蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

文字の大きさ
148 / 170
三. セトの章

64. 黒の行商人の最期

しおりを挟む

 僕は行商人の残った方の腕を取り、恭しくその手の甲に口付ける。

「なにを…している、のですか」
「熱烈なキスマークを残しているのさ。10年間の仮初かりそめの友情の終焉を祝福するキス。僕はこれでも君が決して嫌いじゃなかったのに、残念だよ」

 ガリっとその甲を噛んでやった。
 慌てて引っ込められる手をがっしりと掴んで、滲んでくる血を払い退けて傷口に唾液を落とす。
 舐め回しても良かったんだけど、流石に中年男の節くれだった手を舐める気にはなれなかった。
 唾液を直接体内に入れる事で、確実に核を感染させる。
 彼もまさか己が使いっ走りにしていたグレフの核を注入されるとは思っていまい。なんにせよ、この男は初めから思考なんて大それた事など、出来やしなかったのだ。

「っつ…」
「むちゅ…んは…はははっ、これでオッケーかな?」

 そして後退り、男と距離を取る。

「セトよ…わたしを、たすけなさい!」
「嫌だよ。これは君の罪への罰なんだから」
「わたしはつみなど、おかして、いません」
「いいや、犯したんだよ。僕をハメた。それだけでも極刑だ」

 三竦みで動くに動けないグレフ達に呼び掛ける。
 相手の弱点を突いて攻撃すると、もう一方から致命的なダメージを食らってしまう。三匹ともそうだから、ついには睨み合うだけになってしまった。

 これこそ、真の三竦み。
 横槍が入らない限り、グレフらはここで死ぬまで睨み合う。持久力の戦い、隙を見せた時点でも死に直結する。
 均衡が崩れても死ぬ。三竦みとは、そのようになる自然の摂理だ。

「君にインキュバスの核を感染させた。グレフの核は結界域のマナを食べて直ぐに孵化するだろうね。君自身に、グレフが棲みつく。僕の代わりに、命一杯彼女らを愛してやってくれ」
「ありえません…そんなことが…」
「君はそもそも結界域のマナに苦しめられている。リュシアが術を解かない限り、君は永遠にここから出る事は叶わない。そこの淫乱なグレフ達もだよ。君らはまた、魔法使いにしてやられたんだ。面白いね!」

 偉大な人間様を侵略者如きが顎で使おうとするから、人の適正など考え無しに力を与えてしまうから、こうして墓穴を掘る。

「君の大将も、そんなに大した事ないんだね。まあ、二度とその人に会う事は出来ないんだけど」

 行商人が力尽きるのが先か、核が孵化するのが先か。
 いずれにせよ、この男はもう終わりだ。

「セト…!わたしを、たすけて、ください!!」

 黒の行商人は叫ぶ。初めて声を張り上げて叫ぶ。
 顔を歪め、鼻水と涙をダラダラと流して、震えながら叫ぶ。
 なんだ、随分とじゃないか。
 そう思った時だった。

「わたしを…私は…わたしは…ひと、ただの模造品…レプリ…カ!?」
「…え?」

 間延びした舌足らずの男の口調が、突然変わった。

 男は身悶える。
 核の感染云々よりも、結界域のマナに躰が耐えきれない。

「私が一人死んでも、まだたくさんの私がいる…!私自身とも…つながって…あああああ・・・・」
「ちょっ!な、なにを言ってるの!?」


 シュウ、シュウ、シュウゥゥーー!


 男の躰が溶けていく。
 今この男がいなくなれば、核を感染させた意味がない。グレフを魅了し続ける者がいなくなれば、いずれ淫魔の術から解放されて正気を取り戻す。今は三竦みが成立しているのも、僕という雄がいるからである。
 これは呑気に佇んでいる場合ではなくなった。早い所この場から逃げ出さないと、魅了を掛け続ける為に僕はいつまでもここに囚われてしまう。万が一三竦みの形態が崩れてしまえば、僕は文字通り穴だらけとなるだろう。淫乱な虫の餌食とならない為にも、もうここにいる必要はないのだ。

「わたしは…城に…たすけ、みな…ねむ…」

 男が何か大事な事を言っているような気がしないでもないが、僕の意識は男の言葉ではなく、離脱の方に向いている。僕だってそれどころではないのだ。
 グレフの相手役をずっと勤めているほど暇ではないし、僕はこんなところで燻っていい人物じゃない。
 野望を叶える為に、やるべきことはたくさんあるんだから。

「慌ただしくなっちゃったけど、面倒な事になる前に僕はもう行くね。ちなみに助けるなんて一言も言ってないからね。じゃあ、それなりに楽しかったよ。出来るだけ僕の為に、長く生きててね」

 無責任かもしれないが、僕なりに考えた精一杯の労りの台詞を掛けてさっさと退散しようと背を向けた時だった。

 男が、叫んだ。あらん限りの大声で。


「マガツヒ―――…!!!!」


 その大声は結界域の外側、彼方で待機しているリュシア達にも届いてしまった。
 ここからでは豆粒ほどの大きさであるリュシアが、また結界域の中に入ろうと動き出す姿が見えた。

