1DK バス・トイレ・化け猫つき

朽縄咲良

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第一章 おくりねこ

第十六話 怒りと理由

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 かなみさんに促され、ハジさんをキャリーバッグの中に突っ込んでから挨拶もそこそこに座敷を辞去した俺は、履き慣れない革靴に苦戦しつつ足を通すと、玄関ロビーを出た。
 初夏の強い陽射しが照りつける斎場の砂利道を見ると、いち早く建物を出たかなみさんの背中が見えた。
 俺は、慌てて出たせいで踏みつけたままだった革靴の踵を直してから、小走りになって彼女の背中を追いかける。
 ……だが、ヒールで砂利を踏みながら歩く彼女に声をかける事は躊躇われた。
 こちらに背を向けた彼女の全身から、陽炎のような怒りのオーラがユラユラと立ち上っているのがありありと見えたからだ。

「……」
「……」

 一メートルほどの間を空けて歩くかなみさんと俺は、無言のまま斎場の正門に向けて歩き続ける。
 ……と、かなみさんが俺の方に顔を向けた。
 俺はギョッとして、振り向いた彼女の顔を見返す。
 すると――、

「……ごめんなさい、三枝さん!」

 そう言って、かなみさんが俺に深々と頭を下げてきた。
 俺はビックリして、彼女に思わず訊き返す。

「え? あ、いや、何がっすか?」
「何がって……」

 顔を上げたかなみさんは、申し訳なさそうに眉根を下げながら答えた。

「私が勝手に、三枝さんの事をお座敷から連れ出すような感じになっちゃって……。もっとゆっくりしていたかったですよね? ……だから、申し訳ありませんって……」
「あ、いやいや!」

 彼女の言葉を聞いた俺は、慌てて首を左右に振る。

「あ、あなたが謝る事じゃないっすよ! しょ、正直、なんか雰囲気がめちゃくちゃ悪くなってきてたから、早いとこお暇しようかなって思ってたんで、ちょうど良かったっす!」
「あ、そ、そうだったんですか……」

 俺の答えを聞いたかなみさんは、安堵したように表情を和らげたが、すぐに更に気まずげな顔になると、さっきよりも深々と頭を下げた。

「……って、やっぱりごめんなさい! ウチのお父さんたちがくだらない事で喧嘩し始めちゃって、三枝さんに不快な思いを――」
「い、いえいえ! ですから、かな……初鹿野さんが謝る事じゃないですって! だから、顔を上げて下さい!」

 かなみさんの謝罪の言葉に、俺は更に激しくかぶりを振りながら答える。
 そして、手に提げたキャリーバッグの中身を気にしつつ、座敷に居た時から聞きたくてたまらなかった事を訊いてみた。

「あの……こんな事を訊いたら失礼なのかもしれないんですけど……ひとつ、お伺いしても宜しいですか?」
「え……あ、はい。何でしょう? 私に答えられる事か分かりませんけど……」

 かなみさんは、怪訝な表情を浮かべながら、小さく頷く。
 俺は、もう一度キャリーバッグに目を落とすと、彼女に質問をした。

「ええと……この前お亡くなりになった、ハジさ――初鹿野伝蔵さんって、あんな風に言われるくらい嫌われてたんですか?」
「え……?」
「ニャニッ?」

 俺の質問に、当惑の声が上がる。
 すかさずキャリーバッグを軽く叩いて“口封じ”した俺は、慎重に言葉を選びつつ話を続けた。

「あ、いや……なんか、すごい言われようだったんでビックリして……。近所の人から嫌われてたとか、葬儀の報せに祝電が返ってきたとか……。実の子どもさんたちからも、あまり良く思われてない感じでしたし……」
「……」
「あ! す、すみません! お、おっしゃりたくないのなら、答えてもらわなくても全然大丈夫っす! ……ただ、今後の事もあって、そこら辺をちゃんと確認しておきたいな~って思っただけなんで」
「……今後の事?」
「あ……! い、いや、その……」

 しまった、つい口が滑った。
 ……でも、生前の初鹿野伝蔵さんがどういう人間だったのかについての興味がある事は本当だ。何せ、これから十年くらい……いや、下手したらもっと長い時間を初鹿野伝蔵ハジさんと一緒に過ごさなきゃいけないのだ。今は可愛らしい猫の姿になっているハジさんが、本来はどんな性格をしているのか、あらかじめ知っておきたい。

