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三. セトの章
30. Propylaea カメノコテントウ
しおりを挟む「もしかすると、ギルドマスターの出身は《王都》の方なんじゃないかな?」
「え?」
彼女は立ち止まる。
考えもしなかったと、眉を寄せた。
「君は冒険者になる予定だったんでしょ?」
「ええ、貿易都市の冒険者支援ギルドに向かうほんの一週間前に被災して、断念せざるを得なかったですが」
「冒険者の活動には大きく二つに分かれるって、君は知っているかな」
「そうなんですか?」
「うん。僕らの町は《王都》とその他の都市を結ぶ大事な中間地点だからね。昔は多くの冒険者がこの町を行き交ったものだよ」
だから知っている。冒険者の性質を。
冒険者の本懐は、魔族を倒してマナの覇権を取り戻す事である。
だけど全部が全部、魔族討伐に乗り出したかというと、実は全くそうではない。
王の施策の目論見は、実は完全に当てが外れていたのである。
法律で強制的に冒険者にされた国民は、義務教育で叩く術は学んでいるが、そもそも消極的な者の方が多かったのだ。素質や資質を無視して強行した施策の弊害だ。
しかし、だからといって何もしなければ、金を稼げず食ってはいけない。
だから冒険者は細々とした依頼を請け負い、外貨を稼いで暮らした。
例えば簡単な魔物退治。ダンジョンのお宝発掘や、レアアイテムの採取などは儲けもでかくて冒険者としての受けもいい。
でもそれは下手すれば命を落としかねない危険な冒険だ。そんなのは戦いに慣れたごく一部の玄人だけが派手にやっていた。
では一般の冒険者達は何をしているのかというと、畑の収穫の手伝いとか、その辺に生えている薬草の採取、木こりの真似事だったり、皿洗いや大工の見習いなど、要は命の危険が無い便利屋稼業で僅かな外貨を得て、こじんまりと活動している者が8割を占めていたのである。
上級冒険者は世界中を飛び回る。
全冒険者の2割がこれに該当し、その中でも1割に満たない数が魔族討伐に向かう。
まさに浪漫の冒険を繰り広げているまさしく「冒険者」たる彼らとは相対的に、大抵の冒険者は活動拠点を殆ど変えないのも特徴だった。
「魔族討伐という、王が想定した活動をしている人。各町で私たちの団のような、なんでも屋をしている人。その二つに分けられる――という事ですね。その多くが、登録した冒険者ギルド周辺から動かない」
「その通りだよ。災厄で《王都》は世界から完全に切り離された。ギルドマスターを誰も知る人がいないという事は、彼は元々《中央》を活動拠点にしていなかったんだろうね。災厄の時、何らかの理由で《王都》を離れていて、運良く隔離から免れた。けれど帰る場所は無いから、《中央》に落ち延びるしかなかった」
「…そうね、そうだわ。マスターが《王都》から来たと考えると…あれもそうなのかも…」
「あれ?」
彼女はその場に立ち止まったまま、ぶつぶつと何か呟き足元の土を無意識に削っている。
そこからわらわらと虫が出てくるのに気付いていない。
一匹の黒い虫が彼女の靴に這い上がろうとして滑って落ちる。ここは立ち止まっていると危険かもしれない。僕は彼女を促し、再び目的地に向かって歩き出した。
「いえ…これは言ってもいいのかしら。彼は触れられたくないかもしれないし…」
まだもじもじと言い淀んでいる。
「なにかな?彼の弱点がばれちゃうかもしれないってこと?」
「え?いえ、弱点、なのかな…。もう、どうなっても知らないんですから…あの人ったら…」
「ニーナ?」
彼女は意を決したようにキリリと真剣な顔をした。
上目遣いで僕を見る瞳はまだ迷っていたけれど。
「彼は…マスターには《王都》にとても逢いたい人がいるのだそうです」
「え?」
「騎士団は王をお救いする為。エルフ族長は世界の秩序を取り戻す為。盗賊もそうだと聞きました。ギルドの統一理念です。でも、“塔”は違うのです」
「それって…」
への字に下がった眉は可愛らしくもいじらしい。
「“紡ぎの塔”は、マスターの個人的目的を理由に創られました。対外的には、騎士団と同じという事にしていますが。彼が《王都》を目指す理由――それは《王都》にいるその人に、ただ一目逢いたい。ただそれだけなのです」
「そこまでして逢いたい人…?それは彼の大事な人――恋人か妻」
ニーナは大きな溜息を吐いた。
自分の惚れた男に、自分以外の大切な人がいて、気に病まない人間がいるものか。
「分かりません。ここまで話すつもりはマスターにも無かったみたいで。会話の拍子に出てきた、みたいな。でも、マスターととても親しい人なんだな…とは思いました。彼の口調が、とても優しかったから」
いつもは平坦なくせに、とニーナは呟いた。
僕は内心、やった!と飛び上がりそうになった。
ついに、ついに知れたのだ。
魔法使いの最大の弱点が!!
