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三. セトの章
27. 残り、4日
しおりを挟む「余計な口は挟むな、と?」
庶民向けの大衆酒場よりも騒がしかった宴は騒然としたまま幕を閉じ、彼らに…特にテルマ嬢に引っ掻き回された僕と父は既に疲労困憊だったのだが、食後のデザートを食している時は比較的落ち着いていたので、掻い摘んで依頼内容を説明した。
彼らがどうであれ、虫を放置する訳にはいかなかったからだ。
話の大筋は、騎士団長より聞いていたらしい。
しかし、死人を出した工事現場の詳細や、既に街中や屋内にまで虫の被害が広がっている事を述べると、流石の彼らも自重して、硬い表情を浮かべた。
そして全て聞き終えた後、ニーナは戸惑いも無くはっきりと僕にそう告げたのだ。
「直訳すると、そうなりますね」
これから彼らは町に繰り出すのだそうだ。まずはこの目で実際に見なければ作戦の立てようもないと至極最もな事を言い、手早く準備を始めた。
「私達には私達のやり方があります。これまでも多くの不可解な事件をリュシアさんは解決に導きました。どうか安心して、任せて欲しいのです」
「魔法使いならではのやり方、か…」
「……」
占い師は答えない。
じっと突っ立っている姿は頼りなくもあり、自信ありげにも見える。ローブが何もかもを隠してしまって、彼女からは何も伝わってこないのだ。
そこまで言うならば、お手並み拝見と行こうではないか。
「じゃあ、各々別々に動きましょう」
「え?そうなの?みんなで見て回るんじゃないんだ」
「団体ツアーじゃあるまいし。大勢で見学しても意味ないでしょ?遠足ならまだしも、調査するだけなら一人で充分よ」
と、テルマ嬢。
その遠足気分にさせる張本人が何を言うのだ。
「テルマは私とよ。一人にさせて、何をしでかすか分かったものじゃないわ。駄目よ」
「えええええーーー!!!!」
少女の瞳が丸くなる。
真紅の瞳は宝石のように輝いてとても綺麗なのに、少女はどこまでもお転婆だ。
ニーナの言葉に地団駄を踏むテルマ嬢は、咄嗟に占い師のローブに縋り付いた。
「やだやだやだやだ!テルマ、おに…りゅしあと一緒にいることにする!それだったらいいでしょ!」
ガクガクと派手に揺すぶられる。いい迷惑なのに跳ねのけもせず、占い師はなすがままだ。
「だめよ、リュシアさんとだなんて、一番ダメ」
「なんでよーーー!!!」
「二人もトラブルメーカーがいて、無事で済むとは思わないからよ」
おお、言い切った。
しかも軽く占い師の方までディスっている。
すると一人で黙々と準備を進めていた赤毛の男がリュックをよいせと背負い直し、占い師のローブを脱がせん勢いで引っ張るテルマ嬢の頭をポンポンと撫でて言った。
「俺は旦那に着いて貰ってた方が安心するぜ」
男の言う「旦那」とは、占い師の事である。
食事会の時もそうだったが、赤毛は名前を呼ばずに人を敬称で呼ぶ癖があるらしい。
ニーナは「嬢ちゃん」、テルマ嬢は「ガキ」、そして占い師は「旦那」
僕に至っては領主の倅だからか「坊坊」で、父は可哀想にただの「オッサン」呼ばわりである。
「アッシュくん!!」
テルマ嬢の顔が綻ぶ。思わぬところからのまさかの援軍だ。
「嬢ちゃんも、ガキんちょ抜きで身軽に動けんだろ?俺も回りたいとこ、たくさんあるし」
「それはそうだけど…。でもリュシアさんに迷惑が」
「りゅしあ、いいよって言ってくれたもん!」
「…旦那は何にも喋っちゃいねえけどな」
「アッシュくん!テルマの敵なの、味方なの、どっちなの!!」
また、彼らの喧騒が始まってしまうのかと思ってげんなりする。
これは暫く時間がかかるかなと椅子に深く腰を埋めた時だった。
ふいにパシンと鋭く、軽快な音が響いたのである。
「あ…」
「やべ…」
音の出所は、なんと占い師からであった。
占い師の野暮ったい長いローブから、初めて黒以外の色が現れた瞬間でもあった。
僅かな隙間から見える、肌色。占い師が手と手をパンと強く叩いた音だったのだ。
我を忘れかけた僕らはその音に全ての意識を持っていかれ、ようやく自我を取り戻す。
占い師による戒め。彼女とてここで無駄な時間を割かれるのは本意ではなかったという事だ。
途端にシンと静まり返る場。ばつの悪そうな3人は、占い師に怒られた訳でもないのにシュンとしている。
だから今度は僕が彼らに助け舟を出すことにした。
「助かったよ、占い師サン。いつまでも喧嘩してちゃあ、日が暮れちゃうからね」
「ごめんなさい、りゅしあ。でもテルマはマナが読めるから、りゅしあのお手伝いが出来ると思ったの…」
しょんぼりと項垂れる少女はすっかり声が小さくなっている。
