蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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三. セトの章

64. 黒の行商人の最期

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 僕は行商人の残った方の腕を取り、恭しくその手の甲に口付ける。

「なにを…している、のですか」
「熱烈なキスマークを残しているのさ。10年間の仮初かりそめの友情の終焉を祝福するキス。僕はこれでも君が決して嫌いじゃなかったのに、残念だよ」

 ガリっとその甲を噛んでやった。
 慌てて引っ込められる手をがっしりと掴んで、滲んでくる血を払い退けて傷口に唾液を落とす。
 舐め回しても良かったんだけど、流石に中年男の節くれだった手を舐める気にはなれなかった。
 唾液を直接体内に入れる事で、確実に核を感染させる。
 彼もまさか己が使いっ走りにしていたグレフの核を注入されるとは思っていまい。なんにせよ、この男は初めから思考なんて大それた事など、出来やしなかったのだ。

「っつ…」
「むちゅ…んは…はははっ、これでオッケーかな?」

 そして後退り、男と距離を取る。

「セトよ…わたしを、たすけなさい!」
「嫌だよ。これは君の罪への罰なんだから」
「わたしはつみなど、おかして、いません」
「いいや、犯したんだよ。僕をハメた。それだけでも極刑だ」

 三竦みで動くに動けないグレフ達に呼び掛ける。
 相手の弱点を突いて攻撃すると、もう一方から致命的なダメージを食らってしまう。三匹ともそうだから、ついには睨み合うだけになってしまった。

 これこそ、真の三竦み。
 横槍が入らない限り、グレフらはここで死ぬまで睨み合う。持久力の戦い、隙を見せた時点でも死に直結する。
 均衡が崩れても死ぬ。三竦みとは、そのようになる自然の摂理だ。

「君にインキュバスの核を感染させた。グレフの核は結界域のマナを食べて直ぐに孵化するだろうね。君自身に、グレフが棲みつく。僕の代わりに、命一杯彼女らを愛してやってくれ」
「ありえません…そんなことが…」
「君はそもそも結界域のマナに苦しめられている。リュシアが術を解かない限り、君は永遠にここから出る事は叶わない。そこの淫乱なグレフ達もだよ。君らはまた、魔法使いにしてやられたんだ。面白いね!」

 偉大な人間様を侵略者如きが顎で使おうとするから、人の適正など考え無しに力を与えてしまうから、こうして墓穴を掘る。

「君の大将も、そんなに大した事ないんだね。まあ、二度とその人に会う事は出来ないんだけど」

 行商人が力尽きるのが先か、核が孵化するのが先か。
 いずれにせよ、この男はもう終わりだ。

「セト…!わたしを、たすけて、ください!!」

 黒の行商人は叫ぶ。初めて声を張り上げて叫ぶ。
 顔を歪め、鼻水と涙をダラダラと流して、震えながら叫ぶ。
 なんだ、随分とじゃないか。
 そう思った時だった。

「わたしを…私は…わたしは…ひと、ただの模造品…レプリ…カ!?」
「…え?」

 間延びした舌足らずの男の口調が、突然変わった。

 男は身悶える。
 核の感染云々よりも、結界域のマナに躰が耐えきれない。

「私が一人死んでも、まだたくさんの私がいる…!私自身とも…つながって…あああああ・・・・」
「ちょっ!な、なにを言ってるの!?」


 シュウ、シュウ、シュウゥゥーー!


 男の躰が溶けていく。
 今この男がいなくなれば、核を感染させた意味がない。グレフを魅了し続ける者がいなくなれば、いずれ淫魔の術から解放されて正気を取り戻す。今は三竦みが成立しているのも、僕という雄がいるからである。
 これは呑気に佇んでいる場合ではなくなった。早い所この場から逃げ出さないと、魅了を掛け続ける為に僕はいつまでもここに囚われてしまう。万が一三竦みの形態が崩れてしまえば、僕は文字通り穴だらけとなるだろう。淫乱な虫の餌食とならない為にも、もうここにいる必要はないのだ。

「わたしは…城に…たすけ、みな…ねむ…」

 男が何か大事な事を言っているような気がしないでもないが、僕の意識は男の言葉ではなく、離脱の方に向いている。僕だってそれどころではないのだ。
 グレフの相手役をずっと勤めているほど暇ではないし、僕はこんなところで燻っていい人物じゃない。
 野望を叶える為に、やるべきことはたくさんあるんだから。

「慌ただしくなっちゃったけど、面倒な事になる前に僕はもう行くね。ちなみに助けるなんて一言も言ってないからね。じゃあ、それなりに楽しかったよ。出来るだけ僕の為に、長く生きててね」

