蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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三. セトの章

47. 劣情

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 何も気にならなかった。

 壁も床も天井も崩れ落ち、必死に生き延びようとする者達の抵抗や悲鳴すら、どうでもよかった。
 むしろそんな雑音こそ僕らを祝う祝砲のように思え、その目的を達する為に目的地に向かう足は速くなるのである。

 度を超えた興奮だった。

 産まれた時から一緒にいてくれた、たった一人の肉親の死を、父の凄絶な最期を見てしまったからか。
 実母に一度も抱かれず見捨てられた僕を、父だけは愛してくれた。共に生きて共に未来を語り合った。年を取ってからは僕の足を引っ張るだけの老害だったけれど、それでも僕にとっては目標であり、師であり、友でもあったのだ。
 その父を喪った反動なのか。

 それとも生まれて初めて感じた死への恐怖が、生存本能を引き摺りだしただけなのか。

 分からない。
 分からないけれど、手を繋ぐこの女と交わりたい気持ちだけは、ものすごく強い。

 早く、はやく、したい。
 女を組み敷き、暴き、媚肉を貫き、思う存分快楽を味わい尽くしたいと願った。

 瓦礫に足を取られながら自室に辿り着き、緊張でガタガタ震える手で鍵を開けた。
 ほんの僅かな隙をついて逃げられるかもしれないと思ったから、彼女の細い手首は僕にしっかりと掴まれている。
 でも解かれはしなかった。占い師は不思議と従順だった。

 扉を閉める時間すら惜しかった。

 完全に閉まりきらないのに、僕は乱暴に占い師を壁にダンと押し付けた。
 衝撃に息を詰まらせる彼女の顎を掴み、薄絹のベールの上から唇を奪う。

「……」

 占い師はなおも拒まなかった。
 僕は嬉しさに頭が真っ白になって、性急に彼女を求める。

「…っ……」

 薄いベールに阻まれているのに、彼女の唇は溶けそうなほどに柔らかかった。
 僕は何度も何度も角度を変えて、唇を貪り尽くす。

 その黒き衣の下で、君はどんな表情をしているのだろうか。
 瞳は潤んでいるだろうか。頬は火照っているだろうか。恍惚の眼差しを向けてくれているだろうか。肢体の芯は熱くなっているだろうか。

 ぼたっと重いローブの裾を捲り、彼女の足の間に身体を滑り込ませた。
 僕よりも小さな背丈。一回り小さな肩を抱いて、膝でぐりぐりと彼女の股座を擦った。
 すると微かにピクリと肢体は反応を返してくれて、僕はいきり勃った己の分身を押し付けた。

「はやくっ、君を抱きたい!」

 一度も触れられていないのに、完勃していたソレは、開放を求めて熱を篭らせていた。

 幼い頃から女を抱いてきた。
 赤ん坊は母のおっぱいを咥えて安らぎを得るのだと聞いた事がある。でも僕に母乳はたった一度たりとも与えられたことはなく、代わりに何も出てきやしない豊満な乳房を意味も分からず咥えさせられた。
 物心付いた僕の最初の記憶は、母ではない知らない女の乳房を揉んで背中を思い切り引っ掛かれた事から始まる。

 以来、多くの女とセックスした。数なんて数えるのも馬鹿らしいくらい、大勢と寝た。
 商売人もいたし、処女だって、熟れた人妻だっていた。色んな肌の女と寝たし、色んな境遇の女と交わった。

 セックスは僕のライフワークの一つだ。
 ただの趣味、といってもいいだろう。
 快楽に身を任せるのは楽で、ケモノのように腰を振っている間だけ、人のしがらみを忘れる事が出来るのも好きだった。

 そんな僕が、事セックスに関しては玄人であると自負する僕が、一人の女に形無しにされている。

 顔も体も、正体も分からない女。
 不遜で横暴で、性格に難のあるワケアリ女。

 未だ嘗てない程、僕は彼女に欲情していた。
 僕の身体全体が、心さえも彼女を欲した。
 そんな初めての気持ちを抱く僕自身に、僕は狼狽え、謹んで享受する。

 本能の赴くまま、彼女の中で果てる為に。

 もう我慢なんて無理だ。
 限界はとっくに超えている。

 僕は彼女の頭を捏ね回し、互いの唾液で濡れたベールが彼女自身の顔に貼り付いて苦しそうなのを無視して、間を開けずキスを繰り返す。
 そして、力の抜けた占い師の肢体を、ベッドの上に放り投げた。

