は所詮はただの従者。捨て置く方針に切り替えたらしい。

「フレデリク将軍閣下には、日頃大変目をかけて頂いております。道中怒れる神にも出遭わず、大変ご苦労様でした」
「……」

 占い師は何も答えなかった。

 神秘的な黒の装束。顔は勿論、身体の線すら完璧に隠す。
 占い師は父を真っ直ぐに捉えつつ、後ろ手にラクダの尻を一発叩いた。
 するとどうだろう。一生離さないと云わんばかりに少女の髪をハミハミし続けていたラクダの動きが一瞬硬直し、その口をあんぐりと開けたのだ。
 その隙に、少女はラクダの口から抜け出した。ようやくオヤツから解放されて実にご満悦な表情である。

「やった!抜けれた!唾液でびっちょびちょで臭い!いやああ!!」
「……」

 それでもうるさい事に変わりは無かったけれど。
 彼らは無言の占い師の隣にズラリと並んでようやく父と僕に真正面で顔を見せ、一斉に頭を下げた。

「おっきいお屋敷!おじーちゃん、よろしくね!!」

 少女は目をキラキラと輝かせて元気に跳ねた。不快な雨をも吹き飛ばす、太陽のような声だ。

「すげえ出迎えだな。ま、俺らが―――この人が来たからにはちゃんと終わらせてやっからな」

 次に口を開いたのは赤髪の下男。
 卑しい下男の分際で、なんと軽い態度であるか。
 しかしニヤリと笑う顔に悪意の欠片も無く、男は屈託ない表情を浮かべている。

「うるさくてごめんなさい。短い間ですが、お世話になりますね」

 そして最後に青髪の女性がそう言って、また頭を下げた。
 一応この中では常識人のようだ。少なくとも、一番話が通じる相手であるのは間違いないだろう。
 よくよく見ると愛嬌があって可愛い顔をしていた。

 3人がそれぞれ挨拶をしても、占い師の女は無言のままだった。
 青髪の女が肘で突いてようやく軽い会釈を寄越しただけで、それ以外は殆ど動かない。

 先が思いやられるではないか。
 くそ、フレデリク将軍め。扱いづらいどころじゃない、ただの曲者を寄越してくれてどうしてくれるんだ。

 もう、喉まで文句が出かかった。
 こっちの準備などまるでお構いなしの4人はマイペース過ぎて、僕も父も唖然とするしかない。
 でも、来てしまったものは仕方がないのである。

 どんなに非常識で不遜で、頭が痛くなるくらいの馬鹿だったとしても、「フレデリク将軍の紹介」という後ろ盾がある以上はもてなさなければならないのが悲しい運命。

 とどのつまり、もはや乗り切るしかないのである。

「雨だし、とりあえず中に入ろうか。詳しくは後で説明するよ。君たちの為に、ささやかながら歓迎の宴を用意した。是非、長旅の疲れを癒すといい」

 ラクダは僕の従者が馬舎に連れて行った。
 そもそも何故馬ではなくラクダなんだ。よくもまあ、遠路はるばるラクダに乗って、暢気にやってきたものである。

「ご馳走が出るの?」

 少女の目の色が変わる。

「え?あ、ああ」

 いつの間にか僕の足元にいた。満面の笑みでぴょんぴょんと目の前で跳ねられて、すぐそこにいると気付いたのだ。

「やったあああ!!!」
「やりぃ!乾燥地帯の郷土料理、楽しみだぜ」

 赤髪の下男もそれに加わった。
 跳ねこそしなかったが、浮ついているのが明らかに分かる。

「もう、貴方達ったら…」

 さながら引率の保護者のように少女と下男を見守る瞳は暖かいもので。
 すっかり慣れた様子で、僕の足にしがみ付く少女をベリっと剥いだ。

 それぞれがそれぞれの反応をしていた。
 ここまでくると、彼らのその阿呆のような無邪気さは、取り繕う裏の顔など存在せず、まさに「素」なのだろう。
 その態度に他意が含まれていないのであれば、これほど分かり易くやり易いものはない。

 だが、占い師だけは別であった。
 女はその場にただ突っ立って、無反応に僕らをただ見据えるだけだったのだった。



 挨拶もそこそこに、どうせ訊いちゃいないのだから早々に屋敷に案内した。
 彼らは疑いも無く素直に従い、メイドの後にご機嫌で着いていく。
 その後ろ姿を見ながら、僕は先ほどから溜息を隠せないでいる。

「どうにも緊張感のない連中だな、セトよ」
「そうだね…。ほんの僅かなのに、なんだかドっと疲れた気がするよ…。でもそれ以上に、あの阿呆な連中以上に面倒な人かもしれないよ、あの占い師」

 あからさまに分かり易くいる占い師。
 格好も声も態度も、不自然なくらいのは、その裏にもっと大事な事を隠している可能性が高い。

「本当にどうにかできるのかね。あの者らに任せるのは不安だ」
「それは僕らが心配する事ではないよ、父さん」

 フレデリク将軍に、何をどう言われてこの町にやってきたのかまでは分からない。
 純粋に虫の被害を解決するだけが目的じゃないのは、あのフレデリク将軍の事だから疑ってかかるべきだ。
 その息が掛かった愛人ならば、密命を下されても不思議ではないだろう。

