29 / 51
静かな夜の扉8
しおりを挟む
ドアを開けると、そこには予想通りタクヤが立っていた。あの黒猫はいないのかとタクヤの足元を見ると、黒猫はまっすぐな私の気持ちを見透かすように見ていた。黒猫は神の使い。だとしたらこの猫には私の考えなど筒抜けなのだろう。そしてタクヤはというと、困ったような顔をしていた。私がドアを開けるとは思わなかったのかもしれない。
「もしかして、ずっとここに?」
私がタクヤにそう尋ねると、タクヤは視線を反らせた。その視線の動きで、そうだということがわかる。
「……レオニスさんの書斎の明かりが消えなかったから心配で」
「心配……」
心配だなんて言葉が出るとは思わなくて、私は一瞬体が固まってしまった。今までも貴族院でうまく行かなかったりしたことは何度もある。自信をなくしたことだって何度もある。今回が初めてではない。だから、ニコラスをはじめ、使用人の中には私のことを案じた者がいたかもしれない。実際に、不眠症になってしまったときはニコラスに、くまができていることを指摘されたことがある。決して他の言葉を言うではなかったけれど、思うことはあっただろう。書斎に籠もって食事をしたことだって今回が初めてではないし、食事を残すようになったのも初めてではない。だから少なくともニコラスとアベルにはわかっているだろう。そう思うから余計にダイニングルームで食べることができなくなったのだ。2人の視線から逃れたくて。なのに、タクヤはまっすぐに私に心配だと言ってきた。ニコラスとアベルには気づかれていたとしても他の使用人には気づかれないように気を張っていたつもりだ。だからタクヤに気づかれていたというのに私は言葉を失った。
「そんな……顔をしていた、のか。私は」
そんな顔をしていたと知った私は、自分が愚かだと思った。そう思うと馬鹿馬鹿しくて思わず笑ってしまった……。いや、笑ったつもりだった。うまく笑えたかはわからないけれど。
そこでふと、私の弱音をタクヤは聞いたのではないかと思った。私の荒れ果てた机と床に散らばった紙を見たタクヤに、そう思って訊いたのだ。
「……はい。でも、偶然です。盗み聞きするつもりじゃなくて……」
やはり聞かれていたか。でも、黙ったままの私に、タクヤは必死に言い訳をした。ああ、怒ったと思ったのか。
「怒ってはいない。君に怒る理由はない。私が……勝手に、崩れただけだ」
そう1人で勝手に崩れただけだ。タクヤはなにも悪くはない。それどころか、こんな姿など見たくなかったかもしれない。貴族なのに、と。それでもタクヤはそうは思わなかったみたいだ。そういえばタクヤの国では貴族がいないと言っていたな。そうしたら貴族がどうあるべきだとかわからないのかもしれない。それか逆に理想が大きいか。でも、見た限りタクヤは前者のようだ。それにほんの少し安堵してしまう。
「私のやろうとしていることは、多分多くの者を敵に回す。けれど、それでも庶民のために改革を進めたい。誰かがやらなければこの国はダメになる。……ただ、時々自分が家名を含めてなにを失うのかが怖くなるんだ」
「怖いって思っていいと思います」
今、なんと言った? 怖いと思って当然だと言ったのか? 貴族は常に前を向いて民そして国のために政治をする。怖いだなんて言ってはいけないのではないのか? 言っても構わないのか? タクヤの言葉に私は驚いた。
「だって、人のためになにかをしようとする人がなにも感じない方がおかしいと思います。怖くても、それでも前に進もうとするのなら、その人はすごい強い人だと思うし、すごいことだと思います」
