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結婚4
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三夜目の月は霞むような雲の帳の向こうで淡く光っていた。虫の声が静かに響く庭に、真夏を乗せた牛車が静かに進む。
ふと風が吹き、袖の下に忍ばせた笛が微かに揺れ、かつて山で聞いた音が胸の奥に蘇った。
この笛があれば。
風が吹けば。
山で過ごした博嗣との時間も、笛の音もまだはっきりと思い出すことができる。
――これで三夜目。
女房たちが静かに真夏を迎える。姫君の御簾の向こう、灯りがひとつだけ、ほのかに揺れている。これまでと同じように姫君の元へと進み、几帳を隔てて腰を下ろした。
声を掛けると、姫君は柔らかく応じ、緩やかに話す。
「三夜、通ってくださって、ようやく……」
清音は言いかけて言葉を飲み込む。その声音に、緊張と、どこか喜びと不安の入り交じった気配が滲んでいた。
「夜は……長いようで短うございますね」
「本当にそうですね。けれど、お相手があなただったので、私は、思ったよりも落ち着いておりました。感謝いたします」
真夏の言葉に、清音が微かに微笑む。御簾の影に揺れるその笑みは、都の女らしく慎み深く、けれど確かに真夏を見つめていた。
やがて、静かな足音と共に、年配の女房が現れ、几帳の傍に膳を運び置く。
「三夜の餅でございます。ご祝儀に召し上がっていただければと」
女房が頭をさげ、そっと餅を差し出す。紅白の小さな餅が三つ、檜の膳に列べられていた。真夏はそれを見つめ、手を伸ばす。
「これで私たちは……」
続きの言葉を口にすることはできなかった。
三夜の餅。それはすなわち、2人の婚姻が結ばれた証しだからだ。
霞若だった頃の自分が、今、この膳を前にしていることが、ふと不思議に思えた。霞若として博嗣と過ごしたことは現実だけど、この瞬間を姫君とわかちあうこともまた現実なのだ。
小さな餅を口に運ぶ。ほんのりと甘く、もっちりとした食感が喉を通る。その温かさに真夏の心はじんわりと満たされていった。
清音もひとつ餅を口にして優しく言う。
「これから、どうか、よろしくお願いいたしますね」
その一言に、真夏は頷いた。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
真夏がそう口にしたとき、庭に咲く秋の花が、夜風にわずかに揺れていた。
灯がわずかに揺れ、月が清音の横顔を優しく照らす。真夏はその光に、どこか儚げな想いを見た気がした。
「真夏さまは……まだ、どこか遠くを見つめておいでですね」
清音がぽつりと漏らす。
真夏は一瞬、なにも答えられなかった。清音の言葉は静かだけれど、芯をついていた。
「……申し訳ございません。そうかもしれません」
「いいえ。よいのです。ただ、私は、少しでも、真夏さまのお近くにいられたらと、それだけを思っております」
その声は、決して真夏を責めるものではなかった。ただ、静かで、どこまでも真夏の心を包み込むような優しさに満ちていた。
けれど、その言葉に胸が少し痛む。けれど、逃げるように目を逸らすことはせずに、まっすぐに清音を見た。
「あなたは優しいお方ですね」
「そうでありたいと、ずっと思って参りました」
そう言って清音は膝の上でそっと手を重ねた。真夏はその手を迷いながらも静かに包んだ。
――ここにいても、夢の中であの方に会うことをやめるわけではない
けれど今、この手を取ることも、真夏の偽りではなかった。交差する想いがふたつの時の流れを重ねていく夜だった。
ふと風が吹き、袖の下に忍ばせた笛が微かに揺れ、かつて山で聞いた音が胸の奥に蘇った。
この笛があれば。
風が吹けば。
山で過ごした博嗣との時間も、笛の音もまだはっきりと思い出すことができる。
――これで三夜目。
女房たちが静かに真夏を迎える。姫君の御簾の向こう、灯りがひとつだけ、ほのかに揺れている。これまでと同じように姫君の元へと進み、几帳を隔てて腰を下ろした。
声を掛けると、姫君は柔らかく応じ、緩やかに話す。
「三夜、通ってくださって、ようやく……」
清音は言いかけて言葉を飲み込む。その声音に、緊張と、どこか喜びと不安の入り交じった気配が滲んでいた。
「夜は……長いようで短うございますね」
「本当にそうですね。けれど、お相手があなただったので、私は、思ったよりも落ち着いておりました。感謝いたします」
真夏の言葉に、清音が微かに微笑む。御簾の影に揺れるその笑みは、都の女らしく慎み深く、けれど確かに真夏を見つめていた。
やがて、静かな足音と共に、年配の女房が現れ、几帳の傍に膳を運び置く。
「三夜の餅でございます。ご祝儀に召し上がっていただければと」
女房が頭をさげ、そっと餅を差し出す。紅白の小さな餅が三つ、檜の膳に列べられていた。真夏はそれを見つめ、手を伸ばす。
「これで私たちは……」
続きの言葉を口にすることはできなかった。
三夜の餅。それはすなわち、2人の婚姻が結ばれた証しだからだ。
霞若だった頃の自分が、今、この膳を前にしていることが、ふと不思議に思えた。霞若として博嗣と過ごしたことは現実だけど、この瞬間を姫君とわかちあうこともまた現実なのだ。
小さな餅を口に運ぶ。ほんのりと甘く、もっちりとした食感が喉を通る。その温かさに真夏の心はじんわりと満たされていった。
清音もひとつ餅を口にして優しく言う。
「これから、どうか、よろしくお願いいたしますね」
その一言に、真夏は頷いた。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
真夏がそう口にしたとき、庭に咲く秋の花が、夜風にわずかに揺れていた。
灯がわずかに揺れ、月が清音の横顔を優しく照らす。真夏はその光に、どこか儚げな想いを見た気がした。
「真夏さまは……まだ、どこか遠くを見つめておいでですね」
清音がぽつりと漏らす。
真夏は一瞬、なにも答えられなかった。清音の言葉は静かだけれど、芯をついていた。
「……申し訳ございません。そうかもしれません」
「いいえ。よいのです。ただ、私は、少しでも、真夏さまのお近くにいられたらと、それだけを思っております」
その声は、決して真夏を責めるものではなかった。ただ、静かで、どこまでも真夏の心を包み込むような優しさに満ちていた。
けれど、その言葉に胸が少し痛む。けれど、逃げるように目を逸らすことはせずに、まっすぐに清音を見た。
「あなたは優しいお方ですね」
「そうでありたいと、ずっと思って参りました」
そう言って清音は膝の上でそっと手を重ねた。真夏はその手を迷いながらも静かに包んだ。
――ここにいても、夢の中であの方に会うことをやめるわけではない
けれど今、この手を取ることも、真夏の偽りではなかった。交差する想いがふたつの時の流れを重ねていく夜だった。
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