蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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三. セトの章

60. Chironomids ユスリカ

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「あ…これは…」

 灯火が、鈍い光を反射した。
 でこぼこした地面の、割れた石と石の間に何かが挟まっている。

 つい手に取ってしまう。
 汚れ放題のそれは原形を留めていなかった。細い金属の、小さな小さな欠片だった。

「指輪…の一部かな、これ…」

 1センチにも満たない破片の、埃と汚れがこびり付いた箇所を指の背で擦り落とすと、文字らしき刻印が現れた。


 ――――××から、Fへ…?


 指輪を送った相手の名の部分で指輪は切れていて、どうにか読もうと顔を近づけた時、

「何をしているんだ、お前は」
「!!!!」

 ふいに、リュシアの声が降ってきた。

「着いてこないから探したぞ」
「き、君が置いて行ったんでしょ!!!」

 光を失いつつあった球が、リュシアのマナに充てられて輝きを取り戻す。
 明るい光の下で僕のいる場所を改めて見回してみたけれど、変わらず酷い所だった。

「何を持っている?」

 リュシアは檻の中には入らない。最初に僕を起こした時も、檻の外からだった。
 誰だってこんな場所、頼まれたって入りたくないものさ。
 そう思って、のそのそと四つん這いで檻から出る。

「指輪の一部かな?この中で見つけた。ほら、名前が彫ってある。Fとしか読めないけど」
「……」

 リュシアは一瞬だけその指輪の破片を見たけれど、直ぐに顔を逸らして闇の方を向く。

「死者の御霊を持ち出すな。ここにいた者は全員死んだ。生者が暴いていい場所じゃない」
「え?あ、そう、だね…」
「とりあえずここから出るぞ。もたもたしていると、アッシュらが間に合わん」

 リュシアは僕を諭しただけで、指輪には興味を持たなかった。それよりも早く脱出すると、僕を急かしてくる。

 今更ながら思い出した。
 僕らがここに間にも、地上ではアッシュらギルドの三人が、強大なグレフと対峙していた事をだ。

「そ、そうだったよ!!」

 挫いた足首がじくじく傷んだが、僕の小さな怪我より彼らの安否の方が心配だ。
 再び歩き出したリュシアを追って、今度こそ見失わないように必死に付いていく。

「ね、ねえ!何か手はあるの!?術って、何をしていたんだ?」

 僕の頭の中に、牢獄の事など消えている。蛮族の犠牲者を悼む気持ちも消えている。
 ここに長く囚われるのではなく、逃れられるのだ。僕が道連れで死ぬわけでもないのに、いちいち感慨深くなる必要なんてない。

「砂中にも俺の結界域を適用させたのさ。地表と地中に真霊力を張り巡らせ、奴らの目くらましにする」

 暗闇を掻き分けながらリュシアは言う。
 彼が何処へ行こうとしているのか、もはやここが何処だか分からない。

 何度も右へ左へ曲がって進むうちに、いつの間にか地下の景色は様変わりしていて、澱んだ空気も土独特の匂いに変わる。幾分か呼吸がし易くなるが、だからと言って胸一杯深呼吸できるほど空気は多くない。
 僕の足は硬い石床でなく、土を踏んでいる。
 壊れた鉄格子は無くなったけれど、今度はあちこちから飛び出した岩や木の根に気を付けねばならなくなった。
 相変わらず周りは真っ暗で、魔法の光の球だけが頼りだった。

「グレフは目で物を見ていない。奴らは人間のマナを感知し、地形や攻撃対象を把握している」
「魚や虫の超音波みたいなものかな。反射の速度や大きさで距離を測るとかいうじゃない?そういった特別な神経回路でもあったりしてね」
「似たようなものだろうな」

 リュシアは言う。行商人が召喚したミミズの化け物は魔法が効かない魔物に擬態していて、実際に殆どの攻撃は通じないだろうと。でも、一切の攻撃が無効化される事は、絶対に有り得ないのだとも。
 多分だけど、それぞれのグレフには役割が与えられている。ミミズは敵からのヘイトを集めて攻撃を防ぐタンク、蝶は遠くから弱体化を狙うマージ、そして蠍は切り込み隊長のファイターだ。
 冒険者時代はこのようなパーティを組んでダンジョンや狩りをするのが流行っていた。それもまた、何かの本を参考に、このような編成を組んだ可能性が高い。