 無責任かもしれないが、僕なりに考えた精一杯の労りの台詞を掛けてさっさと退散しようと背を向けた時だった。

 男が、叫んだ。あらん限りの大声で。


「マガツヒ―――…!!!!」


 その大声は結界域の外側、彼方で待機しているリュシア達にも届いてしまった。
 ここからでは豆粒ほどの大きさであるリュシアが、また結界域の中に入ろうと動き出す姿が見えた。

「もう、何だよ…面倒臭いな」

 自滅するなら、ちゃっちゃか死ねばいいのに。これでリュシアに出てこられたら、また面倒な説明からしなくちゃいけないじゃないか。
 それにこの会話の内容は、僕だけが知り得る交渉の鍵に使うんだから、余計な真似をしないで欲しいよ。

 じゅうじゅうと音を立てて溶けゆく行商人の中身はきちんと血肉が入っていて、溶けた箇所から血やら脂やら、よく分からない細い神経やらがデロンと飛び出して気持ち悪い。
 生きたまま溶けるのも醜くくて嫌な死に方だと思う。一皮剥けば人間なんて左程変わらない事を認識させられてしまう。
 せっかく僕はイケメンの顔に生まれたのだから、大いにそれを活用しないと損だ。生皮を剥がされて皆一緒くたに扱われるのは僕の矜持が許さない。

「僕は世界の王になるに相応しい姿見だ。その隣で侍る妃も美しい者でなければならないんだよ。リュシアなんかはピッタリだよね。ねえ、グレフの力でリュシアを『女』に出来るかな?もし出来るのなら、本気で君を助けてあげてもいいよ」
「グガ…ガ…」

 もう僕の言葉なんか、聴いてもいない。
 グロ過ぎて見るだけでも吐き気を催す死に様だったけれど、核の覚醒を促す為に辛うじて残っていた顔面の唇辺りにキスを落としてあげた。
 こうなれば自棄ヤケだと思ってね。
 男とキスなんてリュシアに次いで二人目だけど、男と初めてのファーストキスがくたびれたオッサンじゃないだけでも由としなければやっていられない。リュシアとの口付けは、男と一括りするには惜しいくらい劣情を惹き立てるものだったからさ。

「ペッペッペ!」
「グぅ……ウゥ」

 唾を吐いて汚れた唇を乱暴に拭う。出来るならうがいもしたいところだけど、今は我慢だ。
 これで核の発芽が促されたか分からないけど、睨み合う三匹のグレフの視線が僕と行商人を交互に見るようになった。気が殺がれて牽制の均衡が曖昧になってきているのは明らかだ。
 魅了の対象が二つに増えてバランスが崩れて三竦みが解除される前に、僕は退散した方がいいだろう。

 だから僕は去った。颯爽と、不謹慎にもスキップしたいのをグッと堪えて。
 リュシアがこっちに歩いてく来ている。僕の方へ、あの耽美な御顔を不機嫌そうに歪ませて、それでも僕の元にやってくる。
 早く彼と合流し、早くこの混沌とした汚い砂漠を抜けたい。ただその一心で僕は行商人を振り返らない。

「ああ…あ、あぁぁぁあああ!!!!」

 行商人の断末魔が聴こえる。
 結界域のマナが強すぎたのだ。せっかく三竦みは完成したのに、誘惑役の男が死んでしまったら意味がない。
 贅沢を言うなら、魅了に侵されたままグレフが同士討ちしてくれれば楽だったのだけど、そもそもインキュバスの力を使う提案をしたのは僕で、リュシアの計画に付けたされたものだから、別に問題もないのだ。

「マガツ…ヒ…!」

 まだ男はしぶとく生きている。
 しつこい男は嫌われるってママに習わなかったな。

「ああ、そうか。君にママなんていないんだろうね、愚かな侵略者君。だから、死ぬのか。あははは!」

 僕は煉獄の地から抜け出す。
 混沌の砂漠には、もう二度と足を踏み入れるつもりはない。

 ギルドが砂漠を越えて彼らと戦おうが、一致団結して人間の大地を守ろうとしようが、僕にはどうだっていいのだ。
 僕は《中央》で庶民が蟻のように働く姿を、高みの見物で見守っていればいい立場なのだから。

 一度足らず何度も死を覚悟させられた地を背に、僕こそ一から仕切り直しである。



「やあ、リュシア。全て終わったよ」


 僕を出迎えに来てくれた最愛の人を腕に抱いて、僕は新天地に旅立つ。

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