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第三章 メタルギニャ・ソリッド
第二十九話 頼みごとと返事
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「頼み……? 俺にっすか?」
蓋を開けたカップ麺の中に、沸いたヤカンのお湯を注ぎながら、俺は怪訝な声でハジさんへ尋ねた。
俺の問いかけに、「……うみゅ」と頷いたハジさんは、躊躇いがちに言葉を継ぐ。
「じ、実はニャ――ワシの家……ムシャムシャ……今はかなみの……ムシャ……家にニャ……ムシャムシャ……」
「喋るか飯食うかどっちかにして下さい」
「……」
ムッとした俺がジト目を向けると、ハジさんは、名残惜しそうな様子で顔を突っ込んでいた餌皿から頭を上げた。
そして、舌で湿らせた前脚の甲で顔を拭きながら、話を続ける。
「ええと……実はニャ、ワシの……いや、かなみの? ……まあ、要するに、202号室ニャんだがニャ……おミャえさんに、あの部屋の押し入れの屋根裏に隠してある物を取って来てもらいたいんだニャ」
「押し入れの屋根裏に隠してある物……ですか?」
ハジさんの言葉を聞いた俺は、首を傾げながら、頭に浮かんだ疑問を口にした。
「どんな物なんすか? その、隠してある物って……?」
「そ、それは……」
俺の問いかけに、ハジさんは分かりやすく狼狽する。
彼は、目線を上下左右に目まぐるしく彷徨わせてから、
「……も、黙秘権を行使するニャ……」
と、歯切れ悪い口調で答えた。
「黙秘権って……」
恐らく史上初であろう『黙秘権を行使する猫』を目の当たりにした俺は、思わず吹き出しそうになるのを堪える。
……とはいえ、ハジさんが明かそうとしない『隠してある物』が何なのかは、大体想像がついた。
独身男性が、他人に見つかるのを怖れて天井裏に隠すようなものなんて……大方、エッチぃな写真集や雑誌やDVDあたりと相場が決まっている。
そう考えて内心で爆笑しつつ、俺はマジメそうな表情を取り繕って、「じゃあ……」と更に問いを重ねた。
「どうして、俺にそれを取りに行かせようとしてるんですか? 場所が分かってるのなら、自分で取りに行けば――」
「それが出来たら苦労せんわい」
俺の質問に、ハジさんは憮然としながら首を左右に振り、前脚で自分の事を指さす。
「取りに行こうと思っても、この格好じゃ持って来れんわい。……というか、身体の大きさも足りんから、そもそも天井板に手が届かん」
「あぁ……確かに」
ハジさんの言葉に、俺は納得して頷いた。
彼の言う通り、今のハジさんの体は生後数ヶ月の子猫だ。初めてこの姿になったハジさんに出会ってから一ヶ月半くらい経って、彼の身体もだいぶ大きくなってきたが、それでも、天井裏に上ったり、そこに隠してある物 (どのくらいの大きさかは分からないが)を咥えて持って来るなんて事は至難の業だろう。
それで、ハジさんが自分の代役として白羽の矢を立てたのが、俺という訳だ。……もっとも、ハジさんの正体を知っている人間は俺しかいないのだから、元から他に選択の余地は無いのだけれど。
「実はニャ……」
ハジさんは、今度は胸に生えた毛を舌で丁寧にブラッシングしながら言葉を継ぐ。
「ワシャ、屋根裏に隠してあるアレの事などすっかり忘れとったんニャ。でも、この前……かなみが202号室に引っ越してきた日、久しぶりにあの部屋の中に入った時に、急にアレの事を思い出したんニャ」
「ああ……あの時か」
俺は、二週間前の事を思い出して頷いた。
そういえば、ハジさんの姿が一瞬見えなくなった時があった。
「だから、押し入れの中に入ってたんですね、ハジさん」
「まあ……ニャ」
俺の言葉に、ハジさんは小さく頷く。
「あの時、押し入れの天井板を見たが、特に動かされたような形跡は無かった。だから、天井裏に隠しておいたアレは、まだそのままのはずニャ」
そう言うと、ハジさんは肩を落とし、大きな溜息を吐いた。
「それから、かなみが留守の間に何回かあの部屋に入り込んで、何とかアレを取り出せないか試してみたんじゃが……やっぱり、どうやっても無理でのう……」
「じゃあ、今日俺が見たのは……」
「……ああ、ちょうどこの部屋に戻ろうとした時ニャ」
コクンと頷いたハジさんは、その眼を大きく見開いて、俺の顔を見上げる。
「――だから、おミャえさんに頼るしかニャいんじゃ! 頼む、三枝君! ワシの代わりに、屋根裏のアレを回収してきてくれぇっ!」
「うっ……!」
ハジさんに円らな瞳で見つめられた俺は、思わず声を上げる。
中身が七十過ぎのクソジジイという事は分かってはいる。……いるのだが、子猫のいたいけな瞳で見つめられながらの懇願を、どうして断る事が出来ようか ?