「もう、何だよ…面倒臭いな」

 自滅するなら、ちゃっちゃか死ねばいいのに。これでリュシアに出てこられたら、また面倒な説明からしなくちゃいけないじゃないか。
 それにこの会話の内容は、僕だけが知り得る交渉の鍵に使うんだから、余計な真似をしないで欲しいよ。

 じゅうじゅうと音を立てて溶けゆく行商人の中身はきちんと血肉が入っていて、溶けた箇所から血やら脂やら、よく分からない細い神経やらがデロンと飛び出して気持ち悪い。
 生きたまま溶けるのも醜くくて嫌な死に方だと思う。一皮剥けば人間なんて左程変わらない事を認識させられてしまう。
 せっかく僕はイケメンの顔に生まれたのだから、大いにそれを活用しないと損だ。生皮を剥がされて皆一緒くたに扱われるのは僕の矜持が許さない。

「僕は世界の王になるに相応しい姿見だ。その隣で侍る妃も美しい者でなければならないんだよ。リュシアなんかはピッタリだよね。ねえ、グレフの力でリュシアを『女』に出来るかな?もし出来るのなら、本気で君を助けてあげてもいいよ」
「グガ…ガ…」

 もう僕の言葉なんか、聴いてもいない。
 グロ過ぎて見るだけでも吐き気を催す死に様だったけれど、核の覚醒を促す為に辛うじて残っていた顔面の唇辺りにキスを落としてあげた。
 こうなれば自棄ヤケだと思ってね。
 男とキスなんてリュシアに次いで二人目だけど、男と初めてのファーストキスがくたびれたオッサンじゃないだけでも由としなければやっていられない。リュシアとの口付けは、男と一括りするには惜しいくらい劣情を惹き立てるものだったからさ。

「ペッペッペ!」
「グぅ……ウゥ」

 唾を吐いて汚れた唇を乱暴に拭う。出来るならうがいもしたいところだけど、今は我慢だ。
 これで核の発芽が促されたか分からないけど、睨み合う三匹のグレフの視線が僕と行商人を交互に見るようになった。気が殺がれて牽制の均衡が曖昧になってきているのは明らかだ。
 魅了の対象が二つに増えてバランスが崩れて三竦みが解除される前に、僕は退散した方がいいだろう。

 だから僕は去った。颯爽と、不謹慎にもスキップしたいのをグッと堪えて。
 リュシアがこっちに歩いてく来ている。僕の方へ、あの耽美な御顔を不機嫌そうに歪ませて、それでも僕の元にやってくる。
 早く彼と合流し、早くこの混沌とした汚い砂漠を抜けたい。ただその一心で僕は行商人を振り返らない。

「ああ…あ、あぁぁぁあああ!!!!」

 行商人の断末魔が聴こえる。
 結界域のマナが強すぎたのだ。せっかく三竦みは完成したのに、誘惑役の男が死んでしまったら意味がない。
 贅沢を言うなら、魅了に侵されたままグレフが同士討ちしてくれれば楽だったのだけど、そもそもインキュバスの力を使う提案をしたのは僕で、リュシアの計画に付けたされたものだから、別に問題もないのだ。

「マガツ…ヒ…!」

 まだ男はしぶとく生きている。
 しつこい男は嫌われるってママに習わなかったな。

「ああ、そうか。君にママなんていないんだろうね、愚かな侵略者君。だから、死ぬのか。あははは!」

 僕は煉獄の地から抜け出す。
 混沌の砂漠には、もう二度と足を踏み入れるつもりはない。

 ギルドが砂漠を越えて彼らと戦おうが、一致団結して人間の大地を守ろうとしようが、僕にはどうだっていいのだ。
 僕は《中央》で庶民が蟻のように働く姿を、高みの見物で見守っていればいい立場なのだから。

 一度足らず何度も死を覚悟させられた地を背に、僕こそ一から仕切り直しである。



「やあ、リュシア。全て終わったよ」


 僕を出迎えに来てくれた最愛の人を腕に抱いて、僕は新天地に旅立つ。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

