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エルフ
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先程まで繰り広げていた、文字通りの死闘が終わり、武闘会が終了して尚も、興奮覚めやらぬといった面持ちを晒している人々を避けて、後にした闘技場。
夏場であるからして、生暖かい夜風が、ユキの身につけている露出の多い衣装の上から身体を撫で上げる。
目的地の会場へと待ち受けるは、自らとは遥かに異なる身分にある、名家出身であるそれ相応の地位の者達。
考えるまでもなく、前をゆく老人と同様に、曲者揃いであることは明白であり、自らが赴かなくてはならないことへの憂から長い睫毛を伏せる。
だが、この様にして逞しい龍鬼の肉体に身を預けている彼女は、次第に心が平穏を取り戻していき、肩の荷が降りた様な心地となっていく。
自らが愛する雄の、逞しい腕の中に抱かれているユキは、龍鬼の硬い胸筋の感触に、雌として守られている実感を抱き、悦び感覚を覚えた。
先程まで不快に感じていた、纏わりつく様な生暖かい夜風すら、次第に意に解することも無くなっている。
段々と心の整理がついていき、平静を取り戻したユキは、自らが臨まなくてはならない集会へと意識を向けた、その時であった─
「巫女様、不敬とは存じておりますが、どうか、どうか、何卒、我らにも、貴方様の祝福を賜りたく」
ようやっと、これから控えている集会への参加の心持が解れて緊張が解けてきたのにも関わらず、道行くユキ達の前へと立ち塞がるエルフの集団の姿が、そこにはあった。
前方に窺うことができるのは、大勢の列を成した人々が、行く手を阻む様にして、整地された道の幅を全て埋め尽くしている光景である。
それは、誰も彼もが老若男女一切の例外なく、息を呑むほどの美形揃いのエルフ達で、皆一様に跪いている光景は、思わず眩暈を覚える程に圧巻であった。
「え、と‥わたしで御座いますか?ですがわたしは‥、わたしは貴方達の思うような者ではなく‥」
幼少の時分より読み漁っていた文献に記載されていた内容を想起するユキは、エルフ族が高貴なる生き物であることへの理解へと至る。
それは、側から他種族から見た限りではなく、そんな彼等自身が高い貴位を持ち合わせているのも事実。
エルフの人々には森人としての自負があり、他種族、特に鬼人族に対しては、殊更に排他的であった。
巷の噂でさえ、エルフを侮辱する狼藉を働いた不埒者が、その場で切り殺されるという、なんとも残虐な事案を聞き及んでいたことさえあったのである。
だからこそ、兼ねてより、人見知りをする性分であったユキは、眼下で平伏しているエルフの一団に気圧されている。
「そんなッ、貴方様は奇跡を起こされましたッ。それにその御姿‥。わたしの名はエレナ・フォン・レドイステルアと申します。どうか、この卑しい身であるわたくし達に貴方様の祝福を与えてはくださいませんか‥。お願い致します」
そんな彼女の様子を意に解す事なく、焦燥も露わに取り乱し、懸命にも幾度となく、懇願の言葉を並べ立てるエレナと名乗る少女。
「何故そこまで、わたし如きの‥」
あまりに必死な様子を見せているエレナの、無様とも称して差し支えない程の嘆願する立ち振る舞いを受けて、困惑も露わに問いかけるユキ。
「ごとき‥ですか‥。しかし‥いえ‥。御身ずからその様なことを‥。巫女様は、とても謙虚であらせられますのね‥。大変おみそれ致しました。このエレナ、心底から感服致しますっ」
しかしながら、自らを卑下する様な、謙遜する言葉を返すユキの姿を前にして、まるで感銘を受けたかの如く、感極まった様子を見せるエレナ。
眦に浮かべた球になった涙を、純白の頬へと伝わせて、幾分大仰なまでの畏まっている姿を晒している。
「わ、わかりました‥。‥どうぞわたしのことはユキとお呼びくださいまし」
思わず気圧されて、頷いてしまう程の圧倒的なまでの、押しの強さが、眼前で平伏するエレナという少女にはあった。
だからだろうか、平素から流されやすい性質にあるユキは、懇願されるがままに、自らの手のひらを翳す。
「あ‥、申し訳ありません、お父様。手が届きませんので、屈んで頂けないでしょうか?」
しかしながら、いかんせん大柄な龍鬼の体躯に抱き上げられているままでは、流石に平伏した体勢のエレナには届き得ない。
「ああ」
申し訳なさそうな面持ちな、ユキの懇願を受けた龍鬼は、己が地に膝をつくことに対して、なんの躊躇いも見せることなく、鷹揚にも頷いてみせる。
「ありがとうございます」
眼科に傅くエルフへと近づいたユキは、白魚の如き純白の手のひらを、エレナの真っ白な頬へと触れさせる。
「‥ぁ」
暖かい互いの肌同士の触れ合いに、宝石の如く透き通る大きな瞳を見開いたエレナは、僅かながらに、甘い声をこぼした。
自らの頬に触れたるは、この世の者とは思えない程に隔絶した純白の美貌を誇る巫女。
まるで白絹の如く滑らかで、すべすべとした感触が、エレナの肉体へと与えられる。
その部分を起点にして、身体全体を包み込む様に満ち溢れた、眩いばかりの白金の光が、彼女の身体全体を包み込む。
そうして最初に感じられたのは、自らがこの世界へと生を受ける前、即ち母の胎の中にでも居るかの様な、強烈な安堵感。
「ああっ」
次いでエレナの身を襲うのは、身体の奥底から湧き上がる行き場のない、神聖なる癒しの魔力が、脊椎を通して駆け巡り、脳髄へと至る感覚。
まるで、快楽の炎が弾けるかの様に、自らの脳髄で明滅を繰り返し、挙句の果てには、絶頂にさえ至らせる。
その場で潮吹きさえ迎えてしまったエレナは、華美な程の衣服で身を隠して事なきを得る。
しかしながら、隠し通すことができたのは男性に対してのみであり、恐らくこの場に居合わせている少女達には、悟られてしまったに違いない。
「あっ、ありがとう御座います。ユキ様の祝福を賜ることができて、エレナは、エレナは、んんっ、とても光栄にっ、んっ、思います」
更には、自らに与えられた圧倒的なまでの快楽に対して、頭を地面に擦り付けて感謝の言葉を述べる際に、殊更な快感を覚える。
平素であれば、エルフ族の中でも殊更に貴位が高い種族である、ハイエルフと称される特殊個体である彼女。
自らが高貴なるハイエルフであることへの自負と矜持があるエレナは、王女という地位に君臨しているにも関わらず、ユキの眼下で平伏している。
月下に煌めく眩いばかりの黄金の髪を地面へと散らし、無防備に顕となる純白な背中は、網膜の裏を焼く尽くすかの如く美しい。
「あ、あの‥アタシも巫女様の祝福を欲しいわ」
圧倒的なまでの強烈な快楽に打ち震え、未だに絶頂の果てを迎えた余韻からくる、断続的な快感を甘受するエレナの姿を目の当たりにして、その隣で平伏していたエルフの少女の一人が、期待の入り混じる甘く上擦った声をあげる。
「‥はい。わかりました。わたしはユキと申します。どうぞ今後ともお見知り置きくださいませ。そして、どうか貴方様のお名前をお聞かせください」
ユキと同様に腰元まで伸ばした長髪のエレナとは対称的な、左右の側頭部で、金色の髪を結えているその少女へと自己紹介を交わす。
「えと‥わ、わたしは、エルル・フォン・レドイステルアよ」
自ら名乗ることにより促したユキの言葉を受けて、大きく肩を震わせたエルフの少女は、その場から勢いよく立ち上がり、腰元に手を当てて、豊満な胸を仰け反らせた。
「おっ、覚えておきなさいよねっ」
そして、エルルと名乗る金色の少女は、挙句の果てには挑みかかるかの様な立ち振る舞いで、ユキへと指先を突き付ける。
「ふふっ、はい。素敵なお名前ですね。しかとこの身に刻んでおきます」
そんな彼女の、王族にはそぐわない様な、品性のかけらもない下品な立ち振る舞いを受けたユキは、慈愛さえ満ち溢れる聖母の如き笑顔で応えてみせる。
「な、な、くぅッ‥よ、よろしくねっ」
何処か生暖かい光景でも眺める様な眼差しを向けられたエルルは、頬を羞恥に赤く染めて、虚空へと顔を背けた。
しかしながら、間髪入れずに息を呑む彼女は、悔しげに唇を噛んだ後、口角を痙攣させながら吊り上げる。
屈辱に身を震わせるエルルは、無理に作った笑顔を貼り付けて、金色の長い睫毛に彩られた眦を痙攣する。