「俺しかいないのならば、倒せる。だが、守りながらは無理だ。アッシュもニーナも、普通の冒険者よりは戦えるが、まだ一人でグレフを倒せるまでの力はない」

 それにフレデリク騎士団長の依頼もある。
 僕を殺さずにして《中央》に連行し、無事騎士団に引き渡す任務が。

「具現化したあのグレフ達は危険だ。奴が満を持して披露してくれたのだからな、言うだけはある」

 倒せないのならば、砂漠に封じる必要がある。
 あのグレフは脅威だ。《中央》には結界があるが、他の町はそうではない。結界自体も、必ず効くとも限らない。

 蝶は空から毒の鱗粉を撒かれでもしたら、それこそ終わりだ。
 ミミズは地中を自由に這い回る。地面が繋がっていれば、何処にでも現れる。それに地震を起こす能力も厄介過ぎる。
 蠍は一筋縄ではいかない相手だ。何人もの犠牲を払う事になるだろう。

「今ここで無理して倒す必要はない。砂漠の一部に、《中央》の結界より強いマナの防御陣を張った。砂中にマナを浸透させる時間が欲しくてな…。アッシュ達がもっていればいいんだが」

 リュシアが地下で施していた術は、地表と同じ結界域を張り巡らせる事だった。
 わざと砂中に呑み込まれ、高らかに笑う行商人の隙を付いた。
 油断は慢心を生む。行商人は慢心せず全力でリュシアを殺すと叫んでいたが、生死の確認をしない時点で、すでに油断している事を行商人は気付いていない。

 一方でリュシアは用意周到だった。
 僕の核にトラップを仕掛け、僕が行商人に会いに行くように潜在意識に働きかけ、砂漠への誘導を試みた。
 そして、行商人を待ち受けた。

「じゃあ君は眠ってないの?一晩中、僕と一緒にいたっていうのに」
「……」

 この場所を選んだのもたまたまではない。
 砂漠は彼らの支配地域。何が起こるか分からない。いつでも地表の結界域を発動できるように、彼らの悟られぬよう準備し、万が一の時は地下に逃げられるように石塊の下に脱出経路も用意した。

 そうまでして行商人に会いたかったのは、男に言葉が通じるからであろう。
 意思疎通は兎も角として、グレフの上位にいるのは間違いない。
 知能があり、人の言葉を話し、内情を知っていそうな行商人は、リュシア達にとっても都合の良い存在で、探していた輩でもあったのだ。

「凄いね…まるで本当に“占い師”だ」

 先を視透せる、その千里眼。
 この人を知れば知るほど、底が見えない恐ろしさに戦慄する。
 僕はこんな人とタイマン張って出し抜こうとしていただなんて、なんと愚かで浅はかな考えを抱いていたのだろう。
 僕に勝ち目などない。胆力も能力も技能も、全てリュシアの方が勝っている。

「要は逃亡だ。凄いとは、正しくない表現だ」

 地場にマナが満ち満ちると、グレフのサーチ機能が働きすぎて逆に効かなくなる。
 強い光と光で照らされると、その前にいる人の姿が眩しさで消える蒸発グレア現象みたいなものだ。
 それを利用し、目くらましの状態を作り出してこの場から逃亡する。行商人もグレフも、僕らが脱出した事に気付かず、行商人に至っては強すぎる真霊力に身体がもたず、消滅するだろう。

 マナの結界域は、封印でもある。
 外部からも中からも、その域だけグレフは手を出せない。
 中から閉じ込められたグレフは一心不乱にいなくなった僕らを探し続け、外からの助っ人はマナに阻まれ手も足も出まい。
 三匹のグレフは、現時点で放置。これが最善の策であると、リュシアは前を見据えながらも苦々しく吐き捨てる。

「まだまだ戦力は整っていない。あれと同クラスのグレフに数で攻められると正直きつい。人間も努力して戦う力を身に付けてはいるが、俺達ギルドマスターほどの力には到底追い付いていないのが現状だ。だから奴らにはない組織力を高めているんだがな」