「……」

 そんな俺の不躾な問いかけに、かなみさんは逡巡するように目を伏せたが、「……そうですね」と、苦笑いを浮かべながら小さく頷くと、少し躊躇いながら、ぽつぽつと話し始めた。

「確かに……おじいちゃんは、結構気性が荒い人で、そのせいで周りと喧嘩してばっかりでした。長男の私のお父さんとも仲が悪くて、一緒に住んでた頃はしょっちゅう言い争いをしてました」
「あ……そうだったんですね……」

 哀しそうな顔をして話すかなみさんを前に、自分で訊いておいて、今更罪悪感に苛まれる俺。
 だが、かなみさんは、そんな俺に気付かぬ様子で更に話を続ける。

「結局……私が小学生の頃に、おじいちゃんは家を出て行っちゃいました。それからは、ほとんど顔を合わせる事も無くて、お父さんたちもおじいちゃんがどこで何をやってるのか知らなかったみたいです。それで……この前やっと連絡が来たと思ったら、『亡くなった』っていう報せで……」
「……」
「お父さんたち……その報せを聞いた時も悲しむでもなく、『ホッとした』って言ってたんですよね……。『人に暴力を振るったとか、迷惑をかけたっていう報せじゃなくて良かった』って……」
「そ、それは……」

 かなみさんの話に、俺は返す言葉を失った。
 そして、ふと気になって、そっとキャリーバッグの中の様子を窺うと、「みゃあう……」という力無い鳴き声が聞こえた。
 ……まあ、ショックを受けるのも無理はない。
 俺は何だか居たたまれない気持ちになって、もう話を終わらそうと声を上げようとした――その時、

「……でも」

 かなみさんが、ポツリと言った。

「でも……私は好きでした、おじいちゃんの事」
「え……?」
「……にゃ?」

 かなみさんの口から出た意外な言葉に、俺とハジさんが思わず声を上げる。
 彼女は、今にも泣きそうになりながら、その顔に微笑みを浮かべ、言葉を継いだ。

「何でかは分からないんですけど……おじいちゃん、私にだけは優しくて、可愛がってくれたんです。だから……私はおじいちゃんの事が、みんなの言うような悪い人にはどうしても思えなくて……」
「ニャニャアァ……ズズゥ……」

 かなみさんの言葉に、キャリーバッグの中から鼻を啜る音と共に、微かな鳴き声……もとい、泣き声が聞こえてきた。
 俺は、その泣き声がかなみさんの耳に届きやしないかと内心でヒヤヒヤしながら、彼女の話に耳を傾ける。

「だから、おじいちゃんが亡くなったのに喜んだり、お葬式の場で、兄弟であんなみっともない喧嘩したりするお父さんたちを見るのが嫌で――」
「……」
「それでも我慢してたんですけど……お父さんが、よりにもよって私の学費を言い訳にしたところで……遂にキレちゃいました」 
「そうだったんですか……」

 俺は、あの時のかなみさんの怒りの理由が分かって、しみじみと頷いた。
 と、そんな俺に彼女は再び深々と頭を下げる。

「……って、やっぱりごめんなさい! 私の勝手な感情で、三枝さんまで巻き込んじゃって――」
「いや、だから、別にいいですってば」

 俺はペコペコと頭を下げるかなみさんに思わず苦笑しながら、かぶりを振った。
 そして、ちらりと手に提げたキャリーバッグに目を落としてから、言葉を継ぐ。

「お孫さんにそこまで想ってもらえて、初鹿野さん……あなたのおじいさんも喜んでますよ。……なあ、ハジさん?」
「ミャアッ!」

 俺の声に応じて、キャリーバッグから元気のよい猫の鳴き声が上がった。
 そんな俺たちの言葉を聞いたかなみさんは、指で目尻を拭うと、満面の笑顔を浮かべる。
 うわ、めっちゃ可愛い……!

「……そうだといいんですけど」

 思わず胸を高鳴らせる俺にそう言うと、かなみさんはくるりと振り向き、真っ青な夏空に立ち上る一条の煙を見上げた。
 その煙は、斎場に隣接した火葬場の煙突から上がっている。
 そして、今まさに火葬されているのは……。

「おじいちゃん……さようなら。空の上から、私たちの事を見守っていてね……」
「……」
「……」

 おじいちゃん……空の上じゃなくて、キャリーバッグの中から見守ってるんだよなぁ……。
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