雷王、大いに懊悩す~ラスボス魔王、使命を果たして元の世界に戻りたくない異世界転移チート勇者によって全力で延命させられるの巻~

朽縄咲良

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エピソード10 魔王別姫

魔王と選択と決断

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 「おうサマ、きガえもっテきた」
「お、おう……済まぬな」

 村の端を流れる小さな川で、全裸になって身体に付いたゲ……汚れを落としていたギャレマスは、着替えを持ってきてくれたスッタバに礼を言った。
 小さな手桶で清冽な川の水を掬い、まだ酸っぱい匂いが残る頭にかけたギャレマスは、髪から滴る水滴を手で拭いながら、「……ところで」と、心配そうな声を上げる。

「……スウィッシュは、落ち着いたか?」
「アイ」

 ギャレマスの問いかけに、スッタバは小さく頷いた。

「スイシュさン、ずっトないテたけド、なきツカれたみたイ。さっキねまシタ」
「そうか……」

 スッタバの返事を聞いたギャレマスは、小さく安堵の息を吐く。

「まあ、致し方あるまい。だが、余の顔面に吐いてしまったからといって、そこまで気に病む事も無いというのに……」
「……いヤ、さすガにそレはきにスるとおもイまス」

 ギャレマスの呟きに、スッタバは苦笑した。
 と、ギャレマスは顔をくしゃくしゃに顰めると、

「ふぇ……ヴェックショオォンッ!」

 盛大なくしゃみをし、驚いた鳥たちが、留まっていた木々から一斉に羽ばたき去る。
 そんな周囲の喧騒をよそに、全裸のギャレマスはぶるりと身を震わせた。

「うぅ……初夏とはいえ、さすがに真夜中の水浴びは体が冷えるな」

 そうボヤキながら、彼は鼻をひくひくと動かし、自分の身体の匂いを嗅ぐ。
 ……まだ仄かに酸っぱい匂いを感じなくも無いが、さっきよりはだいぶマシになった……ような気がする。
 ギャレマスは小さく息を吐くと、着替えと布巾を抱えるようにして控えているスッタバに向かって声をかけた。

「……スッタバ、大儀であった。もう、夜も随分と更けた。着替えはそこの石の上に置いて、下がって良いぞ」
「あぁ、アイ」

 スッタバは、ギャレマスの言葉に頷くと、指示の通りに着替えを平べったい石の上に置く。
 そして、小さな手を口に当ててアクビをすると、ギャレマスに向かって頭を下げた。

「じゃ、しつレイしまス。おやすミナさい……おうサマ」
「あ、うむ。こんな夜遅くにすまなかったな。今日はゆっくりと休んでくれ」

 労いの言葉をかけたギャレマスは、スッタバが立ち去るのを見送ると、再び手桶に水を汲み、頭から被った。

「ふぅ……」

 ぶるりと頭を振った後に、手櫛で髪から垂れ落ちる水滴を振り払ったギャレマスは、スッタバが置いてくれた布巾を手に取る。

「やれやれ……」

 布巾で髪を拭きながら、ギャレマスは夜空を見上げた。
 木々の間から見える漆黒の空には、月と星々が、まるでぶちまけられた宝石のようにいっぱいに広がり、キラキラと輝いている。

「綺麗だな……」

 ギャレマスは、見事な夜空に見惚れ、嘆息した。
 と、

「……綺麗、か」

 そう繰り返したギャレマスの脳裏に、ふと蒼髪の少女の面影が浮かぶ。つい先ほど、息のかかる距離でまじまじと見つめたスウィッシュの貌を……そして、触れ合った唇の感触を思い出した。

「……」

 彼は、微かに震える指で、そっと自分の唇に触れる。
 同時に蘇る、彼女の言葉。

『イラ・ギャレマス様――あたしは、あなたの事を……心の底から愛しています!』
「……スウィッシュが、余の事を……」

 ギャレマスは、呆然と呟いた。
 正直、まだ信じられない。

(スウィッシュのような可憐な若い娘が、余のような冴えない中年オヤジの事を……)