魔法使いは災厄前に《王都》を拠点に活動していた元冒険者。
《王都》、もしくは城下町周辺に彼の故郷があり、そこには両親や親類もいるだろう。
そして、《王都》に離れ離れとなった恋人か妻か、彼の想い人がいる。
ギルドを私有化するほどまでに、大切な人が。
魔法使いに「浄化」を散々邪魔され続け、奴の弱点をずっと探っていた僕と行商人の彼ら。まさか彼らの手中に、その弱点が在っただなんて一体だれが想像できたのか。
人間は情に脆く、弱い生き物だ。
人は誰かを愛し愛され、生きていくために必要な「承認欲求」を得て生命を育む。
どれだけ意思の強い人でも、家族を人質に取られればたちまち無力と化すだろう。
どれだけ強固に我の張った不義理な者でも、心に大事な人は必ず存在するものである。
これは傑作だ。
これぞまさに、弱点ではないか。
《王都》は怒れる神たちのモノである。
《王都》に閉じ込められた人々もまた、彼らの人質なのだ。
イコール、魔法使いは神に人質を取られている、という事。
「マスターは多く語らない人です。でもあなたとこうして紐解いていって、少しだけマスターの事が分かったような気がします。それが正しいのかは別として」
多く語らないのは、正体を探らせない為だ。
そうしなければならなかったのだ。
家族がみな、弱点が全て、敵の掌の中にいたからである。
魔法使いは家族の身の安全を守る為、正体を絶対に明かす訳にはいかなかった。その事実が敵側に知られたら最後。どう利用されるかは言わずもがな、最悪殺されるかもしれないからだ。
そして魔法使い自身も人質の存在に束縛され、自由にギルドを動かせなくなる。
その連鎖はギルド全体、敷いては《中央》全土に広がり、彼らに対抗する組織は総崩れ。もはや戦う事すら適わないだろう。
僕は魔法使いの弱点を知った。
未だ魔法使いの正体が判明した訳ではないが、そんなのはどうにでもなる。
彼らが、行商人らが《王都》に残された人々を、片っ端から拷問でも尋問でもすればいい。
言ってしまえば、家族や恋人を特定しなくても構わない。
その人を人質にしたと一言魔法使いに告げればいいのだ。どうせ《王都》の中など知られないのだから、まんまと騙すのは赤子の手をひねるより簡単だ。
あはははは!!!
まさかこんなところで、こんな素敵な『利』を得るなんて、思ってもみなかったよ。
僕はこの情報で、どちらの優位にも立てる材料を得たのだ。
行商人らを益々手玉に取ってもいいだろう。
魔法使いを脅して、僕の手足にさせるのも面白いよね。
いずれにせよ、これは魔法使いと彼らの問題なのであり、第三者である僕は全く損をしないのだ。
「セト?どうかしたの?」
「ううん、なんでもないよ」
無意識のうちに、ソワソワしていたみたいだ。
早くこの情報を、彼らに伝えたかった。姿を見せなくなった行商人は、流石にこの情報を捨て置く真似はしないだろう。
そして虫問題を解決する事を条件に情報を与え、また最初から無かった事にすればいいのだ。
僕の町は安泰。戦争は、ギルドが勝手にやる。
眼前にようやく放棄された工事現場が見えてきた。
スキップで踊りたい気分だったけど、なんとか意識して留めるのは大変だった。
死人を出した工事現場が見えてきて、ニーナは姿勢を正しバインダーを持ち直す。
それから僕をじっと見つめて、とても綺麗な顔で笑ったのだ。
「ニーナ?」
「満足、しましたか?」
「え?満足って…」
いや、満足だけれども。充分過ぎるほど満足感を得ているけども、なんだ、その表情は。
「あ、ああ。ごめん、礼を言っておかなかったね。たくさん教えてくれてありがとう。僕の町が、君たちギルドと共存しいい関係を築いていくのにとても為になるお話だったよ」
「そうですか」
「でも、今更だけどね良かったのかい?こんな僕に、まだ出会ったばかりの余所者の僕に、こんな深いところまで教えても」
「大丈夫です、全く問題ありませんから」
「…そっか。なら良かった」
手早く掛けた眼鏡の縁を、ニーナはクイと持ち上げた。
また、口元が弧を描く。
今度はもっと深く、分かり易く笑っている。
「ええ、問題ありませんとも。全て、そうするように申し付けられていただけの事ですから」
「は?…一体君は、何を…」
ニーナには、フレデリク将軍と話した時に感じた、全てを見透かされたような怖さは無い。
「私はマスターの手となり足となり、あの人の意向のままに行動するのみです」
目を閉じ、含み笑いを込めた笑顔に、僕を陥れようだなんて大それた感じは見受けられないのだ。
ここで一息吐き、ニーナは僕にはっきりと言った。
「ヴァレリの領主の息子に聞かれるまま話せ。そして、最後にその事実を明かせ。…旅に出る前、私に与えられた命令です」
「は…?」
「我がギルドマスターの公私を、私の知り得る情報を。そうせよ、とただマスターの指示に従ったまでの事。あなたが今これを明かされどう思い、その情報をこれからどう使うのか。それは私の意図するところではありません」
「な、何故僕にわざわざ知らせるような真似をするんだ…。何なんだ、君らギルドの連中は。フレデリク将軍然り、魔法使い然り…。僕と魔法使いは、互いを認識すらしていなかったのに…」
「知りません。あの方は必要以上に喋らないお方。あの方のなさる本質は、あの方だけが知っている。私如きでは計り知れないものですから」
どこまで知っているのだ。
それとも、ただのハッタリか?
