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第二章 子育て奮闘中
52. 「2」という数字 ③
しおりを挟む麗らかな午後の昼下がり、俺の眠気はピークを何周も回って、却って頭がさえ渡っている。
いつもは俺とリアしかいない殺風景な部屋に、珍しく巫女の三人が訪れていた。
てっきり俺の昼食を運んで来てくれたんだと思ったのだが、どうやら勝手が違うようで。
頭や肩、脛などの身体が剥き出しになっている部分に板っ切れのお粗末なガードをそれぞれ装備してやって来た三人は、それはそれは思い思いに言ってくれやがったよ。
リアがうるさいから、泣き止ませろってな。
「あのさぁ、コウハ。リア様の力が戻って君の加護も復活したから分からないと思うけど、リア様のその力はとっても危険だって認識はあるかな?」
開口一番、進み出たのはエミールだった。
リアの私室には小さな竜巻が無数に渦巻いていて、部屋中を縦横無尽に駆け回っていた。
これはリアが一層泣き声を大きくした時に、風が吹き荒れる。整理整頓が行き届いていたはずの、俺が使いやすいようにリフォームした室内は滅茶苦茶だ。
本棚の書物は全て宙に舞い、重い家具もあっちこっちの壁にぶち当たる。物が当たってガラス窓が割れるので窓枠は外したし、当然カーテンなんぞも付いていない。
俺は台風のど真ん中に鎮座しているってわけだ。
「そんな事、俺が知るもんか」
今もリアは泣いている。
泣きすぎて、ホエホエと唇が震えている。
「ここだけじゃないよ。隣の部屋までこの有様なんだよ。リア様のお世話、疎かになってない?」
「コウハ様…人は悲しい時に泣く生き物です。リア様がこんなに泣かれるのは、理由があるはずですよ」
次いで俺を睨みつけるのはエリザだ。
安眠とスイーツとカワイイモノをこよなく愛しているイマドキのJKであるエリザの、オレンジ色の明るい瞳の下は濃いクマがあり、目が据わっていて結構迫力がある。
「リア様を虐めたりしていません?」
「ンな事するかっての。っつうか、お前らこんなところに来ていいのかよ。旅の準備は進んでんのか?」
面と向かって失礼な双子だ。
部屋から出して貰えない俺には外の様子など分かるはずもなく、一向に出発する気配のない呑気な神殿の連中にもイラつきを募らせていた。
「馬車がどうとか言ってたよな。どうなってんだよ」
すると、眉をへの字に下げたフアナが、いつもの為りを潜めて小さな声で呟いた。
「まだよ…まだ、目標金額に達してない…」
「はあ?目標金額ってなんだ?俺、初耳なんだけど。え、なに?いつまでも出発しねえなあって思ってたけど、まさか馬を買う金が捻出できなくて、ダラダラしてんのかよ」
「違うわよ、馬車を借りるお金よ」
「どっちも一緒だよ!マジかよ、調達どころか目途すら立ってねえじゃんか。何処で借りようとしてるんだ?あのオタク親父のトコか?」
「おた?よく分かんないけど、ガレットさんよ。牧場の…覚えてるでしょ?」
覚えているも何も、日常系美少女アニメのキャラクターにハメさせたのは俺だし、その対価に貴重なヤギを手に入れたのは記憶に新しい。
この世界のオッサンは全員チョビ髭にしなければならない法律でもあるのかと云わんばかりに、皆同じ髪型と髭を携えている。牧場のオッサンも、ボンジュールもアルもだ。
バズは激しくハゲなので例外ではあるが。
牧場のオッサン―――ガレットは、はしゃいだ見た目の割には実に金にシビアで、特に無料で何でも手に入れようとする神殿の連中相手には厳しい態度だった。
このあたりで馬を所有しているのはガレットの牧場のみである。
旅に馬は欠かせない。況して8人もの大人数となると荷物が多く、また野宿を強いられる際にも幌幌のある荷車は役に立つ。それぞれがでっかい荷物を抱えて2週間も歩き詰めなのも現実的ではなく、首の据わっていない赤ん坊連れだと常に抱きかかえているのも辛すぎるものがある。
なので、王都行きの話が出た翌日に、巫女とアルが馬車を融通できないかと交渉に出向いたが、やはり返事は厳しいものだったそうである。
だが、一応正式な王都招集命令を足蹴にしたと分かれば、オッサンの立場は一気に危うくなろう。神殿は国の機関であり、オッサンは《王都》に移住したがっているから、顔覚えが悪くなるのは少し不味い。
