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第二章:剣鬼転生
第13話
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その日、城内はいつになく慌ただしい様子だった。
数多くの人間が住まう城なのだから、町ほどでないにせよ活気があるのは当然である。
しかし、その質に賑やかさは皆無に等しかった。
なんで今日はこんなにも騒がしいんだ……?
どよめきに近しい家臣たちを横目にジンははて、と小首をひねった。
疑問を抱いたのであれば直接、彼らに尋ねればよい。立場的に言えばジンは彼らよりもずっと地位が高い。彼らに拒否権などはないのだから、尋ねれば素直に答えが返ってこよう。
確かにそうなのだが、ジンがいくら尋ねても家臣たちからの返答はすべて同じだった――国王様より絶対に教えてはならないと言われております、と。
「はぁ……俺だけ仲間外れか。あの親父め、よっぽど俺に知られたくないらしいな」
どうにかして情報が得られないだろうか。ジンはしばし沈思した。
家臣たちを脅してみるか――却下。圧制や虐殺によって自ら破滅を招くことを歴史が証明している。
「となると、やっぱり盗み聴きするしかないよなぁ……」
ジンは不敵に笑った。ちょうど目の前には、子供一人ならあっさりと収まる樽があった。
樽に忍び込んでしばしの時が流れた。
「――、おい聞いたか?」
「ん?」
樽の外で誰かの会話が聞こえてきた。
「あぁ、この辺りに魔剣が出たって話だろう?」
「そうだ。これは噂の段階だが、もう30人もの犠牲者が出ているらしい」
「そんなにか? くそっ……やっぱり魔剣って言うのは恐ろしい産物だな……」
「……魔剣?」
ジンは意識を過去へと遡らせた。
この世界には、魔剣というものがいくつも存在する。
神話と称された、遥か古の時代。神々による激しい戦争によって生じた負の産物。
所持者には絶大的な力を与える代わりに、魂は失われる。
現在でも世界各地には数多の魔剣が眠っている。そしてそれらは発見次第破壊することが厳しく課せられた。
魔剣は、この世にあってよい代物ではない。
「なるほどね。親父のやつめ、俺に知られたくないわけだ……」
ジンは小さく溜息を吐いた。
魔剣というものにジンは神と邂逅したあの時からずっと惹かれていた。
神々でさえもが危険視する魔剣とは、果たしてどのようなものなのだろうか。
それはきっと、村正なんかよりもずっとすごいものに違いあるまい。
見てみたい。そして叶うのであればぜひとも一度、その刃を交えてみたい。
己が魔剣がどこまで通ずるのか、それを試すのにこれほど相応しい相手はそうそうにいないだろう。
そうした思いが、周囲に要らぬ誤解を抱かせたのは無理もなかった。
魔剣を持った奴がこのオルトリンデの近くにいる、か……。
いい話を聞いだぞ。こんな楽しそうな話を隠すなんて悪い大人たちだな……。
その魔剣は自分が斬る。ジンは一人で勝手にそう決断した。
「――、おぉ!?」
突然、大きな揺れがジンを襲った。
「ん? 今何か声がしなかったか?」
「いや? 気のせいじゃないのか? それよりもこの話、ジン様の前では絶対にするなとの命令だ」
「わかってるって。あの方に聞かれたりでもしてみろ、真っ先に飛んでいくぞ」
「あぁ。あの方は……正直にいって何を考えているのかが俺にはわからん。子供らしくない思考に、生まれながらにしてあのエルトルージェさんをも認めさせた卓越した剣技……明らかに普通ではない」
「確かになぁ……――って、それよりもこいつで最後だろ? さっさと運んでしまおう」
「そうだな――よいしょっと。ふぅ、よしこれで荷はすべて積んだな。それじゃあ出るぞ」
程なくして、小気味よいリズムを刻む馬の足音が聞こえてきた。
それだけでなく様々な音が入り混じり、樽の中にいるジンへと滞りなく届けられる。
これは、もしかしなくてもそうなのかもしれない……。
ジンはおそるおそる、樽の蓋を開けた。
わずかな隙間から温かな光が差し込めば、そこには見知った光景が広がっていた。
どうやらどこかへ運ぶための樽だったらしい。その中に忍び込んだジンは、至って冷静だった。
むしろその瞳はきらきらと、いつになく輝いていた。
城下町までがジンに許された行動範囲だった。付け加えて出る際には必ずエルトルージェの監視がつく。