「こらっ、エルルっ」
身を焦がす様な羞恥を堪えてまで、自己紹介を終えたエルルは虚しくも、隣で平伏したままのエレナに咎められてしまう。
「う、うるさいわねッエレナは黙っていなさいっ」
凛とした、清流の如き叱咤の言葉を受けたエルルは、毅然としたエレナの、射抜くかの様な鋭い声に、気丈に受け応えながらも怯んでいる。
「‥なんですかその言葉遣いは。貴方の無礼な態度は、お父様とお母様に報告させて頂きます」
窘められて尚も反抗を試みるエルルの怒鳴り声を受けて、なんら意に解す様子を見せることなく一蹴してみせるエレナ。
正に機先を制することに長けた、幼少の頃より厳しい教育を施されてきただけのことはある、完璧な追い討ちである。
「ぐっ、エレナっ、アンタねぇ、そういうところが卑怯なのよ」
自らの弱点を的確に突かれてなす術もないエルルは、ユキ達の前であるにも関わらず、なんら気にした様子もなく、エレナを睨み付ける。
それは正に、目は口ほどに物を言うという表現を体現したかの様な光景で、元より勝ち気なエレナの眦は殊更に吊り上がり、思わず気圧されてしまう程の威圧感が込められている。
「今はその様なことはどうでもいいのです。‥それよりユキ様、先程わたくしに施された祝福‥あれは危険で御座います。実際に体感して理解致しました。あれはとても、そう‥なんだか形容し難い、強烈な感覚が襲ってくるのです」
しかしながら、未だに反発心を見せているエルルに、なんら構った様子もなく、丁寧な恭しい口調でありながらも、何処か硬い声音で、ユキに対して進言するエレナ。
「危険‥で御座いますか‥。わたしの術はエレナ様が考えるような大層な代物ではないと思いますが‥」
酷く真剣な面持ちで訴えかけてくるエレナの忠告の言葉に対して、戸惑いの表情を隠せないユキは、困惑を露わとする。
「‥そうですね‥。確かにユキ様の術は、正に、神のみわざと称しても過言ではありません。これは人々の救いとなり得るでしょう」
本心から謙遜するユキの言葉を、左右に頭を緩やかに振る事で、否定の意を示すエレナは、更に言葉を続ける。
その口振りからは、尋常ではない程の熱量が滲み出て、身振り手振りからも、彼女が心底からユキに対して、語りかけていることが窺える。
「ですが、もしもユキ様の身が悪意ある者の手に渡ってしまったら‥。わたくしは、そのことを考えただけでも恐ろしいのです。貴方様の祝福には、使い方次第では一国さえも滅ぼせるだけの御力があります」
先程の、高揚感に身を任せた嬉々とした表情から一転、その類い稀なる美貌を強張らせて、自らの懸念を吐露するエレナである。
神のみわざとまで称されたユキの力であったが、思わぬ欠点が判明し、場の空気が固くなると同時、辺りは静寂に包まれる。
誰もがエレナ・フォン・レドイステルアというエルフの少女の言葉に伴う気迫に気圧されて、口を噤まされて、押し黙る最中口を開く者がいる。
「‥確かにエレナ様の仰られる通り、わたし如きには、分不相応な力なのかもしれません。ですが、目の前で傷ついている人がいるのに、黙って見ていることなど、弱いわたしにはできそうにありません。わたしは、自分自身のためにこの力を使ってしまうでしょう。ですからエレナ様と約束を交わすことはできません」
身を襲う動揺から心を揺さぶられ、先程まで困惑さえ露わとしていた少女ユキが、真正面からエレナと対峙して、自らの意思を伝えてみせる。
まるでその姿からは、エルルの様な、自らの意見をなんとしてでも押し通す、という気概すら滲み出る、相手に挑み掛かる様な気迫すら伴っている。
美しいエレナの碧眼を見つめる白金色のユキの瞳は、片時すら逸らされることなく、定められている。
涼やかな切長の瞳に、鋭い眼光を称え、まるで射抜くかの様にエレナを見据える凛とした、ユキの立ち振る舞いからは、その身から溢れ出る、気品すら感じる取れる。
まるで生まれながらの女王の如き風格さえ身に纏い、空間に質量さえ伴わせるかの様な、錯覚さえ覚えさせるユキの宣言が、この場に居合わた者達に向けられる。
圧倒的なカリスマ性と称して、なんら過言ではない程の威圧感に支配されたこの場では、誰もが彼女の言葉に意を唱えることさえままならずに気圧される。
「まぁ、待て」
しかしながら、そんなユキの独壇場とも思われたこの場での、支配者足る彼女の言葉に、答える者がいる。
それは、居合わせた者達の中では、唯一の例外としての、鬼人族最強の名を冠する男、龍鬼である。
「ユキ、彼女は喧嘩を売っているわけではなく、此方の身を案じての言葉だろう。そう、邪険にしてやるな」
尊大ながら、確かな威厳の感じられる立ち振る舞いで、怜悧な切長の瞳をエレナへと向けるユキを窘める龍鬼。
「‥失礼ながらお伺い致しますが、あなたはユキ様の御父君でしょうか?‥であるのでしたら、わたくしの言葉をどうか受け入れて頂けませんか?」
先程まで口を閉ざし、沈黙を保っていた龍鬼が、唐突にユキを咎める様な言葉をかけた事をなんら意に解すことなく、自らの意思を伝えるエレナ。
「無論だ。その様な愚は冒すものか」
彼女の強い意思を示された龍鬼は、その懇願と称して差し支えない言葉を受けて、なんら躊躇うことなく、力強く頷いてみせた。
「ありがとう御座います。‥あなたが賢明な人で嬉しく思います。‥どうかユキ様も御力を乱用しないことを心掛けてくださいね」
他種族よりも、遥かに気位の高いことで名高い、長命種であるハイエルフの少女は、周囲人々の視線をなんら憚る事なく、意外にも素直に龍鬼へと頭を下げる。
「言われずとも、ユキの身体には傷一つ、つけさせん」
己を侮るかの様なエレナの言葉に対して、威厳の感じられる、迫力が込められた、力強い声で断言する龍鬼。
「わたくしも、そう願っています」
対峙する相手を威圧するかの様な、圧倒的なまでの重圧を向けられて尚、毅然としたエレナの立ち振る舞いは崩れない。
互いに感情の色が籠らない視線を交わし合い、相手の胸中を見透さんと、腹の探り合いをする二人。
まるで空間自体が、質量を持ったかの様な錯覚を覚えさせる程の、二人から発せられる強大な威圧感はこの場に居合わせた者達を気圧されている。
空気を震撼させるが如く、電流の様にビリビリとした感覚が肌の表面を駆け巡る様な錯覚に陥り、そんな雰囲気が支配している事に耐え兼ねたエルルが声をあげる。
「‥ちょっと、二人ともやめなさいよね。もういい大人なんだから喧嘩なんてしても格好悪いだけなのよ」
この場を支配する静寂に対して、些か見当違いな方向へと解釈を下した彼女の、二人を仲裁する言葉が殊更に大きく響き渡る。
「‥ええ、そうですね。無礼を働き、申し訳御座いません。どうか何卒わたくしの愚行をお許しくださいませ」
エルルの言葉に対して、これ幸いといった具合で頷いたエレナは、先手をとって謝罪のために頭を下げてみせた。
「‥構わん。俺も些か高圧的に過ぎたかもしれん」
自ら折れた形となった懸命なエレナの立ち振る舞いに対して、改めて彼女が聡明であることを理解するに至る龍鬼。
己を律することで、相手を立てることができるのは、強靭なる精神力を有していることの証左である。
当然ながら、龍鬼よりも遥かに対人能力に優れているエレナだからこそ、引き際を見極めることを可能としていた。
己には成し得ない殊勝な芸当に感心を示しながら、鷹揚にも頷いてエレナの謝罪の言葉を受け入れる龍鬼である。
「いえ‥その様なことは御座いません。エルル、貴方も大義でした」
尊大とも称してなんら差し支えない程に、不遜な龍鬼の立ち振る舞いであるが、そんな態度からは威厳さえ滲み出るのは彼が鬼人族最強足る所以であろう。
だからこそ、ハイエルフの王族であるエレナは、自らに対する龍鬼の無礼を受け入れることができた。
仮に相手が巫女の父親である龍鬼でなければ、即刻打首すら免れない事態に陥っていたことは言及するまでもなく明らかだった。
「フンっ、貴方もまだまだ子供ね、エレナ。少しはわたしを見倣うといいのではなくて?‥後、お父様とお母様に告げ口するのはやめてよね。わかった?」
自らが会話を誘導する手間が省けたことへの感謝を伝えるエレナに対して、豊満な乳房を揺らして、胸を張るエルル。