 あるいは、酔いが見せた妄想か幻覚だったのではないか? ……一瞬そう思ってもみたが、まだ唇に残る感触と、微かに香る吐瀉物の匂いが、彼の推測を直ちに否定する。

「むぅ……」

 ギャレマスは、眉根に皺を寄せながら頭を抱えた。

「……明日から、余はどうするべきだろうか?」

 “どうするべき”というのは、言うまでもない。『スウィッシュと、どういう形で接するべきか』という事だ。

「もう……昨日までの関係では居られまい。どうしても、今宵の事を意識してしまう……」

 スウィッシュは、『陛下からどんな御返事を頂いたとしても、明日からもちゃんと陛下の部下として忠誠を尽くしますから』と言っていたが、完全に何も無かった事のように振舞う事は無理だろう――スウィッシュより、むしろ自分自身が。
 というか――そもそもギャレマスは、スウィッシュの想いに対して、きちんと返事をしていない。言おうとした寸前でスウィッシュのゲ〇を顔面に浴びて、それどころではなくなってしまった……。
 まったく……さんざんな目に遭ったものだ。

(……いや)

 ギャレマスは、思い直すように小さくかぶりを振った。

(これで……これで良かったのかもしれぬ。もし、あのままスウィッシュの想いへの答えを口にしていたら……)

 ギャレマスは、あの時、自らの舌に乗せようとしていた“答え”を思い出し、グッと唇を噛んだ。

(まったく……余は、何て事を答えようとしておったのだ……)

 自分自身に呆れながら、彼は小刻みに首を左右に振る。

(――『余も、スウィッシュの事を愛している』だなどと……!)

 頭の中で言語化した途端、途轍もない罪悪感を覚えたギャレマスは、「うおおおおおおお~!」と吠えながら、頭から川の中に飛び込んだ。
 身を切るほどに冷たい川の水の中に沈んだギャレマスは、月明かりでぼんやりと見える川底をぼんやりと見つめながら、もう一度考え直す。

(……齢が離れすぎておるのはもちろんだが、そもそも、余がスウィッシュの事を愛する事など、あってはならぬのだ。あやつと余は、部下と主の関係だし――)

 ギャレマスの脳裏に、過去の情景が浮かぶ。
 最も信頼のおける部下であり、乳兄弟であり、無二の親友でもあった、スウィッシュの父・オグレーディと最期に会った時の事を……。

『イラ……娘を……スウィッシュの事を、どうか幸せにしてやってくれ……』

 オグレーディは、末期の床で苦しげに息を継ぎながら、ギャレマスの手を握ってそう懇願した。
 そんな親友の最後の頼みに、ギャレマスは涙をボロボロと流しながら、力強く答えたのだ。

『分かっている! お前の分まで、必ず幸せにすると誓おう!』

 ――と。

(……なのに、余の勝手で、スウィッシュの幸せな未来を奪って良いものか!)

 早世する親友に託されたスウィッシュを女として愛する事は、彼に対するこれ以上ない裏切りだと、ギャレマスは考えた。
 

(やはり……この気持ちは胸の中に秘めておくべきだな)

 川から身を起こした彼は、頭上の夜空をぼんやりと眺める。

「な……なに。スウィッシュが余の事を好いてくれたのも、一時の気の迷いだろう。余がキッパリと想いを拒絶すれば、すぐに他の若い男とまともな恋に落ちて、幸せになれるだろう……うん」

 そう、自分に言い聞かせるように呟き、しきりに頷くギャレマス。
 ……だが、そう言い聞かせれば言い聞かせるほど、胸の中でモヤモヤが蠢き、鈍い痛みを放った。
 まるで、理性に押さえつけられようとした感情が、そうはさせじと必死で抗っているかのように。

「……はぁ」

 痛む胸をそっと手で押さえながら、ギャレマスは途方に暮れる。

 ――スウィッシュの想いを受け入れて、自分の気持ちにも正直になり、彼女の未来を奪う道を選ぶか。
 ――自分の気持ちに蓋をして、スウィッシュの想いも拒絶して、彼女が別の道に進むのを見守る道を選ぶか。

 どちらにするべきか……すぐには、決断を下せそうにも無かった。
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