彼の双肩にかかる責務の重さを考慮すれば当然で、しかしジンにそのことを慮る気持ちは一切なかった。
外の世界はどうなっているのだろうか……。
気になる。少しぐらいならばバレないだろう、多分……。
ジンはそう結論を下した。
樽の中身が国王の子息だとは知る由もない馬車は、ついに城門の外へと出た。
「おぉ……!」
隙間から見えるその景色にジンは感嘆の息をほっと吐いた。
城壁より一歩先は、広大な平原がどこまでも続いていた。
さんさんと輝く太陽はまぶしくも暖かく、吹き抜けるそ優しい微風は大変心地良い。
だが、城壁より先には数多くの危険が潜んでいることを決して忘れてはいけない。
モンスターに人間の常識は一切通用しない。彼らには、彼らなりのルールがある。
そのルールを侵害した時、彼らは己が凶牙を容赦なく剥く。
つまり、触らぬ神に祟りなし。互いに侵略さえしなければどうということはないのだ。
「モンスター、か……俺がいた世界にはそんなものはいなかったからなぁ。妖怪みたいなもんか……?」
ジンは思考を巡らせていく内に、その口元をだらしなく緩めていく。
この異世界には本当におもしろいことが盛りだくさんだ……。
当分、飽くことはあるまい。ジンはそう思った。
「――、っと。そういえばそろそろ出たほうがいいか。あんまり遠いといくら俺でも帰れそうに――」
隙間から再び外を見た時、ジンはぎょっと目を丸くした。
「……ここ、どこだ?」
先ほどまで確かにあったはずの平原は、いつしかうっそうとした森に変わっていた。
言うまでもないが、ジンの視線の先には木々が生い茂るばかりで平原はおろかオルトリンデの影も形もない。
不意に、この馬車の御者である彼らの声がジンの耳に届いた。
「そういえば、たしかこの辺りだったよな?」
「なにが……って、あぁ。例の魔剣の話か」
「さっきからおかしいと思わないか? この森にも強さはそこまででないにせよモンスターは生息している。だというのに、そのモンスターが一匹も見当たらないのはどうしてだ?」
「そんな日もある……って、楽観視するのは愚行か。いわれてみればそうだ」
「……一応、周囲の警戒は怠らずにいこう」
「了解した――何事もなく済んでくれるのが一番なんだがな」
彼らの会話に、ジンはそっと目を細めた。
ついさっきからどうも、嫌な予感がしていた。
うなじの辺りが特にじわり、と疼く時。それはジンにとって危険を知らせる合図でもあった。
優れた直感によってこれまでにも、数多くの危険を察知し回避してきた。
何事も起きずに、というのはおそらく叶わぬ願いとなるだろう……。
ジンはそう判断した。――とりあえず、俺も警戒だけはしておこう…….。
しばしの間、不気味な静寂が流れた。
会話もあれ以降ぱたりと止まったきりで、次第に重苦しい空気が馬車を包み込む。
こうなったらもう、早く目的地についてほしい。ジンは切に思った。
刹那、一つの断末魔が静寂を切り裂いた。
「な、なんだ貴様は!?」
「――、ッ!?」
ジンが樽を出るよりも先に新たな断末魔が森中に反響した。
まさか、魔剣とやらが出てきたか……!
ジンは樽の外へと飛び出した。
すぐに濃厚な血の香りがつんと鼻腔を突いた。
目の前には、馬車の御者だった二人の男が肩を並べて座っている。
厳密には、そこにあるはずの首が二人ともなかった。荒々しい断面図からは絶え間なく、赤い噴水がぴゅうと虎落笛を拭いてあふれる。
「……なるほど。あなたが例の魔剣の所持者ってことですか」
道を塞ぐようにして仁王立つその男は、見かけだけで言えば一般人と呼ぶには程遠かった。
質素でこそあるが胸板などで武装し、人相は善人とはお世辞にも言えない。
大方、野盗の類だろう。周囲に仲間がいる気配はなし。
野盗にしては随分と得物の質がいい。ジンはジッと男の右手にある剣を見据えた。
見た目だけならば特記すべきことはなし。ごくごく普通のショートソードだ。
ただし刀身から柄頭にかけてすべて黒に染まっていた。
一点の光も宿さないその黒は、さながら深淵の闇夜のよう。その上からでもはっきりと視認できるほどの大量の血液が、べったりと付着していた。
そして、男の目は明らかに異常だった。
ひどく血走った目に犬歯をむき出しにした口からはだらだらと涎が滴り落ちる。
まるで獣のようだ……。
よもやこのような形で早速、魔剣とやりあう日が訪れようとは……!