大仰なまでに背中を仰け反らせ、尊大な立ち振る舞いを見せている彼女は、傲慢と称してなんら差し支えない程の態度で、エレナを見下した。
「‥そういうところが、こども」
しかしながら、突如としてこの場に響き渡る、何者かの声によって、エレナによる返されるべき言葉は失われた。
「ッ、‥ってこの声‥アンタ、エストレアじゃない。‥また魔術で遊んでるの?呆れた‥。相ッ変わらずお子ちゃまね。アンタ如きがわたしに物を言える立場なのかしら?」
唐突に聴こえてきた抑揚のない幼い少女の、嘲を孕んだ声音と思しき嘲笑に対して、我が意を得たりといった具合に笑みを浮かべるエルル。
端正な美しい面立ちに、口の端を吊り上げるかの様な邪悪な笑みを形作った彼女は、なんら怯むことなく反論してみせた。
「‥ひがみ?」
だが、次いで帰ってきた言葉は、あからさまにエルルを見下す様な、圧倒的なまでに挑発的な言葉であった。
「ッ」
たった一言の了見を得ることができない様な、他者には理解するには至らない、心の繊細な部分を的確に抉り抜く言葉の弾丸がエレナを撃ち抜いた。
「‥アンタね。少し魔術が得意だからって調子に乗ってるんじゃないでしょうね?‥今に見てなさい。わたしだって巫女様から祝福を受けて、アンタなんかに負けないくらいの凄い魔術を使える様になって見せるんだから‥」
口論において図星を突かれてしまったエルルは、湧き上がる激情を瞬時に消失させ、幾分か気落ちした様子で、力なく言葉を吐き出した。
先程までは活発に動いていたスラリと長い耳も、口喧嘩で論破された現在に至っては、声音と同様に、しおらしくも、力なく項垂れている。
勝ち気に吊り上がっていた眦も同様に、垂れ下がり、他者を見下す様に浮かべられていた嘲笑も今はない。
吊り上げられていた口の端もへの字に曲げられて、悔しげに噛まれている薄桃色の艶やかな唇は、酷く痛々しい。
絶世の美貌を台無しにするかの様な、憎悪に満ちた表情に、傍で様子を見守っていたエレナが咳払いをする。
「‥コホンっ、見苦しいですよ。醜い争いは他所でしてください。‥特にエストレア、貴方はエルルを挑発する様な事を言わないでください。ただでさえこの子は愚鈍‥いいえ‥そう‥幼いのですから」
あまりに哀れな、無様極まる姿を晒しているエルルを、傍で見守っていたエレナから助け舟が入る。
「ぐどん、ぐどん」
しかしながらそれは、些か無神経に思える程に配慮が足りていないエレナの言葉により、殊更にエルルの心へと深い傷を残すことと相なった。
他人に対しては、抜群の対人能力を発揮するエレナであったが、身内を相手にしては、その能力は著しい低下を見せることが露呈された瞬間である。
そんな彼女らしからぬ、致命的な失態に対して、目敏く反応を示したのはエストレアと呼ばれた少女である。
まるで囃し立てるかの様に同じ単語を繰り返して、未だ顔を俯かせ、屈辱に打ち震えているエルルへと追い討ちをかけた。
「エストレア、貴方もですよ。姉妹では一番歳下であるのだから、しっかりと年長者には敬意を持って接してください」
だが、即座に気を取り直したエレナは、更に自らが先程口にしてしまった失言の、墓穴を掘る様な言葉を繰り出した。
「さすがに、かわいそう」
まるで意図的な追い討ちの如く、的確に相手の痛いところを突き刺してくるエレナの言葉は、見事エルルの耳にも聞き届けられている。
そんなあまりに残酷な仕打ちを無自覚で行えるエレナの言動に対して、流石に気圧された気配を見せているエストレアは、憐れみの込められた声音で呟いた。
「‥」
先程までは活発に言葉を交わしていたエルルの姿は最早そこにはなく、羞恥により頬を真っ赤に染めたままに、頑なに口を噤む姿だけがある。
「コホンっ、では巫女様、不敬とは存じあげていますが、一つお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
恨めしげに自らを睨みつけている我が妹の姿を、なんら意に解することなく、顔を逸らしたエレナは、妙に謙る口調で進言する。
「‥お願いですか‥。それはどの様なことで御座いますか?もしもわたしにできることがあるのであれば、お力になりたく存じますが‥」
唐突な話の転換に呆気に取られた表情を浮かべ、戸惑いを露わとするユキであるが、基本的にお人好しであるが故に、二つ返事で頭を縦に振った。
「寛大な御言葉感謝致します。‥先程巫女様に御力を使って欲しくはないと申し上げた手前、お恥ずかしい限りなのですが、どうか何卒、わたくしの妹のエルルに祝福を与えては頂きたく存じます」
間髪入れずに返答を与えられたエレナは、凛々しく毅然とした面立ちのままに、深々と頭を下げて嘆願する。
先程まではエレナ自らの言葉通り、その強大なる祝福を行使することに対して、苦言を呈していた彼女である。
しかしながら、今になって自らの妹の願いに思い至り、気が変わったという、醜態を晒した訳ではない。
元より自らの妹の切実なる願いを聞き及び、その内容を咀嚼し、理解へと至った上で、敢えて事前に、その術の危険性を訴えたに過ぎない。
つまるところ彼女は、自らが不利になる様な情報をユキに対して伝える様な彼女らしからぬ、愚を冒した上で、懇願しているのだ。
だが、この様な状況に至って尚、屈辱に打ち震えることもなく、楚々とした立ち振る舞いで、交渉へと至れるのは、流石はハイエルフの王女といえよう。
不義を働くこともなく、正々堂々正面から自らの妹の願い事を懇願する姿は、エレナ自身の絶世の美貌も相まり酷く尊い光景である。
元来人一倍気位の高い彼女は、ハイエルフとしての矜持もあり、例え自らが不利な状況に追い込まれたとしても、物事の道理を通すことに対しての躊躇いは、なんら覚えることはなかった。
元よりその様にして、高潔な精神性を兼ね備えていた稀有な存在であるエレナが、女王を勤めているのは必然と称して、なんら過言ではない。
生まれもっての清廉なる資質が表れているかの様な、黄金の美貌は、同性であるユキをして気圧される気迫がある。
そんな、潔く頭を下げて懇願するエレナに対して与えられたのは、彼女の予想を大いに覆すこととなる、あまりに慈悲深く、聖母の如く暖かい言葉。
「是非御力になりたく思います」
その様に都合の良い術など存在しないことを心得ているが故の、断られることが前提である進言した、自らの悲嘆。
それは存外にも呆気なく、ユキから与えられた了承の言葉でもってして、成就することと相なった。
「‥誠に御座いますか?‥本当になんと御礼申し上げて良いか‥」
まさか自らの懇願が受け入れられるとは思ってもみなかったエレナであるから、その驚きようも一入である。
だが、王女としての矜持にかけて、なんとか品のない振る舞いは避ける彼女は、決して身を焦がす様な情動を面に出すことなく、心中に留めた。
「いいえ‥、わたし如きがお役に立てたのであれば幸いで御座います。‥では、エルル様、此方へいらしてくださいませ」
緩やかなに頭を左右に振って、エレナの申し出を辞退したユキは、彼女の感謝の言葉のみを受け取り、エルルへと声をかけた。
「え、ええ‥お願いするわ」
自らの悲願が成就する目前に際した彼女は、些か現実味の薄い状況に戸惑いながらも、ユキの眼前へと歩み出る。
「‥よかったね」
平素とは異なり、殊勝にも他人の言葉に従う様子を見せているエルルに対し、再度エストレアから声が与えられる。
彼女からかけられたエルルを祝う声音は、酷く無機質で、まるで一切の関心を失っている様にさえ思えた。
「では‥失礼致します」
そして、跪いた体勢で、緊張から美貌を強張らせているエルルの、その白磁の如き純白の頬へと、ユキの指先が触れる。
しかし─
「‥わたしでは、望みを叶えることはできませんでした。力及ばずに申し訳御座いません」
先程のエレナへと術を行使した時とは異なり、白金に輝く魔力の奔流を見受けることはできない。
この場に居合わせている者の誰もが沈黙を保ち、辺りを静寂が支配する最中、罪悪感を滲ませた声音で、ユキが謝罪の言葉を述べた。
「‥」
至らない自らの無力に嘆きながらも、毅然とした立ち振る舞いで、はっきりと事の結果を伝えるユキ。
しかしながら、確かに聞き届けられているであろう彼女の言葉に対してエルルは、反応を見せることなく、微動だにしない。