 残念だが今は捨て置き、その対処法を4大ギルドで話し合うつもりらしい。

「お前という、いいサンプルも手に入った事だ。奴らの研究は更に進むだろうな」
「サンプルって…僕は騎士団に身柄を拘束されるだけじゃないの!?」

 不穏な言葉に身震いする。嫌な予感しかしない。

「核に完全に侵されて生きている者はお前だけだ。色々使い道もあるだろうな。“科学者”も俺の帰りを手ぐすね引いて待ち望んでいる。解体されても後で俺が回復してやるから、精々中を捏ね繰り回される事だな」
「……君、声が楽しそうだよ…」

 どっちにしても、痛い事には変わりないだろうね。
 本当に、嫌になるよ。




 挫いた足の痛みを思い出してきた。
 僕らが踏む土が、傾斜を帯びてきたからである。
 前に体重がかかり出して初めて、僕は坂を登っている事に気付く。

 周りは狭い。肩が両端の土を削っている。
 乱雑に掘られた穴の中はたくさんの桐の痕があり、大人一人が通るだけでもかなりきつかった。
 前にリュシア、真ん中に灯り用の光の球、後ろに僕の順で進んでいる。

 いい加減疲れてきたから、地下から随分歩いたと思う。
 ここは一体何なのだろうか。

「ここは何なの?抜け道みたいだけど…」
「抜け道だよ。本来地下の用途は物資保管と自然災害からの緊急避難場所だと言っただろ。砂嵐で地下への入り口が砂に埋もれてしまえば出る場所がない。その為に地下には幾つかの脱出経路を作ってあるんだ。ここはその内の一つさ」
「……本当に詳しいね。それも砂漠の民に訊いたの?」
「……」
「以前もここを歩いたような足取りだけど?地下では灯りもないのにさっさと行ってたし。もしかして、ここを占領してた蛮族の一人だった!…とか、言わないよね?」

 リュシアは答えない。
 前を向き、歩みを止めない。

「君は《王都》の方の出身なんでしょ?蛮族も《王都》周辺で暴れてたみたいだし…、実はあの時、9歳の僕と出逢ったりしてないよねぇ?」
「……」

 薄っすらとした記憶を掘り起こしても、砂漠で遭遇した蛮族とリュシアは似ても似つかない。汚くて臭くて厳つくて不細工な男たちと、洗練で美しく美優で華美なリュシアとはまるで違う。
 それにもう11年も昔の事だ。リュシアの年恰好は、僕とそう変わらないように見えるから年齢的にも合わない。
 リュシアが蛮族であるわけがないのを僕はちゃんと知っているのに、どうして彼は黙っているのだろうか。

 幾ら待ってもリュシアは口を開かなかった。彼に答える気がないければ、返答を無視して黙り込む癖がある。
 過去、この人に何があったのかは知らない。相当な修羅場を潜ってそうな態度をしているから、恐らく様々な事があったんだろう。でも、彼がそれを語らない限り、真実は想像の域から出ないのだ。
 その答えを拒絶しているのなら、僕に知る必要がないという事。
 誰だって探られたくない、触れられたくない過去など、一つや二つは持っているものだ。

 災厄から数年後、《王都》付近に張り巡らせた彼らの壁に最初に触れたのがリュシアなのだと、行商人は僕に言った事がある。
 その時、もしかすると蛮族と遭ったのかもしれない。ひと悶着を起こしたのかもしれない。
 奴らは人と見れば構わず襲ってくる野蛮人だったから、無きにしも非ずだ。

「ここから出たら、お前は隠れていろ。馬をいつでも走らせる準備をしておけ」
「君は…?」
「アッシュ達を回収してから合流する。俺達も馬に乗ってきたが、少し離れた場所にいるんだ。あいつらが怪我していたら、優先して乗せてやってほしい」

 ようやくリュシアの歩みが止まった。
 削れた土穴の行き止まり、そこから一本の萎びたロープが垂れ下がっている。

 ぐいぐいと強度を確かめて、まずリュシアがロープの結び目に足を掛けた時だった。
 ふいに、ある感情が脳裏を掠めた。

「ちょっと、考えがあるんだけど…」

 ここから逃げる作戦をリュシアが話した時、目くらましによってグレフを撹乱して、でも最終的には放置せざるを得ないと聞いた僕は、なんだかとっても残念に思ったのだ。

「…なんだ」

 憮然な態度のリュシアには、あからさまな苛つきが見える。
 アッシュやニーナ達が心配なのだろう。
 それは分かるけど、このまま何もやり返さずにいるのも癪だった。

「グレフを放置するのは賛成よ。今戦っても余計に時間を食ってしまうし、アッシュ達が大怪我でもしたら一大事だとも思う」

 でもね。僕は、さ。
 僕は騙されて、散々な目に遭ったんだよ。
 分かるかな、この気持ちを。
 大事な町は壊れ、有すべき民もいなくなった。大好きだった父も死んだ。
 僕に与えられた罰は十分過ぎると思うし、これから僕に与えられる罰も処遇も、決して望まれるものだとは言えないだろうね。

