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第二章 子育て奮闘中

51. 「2」という数字 ②

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「ホエエエエ!ホエエエ!ホエ、ホエ…ホエエエエエエ!!!」

「はあ…耳がどうにかなりそう」

 それでこれである。

 一昨日頃から、リアの様子がおかしくなった。体調が悪いとかそういうのではなくて、彼女で云えばあの傍迷惑な魔法の力が戻ってきた事は朗報なのかもしれないが、実際にこれだけ泣かれるたびに部屋中が竜巻に襲われるものだから、渦中にいる俺はたまったものではない。
 そう、ようやくリアは健康体になったのだ。

 へその緒が付いた状態で神殿の前に放置されていたのが約3週間前。子育て義務のないこの世界の連中に全く世話されずに1週間を生き延び、俺が異世界からやって来た。
 あれよあれよと成り行きでリアを育てて1週間後に《王都》から手紙の返事が戻ってきて、それからまた1週間が過ぎようとした一昨日、リアは弱った身体を復活させた。
 アホみたいにミルクを飲み、良く寝て良く泣き、ひたすら手足をぐーぱーさせてウゴウゴとベッドの上で動いていたリアの姿にホッとしたのも束の間、リアが元気になるという事は魔法の力もまた猛威を振るうわけで。

 どういう理由か、何が気に食わないのか知らないが、ここ数日リアは泣き続けている。
 ついでにリアの声が届く範囲は魔法で滅茶苦茶にされるから、俺はここんとこ部屋に缶詰状態にされて心底参っているというわけである。

 俺は寝不足に拍車をかけて寝不足だった。
 神殿の連中は旅の準備が、とあれこれ理由をつけて、部屋に近づきもしない。
 彼らだって四六時中泣いているリアの声がうるさくて眠れていないのは知っている、パルミラとエリザは特に苛立っているようで、何度か壁ドンを食らってもいる。
 唯一フアナがミルクを作って持ってきてくれるが、俺に渡したらさっさといなくなる。世話話もしてくれないなんて、いくら何でも冷たすぎる扱いじゃないか。
 俺としては、逃れる先が無くて地獄だった。

 赤ん坊の泣き声というものは、どうしてあんなに不快な音をしているのか。
 敢えてそうすることで大人の関心を引いている説が濃厚なんだが、疲れ切っている今は逆効果にしかならない。

「おお~い、いい加減泣き止んでくれよぉ~」

「ホワアアア!!ホワアアアア!!ケヘッケヘッ!ホワアアア!!」

「何が気に食わねえんだよ…せめて30分くらいは連続で寝てくれや…」

「ホンワアアアアアア!!!」

「………」

「ホエエエエエエエ!!ホワアアアアア!!!」

 ああ、今朝も太陽が黄色い。
 人はどれだけ眠らなかったら死ぬんだろうか。

 そんなことをぼんやりと思いながら、リアを抱っこし続けて腱鞘炎になりつつある腕を叱咤しながら、またユラユラと揺れる俺であった。





 ほんの一瞬だけ、うたた寝程度であるが意識を飛ばす時がある。
 リアの泣き声に起こされる僅か数分の事であるが、俺は黄昏の夢を見る。

 まるで蜃気楼のような、曖昧とした夢だ。

 なのに、その内容をはっきりと覚えている。
 夢か現か、極限の睡眠不足は意識を朦朧とさせて、ずっとこれを繰り返している俺は、現実の狭間が見えていない。

(異世界だもんな、ここ)

 変に納得して、夢の中で何かを見る。

 それはひとりの女だった。
 何かをまくしたてるように俺に対して怒鳴っているのだが、その女に見覚えもなければ怒られる筋合いもない。

 曖昧だった輪郭が、夢を繰り返し見るたびに徐々に色濃く鮮明となっていく。
 ふわふわと足元が覚束ない夢の中でも見知らぬ女に騒がれて、俺はひどく不愉快になっている。
 けれど女はそんな俺の心情を知る由もなく、がなり立てて俺を起こそうとするのだ。

「この野郎、いい加減にしろってんだ!」

「ホエエ!ホエエ、ホエエ…ホエエ…ホエエエエ!」

 遠くから何度聞いてもうんざりする赤ん坊の泣き声を聞きつけ、俺はまた目を覚ます。

 夢でも現実でも、俺は休めない。

 もう、限界だった。

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