佐瀬京志郎の異文譚~甘美なるその夢に鬼は安らぎを見るか~

龍威ユウ

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第三章:蝕まれる現実

第19話:拭えない違和感

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◆◇◆第三章:狂王の森◆◇◆


 森がぎらぎらと輝く。

 それは美しくもあり、同時に無慈悲でもある。

 美しい緑が、赤々と燃える炎によって焼かれていく。

 その魔の手は、吸血姫にも容赦なく伸びる。

 尊き命が、不幸にも憐れな人間たちの手によって落ちようとしている。

 これを阻止するべく、君は剣を抜き放つ。

 君がこれより歩む道は、きっと修羅の道となろう。

 安寧などどこにもなく、血と死の臭いがこれからもずっと続く。

 しかし君にはもう、迷いはない。

 胸の内に宿る憎悪は、今も君の中で激しく燃えているのだから……。


 
 京志郎はしばし沈思する。

「なんなんだ、今回の内容は……」

 まるで、自分のことを示唆しているかのような内容だった。

 そう思わずにいられない、単なる思い過ごしという可能性はもちろんある。

 しかし京志郎はどうしても、そのように思うことができなかった。

(頭が痛くなってきたな……)

 ずきりとした頭痛に懐かしみを覚える。

 今まで頭痛に悩まされたことは一度だってなかった。

 体質的なものもあっただろうが、無縁なものだったと断言しても過言ではない。

 小説について考察すればするほど、余計に痛みが走る。

 ぎりぎりと締め付けられるような感覚は、鬱陶しいことこの上ない。

 これ以上考えるのはやめた方がいいだろう――そう判断して、京志郎はそっと冊子を閉じた。

「――あら? 京志郎さんもうお帰りになられるんですか?」

 展示室を出てすぐにマリヤとばたりと出会った。

 ほうきとちりとりを手にした姿が妙にしっくりとくる。

「えぇ、少し急用を思い出したので今日はこれで」

「そうですか。いつでも遊びにきてくださいね」

「えぇ、ありがとうございます」

 やはり彼女は心優しい。

 慈しみに満ちた笑みに見送られて、京志郎はその場を後にした。

 日はまだ高く、今日は珍しく鉛雲が一つもない。今更ながらにそのことにはたと気付く。

「今日は晴れていたんだな……」

 久々に目にした快晴は清々しく、だが心はひどくどんよりとしたままだ。

 再び苛立ちが芽生え、気怠さが大波となって一気に押し寄せる。

 今日はもう、なにもする気力が起きない。

「……そうだ」

 それは本当に、何気ない思い付きによる行動だった。

 今頃になってどうしてそう思ったか、京志郎自身もよくわかっていない。

 あえて言語化するならば……なんとなく。これぐらいの理由しか思いつかなかった。



 太安京霊園は、最大規模を誇ることで有名だ。

 その一角ある墓前の前に京志郎は立った。

 墓石には“桐野摩耶きりのまや”としっかりと刻まれている。

「――ここにくるのは、すべてが終わってからと決めてはいたんだがな」

 それはある意味、強迫観念に近しい感情だった。

 彼女の眠りがどうか、安らかなものでありますように――京志郎はそっと手を合わせた。

 それを終えるとすぐに掃除に取り掛かる。

 長年放置したわけではなかったが、雑巾があっという間に黒くなった。

「悪かったな……俺がちゃんとやってやらないといけないっていうのに」

 返事はなく、それでも京志郎は独白するのをやめない。

 そうすることで不思議と、荒れていた心が憑き物が落ちたように軽くなった。

 いちいち思考を巡らさなくても、口からはつらつらと言葉が紡がれる。

 その時間がなによりも楽しかった。

 背後で砂利が擦れる音がした。

 振り返ると真っ黒な羆がいた――黒木である。

「黒木さん……」

「お前もきていたのか」

「えぇ、まぁ。黒木さんも?」

「そうだ。なかなか忙しくてこれなかったからな」

 花を墓前に添えて、手を合わせる黒木。

 山のように大きな身体が、今だけはずっと小さく見えた。

「……随分と酷い顔をしているな」

 不意な言葉に京志郎ははて、と小首をひねる。

 怪訝な眼差しに黒木は、背中で受けつつ低い声で言葉として紡ぐ。

「お前は、今の自分の顔を鏡で見たことがあるのか?」

「それは、顔を洗うんですから見るでしょう」

「そこになんの疑問も抱かないというのなら相当だぞ」

 山のような体が反転した時、京志郎ははたとそれを見やった。

 小さなコンパクトがより一層小さく感じる。

 鏡に映る人物に、京志郎はいぶかし気に見やった――これが、今の自分なのか……。

 目下には隈が色濃く浮かび、水気のない唇も紫色と極めて悪い。

 たったの二日で人とは、こんなにも変貌を遂げてしまえるものなのか。

 自分のことなのに、何故か他人事のように思えてしまう。

「いったい何があった?」

 ただでさえ険しい表情が、より一層険しさを増す。

 心なしか、巨体からは怒りにも似た気をまとっている。

「……別に、なにも」

 京志郎は淡々と返した。

 該当する記憶がないのだから、そう答える他なかった。

 次の瞬間、黒木の腕が槍のように鋭く伸びた。

 強く掴まれた肩に鈍痛が走る。

 彼が本気だったならば、骨はばらばらに粉砕されていただろう。

「いったい何があった!? そんな顔をしておきながら何もなかったわけがなかろう!」

「……ッ! 離して、くださいよ!」

 強引に振りほどき、距離を取る。

(この馬鹿力め……前よりも強くなってないか?)

 肩を回し、痛みがほぐれたところで京志郎は踵を返した。

「待て、まだ話は終わっていないぞ!」

「俺のほうはもう終わっています――なんのつもりかはしれませんが、余計な世話ってやつですよ」

 黒木がなにか言っているが、京志郎にもう応える気持ちはさらさらなかった。

 霊園を後にして、賑やかな街に戻ってくる。

(……うるさい)

 活気に満ちて、恋人たちの楽しそうな声が鼓膜にがんがんと反響する。

 いずれも不協和音ばかりで、どれもこれも大変耳障りな雑音でしかない。

 一刻でも早くこの場から離れたい。その一心で京志郎は逃げるように自宅へと戻った。

「今日はもう、早く休みたい……」

 布団がこの時だけはとても恋しかった。
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