シリウスをさがして

朽縄咲良

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第三章

第三十四話 人付き合い

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 ――結局、北斗のことを想い出して涙が止まらなくなった僕は、しばらく感情を抑えることはできなかった。
 開店から十五分ほど過ぎて、ようやく涙が引いたので、慌ててエプロンを付けて更衣室から表に出たのだが、僕の顔を一目見た青井さんが最初に出した指示は、「洗面所で顔を洗っておいで」だった。
 その言葉に、今の自分がどんなにひどい顔をしているか察した僕は、青井さんが差し出したタオルを慌てて受け取って洗面所に駆け込んだのである。
 洗面台の鏡に映った僕の顔は、思っていたよりもひどい有様だった。
 ずっと泣いていたせいで、すっかり目元は腫れぼったくなっていて、頬っぺたには涙の跡がくっきりと残り、鼻の頭は真っ赤になっている。
 そんなひどい顔を、冷たい洗面所の水で何度も洗い、ようやく店内に戻ってこられたのは、更に十分ほど経ってからだった……。

 開いてから三十分近く経っていた店内のテーブルは、既に八割がたお客さんで埋まっていたが、青井さんがひとりで切り盛りしていて、なんとか滞りなく回っているようだった。
 それを見た僕は、ホッとすると同時に――ちょっとだけガッカリする。
 ――と、

「……もう大丈夫なのかい?」

 厨房でサンドイッチを作っていた青井さんが、すぐ僕の姿を見つけ、気遣うように言葉をかけてくれた。
 ――が、そんな優しい問いかけに対し、後ろめたさと申し訳なさ……そして、罪悪感によってですっかり居たたまれない気持ちが募ってしまった僕は、青井さんの顔をまともに見ることができず、ただ小さな声で「……はい。すみませんでした」と謝ることしか出来なかったのだった……。

 ◆ ◆ ◆ ◆

 「――今日は本当にすみません、青井さん」

 ランチタイムの営業を終え、お昼休みを入るために一旦お店を閉めたところで、僕は改めて青井さんに謝った。
 深々と頭を下げた僕にビックリした顔をしながら、青井さんは首を傾げる。

「……どうしたんだい、急に謝って?」
「あ、いえ……」

 怪訝そうな顔をした青井さんに訊き返された僕は、思わずちょっと言い淀んだ。

「その……青井さんに色々とご迷惑をかけてしまって……。着替えるのに時間がかかって、開店に間に合わなかったり、その後も洗面所に籠ったり……それに、オーダーミスもしちゃいましたし……」
「ははは、なんだ、そんなことか」

 僕の答えを聞いた青井さんは、口元を緩めて苦笑しながら、今度は首を横に振る。

「君が謝るようなことじゃ全然ないさ。気にしないで大丈夫だよ」
「ですけど……」

 青井さんの優しい言葉に、思わず救われたような気持ちになりかける自分の気持ちを『それは違うだろう』と心の中で否定しながら、僕はうなだれた。

「少しでも青井さんの助けになればって思っているのに、かえって迷惑をかけているのが本当に申し訳なくて……」
「――そんなことは無いさ」
僕の言葉を聞いた青井さんは、即座に首を横に振る。
 そして、それまで口元にたたえていた微笑みを消し、真剣な表情を浮かべながら言葉を継いだ。

「申し訳ないなんて考える必要なんて無い。君がいてくれるおかげで、私は本当に助かっているんだからね」
「そう……なんですかね?」

 青井さんがかけてくれた言葉を嬉しく思いながらも、僕は半信半疑だった。
 そんな僕に対し、青井さんは「そうだよ」と力強く頷いた。

「君はマジメで素直だし、人当たりもいいから、お客さんからの印象がいいんだ。正直、私はあんまり人付き合いが好きな方じゃないから、君が接客を担ってくれていて、とても助かっているんだよ」
「えぇ?」

 僕は、青井さんから意外すぎる答えを聞いて、思わず声を上げる。

「人付き合いが好きじゃないって……青井さんがですか? いや……全然そんな風には見えないんですけど……」
「ははは。そうかい?」

 ビックリする僕に苦笑しながら、青井さんは言葉を継いだ。

地金じがねが見えてないんだったら良かったよ。喫茶店を開いている男が人嫌いだって見透かされたら、お客さんが来なくなっちゃうからね」
「人嫌いって……本当なんですか……?」
「本当さ」

 訊き返す僕に、青井さんはあっさりと頷く。

「元々、私はひとりでいる方が性に合っている性質タチでね。できれば、不特定多数の人と触れ合いたくなんか無いのさ。……でも、今の時代だと、そういう訳にもいかないだろ? 色々と角が立つしね」
「ま、まあ……そうですね」
「だから、子どもの頃から、どんなに気に食わない人とでも本心を隠して愛想よく接することができるように努めてきた。そのおかげで何となく“人付き合いのコツ”ってやつが掴めて、好きじゃないけど、得意にはなったって訳さ」

 どこか自嘲気味にそう言った青井さんは、唇の前に人差し指を立てながら、片目をつむってみせた。

「……っと、これはくれぐれも内緒にしておいてくれよ。お客さんにバレたら、ウチの売上が激減しちゃうかもしれないからね」
「は、はい……もちろん……」

 いたずらっぽい笑みを浮かべながら、冗談めかして言う青井さんにコクンと頷いた僕は――急に胸の内に湧いた不安と疑念を、なかば無意識で口にする。

「じゃ、じゃあ……もしかして、僕のことも、本当は――」
「ああいや、違う違う。そんな訳はない」

 僕の言葉を聞いた青井さんは、少し慌てた様子で否定した。
 青井さんはスッと真顔になると、僕の目を覗き込むように顔を近づける。

「君のことは……好きだよ。本心からね」
「……っ!」

 僕は、青井さんの息が頬にかかるのを感じながら、目を大きく見開いた。
 左胸がやにわに激しく高鳴り始めたことに内心で当惑しながら、僕はおずおずと頭を下げる。

「そ、その……あ、ありがとうございます……その、嬉しいです。僕のことを気に入ってくれたみたいで」
「……どういたしまして」

 僕のお礼の言葉を聞いた青井さんは、なぜか少しガッカリしたような表情を浮かべた……ように見えた。
 ……いや、多分気のせいだろう。
 青井さんは、僕のことを「人間的に好き」だと言ってくれただけだ。
 で言ったんじゃない……。

「……
「……え?」

 まるで心を読まれたかのように耳元に届いた青井さんの囁きに、僕は思わず上ずった声を漏らした。
 同時に顔がカッと熱くなるのを感じて、なかば無意識に距離をとろうと半歩下がる。

「あ、あのっ」

 彼の顔がさっきよりもぐっと近づいていることに気づいて、思わず息を呑んだ。

「あ、青井さん……?」
「……」

 青井さんは僕の問いかけに答えず、その代わりに、僕の肩を両手で掴んだ。
 彼の視線が、絡みつくように一段と近づいてくる――。
 ――その時、

 “カラン カランッ”

「「――っ!」」

 不意に鳴ったドアベルの音に驚いて、僕と青井さんは入口の方に顔を向けた。
 ――半分ほど開いたドアの隙間から入ってきたのは、ひとりの少女。
 緊張で強張った少女の顔を見た僕は、上ずった声で彼女の名を口にする。

「な……七星ななせちゃん……?」
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