「……分かりました」
数十秒くらい考えた後、俺はしぶしぶ頷いた。
確かに、子猫のガワを着たジジイにどこぞの金融会社のCMに出てくるチワワばりの潤んだ瞳で懇願された事もあるが、それ以上に、エッチなアイテムを隠した部屋に住んだ孫娘が、それらをいつ発見されるかと怯え続ける事になるハジさんの境遇に同情した事も大きい。
身内に自分の性癖がバレる事の恐ろしさと恥ずかしさは、俺も痛いほどに分かるから……。
ここは一肌脱いで、ハジさんに大きな貸しを作ってやるのも悪くない。
それに、エッチなアイテムを取り戻した事でハジさんの未練が消え、子猫の身体から成仏してくれる可能性もあるかもしれないし……!
「おお、本当かッ!」
俺の返事を聞いたハジさんは、ぱあっと表情を輝かせる。
「いやぁ、助かるわい! おミャえさんが協力してくれるのなら、こんなに力強い事は無いわい! 良かった良かった!」
俺の返事を聞くや、めちゃくちゃに喜ぶハジさん。
そんな彼の欣喜雀躍ぶりを見ながら、俺はふと思うのだった。
(……そんなに執着するなんて、どんだけどぎついエッチアイテムなんだろう?)――と。
蓋を開けたカップ麺の中に、沸いたヤカンのお湯を注ぎながら、俺は怪訝な声でハジさんへ尋ねた。
俺の問いかけに、「……うみゅ」と頷いたハジさんは、躊躇いがちに言葉を継ぐ。
「じ、実はニャ――ワシの家……ムシャムシャ……今はかなみの……ムシャ……家にニャ……ムシャムシャ……」
「喋るか飯食うかどっちかにして下さい」
「……」
ムッとした俺がジト目を向けると、ハジさんは、名残惜しそうな様子で顔を突っ込んでいた餌皿から頭を上げた。
そして、舌で湿らせた前脚の甲で顔を拭きながら、話を続ける。
「ええと……実はニャ、ワシの……いや、かなみの? ……まあ、要するに、202号室ニャんだがニャ……おミャえさんに、あの部屋の押し入れの屋根裏に隠してある物を取って来てもらいたいんだニャ」
「押し入れの屋根裏に隠してある物……ですか?」
ハジさんの言葉を聞いた俺は、首を傾げながら、頭に浮かんだ疑問を口にした。
「どんな物なんすか? その、隠してある物って……?」
「そ、それは……」
俺の問いかけに、ハジさんは分かりやすく狼狽する。
彼は、目線を上下左右に目まぐるしく彷徨わせてから、
「……も、黙秘権を行使するニャ……」
と、歯切れ悪い口調で答えた。
「黙秘権って……」
恐らく史上初であろう『黙秘権を行使する猫』を目の当たりにした俺は、思わず吹き出しそうになるのを堪える。
……とはいえ、ハジさんが明かそうとしない『隠してある物』が何なのかは、大体想像がついた。
独身男性が、他人に見つかるのを怖れて天井裏に隠すようなものなんて……大方、エッチぃな写真集や雑誌やDVDあたりと相場が決まっている。
そう考えて内心で爆笑しつつ、俺はマジメそうな表情を取り繕って、「じゃあ……」と更に問いを重ねた。
「どうして、俺にそれを取りに行かせようとしてるんですか? 場所が分かってるのなら、自分で取りに行けば――」
「それが出来たら苦労せんわい」
俺の質問に、ハジさんは憮然としながら首を左右に振り、前脚で自分の事を指さす。
「取りに行こうと思っても、この格好じゃ持って来れんわい。……というか、身体の大きさも足りんから、そもそも天井板に手が届かん」
「あぁ……確かに」
ハジさんの言葉に、俺は納得して頷いた。