「いいんだ、父さん。どっちに転ぼうと、その責任は全て騎士団と魔法使いギルドにあるんだから。僕らが案じる必要は一切ないから安心して」

 でも正直に言うと、なんだかモヤモヤしたんだ。あの占い師を一目見た時、心の底がざわついたというか、何とも言えない感覚に襲われたのだ。
 あの占い師は、普通の人ではない。一筋縄ではいかぬと占い師を評した将軍とは別の意味で、一抹の不安を感じるのだ。

 第六感は信じない。
 だけどずっと昔。もう忘れてしまったけれど、同じざわつきを何処かで感じたような気がした。

「ついに我らが【ツテ】の彼らとは、連絡が取れず仕舞いか…」
「……なんとかなるよ。いままでもそうだったんだから」

 行商人の彼らと何か月もご無沙汰になるのは、今までもよくあった事だし別に可笑しな事ではない。
 呼んでも現れないのは、初めてだったけれど。

「大丈夫、僕らは神に祝福されている。ここでは何も起こらない…」

 自分に言い聞かせるように、僕らも屋敷に歩を進めた。
 余り客人を待たせるわけには不審がられてしまうからね。


「っつ…!!」

 その時、ふいに冷たい視線が身体の芯を通り抜けた。
 とても冷たい、全身の毛が総毛立つ感覚だった。

「な、なに…?」
「セト?どうかしたのか?顔色があまり良くないぞ」
「い、いや…」

 その感覚はまさに一瞬で、すぐに元の小雨降る、元の平穏な空気に戻る。
 キョロキョロと見回すも、気になるものは何もない。
 誰も僕を見ている者もいなかった。

 客人の4人はメイドに促されるまま着いていって、もう姿はない。
 整然と並ばせた従者もそれぞれの仕事に戻るべく、そのほとんどは散った。

 あれは何だったのか。
 無視するほど、僕は愚かで鈍感ではない。

 感じたのは―――恐怖と似たような、何か。

 何か良からぬ出来事の前触れでなければいいが。
 でもここで考えても答えが出ないのならば、先に進むしか道はないのである。未来の予知は誰にもできない。先ほどの感覚を、気に留めておくだけしか、今はやれる事なんてないのだから。

「何でもないよ。僕らも行こう、父さん。虫の被害は僕らも手をこまねいている。それは事実なんだから」

 そう言いながら屋敷に入る。

 その時、一匹のほんの小さな小さな虫を踏み潰してしまった事に、僕はまだ気づいていない。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう

お餅ミトコンドリア
ファンタジー
 パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。  だが、全くの無名。  彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。  若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。  弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。  独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。  が、ある日。 「お久しぶりです、師匠!」  絶世の美少女が家を訪れた。  彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。 「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」  精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。 「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」  これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。 (※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。 もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです! 何卒宜しくお願いいたします!)

俺の伯爵家大掃除

satomi
ファンタジー
伯爵夫人が亡くなり、後妻が連れ子を連れて伯爵家に来た。俺、コーは連れ子も可愛い弟として受け入れていた。しかし、伯爵が亡くなると後妻が大きい顔をするようになった。さらに俺も虐げられるようになったし、可愛がっていた連れ子すら大きな顔をするようになった。 弟は本当に俺と血がつながっているのだろうか?など、学園で同学年にいらっしゃる殿下に相談してみると… というお話です。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

八百万の神から祝福をもらいました!この力で異世界を生きていきます!

トリガー
ファンタジー
神様のミスで死んでしまったリオ。 女神から代償に八百万の神の祝福をもらった。 転生した異世界で無双する。

俺得リターン!異世界から地球に戻っても魔法使えるし?アイテムボックスあるし?地球が大変な事になっても俺得なんですが!

くまの香
ファンタジー
鹿野香(かのかおる)男49歳未婚の派遣が、ある日突然仕事中に異世界へ飛ばされた。(←前作) 異世界でようやく平和な日常を掴んだが、今度は地球へ戻る事に。隕石落下で大混乱中の地球でも相変わらず呑気に頑張るおじさんの日常。「大丈夫、俺、ラッキーだから」

湖畔の賢者

そらまめ
ファンタジー
 秋山透はソロキャンプに向かう途中で突然目の前に現れた次元の裂け目に呑まれ、歪んでゆく視界、そして自分の体までもが波打つように歪み、彼は自然と目を閉じた。目蓋に明るさを感じ、ゆっくりと目を開けると大樹の横で車はエンジンを止めて停まっていた。  ゆっくりと彼は車から降りて側にある大樹に触れた。そのまま上着のポケット中からスマホ取り出し確認すると圏外表示。縋るようにマップアプリで場所を確認するも……位置情報取得出来ずに不明と。  彼は大きく落胆し、大樹にもたれ掛かるように背を預け、そのまま力なく崩れ落ちた。 「あははは、まいったな。どこなんだ、ここは」  そう力なく呟き苦笑いしながら、不安から両手で顔を覆った。  楽しみにしていたキャンプから一転し、ほぼ絶望に近い状況に見舞われた。  目にしたことも聞いたこともない。空間の裂け目に呑まれ、知らない場所へ。  そんな突然の不幸に見舞われた秋山透の物語。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

ぽっちゃり女子の異世界人生

猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。 最強主人公はイケメンでハーレム。 脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。 落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。 =主人公は男でも女でも顔が良い。 そして、ハンパなく強い。 そんな常識いりませんっ。 私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。   【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】

処理中です...