 贖罪なんかはクソ食らえだ。
 ただ、歯痒かった。
 悔しかった。

 なにより、哀しかった。

 だからさ、せめて一矢報いたいと思うのは、別に変な理由じゃないだろう?

「僕の核――インキュバスはあらゆるものを誘惑し、魅惑に陥れると言ったよね」
「…ああ、それがなんだ」

 彼らに貰った彼らの武器で反撃しちゃったら、ちょっとはこの気も少しは晴れてくれるかな。
 いい気味だと、大笑いできるかな。

「その誘惑の対象に、?」
「―――…」

 リュシアは切れ長の瞳をまん丸くして、僕を見つめている。
 その表情が見れただけでも、リュシアの能面を崩してやっただけでも、言い出した甲斐があったと思う。
 リュシアを驚かせてやったぞ、ほら見ろやったぞってね。

「ただ逃げるんじゃないよ。戦わせるんだ。僕の…インキュバスで魅了状態にして」
「…三竦みの状態を作るのか」
「それに僕の核は感染するんだよね。行商人のおじさんに感染させちゃえば、僕の代わりになってくれる」

 虫の繁殖行動をニーナが語っていたのを思い出したのだ。
 郊外で虫の講義を彼女がしていた時、繁殖による虫同士の死闘の話を聴いた。
 種の存続は、虫にとっては己の命より大事なもの。この身が果ててもいいから、何としてでも雌と交尾する。
 この場合、雌は僕。
 グレフが虫を正確に擬態しているのなら、その性質も完璧にコピーしているはずだと思ったのである。
 ミミズも蝶も蠍も、大まかな類は虫だ。

「はははっ、なかなか面白い事を言うな」

 リュシアが笑う。声を上げて。
 考えもしなかったと、感嘆の息さえ吐いて。

「できるのか、そんな事が」
「できると思うよ。僕の魅力を甘く見ないで貰いたいな。僕がひとたび微笑むと、女は僕に股を開く。これで何人も落としてきたんだ。…君は、違ったけれどね」

 なんとなくだけど、核があるのを自覚して以来、その力を自然に受け入れられたのだ。
 その能力を、ごく普通に我が物に出来た気がしたんだ。
『魅惑を解放する』っていうのは言葉として正しくはないけれど、まさにそんな感じだ。
 それができる自信もあった。

「俺はどうすればいい」

 こうなると、リュシアは協力的だった。
 彼は自身の膨大な力を理解しているが、過信していない。ギルドマスターだからといって、権力を笠に立てて威張り散らしたりもしない。
 打開策があり、それが有効であると判断したなら素直に指示を乞う。
 上の立場でありながら、それが出来る人はプライドが邪魔してなかなかいないのだ。
 そういった意味では、リュシアは稀有な存在でもあった。

「君は予定通り、アッシュ達を助けるのに専念して欲しい。でもテルマ嬢を僕に貸してくれるように頼んでくれないかな。君が登場した時、彼女に支えられて空を飛んでたでしょ?あれで三匹のグレフに近付くつもりさ」
「……了解だ」

 僕の作戦は単純である。

 グレフが目くらまし状態で僕らの姿を見失っているのなら、その辺をウロウロしていても大丈夫だろう。
 僕はそれぞれのグレフに近付いて、インキュバスの魅惑の能力を発動する。
 三匹のグレフはもれなく術に掛かり、僕を獲り合って喧嘩するはずだ。死闘という名の喧嘩を。

 それから黒の行商人に核を感染させる。
 体液の接触で感染するのなら、唾でも飛ばしてやろうと思っている。
 核はマナを食って成長するけど、周りはリュシアの張った結界域のマナで充満している。行商人は強いマナに身体を溶かされながら、マナに汚染されて核を発芽させるだろう。