そして、怖いと思っても前へ進もうとするのは強いと。そう言ってくれるのか。怖いと思ってもいいのか。私は弱音を吐くのは悪いことだと思っていた。でも、前へ進もうとするのならば怖いと思ってもいいと言うのなら、私はきっと、まだ頑張れる。声をあげればヴァルター侯爵が、また圧をかけてくる。先日のように屋敷へ来るかもしれないし、それとも結婚を勧められているヴァルター侯爵の姪からなにかを言われるのかもしれない。それでも私はきっと声をあげ続ける。庶民であれ、この国の人間が皆幸せでいることを私は目指しているのだ。生活で疲れただなんて思って欲しくはない。政治は貴族のためのものじゃない。この国の国民皆のためだ。そのために私は戦おう。そして、そう思わせてくれたタクヤには感謝しかない。そういえば、と思い出す。タクヤは異世界人だ。この国では異世界人は救世主だと言われている。だから異世界人の後見人になることは貴族にとってステータスとなる。そしてタクヤは1人ではない。神の使いと言われる黒猫を連れている。だからきっと救ってくれる。もし、私を救ってくれるというのなら、私のことはどうでもいい。庶民を救って欲しい。そして、タクヤはこの国の庶民の暮らしを見たことがないのだと言った。散歩も屋敷の敷地で済んでいるという。
「それなら、そのうち一緒に行こう。私では気がつかないことも君なら気がつくこともあるかもしれない」
「はいっ!」
「今日はもう休もう」
「遅くまですいませんでした。レオニスさんも休んでくださいね」
「ああ。そうしよう。それから朝食だけど、最近は食べずに行っていたけれど、明日はいつも通り食べて出かけるよ」
心配をかけたのはタクヤだけではないだろう。ニコラスだってアベルにだって私が弱っているのは気づいているだろう。ただ言葉にしないだけで。だけど、数日顔を見せなかった私が顔を見せたらホッとするだろう。
「じゃあ、明日はダイニングルームで食べましょう。夜はまたなにか作りますね」
「楽しみにしているよ」
「はい。じゃあお休みなさい」
「ああ。お休み」
タクヤと話したあと、私の心は軽くなっていた。人に弱音を吐くなんてことをしてしまったがタクヤは軽蔑したりしなかった。それどころか慰めてくれた。タクヤが救世主なのかはわからない。でも、そんなことはどうだっていい。もう少し戦う勇気をくれた。それだけで私には十分だ。
「もしかして、ずっとここに?」
私がタクヤにそう尋ねると、タクヤは視線を反らせた。その視線の動きで、そうだということがわかる。
「……レオニスさんの書斎の明かりが消えなかったから心配で」
「心配……」
心配だなんて言葉が出るとは思わなくて、私は一瞬体が固まってしまった。今までも貴族院でうまく行かなかったりしたことは何度もある。自信をなくしたことだって何度もある。今回が初めてではない。だから、ニコラスをはじめ、使用人の中には私のことを案じた者がいたかもしれない。実際に、不眠症になってしまったときはニコラスに、くまができていることを指摘されたことがある。決して他の言葉を言うではなかったけれど、思うことはあっただろう。書斎に籠もって食事をしたことだって今回が初めてではないし、食事を残すようになったのも初めてではない。だから少なくともニコラスとアベルにはわかっているだろう。そう思うから余計にダイニングルームで食べることができなくなったのだ。2人の視線から逃れたくて。なのに、タクヤはまっすぐに私に心配だと言ってきた。ニコラスとアベルには気づかれていたとしても他の使用人には気づかれないように気を張っていたつもりだ。だからタクヤに気づかれていたというのに私は言葉を失った。
「そんな……顔をしていた、のか。私は」
そんな顔をしていたと知った私は、自分が愚かだと思った。そう思うと馬鹿馬鹿しくて思わず笑ってしまった……。いや、笑ったつもりだった。うまく笑えたかはわからないけれど。
そこでふと、私の弱音をタクヤは聞いたのではないかと思った。私の荒れ果てた机と床に散らばった紙を見たタクヤに、そう思って訊いたのだ。
「……はい。でも、偶然です。盗み聞きするつもりじゃなくて……」
やはり聞かれていたか。でも、黙ったままの私に、タクヤは必死に言い訳をした。ああ、怒ったと思ったのか。
「怒ってはいない。君に怒る理由はない。私が……勝手に、崩れただけだ」