ジンは腰の太刀をすらりと抜いた。
うめき声と共に、男が地をどんと強く蹴った。
「なっ……!」
高らかに跳躍した男に、ジンは驚愕した。
ジンの身体能力は、生前での経験もあってか同年代に比べるとはるかに高い方に部類される。
男のそれは、ジンが知る猛者たちの誰よりもずっと高かった。
魔法による補助もなく純粋な身体能力だけで……!
これが、魔剣の力なのか……!?
ジンは咄嗟に後方へと飛んだ。わずかに遅れてそこに馬車だったものが残される。
男の放った一撃は馬車のみならず、大地をも軽く切り裂いた。恐るべき切れ味を目前に、ジンに焦りはない。至って冷静だった。
これが魔剣なのか……。
男が獣の如き咆哮と共に再び肉薄した。
片手上段からの豪快な振り下ろしは大気をもごうと唸らせる。
斬と奏でられた無慈悲な音が一つ、森の中に反響した。
どさり、と前のめりになって倒れた敗者の瞳には、己を見下ろす勝者がしかと移る。
彼の者を見下ろすその瞳は、氷のようにひどく冷ややかなものだった。
言葉にして表すならば、落胆の二字はもっともこの場では相応しかろう。
対する敗者の視線は、まるで呪うかのように弱くそれでいて凄烈なものだった――どうして、と。今にもそう尋ねそうな雰囲気さえもどこかかもし出す。
「これが、魔剣なのか? こんなものが、魔剣なのか……?」
そう言葉にしたジンは、後に大きなため息を吐いた。
神々が恐れた魔剣とは、こうもつまらないものだったのか……?
たしかにこの剣は異様、なのだろう。男の力は明らかに人間のそれじゃあなかった……。
だが、それだけだ。それだけでなんの面白さもない……。
つまらない。いくらなんでもこれは、つまらなさすぎるだろう……。
俺は、こんなものに期待していたのか……?
ジンはひょいと魔剣を手に取った。
「――、ッ!」
次の瞬間、ジンは咄嗟に魔剣から手を離した。
彼の手から滑り落ちた魔剣は、そのまま地面をゆっくりと進んでいく。
まるで剣そのものが生きているかのように。この場からどうにかして逃げようとしているかのような行動に、ジンは刀身を踏みつけそれを阻止した。
「……なるほど、これが魔剣か。確かにこいつは邪悪そのものだ――剣を握った瞬間、俺にあんな幻覚を見せるなんてな」
ジンはふんと、鼻で一笑に伏した。
魔剣が何故恐れられているのか、それを身をもって理解できた……。
こいつは、生きている剣だ。生きるために器がどうしても必要なんだ……。
だからこそ、甘い夢を見せて所持者の魂を篭絡しようとする……。
「だが、拾われた相手が悪かったな。俺には、お前が見せるような甘くて優しい幻覚は必要ないんだよ……」
ジンは魔剣の刀身を思いっきり上へと蹴り上げた。
ぽんと高らかに上空へ飛んだ魔剣だが、重力に従ってゆっくりと落ちてくる。
「はぁぁぁ!!」
気合一閃――稲妻に匹敵する一撃が、その魔剣を容赦なく破壊した。
ガラスが砕け散る音と共に四散した破片が、やがて太陽光によって跡形もなく消滅する。あたかも最初から、そんなものはなかったと言わんばかりに。
「魔剣は見つけ次第破壊することが義務付けられている、そして破壊してしまえば後は消える、か……」
ジンは静かに納刀した。
そしてすぐにその口元を優しく緩める。
リリアナの刀が魔剣をも上回った……。
これは彼女にとって朗報にもなってくれるだろう……。
歓喜のあまり卒倒しなければいいのだけれど……。
思わぬ収穫にジンは嬉々とした面持ちで帰路に着く。
殺伐とした森は再び穏やかな静けさを取り戻し、だが濃厚な血の香りが漂う。
ここにいては、いつモンスターに襲われるかわかったものではない。早急に引き上げたほうがよかろう。
ジンは来た道を引き返した。――とりあえず、怒られるのは必須だな……。
案の定、夜遅くにどうにかして戻ったジンに待っていたのは説教だった。
数多くの人間が住まう城なのだから、町ほどでないにせよ活気があるのは当然である。
しかし、その質に賑やかさは皆無に等しかった。
なんで今日はこんなにも騒がしいんだ……?