傅いた姿勢のままに、頭上へと視線を向けているエルルの姿は、自らの望みが絶たれ、天を仰いでいる様にも見受けられた。
「あの─」
だから、そんな哀れな姿を晒しているエルルの様子を見兼ねたユキが、口を開きかけたその時に、事は起きたのである。
「‥ぁ」
おもむろに唇を開いたエルルは、先程のエレナと同様に、何か堪え難い衝動を、必死に自身の肉体に抑えつけている様に見受けられる。
だが─
「あ、ああっ!あはははははっ!!!凄いっ!凄いわッ!こんなに魔力が溢れてくる感覚今まで感じたことはないわ!」
先程まで噤まれていた唇から突如として、漏れ出た嬉々とした歓喜の産声を皮切りに、まるで堰き止められていた濁流の如く、狂喜的なまでの哄笑が溢れ出る。
彼女の荒く乱れる呼吸と呼応するかの様に、彼女の肉体から滲み出た、圧倒的なまでに強力な魔力の奔流が、この場を迸る。
金色の魔力は夜闇を照らし出し、まるで太陽の如き輝きで、辺り一体を包み込む様にして顕現した。
「こんなにも力が満ち溢れてくるなんて思ってもみなかった。巫女様、あなたには感謝してあげるわ」
金糸の如き長髪から溢れ出る様にして滲み出る程の、圧倒的なまでに高濃度の魔力が、この場を支配する。
先程の沈痛な面持ちとは一転し、祝福を賜るにまで至ったエルルの表情は、殊更に上機嫌な様相を見せている。
彼女以外にこの場に居合わせている誰もが、正に青天の霹靂といった具合の面持ちで、彼女から立ち昇る黄金の魔力の奔流に圧倒されていた。
即ち、本来であれば肉眼で捉えることさえできない魔力の残滓が祝福によって、ユキと同様に可視化でき得る程の濃度まで高められているということだった。
彼女の身を焦がす様な歓喜は、強烈なまでの高揚感をもたらして、その身に余る魔力を体外へと放出しているのだ。
その様な常人には到底不可能な芸当が成せる程の領域まで足を踏み入れてしまったエルルの魔力が、エストレアの魔術に干渉して、行使していた術を乱れさせる。
「きゃっ」
焚き火の炎が弾けるかの様な音と共に、この場の者達の網膜を焼き尽くすかの如く、真っ白な光が明滅する。
間髪入れずに聴こえてくる可愛らしい少女の悲鳴が、居合わせた面々へと届けられた。
現れたのは、エレナやエルルの容姿と比較して、幾分か幼く見て取れる少女。
しかしながら、前者と同様に、まるで人形の如く美しい完成された美貌を誇るのは相違ない。
「‥ばか‥」
自らの行使していた術が、最も容易く破られて、無力化されてしまった事態に対して、不満を表情に滲ませたエストレアの、抗議をするかの様な呟くが溢れでた。
「フンっ、何よ‥あんただって散々わたしのことを揶揄って馬鹿にしてきたじゃない。これくらいそれと比べたら、何もしてないのと同然よ」
しかしながら可愛らしく、眉根を寄せて、拗ねたような様子を見せていうエストレアの抗議に対して、なんら意に解することなく、嘲るかの如き立ち振る舞いで一蹴してみせるエルルである。
「‥ぅ」
そんな先程とは対称的な力関係と相なった現在に至り、嘲笑を向けられたエストレアは、怯まずにはいられない。
肩を縮こまらせて、萎縮した態度を示している彼女の姿は、先程まで見せていた余裕の立ち振る舞いとは雲泥の差で見る影もない。
対して、眩いばかりの黄金の魔力を身に纏うエルルは、気圧されているエストレアの様子を眼科へと納めて御満悦といった具合。
身に余る膨大な魔力がエルルへと満ち溢れる高揚感を与え、余分な全能感を増長させている。
だからだろうか、今までに幾度となくエストレアに揶揄われてきたエルルは、これまで溜まっていた鬱憤を晴らす腹積りであるようだった。
そんな彼女が、醜態と称してなんら差し支えない様子を晒している現状に対し、僅かばかりにこめかみへと青筋を浮かべるエレナ。
「巫女様の御前で見苦しい。今すぐその口を閉じなさい。エルル、エストレア」
そして次の瞬間には、落ち着いて抑えられた声量ながら、何処か気圧されてしまう様な威圧感の込められた言葉が、この場に響き渡る。
その対して特段大声で発せられた訳ではない、窘めるための言葉は、まるで怜悧な刃物で突き刺されるかの様な錯覚を抱かせる。
背筋に怖気が走るまでに寒気を覚えた二人は、なんら抵抗さえ示すことなく、口を噤む。
膨大なまでの、圧倒的な質量さえ誇る黄金の魔力を纏ったエルルでさえ、苦言さえも抵抗することもなく、沈黙を保っていた。
それ程までに圧倒的な、ハイエルフの王女としてのカリスマ性を誇るのが、このエレナ・フォン・レドイステルアという少女である。
「巫女様、この様な醜態を晒してしまいましたこと、ここに深くお詫び致します」
そんな彼女が、自らの眼科へと恭しく平伏し、首を垂れる光景を目の当たりにしているユキは、心底から気圧されていた。
「‥わたしは貴方が思うような人物ではありません。ですから、それ程までにわたしに対して、敬意を払う必要は御座いません」
だが、彼女の願いと相反するかの様に、眼科にて跪いているエレナの姿勢は変わる気配すら示さずに、微動だにしない。
「あ、あの‥わたしは、これから集会に行かねばなりませんので、どうか後日エレナ様と御話したく思います」
だからだろうか、沈黙を保ったままの彼女の様子から、何やら勘を違えてしまったユキが、恐る恐るといった態度で言葉を続けた。
絶世の黄金の美貌を微動だにすることなく押し黙るエレナの姿から、先程までエストレアとエルルに対して叱責していた光景を想起してしまった次第である。
本来は、硝子の様に繊細な心の持ち主であるユキは、自らの、か弱い精神性を保つべく、エレナの機先を制したことで、先手を取ったつもりとなっていた。
「‥はい。偉大なる巫女様の、神聖なる御力をわたくしのみならず、エルルに与えて頂けたこと、心より感謝申し上げます」
そんな臆病風に吹かれている彼女の心境などいざ知らず、未だに傅いたままのエレナは、再度改まった態度で、恭しく頭を下げる。
「‥集会にはわたし達も参加致しますので、お力添えできれば幸いです」
そして、緩やかに、淑やかな立ち振る舞いで面を上げたエレナは、花が咲いたかの様な満面の笑みを浮かべてユキを見つめる。
「‥そうなのですね。驚きました‥」
完全に想定外の言葉の内容に驚いた様子も露わにするユキは、平素の楚々とした振る舞いすら忘れて、瞳を見開いた。
「はい。再び会場でお会い致しましょう。‥貴方達、巫女様が御通りになられるのです。道を開けなさい」
静かに頷いたエレナは、先程までの慎みのある立ち振る舞いとは一転、対称的なまでの毅然とした態度で、同族たるエルフへと声をかけた。
彼女の言葉を皮切りにして、行く道を阻む様にして傅いていた者達が、流れるような洗練された動きで、迅速に道の端へと避けていく。
エルフの集団が二つに分たれ、まるでその光景は、王族の凱旋する光景と酷く酷似している様に見て取れる。
「エレナ様の言う通り、できるだけ術の行使は控えさせて頂きますので、貴方様が御心を裂かれる必要は御座いません。‥ですが、その御心遣い誠に感謝致します。とても嬉しかったです。‥では、わたし達はこれにて失礼致します」
目の前に広がる、壮大なまでの圧巻な光景を目の当たりとしたユキは、僅かながらに気圧されている。
しかしながら、それでも、淑やかな立ち振る舞いを保ち、維持している自らの笑顔をエレナに向けて見せる。
そして、彼女からの忠告への感謝と共に、その言葉に対しての礼を述べたユキは深々と頭を下げる。
それらの一連の動作にはなんら淀みはなく、幾度となく反復した淑女としての立ち振る舞いを心掛けたに過ぎない。
だが、あまりに淀みがなく、極限まで洗練された所作からは、気品さえも漂い、滲み出ている淑やかな雰囲気は、異性のみならず同性をも魅了する。
魔性と称してなんら差し支えない程に美しい少女は、強靭なる肉体を誇る岩男の如き鬼人の、逞しい腕に抱かれて、夜道を進む。
この場に居合わせる老若男女の誰もが、誰一人として例外なく、眼前の少女へと意識を奪われる。
まるで、網膜の裏を焼き尽くすかの如く、眩いばかりの白金の光に包まれているユキは、これから待ち受ける集会へと憂いの表情を浮かべている。
白金色の長い睫毛が、伏せられた瞼に伴い妖艶な輝きを湛えて見て取れる。
自らが赴かなくてはならない魔窟へと懸念を感じて、心底から嘆いているユキの、絶世なる美貌に一筋の翳りが差している。