そう1人で勝手に崩れただけだ。タクヤはなにも悪くはない。それどころか、こんな姿など見たくなかったかもしれない。貴族なのに、と。それでもタクヤはそうは思わなかったみたいだ。そういえばタクヤの国では貴族がいないと言っていたな。そうしたら貴族がどうあるべきだとかわからないのかもしれない。それか逆に理想が大きいか。でも、見た限りタクヤは前者のようだ。それにほんの少し安堵してしまう。
「私のやろうとしていることは、多分多くの者を敵に回す。けれど、それでも庶民のために改革を進めたい。誰かがやらなければこの国はダメになる。……ただ、時々自分が家名を含めてなにを失うのかが怖くなるんだ」
「怖いって思っていいと思います」
今、なんと言った? 怖いと思って当然だと言ったのか? 貴族は常に前を向いて民そして国のために政治をする。怖いだなんて言ってはいけないのではないのか? 言っても構わないのか? タクヤの言葉に私は驚いた。
「だって、人のためになにかをしようとする人がなにも感じない方がおかしいと思います。怖くても、それでも前に進もうとするのなら、その人はすごい強い人だと思うし、すごいことだと思います」
そして、怖いと思っても前へ進もうとするのは強いと。そう言ってくれるのか。怖いと思ってもいいのか。私は弱音を吐くのは悪いことだと思っていた。でも、前へ進もうとするのならば怖いと思ってもいいと言うのなら、私はきっと、まだ頑張れる。声をあげればヴァルター侯爵が、また圧をかけてくる。先日のように屋敷へ来るかもしれないし、それとも結婚を勧められているヴァルター侯爵の姪からなにかを言われるのかもしれない。それでも私はきっと声をあげ続ける。庶民であれ、この国の人間が皆幸せでいることを私は目指しているのだ。生活で疲れただなんて思って欲しくはない。政治は貴族のためのものじゃない。この国の国民皆のためだ。そのために私は戦おう。そして、そう思わせてくれたタクヤには感謝しかない。そういえば、と思い出す。タクヤは異世界人だ。この国では異世界人は救世主だと言われている。だから異世界人の後見人になることは貴族にとってステータスとなる。そしてタクヤは1人ではない。神の使いと言われる黒猫を連れている。だからきっと救ってくれる。もし、私を救ってくれるというのなら、私のことはどうでもいい。庶民を救って欲しい。そして、タクヤはこの国の庶民の暮らしを見たことがないのだと言った。散歩も屋敷の敷地で済んでいるという。
「それなら、そのうち一緒に行こう。私では気がつかないことも君なら気がつくこともあるかもしれない」
「はいっ!」
「今日はもう休もう」
「遅くまですいませんでした。レオニスさんも休んでくださいね」
「ああ。そうしよう。それから朝食だけど、最近は食べずに行っていたけれど、明日はいつも通り食べて出かけるよ」
心配をかけたのはタクヤだけではないだろう。ニコラスだってアベルにだって私が弱っているのは気づいているだろう。ただ言葉にしないだけで。だけど、数日顔を見せなかった私が顔を見せたらホッとするだろう。
「じゃあ、明日はダイニングルームで食べましょう。夜はまたなにか作りますね」
「楽しみにしているよ」
「はい。じゃあお休みなさい」
「ああ。お休み」
タクヤと話したあと、私の心は軽くなっていた。人に弱音を吐くなんてことをしてしまったがタクヤは軽蔑したりしなかった。それどころか慰めてくれた。タクヤが救世主なのかはわからない。でも、そんなことはどうだっていい。もう少し戦う勇気をくれた。それだけで私には十分だ。
17
あなたにおすすめの小説
転生したようだけど?流れに身を任せていたら悪役令息?として断罪されていた――分からないまま生きる。
星乃シキ
BL
発作の後に目覚めたら、公爵家嫡男の身体だった。
前世の記憶だけを抱えたまま生きるレイは、ある夜、男の聖女への嫌がらせの罪で断罪される。
だが図書室の記録が冤罪を覆す。
そしてレイは知る。
聖女ディーンの本当の名はアキラ。
同じ日本から来た存在だった。
帰りたい聖女と、この身体で生きるレイ。
秘密を共有した二人は、友達になる。
人との関わりを避けてきたレイの人間関係が、少しずつ動き始める。
無能と呼ばれた婚約者は王を完成させる〜替え玉婚約者のはずが、強すぎる王太子に手放してもらえません〜