どよめきに近しい家臣たちを横目にジンははて、と小首をひねった。
疑問を抱いたのであれば直接、彼らに尋ねればよい。立場的に言えばジンは彼らよりもずっと地位が高い。彼らに拒否権などはないのだから、尋ねれば素直に答えが返ってこよう。
確かにそうなのだが、ジンがいくら尋ねても家臣たちからの返答はすべて同じだった――国王様より絶対に教えてはならないと言われております、と。
「はぁ……俺だけ仲間外れか。あの親父め、よっぽど俺に知られたくないらしいな」
どうにかして情報が得られないだろうか。ジンはしばし沈思した。
家臣たちを脅してみるか――却下。圧制や虐殺によって自ら破滅を招くことを歴史が証明している。
「となると、やっぱり盗み聴きするしかないよなぁ……」
ジンは不敵に笑った。ちょうど目の前には、子供一人ならあっさりと収まる樽があった。
樽に忍び込んでしばしの時が流れた。
「――、おい聞いたか?」
「ん?」
樽の外で誰かの会話が聞こえてきた。
「あぁ、この辺りに魔剣が出たって話だろう?」
「そうだ。これは噂の段階だが、もう30人もの犠牲者が出ているらしい」
「そんなにか? くそっ……やっぱり魔剣って言うのは恐ろしい産物だな……」
「……魔剣?」
ジンは意識を過去へと遡らせた。
この世界には、魔剣というものがいくつも存在する。
神話と称された、遥か古の時代。神々による激しい戦争によって生じた負の産物。
所持者には絶大的な力を与える代わりに、魂は失われる。
現在でも世界各地には数多の魔剣が眠っている。そしてそれらは発見次第破壊することが厳しく課せられた。
魔剣は、この世にあってよい代物ではない。
「なるほどね。親父のやつめ、俺に知られたくないわけだ……」
ジンは小さく溜息を吐いた。
魔剣というものにジンは神と邂逅したあの時からずっと惹かれていた。
神々でさえもが危険視する魔剣とは、果たしてどのようなものなのだろうか。
それはきっと、村正なんかよりもずっとすごいものに違いあるまい。
見てみたい。そして叶うのであればぜひとも一度、その刃を交えてみたい。
己が魔剣がどこまで通ずるのか、それを試すのにこれほど相応しい相手はそうそうにいないだろう。
そうした思いが、周囲に要らぬ誤解を抱かせたのは無理もなかった。
魔剣を持った奴がこのオルトリンデの近くにいる、か……。
いい話を聞いだぞ。こんな楽しそうな話を隠すなんて悪い大人たちだな……。
その魔剣は自分が斬る。ジンは一人で勝手にそう決断した。
「――、おぉ!?」
突然、大きな揺れがジンを襲った。
「ん? 今何か声がしなかったか?」
「いや? 気のせいじゃないのか? それよりもこの話、ジン様の前では絶対にするなとの命令だ」
「わかってるって。あの方に聞かれたりでもしてみろ、真っ先に飛んでいくぞ」
「あぁ。あの方は……正直にいって何を考えているのかが俺にはわからん。子供らしくない思考に、生まれながらにしてあのエルトルージェさんをも認めさせた卓越した剣技……明らかに普通ではない」
「確かになぁ……――って、それよりもこいつで最後だろ? さっさと運んでしまおう」
「そうだな――よいしょっと。ふぅ、よしこれで荷はすべて積んだな。それじゃあ出るぞ」
程なくして、小気味よいリズムを刻む馬の足音が聞こえてきた。
それだけでなく様々な音が入り混じり、樽の中にいるジンへと滞りなく届けられる。
これは、もしかしなくてもそうなのかもしれない……。
ジンはおそるおそる、樽の蓋を開けた。
わずかな隙間から温かな光が差し込めば、そこには見知った光景が広がっていた。
どうやらどこかへ運ぶための樽だったらしい。その中に忍び込んだジンは、至って冷静だった。
むしろその瞳はきらきらと、いつになく輝いていた。
城下町までがジンに許された行動範囲だった。付け加えて出る際には必ずエルトルージェの監視がつく。
彼の双肩にかかる責務の重さを考慮すれば当然で、しかしジンにそのことを慮る気持ちは一切なかった。
外の世界はどうなっているのだろうか……。
気になる。少しぐらいならばバレないだろう、多分……。
ジンはそう結論を下した。