「……乱暴だな」

 二度ほどバウンドして、黒のサラサラしたローブがベッド全体に広がった。
 白のシーツと黒の衣装。対照的な色がまた支配欲を募らせ、思わず涎が出ていたのを腕で拭う。

「脱いで」

 一言、そう告げた。

「僕も自分で脱ぐから。君も、君から曝け出してくれるかな。君の覚悟を知りたいんだよ」

 土壇場で怖気付く女は多い。
 いざ挿入となった時に、途端に怖くなって拒まれるケースはそう珍しくないのだ。

 だから自ら衣を脱がせるのである。
 衣服は心の警戒線。それを一枚一枚解くたびに、これから男に抱かれるのだと知らしめる意味を持つ。

「ああ、いいよ」

 占い師は戸惑う事なくそう言って、笑った。





 部屋の扉がまだ半分開いているのに気付いて、慌てて閉めた。
 内鍵もしっかり掛けると廊下から漏れていた光りが無くなって、部屋は真っ暗になって何も見えなくなってしまう。
 ベッドの上の占い師の黒衣が暗闇と同化して、このまま居なくなってしまうんじゃないかと僕は恐怖する。

 火を、火を灯さねば。

 手探りで蝋燭と火付け石を探していると、「暗い」と占い師が呟いた途端、部屋の全ての蝋燭に火が灯された。

 パァと、昼間よりも明るくなる室内の中心にはやはり占い師がそこにいてくれて、僕は安堵で腰が砕けそうになる。

「魔法ってのは随分と都合の良いものなんだね。ちまちま道具を使ってる自分が恥ずかしくなるよ」
「……」
「それに君はテルマ嬢とおんなじだ。詠唱も触媒も使ってない。君もヒトじゃない、と言うつもりじゃないだろうね?」

 精霊とセックスだなんて、そうそうあるものじゃない。話のネタ的にはそれもありかと思ったけれど。

「期待しているところ悪いが、俺は人間だ。…少し人よりなんだよ。魔法はほんの少し、人間の生活の手助けをしているだけだ。極めれば、こうやって手を使わずに衣の紐を解く事だってできる」

 スルスルとローブの腰紐がひとりでに動き出し、その戒めを解いていく。

「だが、それはそれで味気ない。ヒトは何のために手を、指を持っていると思う?」
「…え?」

 はたりと、紐の動きが止まった。
 そして今度は占い師の細い指がその紐を摘み、僕に魅せ付けるようにわざと挑発的にいじらしく、指に絡ませては少しずつ解いて、肌を露わにしていくのだ。

「指は何でも語る。今俺が、お前に見せているように。魔法で手っ取り早く済ましてしまえば、俺の痴態が伝わらないだろう?」

 どきりと心臓が跳ね上がった。
 何という殺し文句。
 占い師は時間をかけて腰紐を全て解き、縛るものがなくなって更にゆったりとなった黒衣を翻すと、ベッドの上で膝立ちとなって僕に背を向けた。

 僕も上着とズボンを脱いで、その辺に放り投げた。
 痛いほど張り詰めた股間は窮屈で、まだかまだかとその開放を求めている。
 占い師の緩慢な行動すべてに、欲情が募る。
 それを分かっていて、あえて彼女は焦らす。

 ローブの背の留め紐が解かれ、するすると下がっていく。
 占い師の白い背中が現れる。
 僕は生唾をゴクリと飲み込んで、ホクロひとつない陶器のような肌に魅入っている。

 なんと占い師は下着を身に着けていなかった。
 厚き衣の下は、頑なに隠し続けていたその中身は全裸だった。
 最初にこの町にやってきた時も、僕らとのんびり朝食を食べていた時も、蟲が攻撃を仕掛けてきた時だって、その冷静を取り繕った下はいつだって素っ裸だったと彼女は言った。