正に深窓の令嬢と称してなんら過言ではない程に、儚くも神聖なる美貌を誇る少女は、無常にもその場を後にした。
夏場であるからして、生暖かい夜風が、ユキの身につけている露出の多い衣装の上から身体を撫で上げる。
目的地の会場へと待ち受けるは、自らとは遥かに異なる身分にある、名家出身であるそれ相応の地位の者達。
考えるまでもなく、前をゆく老人と同様に、曲者揃いであることは明白であり、自らが赴かなくてはならないことへの憂から長い睫毛を伏せる。
だが、この様にして逞しい龍鬼の肉体に身を預けている彼女は、次第に心が平穏を取り戻していき、肩の荷が降りた様な心地となっていく。
自らが愛する雄の、逞しい腕の中に抱かれているユキは、龍鬼の硬い胸筋の感触に、雌として守られている実感を抱き、悦び感覚を覚えた。
先程まで不快に感じていた、纏わりつく様な生暖かい夜風すら、次第に意に解することも無くなっている。
段々と心の整理がついていき、平静を取り戻したユキは、自らが臨まなくてはならない集会へと意識を向けた、その時であった─
「巫女様、不敬とは存じておりますが、どうか、どうか、何卒、我らにも、貴方様の祝福を賜りたく」
ようやっと、これから控えている集会への参加の心持が解れて緊張が解けてきたのにも関わらず、道行くユキ達の前へと立ち塞がるエルフの集団の姿が、そこにはあった。
前方に窺うことができるのは、大勢の列を成した人々が、行く手を阻む様にして、整地された道の幅を全て埋め尽くしている光景である。
それは、誰も彼もが老若男女一切の例外なく、息を呑むほどの美形揃いのエルフ達で、皆一様に跪いている光景は、思わず眩暈を覚える程に圧巻であった。
「え、と‥わたしで御座いますか?ですがわたしは‥、わたしは貴方達の思うような者ではなく‥」
幼少の時分より読み漁っていた文献に記載されていた内容を想起するユキは、エルフ族が高貴なる生き物であることへの理解へと至る。
それは、側から他種族から見た限りではなく、そんな彼等自身が高い貴位を持ち合わせているのも事実。
エルフの人々には森人としての自負があり、他種族、特に鬼人族に対しては、殊更に排他的であった。
巷の噂でさえ、エルフを侮辱する狼藉を働いた不埒者が、その場で切り殺されるという、なんとも残虐な事案を聞き及んでいたことさえあったのである。
だからこそ、兼ねてより、人見知りをする性分であったユキは、眼下で平伏しているエルフの一団に気圧されている。
「そんなッ、貴方様は奇跡を起こされましたッ。それにその御姿‥。わたしの名はエレナ・フォン・レドイステルアと申します。どうか、この卑しい身であるわたくし達に貴方様の祝福を与えてはくださいませんか‥。お願い致します」
そんな彼女の様子を意に解す事なく、焦燥も露わに取り乱し、懸命にも幾度となく、懇願の言葉を並べ立てるエレナと名乗る少女。
「何故そこまで、わたし如きの‥」
あまりに必死な様子を見せているエレナの、無様とも称して差し支えない程の嘆願する立ち振る舞いを受けて、困惑も露わに問いかけるユキ。
「ごとき‥ですか‥。しかし‥いえ‥。御身ずからその様なことを‥。巫女様は、とても謙虚であらせられますのね‥。大変おみそれ致しました。このエレナ、心底から感服致しますっ」
しかしながら、自らを卑下する様な、謙遜する言葉を返すユキの姿を前にして、まるで感銘を受けたかの如く、感極まった様子を見せるエレナ。
眦に浮かべた球になった涙を、純白の頬へと伝わせて、幾分大仰なまでの畏まっている姿を晒している。
「わ、わかりました‥。‥どうぞわたしのことはユキとお呼びくださいまし」
思わず気圧されて、頷いてしまう程の圧倒的なまでの、押しの強さが、眼前で平伏するエレナという少女にはあった。
だからだろうか、平素から流されやすい性質にあるユキは、懇願されるがままに、自らの手のひらを翳す。
「あ‥、申し訳ありません、お父様。手が届きませんので、屈んで頂けないでしょうか?」
しかしながら、いかんせん大柄な龍鬼の体躯に抱き上げられているままでは、流石に平伏した体勢のエレナには届き得ない。
「ああ」
申し訳なさそうな面持ちな、ユキの懇願を受けた龍鬼は、己が地に膝をつくことに対して、なんの躊躇いも見せることなく、鷹揚にも頷いてみせる。
「ありがとうございます」
眼科に傅くエルフへと近づいたユキは、白魚の如き純白の手のひらを、エレナの真っ白な頬へと触れさせる。
「‥ぁ」
暖かい互いの肌同士の触れ合いに、宝石の如く透き通る大きな瞳を見開いたエレナは、僅かながらに、甘い声をこぼした。
自らの頬に触れたるは、この世の者とは思えない程に隔絶した純白の美貌を誇る巫女。
まるで白絹の如く滑らかで、すべすべとした感触が、エレナの肉体へと与えられる。
その部分を起点にして、身体全体を包み込む様に満ち溢れた、眩いばかりの白金の光が、彼女の身体全体を包み込む。
そうして最初に感じられたのは、自らがこの世界へと生を受ける前、即ち母の胎の中にでも居るかの様な、強烈な安堵感。
「ああっ」
次いでエレナの身を襲うのは、身体の奥底から湧き上がる行き場のない、神聖なる癒しの魔力が、脊椎を通して駆け巡り、脳髄へと至る感覚。
まるで、快楽の炎が弾けるかの様に、自らの脳髄で明滅を繰り返し、挙句の果てには、絶頂にさえ至らせる。
その場で潮吹きさえ迎えてしまったエレナは、華美な程の衣服で身を隠して事なきを得る。
しかしながら、隠し通すことができたのは男性に対してのみであり、恐らくこの場に居合わせている少女達には、悟られてしまったに違いない。
「あっ、ありがとう御座います。ユキ様の祝福を賜ることができて、エレナは、エレナは、んんっ、とても光栄にっ、んっ、思います」
更には、自らに与えられた圧倒的なまでの快楽に対して、頭を地面に擦り付けて感謝の言葉を述べる際に、殊更な快感を覚える。
平素であれば、エルフ族の中でも殊更に貴位が高い種族である、ハイエルフと称される特殊個体である彼女。
自らが高貴なるハイエルフであることへの自負と矜持があるエレナは、王女という地位に君臨しているにも関わらず、ユキの眼下で平伏している。
月下に煌めく眩いばかりの黄金の髪を地面へと散らし、無防備に顕となる純白な背中は、網膜の裏を焼く尽くすかの如く美しい。
「あ、あの‥アタシも巫女様の祝福を欲しいわ」
圧倒的なまでの強烈な快楽に打ち震え、未だに絶頂の果てを迎えた余韻からくる、断続的な快感を甘受するエレナの姿を目の当たりにして、その隣で平伏していたエルフの少女の一人が、期待の入り混じる甘く上擦った声をあげる。
「‥はい。わかりました。わたしはユキと申します。どうぞ今後ともお見知り置きくださいませ。そして、どうか貴方様のお名前をお聞かせください」
ユキと同様に腰元まで伸ばした長髪のエレナとは対称的な、左右の側頭部で、金色の髪を結えているその少女へと自己紹介を交わす。
「えと‥わ、わたしは、エルル・フォン・レドイステルアよ」
自ら名乗ることにより促したユキの言葉を受けて、大きく肩を震わせたエルフの少女は、その場から勢いよく立ち上がり、腰元に手を当てて、豊満な胸を仰け反らせた。
「おっ、覚えておきなさいよねっ」
そして、エルルと名乗る金色の少女は、挙句の果てには挑みかかるかの様な立ち振る舞いで、ユキへと指先を突き付ける。
「ふふっ、はい。素敵なお名前ですね。しかとこの身に刻んでおきます」
そんな彼女の、王族にはそぐわない様な、品性のかけらもない下品な立ち振る舞いを受けたユキは、慈愛さえ満ち溢れる聖母の如き笑顔で応えてみせる。
「な、な、くぅッ‥よ、よろしくねっ」
何処か生暖かい光景でも眺める様な眼差しを向けられたエルルは、頬を羞恥に赤く染めて、虚空へと顔を背けた。
しかしながら、間髪入れずに息を呑む彼女は、悔しげに唇を噛んだ後、口角を痙攣させながら吊り上げる。
屈辱に身を震わせるエルルは、無理に作った笑顔を貼り付けて、金色の長い睫毛に彩られた眦を痙攣する。
「こらっ、エルルっ」
身を焦がす様な羞恥を堪えてまで、自己紹介を終えたエルルは虚しくも、隣で平伏したままのエレナに咎められてしまう。
「う、うるさいわねッエレナは黙っていなさいっ」
凛とした、清流の如き叱咤の言葉を受けたエルルは、毅然としたエレナの、射抜くかの様な鋭い声に、気丈に受け応えながらも怯んでいる。
「‥なんですかその言葉遣いは。貴方の無礼な態度は、お父様とお母様に報告させて頂きます」
窘められて尚も反抗を試みるエルルの怒鳴り声を受けて、なんら意に解す様子を見せることなく一蹴してみせるエレナ。
正に機先を制することに長けた、幼少の頃より厳しい教育を施されてきただけのことはある、完璧な追い討ちである。
「ぐっ、エレナっ、アンタねぇ、そういうところが卑怯なのよ」
自らの弱点を的確に突かれてなす術もないエルルは、ユキ達の前であるにも関わらず、なんら気にした様子もなく、エレナを睨み付ける。
それは正に、目は口ほどに物を言うという表現を体現したかの様な光景で、元より勝ち気なエレナの眦は殊更に吊り上がり、思わず気圧されてしまう程の威圧感が込められている。
「今はその様なことはどうでもいいのです。‥それよりユキ様、先程わたくしに施された祝福‥あれは危険で御座います。実際に体感して理解致しました。あれはとても、そう‥なんだか形容し難い、強烈な感覚が襲ってくるのです」
しかしながら、未だに反発心を見せているエルルに、なんら構った様子もなく、丁寧な恭しい口調でありながらも、何処か硬い声音で、ユキに対して進言するエレナ。
「危険‥で御座いますか‥。わたしの術はエレナ様が考えるような大層な代物ではないと思いますが‥」
酷く真剣な面持ちで訴えかけてくるエレナの忠告の言葉に対して、戸惑いの表情を隠せないユキは、困惑を露わとする。
「‥そうですね‥。確かにユキ様の術は、正に、神のみわざと称しても過言ではありません。これは人々の救いとなり得るでしょう」
本心から謙遜するユキの言葉を、左右に頭を緩やかに振る事で、否定の意を示すエレナは、更に言葉を続ける。
その口振りからは、尋常ではない程の熱量が滲み出て、身振り手振りからも、彼女が心底からユキに対して、語りかけていることが窺える。
「ですが、もしもユキ様の身が悪意ある者の手に渡ってしまったら‥。わたくしは、そのことを考えただけでも恐ろしいのです。貴方様の祝福には、使い方次第では一国さえも滅ぼせるだけの御力があります」
先程の、高揚感に身を任せた嬉々とした表情から一転、その類い稀なる美貌を強張らせて、自らの懸念を吐露するエレナである。
神のみわざとまで称されたユキの力であったが、思わぬ欠点が判明し、場の空気が固くなると同時、辺りは静寂に包まれる。
誰もがエレナ・フォン・レドイステルアというエルフの少女の言葉に伴う気迫に気圧されて、口を噤まされて、押し黙る最中口を開く者がいる。
「‥確かにエレナ様の仰られる通り、わたし如きには、分不相応な力なのかもしれません。ですが、目の前で傷ついている人がいるのに、黙って見ていることなど、弱いわたしにはできそうにありません。わたしは、自分自身のためにこの力を使ってしまうでしょう。ですからエレナ様と約束を交わすことはできません」
身を襲う動揺から心を揺さぶられ、先程まで困惑さえ露わとしていた少女ユキが、真正面からエレナと対峙して、自らの意思を伝えてみせる。
まるでその姿からは、エルルの様な、自らの意見をなんとしてでも押し通す、という気概すら滲み出る、相手に挑み掛かる様な気迫すら伴っている。
美しいエレナの碧眼を見つめる白金色のユキの瞳は、片時すら逸らされることなく、定められている。
涼やかな切長の瞳に、鋭い眼光を称え、まるで射抜くかの様にエレナを見据える凛とした、ユキの立ち振る舞いからは、その身から溢れ出る、気品すら感じる取れる。
まるで生まれながらの女王の如き風格さえ身に纏い、空間に質量さえ伴わせるかの様な、錯覚さえ覚えさせるユキの宣言が、この場に居合わた者達に向けられる。
圧倒的なカリスマ性と称して、なんら過言ではない程の威圧感に支配されたこの場では、誰もが彼女の言葉に意を唱えることさえままならずに気圧される。
「まぁ、待て」
しかしながら、そんなユキの独壇場とも思われたこの場での、支配者足る彼女の言葉に、答える者がいる。
それは、居合わせた者達の中では、唯一の例外としての、鬼人族最強の名を冠する男、龍鬼である。
「ユキ、彼女は喧嘩を売っているわけではなく、此方の身を案じての言葉だろう。そう、邪険にしてやるな」
尊大ながら、確かな威厳の感じられる立ち振る舞いで、怜悧な切長の瞳をエレナへと向けるユキを窘める龍鬼。
「‥失礼ながらお伺い致しますが、あなたはユキ様の御父君でしょうか?‥であるのでしたら、わたくしの言葉をどうか受け入れて頂けませんか?」
先程まで口を閉ざし、沈黙を保っていた龍鬼が、唐突にユキを咎める様な言葉をかけた事をなんら意に解すことなく、自らの意思を伝えるエレナ。
「無論だ。その様な愚は冒すものか」
彼女の強い意思を示された龍鬼は、その懇願と称して差し支えない言葉を受けて、なんら躊躇うことなく、力強く頷いてみせた。
「ありがとう御座います。‥あなたが賢明な人で嬉しく思います。‥どうかユキ様も御力を乱用しないことを心掛けてくださいね」
他種族よりも、遥かに気位の高いことで名高い、長命種であるハイエルフの少女は、周囲人々の視線をなんら憚る事なく、意外にも素直に龍鬼へと頭を下げる。
「言われずとも、ユキの身体には傷一つ、つけさせん」
己を侮るかの様なエレナの言葉に対して、威厳の感じられる、迫力が込められた、力強い声で断言する龍鬼。
「わたくしも、そう願っています」
対峙する相手を威圧するかの様な、圧倒的なまでの重圧を向けられて尚、毅然としたエレナの立ち振る舞いは崩れない。
互いに感情の色が籠らない視線を交わし合い、相手の胸中を見透さんと、腹の探り合いをする二人。
まるで空間自体が、質量を持ったかの様な錯覚を覚えさせる程の、二人から発せられる強大な威圧感はこの場に居合わせた者達を気圧されている。
空気を震撼させるが如く、電流の様にビリビリとした感覚が肌の表面を駆け巡る様な錯覚に陥り、そんな雰囲気が支配している事に耐え兼ねたエルルが声をあげる。
「‥ちょっと、二人ともやめなさいよね。もういい大人なんだから喧嘩なんてしても格好悪いだけなのよ」
この場を支配する静寂に対して、些か見当違いな方向へと解釈を下した彼女の、二人を仲裁する言葉が殊更に大きく響き渡る。
「‥ええ、そうですね。無礼を働き、申し訳御座いません。どうか何卒わたくしの愚行をお許しくださいませ」
エルルの言葉に対して、これ幸いといった具合で頷いたエレナは、先手をとって謝罪のために頭を下げてみせた。
「‥構わん。俺も些か高圧的に過ぎたかもしれん」
自ら折れた形となった懸命なエレナの立ち振る舞いに対して、改めて彼女が聡明であることを理解するに至る龍鬼。
己を律することで、相手を立てることができるのは、強靭なる精神力を有していることの証左である。
当然ながら、龍鬼よりも遥かに対人能力に優れているエレナだからこそ、引き際を見極めることを可能としていた。
己には成し得ない殊勝な芸当に感心を示しながら、鷹揚にも頷いてエレナの謝罪の言葉を受け入れる龍鬼である。
「いえ‥その様なことは御座いません。エルル、貴方も大義でした」
尊大とも称してなんら差し支えない程に、不遜な龍鬼の立ち振る舞いであるが、そんな態度からは威厳さえ滲み出るのは彼が鬼人族最強足る所以であろう。
だからこそ、ハイエルフの王族であるエレナは、自らに対する龍鬼の無礼を受け入れることができた。
仮に相手が巫女の父親である龍鬼でなければ、即刻打首すら免れない事態に陥っていたことは言及するまでもなく明らかだった。
「フンっ、貴方もまだまだ子供ね、エレナ。少しはわたしを見倣うといいのではなくて?‥後、お父様とお母様に告げ口するのはやめてよね。わかった?」
自らが会話を誘導する手間が省けたことへの感謝を伝えるエレナに対して、豊満な乳房を揺らして、胸を張るエルル。
大仰なまでに背中を仰け反らせ、尊大な立ち振る舞いを見せている彼女は、傲慢と称してなんら差し支えない程の態度で、エレナを見下した。
「‥そういうところが、こども」
しかしながら、突如としてこの場に響き渡る、何者かの声によって、エレナによる返されるべき言葉は失われた。
「ッ、‥ってこの声‥アンタ、エストレアじゃない。‥また魔術で遊んでるの?呆れた‥。相ッ変わらずお子ちゃまね。アンタ如きがわたしに物を言える立場なのかしら?」
唐突に聴こえてきた抑揚のない幼い少女の、嘲を孕んだ声音と思しき嘲笑に対して、我が意を得たりといった具合に笑みを浮かべるエルル。
端正な美しい面立ちに、口の端を吊り上げるかの様な邪悪な笑みを形作った彼女は、なんら怯むことなく反論してみせた。
「‥ひがみ?」
だが、次いで帰ってきた言葉は、あからさまにエルルを見下す様な、圧倒的なまでに挑発的な言葉であった。
「ッ」
たった一言の了見を得ることができない様な、他者には理解するには至らない、心の繊細な部分を的確に抉り抜く言葉の弾丸がエレナを撃ち抜いた。
「‥アンタね。少し魔術が得意だからって調子に乗ってるんじゃないでしょうね?‥今に見てなさい。わたしだって巫女様から祝福を受けて、アンタなんかに負けないくらいの凄い魔術を使える様になって見せるんだから‥」
口論において図星を突かれてしまったエルルは、湧き上がる激情を瞬時に消失させ、幾分か気落ちした様子で、力なく言葉を吐き出した。
先程までは活発に動いていたスラリと長い耳も、口喧嘩で論破された現在に至っては、声音と同様に、しおらしくも、力なく項垂れている。
勝ち気に吊り上がっていた眦も同様に、垂れ下がり、他者を見下す様に浮かべられていた嘲笑も今はない。
吊り上げられていた口の端もへの字に曲げられて、悔しげに噛まれている薄桃色の艶やかな唇は、酷く痛々しい。
絶世の美貌を台無しにするかの様な、憎悪に満ちた表情に、傍で様子を見守っていたエレナが咳払いをする。
「‥コホンっ、見苦しいですよ。醜い争いは他所でしてください。‥特にエストレア、貴方はエルルを挑発する様な事を言わないでください。ただでさえこの子は愚鈍‥いいえ‥そう‥幼いのですから」
あまりに哀れな、無様極まる姿を晒しているエルルを、傍で見守っていたエレナから助け舟が入る。
「ぐどん、ぐどん」
しかしながらそれは、些か無神経に思える程に配慮が足りていないエレナの言葉により、殊更にエルルの心へと深い傷を残すことと相なった。
他人に対しては、抜群の対人能力を発揮するエレナであったが、身内を相手にしては、その能力は著しい低下を見せることが露呈された瞬間である。
そんな彼女らしからぬ、致命的な失態に対して、目敏く反応を示したのはエストレアと呼ばれた少女である。
まるで囃し立てるかの様に同じ単語を繰り返して、未だ顔を俯かせ、屈辱に打ち震えているエルルへと追い討ちをかけた。
「エストレア、貴方もですよ。姉妹では一番歳下であるのだから、しっかりと年長者には敬意を持って接してください」
だが、即座に気を取り直したエレナは、更に自らが先程口にしてしまった失言の、墓穴を掘る様な言葉を繰り出した。
「さすがに、かわいそう」
まるで意図的な追い討ちの如く、的確に相手の痛いところを突き刺してくるエレナの言葉は、見事エルルの耳にも聞き届けられている。
そんなあまりに残酷な仕打ちを無自覚で行えるエレナの言動に対して、流石に気圧された気配を見せているエストレアは、憐れみの込められた声音で呟いた。
「‥」
先程までは活発に言葉を交わしていたエルルの姿は最早そこにはなく、羞恥により頬を真っ赤に染めたままに、頑なに口を噤む姿だけがある。
「コホンっ、では巫女様、不敬とは存じあげていますが、一つお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
恨めしげに自らを睨みつけている我が妹の姿を、なんら意に解することなく、顔を逸らしたエレナは、妙に謙る口調で進言する。
「‥お願いですか‥。それはどの様なことで御座いますか?もしもわたしにできることがあるのであれば、お力になりたく存じますが‥」
唐突な話の転換に呆気に取られた表情を浮かべ、戸惑いを露わとするユキであるが、基本的にお人好しであるが故に、二つ返事で頭を縦に振った。
「寛大な御言葉感謝致します。‥先程巫女様に御力を使って欲しくはないと申し上げた手前、お恥ずかしい限りなのですが、どうか何卒、わたくしの妹のエルルに祝福を与えては頂きたく存じます」
間髪入れずに返答を与えられたエレナは、凛々しく毅然とした面立ちのままに、深々と頭を下げて嘆願する。
先程まではエレナ自らの言葉通り、その強大なる祝福を行使することに対して、苦言を呈していた彼女である。
しかしながら、今になって自らの妹の願いに思い至り、気が変わったという、醜態を晒した訳ではない。
元より自らの妹の切実なる願いを聞き及び、その内容を咀嚼し、理解へと至った上で、敢えて事前に、その術の危険性を訴えたに過ぎない。
つまるところ彼女は、自らが不利になる様な情報をユキに対して伝える様な彼女らしからぬ、愚を冒した上で、懇願しているのだ。
だが、この様な状況に至って尚、屈辱に打ち震えることもなく、楚々とした立ち振る舞いで、交渉へと至れるのは、流石はハイエルフの王女といえよう。
不義を働くこともなく、正々堂々正面から自らの妹の願い事を懇願する姿は、エレナ自身の絶世の美貌も相まり酷く尊い光景である。
元来人一倍気位の高い彼女は、ハイエルフとしての矜持もあり、例え自らが不利な状況に追い込まれたとしても、物事の道理を通すことに対しての躊躇いは、なんら覚えることはなかった。
元よりその様にして、高潔な精神性を兼ね備えていた稀有な存在であるエレナが、女王を勤めているのは必然と称して、なんら過言ではない。
生まれもっての清廉なる資質が表れているかの様な、黄金の美貌は、同性であるユキをして気圧される気迫がある。
そんな、潔く頭を下げて懇願するエレナに対して与えられたのは、彼女の予想を大いに覆すこととなる、あまりに慈悲深く、聖母の如く暖かい言葉。
「是非御力になりたく思います」
その様に都合の良い術など存在しないことを心得ているが故の、断られることが前提である進言した、自らの悲嘆。
それは存外にも呆気なく、ユキから与えられた了承の言葉でもってして、成就することと相なった。
「‥誠に御座いますか?‥本当になんと御礼申し上げて良いか‥」
まさか自らの懇願が受け入れられるとは思ってもみなかったエレナであるから、その驚きようも一入である。
だが、王女としての矜持にかけて、なんとか品のない振る舞いは避ける彼女は、決して身を焦がす様な情動を面に出すことなく、心中に留めた。
「いいえ‥、わたし如きがお役に立てたのであれば幸いで御座います。‥では、エルル様、此方へいらしてくださいませ」
緩やかなに頭を左右に振って、エレナの申し出を辞退したユキは、彼女の感謝の言葉のみを受け取り、エルルへと声をかけた。
「え、ええ‥お願いするわ」
自らの悲願が成就する目前に際した彼女は、些か現実味の薄い状況に戸惑いながらも、ユキの眼前へと歩み出る。
「‥よかったね」
平素とは異なり、殊勝にも他人の言葉に従う様子を見せているエルルに対し、再度エストレアから声が与えられる。
彼女からかけられたエルルを祝う声音は、酷く無機質で、まるで一切の関心を失っている様にさえ思えた。
「では‥失礼致します」
そして、跪いた体勢で、緊張から美貌を強張らせているエルルの、その白磁の如き純白の頬へと、ユキの指先が触れる。
しかし─
「‥わたしでは、望みを叶えることはできませんでした。力及ばずに申し訳御座いません」
先程のエレナへと術を行使した時とは異なり、白金に輝く魔力の奔流を見受けることはできない。
この場に居合わせている者の誰もが沈黙を保ち、辺りを静寂が支配する最中、罪悪感を滲ませた声音で、ユキが謝罪の言葉を述べた。
「‥」
至らない自らの無力に嘆きながらも、毅然とした立ち振る舞いで、はっきりと事の結果を伝えるユキ。
しかしながら、確かに聞き届けられているであろう彼女の言葉に対してエルルは、反応を見せることなく、微動だにしない。
傅いた姿勢のままに、頭上へと視線を向けているエルルの姿は、自らの望みが絶たれ、天を仰いでいる様にも見受けられた。
「あの─」
だから、そんな哀れな姿を晒しているエルルの様子を見兼ねたユキが、口を開きかけたその時に、事は起きたのである。
「‥ぁ」
おもむろに唇を開いたエルルは、先程のエレナと同様に、何か堪え難い衝動を、必死に自身の肉体に抑えつけている様に見受けられる。
だが─
「あ、ああっ!あはははははっ!!!凄いっ!凄いわッ!こんなに魔力が溢れてくる感覚今まで感じたことはないわ!」
先程まで噤まれていた唇から突如として、漏れ出た嬉々とした歓喜の産声を皮切りに、まるで堰き止められていた濁流の如く、狂喜的なまでの哄笑が溢れ出る。
彼女の荒く乱れる呼吸と呼応するかの様に、彼女の肉体から滲み出た、圧倒的なまでに強力な魔力の奔流が、この場を迸る。
金色の魔力は夜闇を照らし出し、まるで太陽の如き輝きで、辺り一体を包み込む様にして顕現した。
「こんなにも力が満ち溢れてくるなんて思ってもみなかった。巫女様、あなたには感謝してあげるわ」
金糸の如き長髪から溢れ出る様にして滲み出る程の、圧倒的なまでに高濃度の魔力が、この場を支配する。
先程の沈痛な面持ちとは一転し、祝福を賜るにまで至ったエルルの表情は、殊更に上機嫌な様相を見せている。
彼女以外にこの場に居合わせている誰もが、正に青天の霹靂といった具合の面持ちで、彼女から立ち昇る黄金の魔力の奔流に圧倒されていた。
即ち、本来であれば肉眼で捉えることさえできない魔力の残滓が祝福によって、ユキと同様に可視化でき得る程の濃度まで高められているということだった。
彼女の身を焦がす様な歓喜は、強烈なまでの高揚感をもたらして、その身に余る魔力を体外へと放出しているのだ。
その様な常人には到底不可能な芸当が成せる程の領域まで足を踏み入れてしまったエルルの魔力が、エストレアの魔術に干渉して、行使していた術を乱れさせる。
「きゃっ」
焚き火の炎が弾けるかの様な音と共に、この場の者達の網膜を焼き尽くすかの如く、真っ白な光が明滅する。
間髪入れずに聴こえてくる可愛らしい少女の悲鳴が、居合わせた面々へと届けられた。
現れたのは、エレナやエルルの容姿と比較して、幾分か幼く見て取れる少女。
しかしながら、前者と同様に、まるで人形の如く美しい完成された美貌を誇るのは相違ない。
「‥ばか‥」
自らの行使していた術が、最も容易く破られて、無力化されてしまった事態に対して、不満を表情に滲ませたエストレアの、抗議をするかの様な呟くが溢れでた。
「フンっ、何よ‥あんただって散々わたしのことを揶揄って馬鹿にしてきたじゃない。これくらいそれと比べたら、何もしてないのと同然よ」
しかしながら可愛らしく、眉根を寄せて、拗ねたような様子を見せていうエストレアの抗議に対して、なんら意に解することなく、嘲るかの如き立ち振る舞いで一蹴してみせるエルルである。
「‥ぅ」
そんな先程とは対称的な力関係と相なった現在に至り、嘲笑を向けられたエストレアは、怯まずにはいられない。
肩を縮こまらせて、萎縮した態度を示している彼女の姿は、先程まで見せていた余裕の立ち振る舞いとは雲泥の差で見る影もない。
対して、眩いばかりの黄金の魔力を身に纏うエルルは、気圧されているエストレアの様子を眼科へと納めて御満悦といった具合。
身に余る膨大な魔力がエルルへと満ち溢れる高揚感を与え、余分な全能感を増長させている。
だからだろうか、今までに幾度となくエストレアに揶揄われてきたエルルは、これまで溜まっていた鬱憤を晴らす腹積りであるようだった。
そんな彼女が、醜態と称してなんら差し支えない様子を晒している現状に対し、僅かばかりにこめかみへと青筋を浮かべるエレナ。
「巫女様の御前で見苦しい。今すぐその口を閉じなさい。エルル、エストレア」
そして次の瞬間には、落ち着いて抑えられた声量ながら、何処か気圧されてしまう様な威圧感の込められた言葉が、この場に響き渡る。
その対して特段大声で発せられた訳ではない、窘めるための言葉は、まるで怜悧な刃物で突き刺されるかの様な錯覚を抱かせる。
背筋に怖気が走るまでに寒気を覚えた二人は、なんら抵抗さえ示すことなく、口を噤む。
膨大なまでの、圧倒的な質量さえ誇る黄金の魔力を纏ったエルルでさえ、苦言さえも抵抗することもなく、沈黙を保っていた。
それ程までに圧倒的な、ハイエルフの王女としてのカリスマ性を誇るのが、このエレナ・フォン・レドイステルアという少女である。
「巫女様、この様な醜態を晒してしまいましたこと、ここに深くお詫び致します」
そんな彼女が、自らの眼科へと恭しく平伏し、首を垂れる光景を目の当たりにしているユキは、心底から気圧されていた。
「‥わたしは貴方が思うような人物ではありません。ですから、それ程までにわたしに対して、敬意を払う必要は御座いません」
だが、彼女の願いと相反するかの様に、眼科にて跪いているエレナの姿勢は変わる気配すら示さずに、微動だにしない。
「あ、あの‥わたしは、これから集会に行かねばなりませんので、どうか後日エレナ様と御話したく思います」
だからだろうか、沈黙を保ったままの彼女の様子から、何やら勘を違えてしまったユキが、恐る恐るといった態度で言葉を続けた。
絶世の黄金の美貌を微動だにすることなく押し黙るエレナの姿から、先程までエストレアとエルルに対して叱責していた光景を想起してしまった次第である。
本来は、硝子の様に繊細な心の持ち主であるユキは、自らの、か弱い精神性を保つべく、エレナの機先を制したことで、先手を取ったつもりとなっていた。
「‥はい。偉大なる巫女様の、神聖なる御力をわたくしのみならず、エルルに与えて頂けたこと、心より感謝申し上げます」
そんな臆病風に吹かれている彼女の心境などいざ知らず、未だに傅いたままのエレナは、再度改まった態度で、恭しく頭を下げる。
「‥集会にはわたし達も参加致しますので、お力添えできれば幸いです」
そして、緩やかに、淑やかな立ち振る舞いで面を上げたエレナは、花が咲いたかの様な満面の笑みを浮かべてユキを見つめる。
「‥そうなのですね。驚きました‥」
完全に想定外の言葉の内容に驚いた様子も露わにするユキは、平素の楚々とした振る舞いすら忘れて、瞳を見開いた。
「はい。再び会場でお会い致しましょう。‥貴方達、巫女様が御通りになられるのです。道を開けなさい」
静かに頷いたエレナは、先程までの慎みのある立ち振る舞いとは一転、対称的なまでの毅然とした態度で、同族たるエルフへと声をかけた。
彼女の言葉を皮切りにして、行く道を阻む様にして傅いていた者達が、流れるような洗練された動きで、迅速に道の端へと避けていく。
エルフの集団が二つに分たれ、まるでその光景は、王族の凱旋する光景と酷く酷似している様に見て取れる。
「エレナ様の言う通り、できるだけ術の行使は控えさせて頂きますので、貴方様が御心を裂かれる必要は御座いません。‥ですが、その御心遣い誠に感謝致します。とても嬉しかったです。‥では、わたし達はこれにて失礼致します」
目の前に広がる、壮大なまでの圧巻な光景を目の当たりとしたユキは、僅かながらに気圧されている。
しかしながら、それでも、淑やかな立ち振る舞いを保ち、維持している自らの笑顔をエレナに向けて見せる。
そして、彼女からの忠告への感謝と共に、その言葉に対しての礼を述べたユキは深々と頭を下げる。
それらの一連の動作にはなんら淀みはなく、幾度となく反復した淑女としての立ち振る舞いを心掛けたに過ぎない。
だが、あまりに淀みがなく、極限まで洗練された所作からは、気品さえも漂い、滲み出ている淑やかな雰囲気は、異性のみならず同性をも魅了する。
魔性と称してなんら差し支えない程に美しい少女は、強靭なる肉体を誇る岩男の如き鬼人の、逞しい腕に抱かれて、夜道を進む。
この場に居合わせる老若男女の誰もが、誰一人として例外なく、眼前の少女へと意識を奪われる。
まるで、網膜の裏を焼き尽くすかの如く、眩いばかりの白金の光に包まれているユキは、これから待ち受ける集会へと憂いの表情を浮かべている。
白金色の長い睫毛が、伏せられた瞼に伴い妖艶な輝きを湛えて見て取れる。
自らが赴かなくてはならない魔窟へと懸念を感じて、心底から嘆いているユキの、絶世なる美貌に一筋の翳りが差している。
正に深窓の令嬢と称してなんら過言ではない程に、儚くも神聖なる美貌を誇る少女は、無常にもその場を後にした。
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