樽の中身が国王の子息だとは知る由もない馬車は、ついに城門の外へと出た。
「おぉ……!」
隙間から見えるその景色にジンは感嘆の息をほっと吐いた。
城壁より一歩先は、広大な平原がどこまでも続いていた。
さんさんと輝く太陽はまぶしくも暖かく、吹き抜けるそ優しい微風は大変心地良い。
だが、城壁より先には数多くの危険が潜んでいることを決して忘れてはいけない。
モンスターに人間の常識は一切通用しない。彼らには、彼らなりのルールがある。
そのルールを侵害した時、彼らは己が凶牙を容赦なく剥く。
つまり、触らぬ神に祟りなし。互いに侵略さえしなければどうということはないのだ。
「モンスター、か……俺がいた世界にはそんなものはいなかったからなぁ。妖怪みたいなもんか……?」
ジンは思考を巡らせていく内に、その口元をだらしなく緩めていく。
この異世界には本当におもしろいことが盛りだくさんだ……。
当分、飽くことはあるまい。ジンはそう思った。
「――、っと。そういえばそろそろ出たほうがいいか。あんまり遠いといくら俺でも帰れそうに――」
隙間から再び外を見た時、ジンはぎょっと目を丸くした。
「……ここ、どこだ?」
先ほどまで確かにあったはずの平原は、いつしかうっそうとした森に変わっていた。
言うまでもないが、ジンの視線の先には木々が生い茂るばかりで平原はおろかオルトリンデの影も形もない。
不意に、この馬車の御者である彼らの声がジンの耳に届いた。
「そういえば、たしかこの辺りだったよな?」
「なにが……って、あぁ。例の魔剣の話か」
「さっきからおかしいと思わないか? この森にも強さはそこまででないにせよモンスターは生息している。だというのに、そのモンスターが一匹も見当たらないのはどうしてだ?」
「そんな日もある……って、楽観視するのは愚行か。いわれてみればそうだ」
「……一応、周囲の警戒は怠らずにいこう」
「了解した――何事もなく済んでくれるのが一番なんだがな」
彼らの会話に、ジンはそっと目を細めた。
ついさっきからどうも、嫌な予感がしていた。
うなじの辺りが特にじわり、と疼く時。それはジンにとって危険を知らせる合図でもあった。
優れた直感によってこれまでにも、数多くの危険を察知し回避してきた。
何事も起きずに、というのはおそらく叶わぬ願いとなるだろう……。
ジンはそう判断した。――とりあえず、俺も警戒だけはしておこう…….。
しばしの間、不気味な静寂が流れた。
会話もあれ以降ぱたりと止まったきりで、次第に重苦しい空気が馬車を包み込む。
こうなったらもう、早く目的地についてほしい。ジンは切に思った。
刹那、一つの断末魔が静寂を切り裂いた。
「な、なんだ貴様は!?」
「――、ッ!?」
ジンが樽を出るよりも先に新たな断末魔が森中に反響した。
まさか、魔剣とやらが出てきたか……!
ジンは樽の外へと飛び出した。
すぐに濃厚な血の香りがつんと鼻腔を突いた。
目の前には、馬車の御者だった二人の男が肩を並べて座っている。
厳密には、そこにあるはずの首が二人ともなかった。荒々しい断面図からは絶え間なく、赤い噴水がぴゅうと虎落笛を拭いてあふれる。
「……なるほど。あなたが例の魔剣の所持者ってことですか」
道を塞ぐようにして仁王立つその男は、見かけだけで言えば一般人と呼ぶには程遠かった。
質素でこそあるが胸板などで武装し、人相は善人とはお世辞にも言えない。
大方、野盗の類だろう。周囲に仲間がいる気配はなし。
野盗にしては随分と得物の質がいい。ジンはジッと男の右手にある剣を見据えた。
見た目だけならば特記すべきことはなし。ごくごく普通のショートソードだ。
ただし刀身から柄頭にかけてすべて黒に染まっていた。
一点の光も宿さないその黒は、さながら深淵の闇夜のよう。その上からでもはっきりと視認できるほどの大量の血液が、べったりと付着していた。
そして、男の目は明らかに異常だった。
ひどく血走った目に犬歯をむき出しにした口からはだらだらと涎が滴り落ちる。
まるで獣のようだ……。
よもやこのような形で早速、魔剣とやりあう日が訪れようとは……!