「僕と同じ核が発芽したら、さぞかし凄いフェロモンでグレフ達にモッテモテになるだろうね」
「とっておきのグレフらが我を忘れて同士討ちするのを、死にながら見ればいい…か。人を裏切った次は奴らを裏切り、また人に付くつもりか?」
「いや、僕は人にも付かない。君に、つくのさ」

 僕は今、この時決めた。
 僕の残りの人生を、この人―――リュシアに賭けると。

 誰もが僕を見捨て、誰もが僕を助けてくれなかったのに、この人は僕を拾ってくれた。
 僕を最後まで見捨てなかったこの人を、もっと深く知りたいと思った。
 僕の未来を、人でもグレフでもない化け物ボクの行く末を、この人だったら指し示してくれるんじゃないかと思ったんだ。

 だから、リュシアにつく。

 男だとか女だとか、そんなの些細な問題だ。
 出来れば女性だったら良かったのにとは、思うけれどね。

 一人になりたくなりと絶望した時に現れたリュシアこそ、僕の絶対神かもしれない。
 普通の人とは比べ物にならない、神々しさすら感じるこの人に、僕は淫魔でありながら焦がれてならない。

「だから、ここを出たら僕にキスして」
「……」

 また、目を見開く。
 深い蒼の瞳が、僕を溺れさせる。

「僕の核は君が握っている。君のマナで保護されているから、そうでしょう?君に触れられると、僕はどうしようもない気持ちになって、君を全力で欲しくなるんだ」

 その時、インキュバスが顔を出す。
 興奮を得て、初めてその能力を発揮する。

「…俺は男だぞ。お前は男など歯牙にもかけないと思っていたが?」
「アッシュとかフレデリク将軍とかが相手だと死ぬほど嫌だとは思うけどね。君は、特別だ…リュシア」
「……」

 リュシアは僕を見つめたまま、黙り込んだ。
 じっと僕を見て、僕を見定めて、何か考えているようだった。

「僕は君と行くよ。だから僕を拒まないで」

 リュシアは一度も視線を外さなかった。
 その綺麗な顔でじっと見つめられれば、キスもされていないのに心臓が高鳴るのが分かる。淫魔が反応しているのが分かる。
 昨夜の劣情を、脳も身体も覚えている。
 芯からリュシアの肢体を欲したあの夜の快楽を、中毒者のように欲している。

 僕はとっくに、この人に囚われていたんだね。

 男に惚れるなんて世も末だ。
 僕の人生の最大の汚点だ。
 だけどそれが、とてつもなく嬉しい。初めて知った恋慕を、温もりを、愛を、この人が教えてくれたから。

「―――分かった」

 たっぷり黙り込んだ後、リュシアは小さく呟いた。

「身体はいくらでもくれてやる。…だが、心まではやれんぞ」
「恋の駆け引きは得意だよ。いつか君が僕に惚れるくらいインキュバスを自分のものにしてみせるから、それまで長く付き合ってくれると嬉しいんだけど?」
「……精々、頑張るといい」




 久方ぶりに味わう新鮮な空気の下、陽はすっかり更けて空が真っ暗だったのが残念だったけれど、それでも月と星のきらめきがとてもとても綺麗で。

 登っている途中でロープが切れちゃって、男二人で四苦八苦しながら土塗れで穴から這い上がる。

 二人してぜえぜえと息を整えている時に奪ったリュシアの唇は、渇いているのにしっとりと甘かった。
 忘れられない甘さだった。

「ん…ごちそうさま♡」
「……」

 絡めた舌に躊躇なく吸い付かれて翻弄された僕は、インキュバスの覚醒を自覚する。

 いつまでも柔らかい唇を堪能したくて深みを増していく口付けに、彼への愛の深さが相当なものであると知って、叶わない恋心に死にたくなってくるのだ。

「…いつまでしているんだ。早くいけ」
「本当に君は、つれない人だね」

 濡れた唇を乱暴に拭い、僕とリュシアは向かう。

 結界域の、内側へと。
 黒の行商人と、三匹の木偶の坊にお返しを食らわせに。


「さあ、終わりの始まりだ。行くよ、リュシア!」


 僕の空元気の意気込みは、砂漠の砂に埋もれて――――消えた。

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