香戀歌〜千年の時を越えて〜

水無瀬 蒼

文字の大きさ
20 / 99

結婚4

しおりを挟む
 三夜目の月は霞むような雲の帳の向こうで淡く光っていた。虫の声が静かに響く庭に、真夏を乗せた牛車が静かに進む。
 ふと風が吹き、袖の下に忍ばせた笛が微かに揺れ、かつて山で聞いた音が胸の奥に蘇った。
 この笛があれば。
 風が吹けば。
 山で過ごした博嗣との時間も、笛の音もまだはっきりと思い出すことができる。

 ――これで三夜目。

 女房たちが静かに真夏を迎える。姫君の御簾の向こう、灯りがひとつだけ、ほのかに揺れている。これまでと同じように姫君の元へと進み、几帳を隔てて腰を下ろした。
 声を掛けると、姫君は柔らかく応じ、緩やかに話す。

「三夜、通ってくださって、ようやく……」

 清音は言いかけて言葉を飲み込む。その声音に、緊張と、どこか喜びと不安の入り交じった気配が滲んでいた。

「夜は……長いようで短うございますね」
「本当にそうですね。けれど、お相手があなただったので、私は、思ったよりも落ち着いておりました。感謝いたします」

 真夏の言葉に、清音が微かに微笑む。御簾の影に揺れるその笑みは、都の女らしく慎み深く、けれど確かに真夏を見つめていた。
 やがて、静かな足音と共に、年配の女房が現れ、几帳の傍に膳を運び置く。

「三夜の餅でございます。ご祝儀に召し上がっていただければと」

 女房が頭をさげ、そっと餅を差し出す。紅白の小さな餅が三つ、檜の膳に列べられていた。真夏はそれを見つめ、手を伸ばす。

「これで私たちは……」

 続きの言葉を口にすることはできなかった。
 三夜の餅。それはすなわち、2人の婚姻が結ばれた証しだからだ。
 霞若だった頃の自分が、今、この膳を前にしていることが、ふと不思議に思えた。霞若として博嗣と過ごしたことは現実だけど、この瞬間を姫君とわかちあうこともまた現実なのだ。
 小さな餅を口に運ぶ。ほんのりと甘く、もっちりとした食感が喉を通る。その温かさに真夏の心はじんわりと満たされていった。
 清音もひとつ餅を口にして優しく言う。

「これから、どうか、よろしくお願いいたしますね」

 その一言に、真夏は頷いた。

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 真夏がそう口にしたとき、庭に咲く秋の花が、夜風にわずかに揺れていた。
 灯がわずかに揺れ、月が清音の横顔を優しく照らす。真夏はその光に、どこか儚げな想いを見た気がした。

「真夏さまは……まだ、どこか遠くを見つめておいでですね」

 清音がぽつりと漏らす。
 真夏は一瞬、なにも答えられなかった。清音の言葉は静かだけれど、芯をついていた。

「……申し訳ございません。そうかもしれません」
「いいえ。よいのです。ただ、私は、少しでも、真夏さまのお近くにいられたらと、それだけを思っております」

 その声は、決して真夏を責めるものではなかった。ただ、静かで、どこまでも真夏の心を包み込むような優しさに満ちていた。
 けれど、その言葉に胸が少し痛む。けれど、逃げるように目を逸らすことはせずに、まっすぐに清音を見た。

「あなたは優しいお方ですね」
「そうでありたいと、ずっと思って参りました」

 そう言って清音は膝の上でそっと手を重ねた。真夏はその手を迷いながらも静かに包んだ。
 
 ――ここにいても、夢の中であの方に会うことをやめるわけではない

 けれど今、この手を取ることも、真夏の偽りではなかった。交差する想いがふたつの時の流れを重ねていく夜だった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫には好きな相手がいるようです。愛されない僕は針と糸で未来を縫い直します。

伊織
BL
裕福な呉服屋の三男・桐生千尋(きりゅう ちひろ)は、行商人の家の次男・相馬誠一(そうま せいいち)と結婚した。 子どもの頃に憧れていた相手との結婚だったけれど、誠一はほとんど笑わず、冷たい態度ばかり。 ある日、千尋は誠一宛てに届いた女性からの恋文を見つけてしまう。 ――自分はただ、家からの援助目当てで選ばれただけなのか? 失望と涙の中で、千尋は気づく。 「誠一に頼らず、自分の力で生きてみたい」 針と糸を手に、幼い頃から得意だった裁縫を活かして、少しずつ自分の居場所を築き始める。 やがて町の人々に必要とされ、笑顔を取り戻していく千尋。 そんな千尋を見て、誠一の心もまた揺れ始めて――。 涙から始まる、すれ違い夫婦の再生と恋の物語。 ※本作は明治時代初期~中期をイメージしていますが、BL作品としての物語性を重視し、史実とは異なる設定や表現があります。 ※誤字脱字などお気づきの点があるかもしれませんが、温かい目で読んでいただければ嬉しいです。

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

僕の恋人は、超イケメン!!

BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

はじまりの朝

さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。 ある出来事をきっかけに離れてしまう。 中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。 これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。 ✳『番外編〜はじまりの裏側で』  『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。

雪を溶かすように

春野ひつじ
BL
人間と獣人の争いが終わった。 和平の条件で人間の国へ人質としていった獣人国の第八王子、薫(ゆき)。そして、薫を助けた人間国の第一王子、悠(はる)。二人の距離は次第に近づいていくが、実は薫が人間国に行くことになったのには理由があった……。 溺愛・甘々です。 *物語の進み方がゆっくりです。エブリスタにも掲載しています

【完結】恋した君は別の誰かが好きだから

花村 ネズリ
BL
本編は完結しました。後日、おまけ&アフターストーリー随筆予定。 青春BLカップ31位。 BETありがとうございました。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 俺が好きになった人は、別の誰かが好きだからーー。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 二つの視点から見た、片思い恋愛模様。 じれきゅん ギャップ攻め

専属バフ師は相棒一人しか強化できません

BL
異世界転生した零理(レイリ)の転生特典は仲間にバフをかけられるというもの。 でもその対象は一人だけ!? 特に需要もないので地元の村で大人しく農業補佐をしていたら幼馴染みの無口無表情な相方(唯一の同年代)が上京する!? 一緒に来て欲しいとお願いされて渋々パーティを組むことに! すると相方強すぎない? え、バフが強いの? いや相方以外にはかけられんが!? 最強バフと魔法剣士がおくるBL異世界譚、始まります!

処理中です...