彼の言う通り、今のハジさんの体は生後数ヶ月の子猫だ。初めてこの姿になったハジさんに出会ってから一ヶ月半くらい経って、彼の身体もだいぶ大きくなってきたが、それでも、天井裏に上ったり、そこに隠してある物 (どのくらいの大きさかは分からないが)を咥えて持って来るなんて事は至難の業だろう。
それで、ハジさんが自分の代役として白羽の矢を立てたのが、俺という訳だ。……もっとも、ハジさんの正体を知っている人間は俺しかいないのだから、元から他に選択の余地は無いのだけれど。
「実はニャ……」
ハジさんは、今度は胸に生えた毛を舌で丁寧にブラッシングしながら言葉を継ぐ。
「ワシャ、屋根裏に隠してあるアレの事などすっかり忘れとったんニャ。でも、この前……かなみが202号室に引っ越してきた日、久しぶりにあの部屋の中に入った時に、急にアレの事を思い出したんニャ」
「ああ……あの時か」
俺は、二週間前の事を思い出して頷いた。
そういえば、ハジさんの姿が一瞬見えなくなった時があった。
「だから、押し入れの中に入ってたんですね、ハジさん」
「まあ……ニャ」
俺の言葉に、ハジさんは小さく頷く。
「あの時、押し入れの天井板を見たが、特に動かされたような形跡は無かった。だから、天井裏に隠しておいたアレは、まだそのままのはずニャ」
そう言うと、ハジさんは肩を落とし、大きな溜息を吐いた。
「それから、かなみが留守の間に何回かあの部屋に入り込んで、何とかアレを取り出せないか試してみたんじゃが……やっぱり、どうやっても無理でのう……」
「じゃあ、今日俺が見たのは……」
「……ああ、ちょうどこの部屋に戻ろうとした時ニャ」
コクンと頷いたハジさんは、その眼を大きく見開いて、俺の顔を見上げる。
「――だから、おミャえさんに頼るしかニャいんじゃ! 頼む、三枝君! ワシの代わりに、屋根裏のアレを回収してきてくれぇっ!」
「うっ……!」
ハジさんに円らな瞳で見つめられた俺は、思わず声を上げる。
中身が七十過ぎのクソジジイという事は分かってはいる。……いるのだが、子猫のいたいけな瞳で見つめられながらの懇願を、どうして断る事が出来ようか ?
「……分かりました」
数十秒くらい考えた後、俺はしぶしぶ頷いた。
確かに、子猫のガワを着たジジイにどこぞの金融会社のCMに出てくるチワワばりの潤んだ瞳で懇願された事もあるが、それ以上に、エッチなアイテムを隠した部屋に住んだ孫娘が、それらをいつ発見されるかと怯え続ける事になるハジさんの境遇に同情した事も大きい。
身内に自分の性癖がバレる事の恐ろしさと恥ずかしさは、俺も痛いほどに分かるから……。
ここは一肌脱いで、ハジさんに大きな貸しを作ってやるのも悪くない。
それに、エッチなアイテムを取り戻した事でハジさんの未練が消え、子猫の身体から成仏してくれる可能性もあるかもしれないし……!
「おお、本当かッ!」
俺の返事を聞いたハジさんは、ぱあっと表情を輝かせる。
「いやぁ、助かるわい! おミャえさんが協力してくれるのなら、こんなに力強い事は無いわい! 良かった良かった!」
俺の返事を聞くや、めちゃくちゃに喜ぶハジさん。
そんな彼の欣喜雀躍ぶりを見ながら、俺はふと思うのだった。
(……そんなに執着するなんて、どんだけどぎついエッチアイテムなんだろう?)――と。
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