ジンは腰の太刀をすらりと抜いた。
うめき声と共に、男が地をどんと強く蹴った。
「なっ……!」
高らかに跳躍した男に、ジンは驚愕した。
ジンの身体能力は、生前での経験もあってか同年代に比べるとはるかに高い方に部類される。
男のそれは、ジンが知る猛者たちの誰よりもずっと高かった。
魔法による補助もなく純粋な身体能力だけで……!
これが、魔剣の力なのか……!?
ジンは咄嗟に後方へと飛んだ。わずかに遅れてそこに馬車だったものが残される。
男の放った一撃は馬車のみならず、大地をも軽く切り裂いた。恐るべき切れ味を目前に、ジンに焦りはない。至って冷静だった。
これが魔剣なのか……。
男が獣の如き咆哮と共に再び肉薄した。
片手上段からの豪快な振り下ろしは大気をもごうと唸らせる。
斬と奏でられた無慈悲な音が一つ、森の中に反響した。
どさり、と前のめりになって倒れた敗者の瞳には、己を見下ろす勝者がしかと移る。
彼の者を見下ろすその瞳は、氷のようにひどく冷ややかなものだった。
言葉にして表すならば、落胆の二字はもっともこの場では相応しかろう。
対する敗者の視線は、まるで呪うかのように弱くそれでいて凄烈なものだった――どうして、と。今にもそう尋ねそうな雰囲気さえもどこかかもし出す。
「これが、魔剣なのか? こんなものが、魔剣なのか……?」
そう言葉にしたジンは、後に大きなため息を吐いた。
神々が恐れた魔剣とは、こうもつまらないものだったのか……?
たしかにこの剣は異様、なのだろう。男の力は明らかに人間のそれじゃあなかった……。
だが、それだけだ。それだけでなんの面白さもない……。
つまらない。いくらなんでもこれは、つまらなさすぎるだろう……。
俺は、こんなものに期待していたのか……?
ジンはひょいと魔剣を手に取った。
「――、ッ!」
次の瞬間、ジンは咄嗟に魔剣から手を離した。
彼の手から滑り落ちた魔剣は、そのまま地面をゆっくりと進んでいく。
まるで剣そのものが生きているかのように。この場からどうにかして逃げようとしているかのような行動に、ジンは刀身を踏みつけそれを阻止した。
「……なるほど、これが魔剣か。確かにこいつは邪悪そのものだ――剣を握った瞬間、俺にあんな幻覚を見せるなんてな」
ジンはふんと、鼻で一笑に伏した。
魔剣が何故恐れられているのか、それを身をもって理解できた……。
こいつは、生きている剣だ。生きるために器がどうしても必要なんだ……。
だからこそ、甘い夢を見せて所持者の魂を篭絡しようとする……。
「だが、拾われた相手が悪かったな。俺には、お前が見せるような甘くて優しい幻覚は必要ないんだよ……」
ジンは魔剣の刀身を思いっきり上へと蹴り上げた。
ぽんと高らかに上空へ飛んだ魔剣だが、重力に従ってゆっくりと落ちてくる。
「はぁぁぁ!!」
気合一閃――稲妻に匹敵する一撃が、その魔剣を容赦なく破壊した。
ガラスが砕け散る音と共に四散した破片が、やがて太陽光によって跡形もなく消滅する。あたかも最初から、そんなものはなかったと言わんばかりに。
「魔剣は見つけ次第破壊することが義務付けられている、そして破壊してしまえば後は消える、か……」
ジンは静かに納刀した。
そしてすぐにその口元を優しく緩める。
リリアナの刀が魔剣をも上回った……。
これは彼女にとって朗報にもなってくれるだろう……。
歓喜のあまり卒倒しなければいいのだけれど……。
思わぬ収穫にジンは嬉々とした面持ちで帰路に着く。
殺伐とした森は再び穏やかな静けさを取り戻し、だが濃厚な血の香りが漂う。
ここにいては、いつモンスターに襲われるかわかったものではない。早急に引き上げたほうがよかろう。
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