だからオッサンは、馬車を貸与する代わりの金……無一文の神殿の連中に対価、つまりは「労働力」を求めたのだ。
それからバズとアルは牧場に出ずっぱりで、巫女の三人も交代制で働きに行っているそうだ。
中々神殿で顔を合わせないと思っていたが、まさかそんな事情だとは知らなかった。
しかも、その賃金がまだ貸与額に全然達してないという。どんだけボッタくられているのか知らないが、随分と舐められたものだ。それに疑問を呈さず素直に従っている神殿の連中も相当おかしいと思う。
ちなみにバズは《王都》についてこない。
村には奥さんもいるし、神殿の仕事がなくともあの働きっぷりは村でも引く手数多だったからだ。
自分が行かない旅の前準備を文句も言わずに率先してやるバズは、単純だがいい奴過ぎる。
だからか。
疲れているのは俺だけではない。
牧場の、連日の肉体労働は辛かろう。朝も早いからゆっくり眠って疲れを癒したいのも十分理解できる。
「いい加減にしてくださいまし。私、眠れないと機嫌が悪くなるんです」
「ちょっとエリザ!みんな疲れてるのは同じなんだし、コウハに八つ当たりしても仕方ないでしょ?」
「リア様って、君の言葉分からないのかな?泣き止ませ方、試してみたの?君の世界のその情報端末に、色々と指南が書いてあるんだよね」
「エミールもダメだったら!リア様が言葉を理解してるとは到底思えないわ。コウハも頑張ってるじゃない」
ああ、そうか。
文句を言いに来たのは双子で、フアナはそれを止めに付いて来たのか。
「パルミラさんもずっと機嫌悪くて壁蹴ってるし、出発前に体力削がれちゃうと困るんだけど」
「ンなこと言ったってよ、俺も閉口してんだよ。何やっても泣き止まねぇ…。文句言うなら、お前らがやってみればいいさ。どうせ無駄だろうけどな」
「それはコウハ様のお仕事じゃないですか!」
誰もが眠く、誰もがしんどい。
たった一人の赤ん坊を身近に置くだけで、ガラリと日常が変化する。
こんなにも大変だったとは思わなかった。こんな小さな存在に大人が振り回されるだなんて、考えもしなかった。
余裕を無くした大人は子供に還る。他人を慈しむ心を忘れる。我を表に出すことでストレス発散して気を晴らす。
だから俺は改めて思うのだ。俺を育てた実親や、世の子を持つ親の、その辛抱強さに尊敬を抱くよ。
「やっぱり専門機関の人じゃないからダメなんだよ」
「だから早く《王都》に連れて行きたいのに…、でも旅の間もこんな感じだと、結構クるものがありますね、コウハ様」
「こんなに顔を真っ赤にさせちゃって、可哀想なリア様…。コウハ、ミルクはちゃんと飲ませてるの?」
「抱っこが乱暴なのかもしれませんよ。とにかく今すぐにリア様を落ち着かせてくださいね!」
しかし、あまりの言われように俺も黙ってはいられない。
双子のこれは完全な八つ当たりであり、リアを泣き止ませようと必死扱いてる俺に対しての侮辱にも聞こえる。
俺はやるべきことはやっている。無我夢中で必死にリアと向き合っている。
こいつらが放棄した子育てっつーのを、異世界から召喚されただけの、本来関係ない俺がやってあげているのを忘れているのか。
「ま、待って二人とも!もう行きましょう、疲れているのは分かるけど…コウハに言っても何も変わらないと思うし…」
俺の顔色が変わったことに、いち早く気付いたフアナが慌てだした。
止めに付いて来たつもりなんだろうが、普段は勝気な彼女が強く出れないのだ。気持ちは双子と同じに違いない。
それに何気にフアナの言葉にも傷付いている。こいつも結局は、リアを鬱陶しいと思っているのだ。
もう、遠慮なんかやめだ。
そっちがそう出るなら、俺だって我を通させてもらう。
俺の方こそ、限界だったのだ。
「俺も色々大変なんだよ…お前らいい加減に―――」
「寝てるだけの赤ん坊を見ているだけなんじゃない?働いて稼いでいるのはこっちだよ?」
「だったらもっと頑張らないとですね」
「――――!!」
その言葉が、俺の心にぐさりと深く突き刺さった時。
俺の目の前は真っ黒に染まった。
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