 留め紐が全開し、しゃぶりつきたくなるうなじと、庇護欲を掻き立てられる肩から、スルリとローブが滑り落ちた。

「…とても、綺麗だよ…」
「……」

 引き締まった腰といい、落ちたローブに半分隠れている尻の割れ目といい、その美しさはであり麗容でもあった。
 芸術家という芸術家が集まって造った精巧な人形のように、完璧な肢体だった。
 繋ぎ目がないか、真剣に探すほどまでに。

「君は…どうして僕に抱かれる気になったの?」

 ここで言う台詞ではないと思ったけど、訊かずにはいられなかった。
 部屋を一歩外に出たら、あのおぞましい蟲がそこら中にいる。襲われ、食われ、殺される。
 僕の父は死に、娼婦もメイドも死んだ。
 僅かな生き残りを助けようと、自らをも守りつつ、占い師の部下達が命を賭して戦っている。

 それなのに、僕らだけが違うことをしている。

 命の危機にセックスに興じるなんて、並みの神経を持ち合わせているのなら、そんなことを考えすらもしない。

「お前が見ていたからだよ」

 素っ気ない返事。
 なのに全身から醸し出す妖艶な香りは、僕を全力で誘惑している。

 占い師は、ベールに手を掛けた。

 細い白魚のような腕が上がり、舐め回したい衝動に駆られる脇の筋にベールを結んでいた紐が落ちて、それから口元の薄絹を一気に取り払った。

 ああ…、はやくはやく。

 呪文のように僕は繰り返す。

 彼女の唇が弧を描く。

 金の髪が、やっと現れた。
 長い髪を一つに纏めて、窮屈そうに幾つものピンで留めていた。
 それは彼女を包む最後の布切れと繋がっていて、一つ一つ、大事な髪とベールの切れ端を傷つけないように抜き取られる。

 そしてついに。


 ふさり


 ピンが、弾け飛んだ。

 占い師の髪が、昨夜一目見て欲に堕ちたそのプラチナブロンドが、今、真っ白な背中を滑って落ちた。

「―――ああ…顔を、見せてくれるかい」

 彼女は恥ずかし気に少し俯き、けれど躊躇なく振り返った。

「……っつ…なんて綺麗なんだ…」

 一糸纏わぬ、裸の女が目の前に立った。

 大袈裟なくらい灯された蝋燭の炎が、彼女を余すところなく映し出す。

 毛先に癖の残る、腰まで届くプラチナブロンド。
 ピンクに濡れ、ぷっくりとした口唇。
 赤みが差した、柔らかな頬。

 細い首からカーブを描くか弱い肩と窪んだ肩甲骨は慈悲欲を掻き立て、痩せて引き締まっているのに丸みを帯びた体躯の線は生きた芸術品である。

 やや小ぶりだが、片手では余る乳房は上を向いていて、桃色に色づく乳首はふっくらなのにピンと立ち上がっていた。
 弄り易そうな大きさ。あの先っちょは硬く、舌で転がせばさぞ咥内で踊ってくれるだろう。

 縦に割れた臍の下は、髪と同じ色の茂みが淡く生えていて、そこからすらりと長い美脚に繋がる。

 頭のてっぺんから足の小指のその先の爪まで、欠けたところなど何一つなく、完璧すぎる肢体からだだった。

 有り得ないほど、美しかった。
 有り得ないほど、見惚れた。

 サラサラと、占い師は髪をかき上げる。
 閉じていた瞳をゆっくりと開けて、深い深い海の淵のような蒼色が、真っ直ぐに僕を見つめた。

「さあ、はじめようか」

 その瞬間、僕は彼女に飛び掛かり、欲の権化であるその肢体にむしゃぶりついた。

 理性の一欠片さえもかなぐり捨てて、本能に従い、乱暴に、激しく、痛々しいほどに、彼女を味わい尽くすのである。




『美人』を形容する言葉は、それこそ詩人の数だけ言語学者は発見した数だけあるに違いない。
 愛の囁きには言葉が必要で、その言葉が綺麗であれば綺麗なほど女は喜ぶものだ。
 お世辞でも「美人」を形容するだけで女の機嫌が良くなるのだから、言語学者や詩人はもっとたくさんの言葉を創るべきだと思う。

 佳人かじん珠玉しゅぎょく手弱女たおやめ
 天来てんらい玲瓏れいろう
 それとも、傾国けいこくの美女?