この町を砂漠攻略の前線基地として使いたい騎士団が、無理くり策を練って僕を陥れようとするのはまだ分からないでもないが、そこで何故魔法使いが出てくるのだ。
僕と魔法使いの絡みは、個人的には全くないはず。
魔法使いは、ギルド政策の一環で町の市場を掌握したいと思ってはいるだろうが、まだ交渉の前段階すら迎えていない。
僕は、僕を幸せにする取引相手の行商人が、彼らにとっては邪魔な魔法使いの詳細を知りたがるから、取引先との融通をもっと利かせる為に親切心で調べてあげただけ。
僕個人では魔法使いなど至極どうでもいい存在で、魔法使いもまた僕の事など構う理由はないのだ。だって、この町の現領主は父なのだから。
くそ、分からない。
ニーナの語ってくれた魔法使いのギルドマスターは、確かにほんの上辺程度でしか知る事は出来なかった。
その多くは未だ、謎に包まれたまま。
そんな奴がどうして僕個人を、試すような真似をする!?
騎士団の事もある。どこで誰が見張っているかも分からない。
魔法使いの弱点を得たと小躍りして早く彼らに伝えたいと思っていたが、冷静に考えればすぐに行動するのは避けるべきだろう。
如何にどのようにして彼らと逢い、どう伝えるのか。決して早まってはいけない。
チャンスを図るのだ。
こいつらが帰った後でもいい。
とにかく今は魔法使いの意図が分からない以上、下手に動かずじっとしていた方が吉だろう。
「セト、私が言うのも何ですが、マスターは怖いお人です。目的の為なら強硬手段も厭いません。その際に、周りの人間の心情や生命だなんて、あの人は全く顧みない。気にも留めない彼にとって命の有無なんて、彼を脅かす道具にすらもなり得ない」
「は…それは、脅しかい?」
「ふふ。あまりマスターを甘く見ないで下さいと、親切心で申し上げているだけよ。あなたはとても頭の良い方だから…ね?」
それきりニーナは口を噤んだ。
今まで饒舌に、積極的に喋っていたのもただの任務。
彼女が陶酔するギルドマスターの意に従う為に、この町に到着した時から僕に偽っていただけで。
なんなのだ、このモヤモヤとした気持ちは。
何もされていないのに、一杯食わされたような…負けた気がするのはどうしてだ。
なんて食えない奴なのだ。
魔法使いのギルドマスターも、この女も!!
気に食わない!
くそ。そうだとするなら、僕と父を引き離したのも計画だったのだ。
ニーナだけに命令を与えていたとは考えにくい。あの占い師の女も赤毛の男も、多分それぞれギルドマスターから何らかの命を請けているのだ。
しまったね…。父は占い師の方に付いている。耄碌した父が調子に乗って在る事ない事喋っているとも限らない。少女のペースに丸く呑まれて、この町が不利になる情報を与えていなければいいが。
それに赤毛に至っては、見張りすらつけていない。この町で自由に動き回り、本当に「虫」だけを調べていると云えるか?
どちらにせよ、初手は敗北だ。
悔しいが、流石はフレデリク将軍の息が掛かった案件である。
一筋縄ではいかないのは、何も「人間」だけとは限らないのだ。
このまま奴らの好き勝手にさせてたまるものか。
この町は僕の町。僕が王として出立する町。
あんな小者相手に僕が遅れをとるのは、金輪際これが最後だ。
僕は何といっても魔法使いの弱点を掴んでいるのだ。敢えて教えられた感が気に掛からないでもないが、真実には違いない。
今に見ていろ。
それまで《中央》でふんぞり返っているがいい。
どんなに急いでも、馬で3日は掛かる距離にこの町は在るのだ。そして今、この町には将軍も魔法使いもいないし、我が物顔でのさばっていた騎士団の連中もみんないないのだ。
地の利は僕にある。何とでもなるのだ。
「君は本当に聡い子だよ。こんな子は初めてで驚いた。ねえ、君が好きになってしまいそうだけど、構わないかな?」
お得意の流し目で彼女を見る。
唇でキスをするかのようにチュと音を立ててやると、大半の女はそれで簡単に墜ちるのだけど彼女はどうだろう。
「…あまり経験の薄い田舎の女をからかわないで下さい。恥ずかし、すぎます…」
意外にも初心な反応が返ってきて拍子抜けしてしまった。
これは墜とし買いがありそうだ。
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