占い師はこの3人よりも立場が上である事がこの一件から判明できたのは幸いだ。伊達に《中央》に名を轟かせ、フレデリク将軍の愛人をやっていないという訳か。
「嬢ちゃん諦めな。普段、旦那を独り占めできなくていじけてんだろ。旦那も異論があればそういうはずさ。何も言わねえって事は、それでいいって事だぜ?」
「…分かったわ。うるさくしてごめんなさい。テルマも、ごめんね。お姉ちゃん、貴方の気持ちをちっとも考えなくて」
「ううん。テルマ、ちゃんとお仕事するから任せててね。テルマは町全部をりゅしあと見るよ」
こうして彼らの話は占い師の無言の喝によりまとまり、それぞれが各地に散っていく事になった。
「言葉では見えないところもたくさんあります。虫被害の状況を、私達なりの観点で様々見てみたいわ」
「だから俺らが自由に歩き回るのを、許可してもらえねえ?あんた、この町で一番エライおっさんなんだろ?」
僕らに許可を出さない理由は無い。
「僕は君たちの方針にとやかく口を出すつもりはないよ。邪魔するつもりもね。でもその代わり、僕と父が君らに同行させてもらうのが条件だ。僕らとてこの町の被害は他人事じゃないし、それに僕らが間に立てば、この町を巡るのも都合が良いでしょ?」
「はい、問題ありません。ご協力、感謝します!」
僕はニーナに着いていくことにした。
占い師と少女の方には父が付く。
下男は、まあ適当に僕の手下の誰かが見張るだろう。
下男ならば下男らしく、屋敷で大人しく靴磨きでもして待ってればいいものを、この男は身分も弁えず、前へ前へ出てきて鬱陶しいったらありゃしない。
卑しい下男とは云え魔法使いの端くれという事か。男もそれなりに役に立つつもりでいるのがまた気に食わない。
僕がニーナの方に付いたのは、彼女がこの4人で最も話が通じやすそうだったからである。
全く会話を放棄している占い師は論外として、一人でうるさいお転婆な少女のお守なんてまっぴら御免だ。
下男はどうでもいいから、消去法で残ったのが青髪のニーナである。
彼女は真面目で融通の利かなさそうな優等生タイプといったところか。
この調査も、大真面目にこなすのだろう。
頑固で意固地だが、優柔不断で人が好さそうな抜けた部分も持ち合わせている。身持ちが硬そうで、いったん絆されたらどこまでも開示してくれる、そんな感じがするのだ。
僕の知りたがっていた“塔”の内情を、彼女から聞き出すのは簡単だと思った。
そういう風に、上手くニーナをハメればいい。
それにニーナは可愛い。
一見何処にでもいるような、普通の女の子。田舎育ちで垢抜けず、自分を磨く術も知らない世間知らずな娘。
ギルドマスターを語った時の、あの恋する一途な瞳。
恋に恋する初心な女。身が硬く、己を律しているのに恋への憧れが酷く強い。
ゾクゾクするのだ。
そんな女は、一度羽目を外すと何処までも流され堕ち、そして尽くす。
ギルドマスターに夢中な彼女を僕色に染めるのもまた一興。
是非、手に入れたいと思ったのだ。
僕はいつでもどんな時でも、余裕を忘れないように心がけているのさ。
特に女の子に関しては、僕は百戦百勝の玄人であり続けたいからね。
敵を知るにはまず味方からというじゃないか。
意味が、違うかな?
いずれにせよ、最初から占い師と行動を共にしても、視えてくるものはないだろう。
占い師を懐柔するのに、まずはニーナから攻略し、情報を得るのが先だ。
それにトラブルメーカーな少女と、地蔵のような占い師の相手は、いつもはのんびり座って待っているだけの無能な父にお任せだ。
どうせ、いてもいなくても変わらないんだろうから。
速やかに、彼らは行動を開始した。
陽は真上よりもやや傾き、午後の空はいつの間にか雨を遠ざけていた。
町を僅かな晴れ間が照らすそのずっと遠くの砂漠では、淀んだ雲が渦巻いている。
「じゃあ、出発しようかニーナ」
「はい。よろしくお願いします、セト」
僕らは従者を引き連れ、町を歩く。
屋敷の前で感じた冷たい視線は、今は何も無い。
■■■
青髪の生真面目な女性―――ニーナは、精力的に町中を回った。
片手にバインダー、顔には赤い眼鏡、素早く鉛筆を走らせる姿は、さながら有能な秘書のようである。
ニーナは人死を出した、あの郊外の工事現場を見たいと言った。そういうヤバそうな案件は占い師が視るものじゃないかと思ったけれど、占い師の彼女にはまた別の仕事があるのだそうだ。
僕はこれ以上は何も言わなかった。口出しをせず、黙って着いて行くというのが条件だったからね。
郊外は虫被害が最も顕著な場所だった。出来れば僕も足を踏み入れたくない場所である。
人が死んでから工事を中断し、ここら一体も同時に封鎖した。
そこに住む領民も一時避難させていて、町の繁華街の役場や公民館施設は満員御礼で避難民で犇めき合っている。