統子
BL
兄の身代わりとして王太子の婚約者になった伯爵家次男リュシー。
嘘の名を名乗ったはずが、冷静で誠実な王太子リオンは彼を「力の装置」としてではなく、対等な伴侶として扱おうとする。
本物になりたいと願う替え玉と、完成された王太子の静謐な王宮ロマンス。
拝啓、目が覚めたらBLゲームの主人公だった件
碧月 晶
BL
さっきまでコンビニに向かっていたはずだったのに、何故か目が覚めたら病院にいた『俺』。
状況が分からず戸惑う『俺』は窓に映った自分の顔を見て驚いた。
「これ…俺、なのか?」
何故ならそこには、恐ろしく整った顔立ちの男が映っていたのだから。
《これは、現代魔法社会系BLゲームの主人公『石留 椿【いしどめ つばき】(16)』に転生しちゃった元平凡男子(享年18)が攻略対象たちと出会い、様々なイベントを経て『運命の相手』を見つけるまでの物語である──。》
────────────
~お知らせ~
※第3話を少し修正しました。
※第5話を少し修正しました。
※第6話を少し修正しました。
※第11話を少し修正しました。
※第19話を少し修正しました。
※第22話を少し修正しました。
※第24話を少し修正しました。
※第25話を少し修正しました。
※第26話を少し修正しました。
※第31話を少し修正しました。
※第32話を少し修正しました。
────────────
※感想(一言だけでも構いません!)、いいね、お気に入り、近況ボードへのコメント、大歓迎です!!
※表紙絵は作者が生成AIで試しに作ってみたものです。
隠された令息は、護衛騎士と息をする。
木漏れ日の庭
BL
公爵家に生まれながらも、妾の子として蔑まれ、固有魔法すら使えない令息のユリシス。彼は足が悪く、うまく歩くことが難しい。そんな彼の元に、護衛騎士としてキースという美しい男が訪れる。始めはなんの関わりも持たない二人だが、ユリシスの静かな優しさが、キースの心を溶かしてゆく。
僕、天使に転生したようです!
神代天音
BL
トラックに轢かれそうだった猫……ではなく鳥を助けたら、転生をしていたアンジュ。新しい家族は最低で、世話は最低限。そんなある日、自分が売られることを知って……。
天使のような羽を持って生まれてしまったアンジュが、周りのみんなに愛されるお話です。
事なかれ主義の回廊
由紀菜
BL
大学生の藤咲啓嗣は通学中に事故に遭い、知らない世界で転生する。大貴族の次男ランバート=アルフレイドとして初等部入学前から人生をやり直し、学園で出会う無愛想で大人顔負けの魔法の実力者であるヨアゼルン=フィアラルドと親友になるが、彼に隠された力に翻弄され次々と襲ってくる災難に巻き込まれる。終いには、国家の存続を揺るがす大事件にまで発展することに・・・
牙を以て牙を制す
makase
BL
王位継承権すら持てず、孤独に生きてきた王子は、ある日兄の罪を擦り付けられ、異国に貢物として献上されてしまう。ところが受け取りを拒否され、下働きを始めることに。一方、日夜執務に追われていた一人の男はは、夜食を求め食堂へと足を運んでいた――
神様は身バレに気づかない!
みわ
BL
異世界ファンタジーBL
「神様、身バレしてますよ?」
――暇を持て余した神様、現在お忍び異世界生活中。
貴族の令息として“普通”に暮らしているつもりのようですが、
その振る舞い、力、言動、すべてが神様クオリティ。
……気づかれていないと思っているのは、本人だけ。
けれど誰も問いただせません。
もし“正体がバレた”と気づかれたら――
神様は天へ帰ってしまうかもしれないから。
だから今日も皆、知らないふりを続けます。
そんな神様に、突然舞い込む婚約話。
お相手は、聡明で誠実……なのにシオンにだけは甘すぎる第一王子!?
「溺愛王子×お忍び(になってない)神様」
正体バレバレの異世界転生コメディ、ここに開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる