ディアピンク・フォールイントゥ

みずうみ

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写生大会(2)

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 いや、そんなことはないはずだ。叶わぬ願いと分かっているが、私にだって男の子とデートしたり、キスしたりしてみたいという願望はある。
 私はこの前の作品の続きを描き始めた。漫画本や雑貨類を家から持ってきて、それを机の上に雑多に置いたもののデッサン。
「相変わらず、上手いもんだねえ」
 部長は私の絵を見て言った。お世辞ではないようだった。
「よし、それが終わったら、みんなで写生会を開こう」
 部長はよく、突飛なことを思いつく。そして思いついたら、すぐ実行する人だった。
「そこの窓から見える木々を、外に出て近くで見て、デッサンするんだ! 俺が一番上手いと思った人には、ジュースをおごってあげよう!」
 上手い、という評価とか、ジュースとかはどうでもいいが、窓から眺める景色の良さには心惹かれるものがあった。そこで、私が真っ先に賛成意見を述べた。
「乗り気になってくれたのはいいけど、部活見学者ってこと、忘れないでね」
「はい、すいません……」
 少し元気が出過ぎているな、と自分を戒めた。いつも以上に人と関わり過ぎている。それだけ、他人に迷惑をかけるというリスクが大きくなるということだ。私が美術部入部を避けている理由の一つに、それがあるということを忘れてはいけない。
 私たちは土足に履き替え、B棟の裏まで歩いて行った。メンバーは、部長、山川さん、他に3年生の美術部の女の子が三人と、二年生二人、一年生二人、そして私だった。今の時点で、文化部として活動できるだけの所帯ではある。私を美術部に誘う理由は、部員不足と言うことではなさそうだった。
 B棟の裏は山になっていて、時折蛇が出没して騒ぎになるぐらい鬱蒼と茂っている。檜と灌木類の深緑の間を縫うように、枝垂れている藤の花の紫が良く映えて美しかった。私は裏庭をうろうろと歩いてベストの構図を探り当て、雑草の上に座る。スカートが汚れるが、それを考える前に鉛筆で手が汚れていた。
「おお、俺もこの位置から描こうと思ってたんだ」
 そう言って、部長が隣に腰を下ろす。彼の匂いが漂ってくる距離だった。一段落つくと、私は部長の書いているものと、その顔をのぞき見る。部長は整った顔立ちをしていた。これはきっと、女子生徒たちのいわゆる恋バナの種になっていることだろう。
「どうしたの?」
 部長は私の視線に気づいたのか、声をかけてくる。
「なんでもありませんよ」
 私は視線を藤の花に移し、再び絵を描き始めた。お返しとばかりに、部長は私の作品をのぞき見してくる。
「いやー、やっぱり杉本さん、上手いよ。それに早い。クロッキーだったらもしかすると山川より上手いかも知れないな」
「いえ、そんな」
 十分くらいたっていたと思う。もう五割方、私のデッサンは完成していた。部長はゆっくりゆっくり、線を吟味するように書き進めていた。私は人が絵を描いているところを真剣に見るのははじめてだったが、そういう描き方も、ありだと思う。私もやってみようかな。
 時間のたつのが早かった。絵に熱中するといつもこうだった。普段なら、さっさと時が進んでくれる状況に感謝をしている。それだけ早く、何事も考えず死に近づけるのだから。けれど、今日はそこにある種のもったいなさを感じていた。
 ――居場所があるっていうのは素敵なことで、心安らぐことだよ。
 ふと、始業式の日に山川さんに言われた言葉を思い出した。私は、楽しさとまではいかないが、そこはかとなく、居心地の良さを感じている。部活見学者であると言う立場をわきまえなければならない。でも。
 私は、ここにいる。ここにいていい。その事実は、私を確かに心安らがせていた。
 気づけば日が暮れかけ、写生大会は終わりを告げていた。皆がお互いのデッサンをのぞき合い、最後に部長に見せる。
「どう? 杉本さん」
 部長に見せる順番待ちをしていると、山川さんが気さくに声をかけてくれる。私はスケッチブックを彼女に差し出した。
「へえ、なるほど……すごく、なんというか、生命力のあるデッサンだね」
「あ、ありがと」
 私は褒められたことがあまりないので、それが褒め言葉なのかどうかわからなかった。生命力、という言葉はよく分からない。このデッサンに生命力が宿っているのだとしたら、私の内面からにじみ出るエネルギーがそうさせたのであろう。しかし、私は生命力、バイタリティという言葉とはおおよそ無縁である。私って明らかに不健康だもん。
「えー、では結果を発表するぞ!」
 一通り作品を鑑賞し終えた部長が声を張り上げる。みんなが部長を中心に、ゆるい輪を作る形となった。三年生の中から選ばれるだろうことは分かり切っていた。山川さんも私も、もはや参加者ではなく観客気分で、「誰が選ばれると思う?」と話しあっていた。三人の三年生は、誰もが客観的に見て上手かった。私の絵とはベクトルが違う、という印象を受けたが、それが何故かはわからなかった。
 フランクな大会でも、結果発表となるとやはりそれなりの緊張があるもので、皆が固唾を飲んだ。
「やっぱり、俺じゃない?」
 美術部の輪に、笑いが広がる。さすが部長は、場の空気を操るのが上手い。見た目もいいし、さぞモテるんだろうな。
「冗談はさておき。山川、お前だ」
 呼ばれて、山川さんは目を点にしていた。
「私ですか? 三年生の先輩方の方が、私なんかよりずっと上手だと思うんですけど」
「うーん、普段はそうだな。でも、今日の山川の絵は奇跡的だ」
 私はそういえば山川さんの絵を見ていなかった。普通なら私の絵を見せた時点で、見せ合いとなるところだろうが、山川さんは私に絵を見せなかった。なぜだろう。
 部長は山川さんからスケッチブックを受け取り、みんなに見せた。
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