事件が明るみになって4日後。僕らは封鎖後初めてその地を訪れた。
「これは…酷い有様だね…」
「こんなことが…」
封鎖地域は打ち捨てられ、長らく放置されたゴーストタウンのように風化していた。
ほんの一週間前まで普通に民が住み、外には子供のはしゃぎ声、井戸を囲んで女達がとりとめない噂話に夢中になれる、そんな長閑な場所だったのに。
郊外は他の町からの移住者が多く住んでいた地域だ。元からいた純粋なヴァレリ民は繁華街や高級住宅地にいる。
僕や父が選別し、この10年で外部から連れてきた人々がこの町の主な住人。彼らはこの町の肉体労働を請け負う仕事に就かせていた。
彼らの家は、中心街の僕らとは違って簡素なもので出来ている。
基本は土と木。
土壁を泥で固め、枯れ草を大量に敷き詰めた屋根は雨風を凌ぐのがやっとだろう。
あからさまな差を付けられた彼らの家だったが、それでも災厄で家や故郷を喪った彼らにとって、こんな家でも豪邸だった。
食えて着れて寝れて。それだけで幸せだと僕らは神のように崇め奉られたものである。
そんな彼らのやっと得られた安寧の家が、見る影もなくボロボロに崩されている。
シンと静まり返る地に、家々を破壊し尽くして飽き足らない虫が騒めく不気味な音だけが聞こえる。
強い風が森の木々を揺らすような、厳かで恐ろしく感じる音だ。
「早めに避難させておいて正解だったね。躊躇してたらもっと被害は大きくなっていたはずだ」
虫は見渡す限り、そこら中にいる。
羽音で僕らを牽制しつつ、じいっと動かず様子をただ見ているのだ。
ニーナは勇敢にも折れた家柱に近づき、ささくれに注意を払いながらあちこち手を触れている。
そしてバインダーに何かを素早く書き込み、また違う場所に行っては書き込みを繰り返していた。
「君は虫が怖くないの?」
僕も、僕を護衛する従者達も崩れ落ちた建物には近付けないでいる。
いつ虫が襲ってくるか分からず、怖いのだ。
父から聞いた虫の襲撃は恐ろしかった。一匹ならまだしも、数万匹も一斉に集られて無事に逃れる方法なんて分からない。
ニーナは眼鏡を外して遠目から見守る僕らを見てにこりと笑い、虫を刺激しないように慎重に戻ってくる。
たくさん動いているからか、うっすらと額に汗が浮かんでいる。
雨が上がって陽が照り、随分と蒸し暑くなったからね。
一筋の汗が彼女の白い首を伝った時、無性に舐め回したい衝動に駆られたのは秘密だ。
「怖い、ですよ。でも、誰かが動かないと終わらないから。…それにしても、たくさんの種類の虫がいますね」
「そうなのかい?」
「ええ。これを、見てください」
ニーナは足元に落ちている柱の欠片を拾い、鉛筆の後ろでガツガツと乱暴に削った。
そこから虫が続々と這い出してくる。
うごうごと気色悪い動きだ。
「柱…つまり木を食べる昆虫は限られます。虫にも動物と同じように、肉食や草食がいる。活動時間や季節、天候によっても虫の性質は異なるの。虫は何万種類も存在しているけれど、こうして条件を省いていくと虫の個体が何なのか判明する」
「へえ…詳しいんだね」
「ありがとう。私は本の虫だから。ふふ、たくさん読んで覚えているだけですけどね」
はにかんで照れるニーナはとてもキュートだ。
「でも、ここの虫は違うみたい」
「どういう事?」
「今、こんな小さな柱の欠片から出てきた虫だけでも、ざっと10種類以上いる。餌場でもないのに多過ぎるのは分かるわよね。それに同じ種が群れを成しているのならまだ説明が付きそうだけど、全て違う種で同時に発生し、何の問題も無く共存しているのが変だわ」
ニーナは壊れた家から離れる。
そして僕らを促し、先へと進んだ。
歩きながらニーナは喋る。彼女の手元のバインダーを覗き込むと、虫の個体名らしき文字がずらりと記されている。パッと見ただけでこれだけ分かるなんて、“塔”の幹部に名を連ねているのは伊達ではないのだろう。
「虫の世界にも弱肉強食はあるの。だけど見た限り、縄張り争いや餌の奪い合い、交尾する雌の取り合いで戦った形跡は無いし、とても統制されていた。虫は基本的には無害な存在。私達人間を、自然界に生きる動物の一つとして在るものとして認識しているけれど、ここにいる虫たちはそうではない。人間を監視対象として見張っている…」
「じゃあこの虫達は、自然界の摂理を無視した行動を取っている…という事だね。ムシだけに」
「……オジョウズデスこと」
「あはは、冗談だよ。そんな目で見られると、ゾクゾクする」
ちょっとした冗談も通じないお堅い女だ。
きっと知らないのだ。こうして「男」と二人で共に過ごす時間の使い方を。
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