 いいや、そのどれとも違う。

 彼女の美しさを表す言葉は、そんな飾り言葉だけでは全然足りない。どれだけ付け加えようとも、新たに言葉を生み出そうとしても、彼女を正しく形容する言葉は存在しないだろう。

 ―――ゾっとするほど美しい。

 最近どこかでそんな台詞を聴いたような気がするが、思い出せない。
 悠長に考えている余裕がないのだ。

 今まで生きてきた中で、こんなにも綺麗で完璧な人に出逢った事がなかった。

 そんなチンケな表現しかできない、自分の語学力の限界がもどかしかった。
 それを彼女に伝えたとて、喜んでくれるとは思わないけどね。

 ただ一つ言える事は、僕は彼女の顔を見たその瞬間に、果ててしまったという事実のみである。
 触れられてもいない、見ただけなのにだ。
 夢精するかのように視覚だけの快感で、僕はドロリと欲望の証を吐精してしまったのだ。

 こんな情けない射精をするなんて、初めての経験だった。

 男のプライドすら反故にする美しさに、僕は恐怖と期待で戦慄する。
 全身の震えが止まらなかった。
 彼女を組み敷き、早く半身を中心に挿れて、思う存分動かしたかった。
 それだけが望みだった。

 なのに、怖いのだ。
 触れてはいけない絶対的なが働いているような、動物的な本能がこれ以上先に進んでは駄目だと警告の鐘を鳴らしているような、そんな錯覚に襲われるのだ。

 未知なる快楽への一時的な怯えであると言い聞かせ、何も気付いていない振りをして、僕は占い師の肢体を堪能した。

 至るところを揉みしだき、至るところを舐め回した。
 そのたびに恐怖と歓喜がせめぎ合い、僕は混乱してますますその肢体にのめり込む。

 しっとりと肌に吸い付く感触も完璧だった。
 僕から滴り落ちる汗が、彼女の肢体を伝って流れる様も綺麗だった。
 むわりと立ち込める雄と雌の匂いも、愛撫するいやらしい水音も、なにもかもが興奮した。

 僕は男のくせにみっともなく喘いでいて、でも占い師は僕に散々気持ちよくさせられているのに言葉を漏らさなかった。
 形の良い眉を寄せ、快楽に苦悶している表情なのに、ちっともそれを言葉に出してくれなくて。
 こんな時に無口を貫かなくてもと、彼女を急かす。

「ねえ、どうして声を出さないの?気持ち良くない?」
「…声を出す方が好きか」
「そりゃそうだよ。演技されたやかましい声よりマシとは思うけど、僕にされて気持ち良いと正直に伝えられると嬉しいし、何より興奮するな」
「お前の望むがままに、応えよう」

 すると次から切ない声が喘ぎ漏れるようになった。

 普段の低音とは違う、数オクターブ高くなった鼻に掠れる声が耳を刺激して、僕の興奮は臨界点を突破する。

 男にとって都合の良い欲だけを集めて権現化すると、この女になるのではないかと思う。
 占い師は従順で妖艶で、無垢な痴態を晒す。
 それは僕の望んだそのものであり、彼女はその全てに応えてくれた。

 こんな極上の女なんて知らない。
 こんなのが存在していたなんて、どうしてもっと早く出会わなかったのか、どうして知りもしなかったのか、それだけで人生の半分以上が損した気分になるのだからもう末期だ。

 この女を味わった過去の男全てを殺したくなる。
 フレデリク将軍も、あのアッシュにも。彼女はこうして献身的に応えたのだと思うだけで、頭が狂いそうなほど嫉妬する。

 彼女は僕だけの女でいてほしかった。


 そして、これから先もずっと、この女は僕の物だ。

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