没落港の整備士男爵 ~「構造解析」スキルで古代設備を修理(レストア)したら、大陸一の物流拠点になり、王家も公爵家も頭が上がらなくなった件~

namisan
ファンタジー
大陸の南西端に位置するベルナ子爵領。 かつては貿易で栄えたこの港町も、今は見る影もない。 海底には土砂が堆積して大型船は入港できず、倉庫街は老朽化し、特産品もない。借金まみれの父と、諦めきった家臣たち。そこにあるのは、緩やかな「死」だけだった。 そんな没落寸前の領地の嫡男、アレン(16歳)に転生した主人公には、前世の記憶があった。 それは、日本で港湾管理者兼エンジニアとして働き、現場で散った「整備士」としての知識。 そして、彼にはもう一つ、この世界で目覚めた特異な能力があった。 対象の構造や欠陥、魔力の流れが設計図のように視えるスキル――【構造解析】。 「壊れているなら、直せばいい。詰まっているなら、通せばいい」 アレンは錆びついた古代の「浚渫(しゅんせつ)ゴーレム」を修理して港を深く掘り直し、魔導冷却庫を「熱交換の最適化」で復活させて、腐るだけだった魚を「最高級の輸出品」へと変えていく。 ドケチな家令ガルシアと予算を巡って戦い、荒くれ者の港湾長ゲンと共に泥にまみれ、没落商会の女主人メリッサと手を組んで販路を開拓する。 やがてその港には、陸・海・空の物流革命が巻き起こる。 揺れない「サスペンション馬車」が貴族の移動を変え、「鮮度抜群の魚介グルメ」が王族の胃袋を掴み、気性の荒いワイバーンを手懐けた「空輸便」が世界を結ぶ。

クラス転移したら種族が変化してたけどとりあえず生きる

アルカス
ファンタジー
16歳になったばかりの高校2年の主人公。 でも、主人公は昔から体が弱くなかなか学校に通えなかった。 でも学校には、行っても俺に声をかけてくれる親友はいた。 その日も体の調子が良くなり、親友と久しぶりの学校に行きHRが終わり先生が出ていったとき、クラスが眩しい光に包まれた。 そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。

追放された味噌カス第7王子の異種族たちと,のんびり辺境地開発

ハーフのクロエ
ファンタジー
 アテナ王国の末っ子の第7王子に産まれたルーファスは魔力が0で無能者と言われ、大陸の妖精族や亜人やモンスターの多い大陸から離れた無人島に追放される。だが前世は万能スキル持ちで魔王を倒し英雄と呼ばれていたのを隠し生まれ変わってスローライフを送る為に無能者を装っていたのだ。そんなルーファスはスローライフを送るつもりが、無人島には人間族以外の種族の独自に進化した先住民がおり、周りの人たちが勝手に動いて気が付けば豊かで平和な強国を起こしていく物語です。

辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します

潮ノ海月@2025/11月新刊発売予定!
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる! トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。 領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。 アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。 だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう 完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。 果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!? これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。 《作者からのお知らせ!》 ※2025/11月中旬、  辺境領主の3巻が刊行となります。 今回は3巻はほぼ全編を書き下ろしとなっています。 【貧乏貴族の領地の話や魔導車オーディションなど、】連載にはないストーリーが盛りだくさん! ※また加筆によって新しい展開になったことに伴い、今まで投稿サイトに連載していた続話は、全て取り下げさせていただきます。何卒よろしくお願いいたします。

勇者パーティーを追放されたので、張り切ってスローライフをしたら魔王に世界が滅ぼされてました

まりあんぬさま
ファンタジー
かつて、世界を救う希望と称えられた“勇者パーティー”。 その中で地味に、黙々と補助・回復・結界を張り続けていたおっさん――バニッシュ=クラウゼン(38歳)は、ある日、突然追放を言い渡された。 理由は「お荷物」「地味すぎる」「若返くないから」。 ……笑えない。 人付き合いに疲れ果てたバニッシュは、「もう人とは関わらん」と北西の“魔の森”に引きこもり、誰も入って来られない結界を張って一人スローライフを開始……したはずだった。 だがその結界、なぜか“迷える者”だけは入れてしまう仕様だった!? 気づけば―― 記憶喪失の魔王の娘 迫害された獣人一家 古代魔法を使うエルフの美少女 天然ドジな女神 理想を追いすぎて仲間を失った情熱ドワーフ などなど、“迷える者たち”がどんどん集まってくる異種族スローライフ村が爆誕! ところが世界では、バニッシュの支援を失った勇者たちがボロボロに…… 魔王軍の侵攻は止まらず、世界滅亡のカウントダウンが始まっていた。 「もう面倒ごとはごめんだ。でも、目の前の誰かを見捨てるのも――もっとごめんだ」 これは、追放された“地味なおっさん”が、 異種族たちとスローライフしながら、 世界を救ってしまう(予定)のお話である。

【完結】ご都合主義で生きてます。-商売の力で世界を変える。カスタマイズ可能なストレージで世の中を変えていく-

ジェルミ
ファンタジー
28歳でこの世を去った佐藤は、異世界の女神により転移を誘われる。 その条件として女神に『面白楽しく生活でき、苦労をせずお金を稼いで生きていくスキルがほしい』と無理難題を言うのだった。 困った女神が授けたのは、想像した事を実現できる創生魔法だった。 この味気ない世界を、創生魔法とカスタマイズ可能なストレージを使い、美味しくなる調味料や料理を作り世界を変えて行く。 はい、ご注文は? 調味料、それとも武器ですか? カスタマイズ可能なストレージで世の中を変えていく。 村を開拓し仲間を集め国を巻き込む産業を起こす。 いずれは世界へ通じる道を繋げるために。 ※本作はカクヨム様にも掲載しております。

処理中です...