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第一部五章 軍神
救援と守備
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「何をしておるのだ、赤備え衆は!」
馬に跨がり、陣頭に立って上杉軍の動向を観察していた信繁は、思わず声を荒げた。
いつもより接近してきた上杉軍が、突然こちらに尻を向けて逃げにかかったのにつられるように、赤い鎧を纏った自軍の騎馬武者達が、隊列を乱して次々と突っ込んでいく様が目に入ったからだ。
「明らかに陽動であろうが! ――敵を前にして、逸る気を抑える事が出来なんだか……」
そう呟くと、信繁はギリリと唇を噛む。その間にも、上杉軍を追う赤備えの武者達の数は増え、遂には、赤備え全隊をあげて追撃を始めた。
このままでは、陣列を整えて待ち受ける上杉本軍の懐に飛び込む形になるのだが、この三日間、ずっとお預けを食らい続けていた獲物の尻を前にして、すっかり頭に血が上った赤備え衆の面々は気付かないのだろうか……。
「――飯富殿も、アレが敵の策である事は察しがついておられるのでしょうが……、先走った兵を見殺しには出来ず、やむなく全兵に進撃の下知を下したのでしょう。……ただ、このままでは――」
傍らで、信繁と同じく顔を青ざめさせた昌幸がボソリと呟き、その中途で言葉を呑み込む。
信繁は、彼が言おうとした言葉の続きがはっきりと解った。
(――このままでは赤備え衆は壊滅に近い被害を受けてしまう……!)
言うまでもなく、その事態は何が何でも避けたい。
万が一、自軍最大最強の戦力である赤備え衆を喪うような事になれば、戦局が一気にこちらの不利に傾く。
いや――それ以上に、『家中最強の部隊が壊滅した』という事実が、他の将兵に与える心理的悪影響の方が深刻だ。
――だからといって、雨宮の渡しの守備部隊から兵を割いて赤備え衆の救援に向かわせたら、手薄になった雨宮の渡しを、上杉の別隊に奪取される恐れが出てくる。
雨宮を敵に明け渡して、千曲川渡河を可能にさせてしまえば、上杉軍による海津城南面からの包囲、或いは、上杉方の小県・佐久地方への侵攻を許す事になる。
赤備え衆の救援に兵を向かわせるか、それとも、赤備え衆を見捨て、雨宮の守備を固めるか――。
信繁は難しい判断を迫られた。
彼は、眉根に皺を寄せ、馬上で暫しの間黙考する。
「…………よし」
そして、小さく呟いて左目を開くと、馬首を翻し、麾下の兵に向かって声を張り上げた。
「――よし! 者ども聞けぇい! これより我らは――!」
◆ ◆ ◆ ◆
一方、背を向けて一目散に逃げる上杉軍と、それを目を血走らせて追いかける赤備え衆との距離は、半町 (約55メートル)にまで詰まっていた。
――と、上杉軍は、なだらかな上り坂に差し掛かり、その速度を落とした。
「よし、追いついた! 鬼ごっこはもう仕舞いじゃ、覚悟せい!」
赤備え衆の先頭を駆ける、まだ年若い騎馬武者が、舌なめずりをしながら手槍をしごいた。あと少し――あと少しで、上杉兵の背中が手槍の間合いに入る。
と――、
「と――止まれ! て……敵じゃあ!」
背後からの、度肝を抜かれた響きの同輩の声が彼の耳を打つ。
彼は、訝しげに眉を顰めつつ、振り返らずに叫び返した。
「敵……? 今さら何を言うておる! 敵なら、目の前におるだろ――」
彼の言葉は、途中から、喉から空気が漏れる音に変わった。
「ひゅ……ヒュー……?」
彼は、グラリと上体が揺らぎ、口の中いっぱいに鉄の臭いが満ちるのを感じながら、視線を下に落とす。――何故か、白い矢羽根が目に入った。
(え……何で――?)
騎馬武者は、己の喉に矢が突き立っている事にようやく気が付き、その顔を驚愕で硬直させ――次の瞬間、その意識は途切れる。
そして、彼と同様に身体に矢を受けた騎馬兵達が、バタバタと馬から転落し、物言わず地に臥した。
「な――何事……!」
やや遅れて駆けてきた武者達が異変に気付き、手綱を引いて馬の脚を止めようとする。突然の乱暴な手綱捌きに、悲鳴のような嘶きを上げて棒立ちになった騎馬の前に、ドスドスと音を立て、何本もの白羽の矢が地面に深々と突き刺さった。
そして、驚きの表情で視線を上げた彼らの目に――坂の上で整然と隊列を整え、こちらを見下ろしている多数の騎馬武者の姿が映り、思わず呼吸が止まる。
彼らの掲げる旗指物に染め抜かれたのは――竹に二羽飛び雀……上杉家の家紋であった。
「……し――」
先駆けしてきた赤備えの兵達は、ようやく気が付いた。
「しまった……待ち伏せか! こ――これは……これは敵の策略じゃあっ!」
狼狽と恐慌に満ちた彼らの絶叫を合図としたかのように、彼らの頭上へ数多の矢が降り注ぎ、そして、殺気に満ちた上杉軍の騎馬衆が、餓虎の如き勢いで地鳴りのような轟音を立てながら、赤備え衆へと襲いかかってきたのだった――!
馬に跨がり、陣頭に立って上杉軍の動向を観察していた信繁は、思わず声を荒げた。
いつもより接近してきた上杉軍が、突然こちらに尻を向けて逃げにかかったのにつられるように、赤い鎧を纏った自軍の騎馬武者達が、隊列を乱して次々と突っ込んでいく様が目に入ったからだ。
「明らかに陽動であろうが! ――敵を前にして、逸る気を抑える事が出来なんだか……」
そう呟くと、信繁はギリリと唇を噛む。その間にも、上杉軍を追う赤備えの武者達の数は増え、遂には、赤備え全隊をあげて追撃を始めた。
このままでは、陣列を整えて待ち受ける上杉本軍の懐に飛び込む形になるのだが、この三日間、ずっとお預けを食らい続けていた獲物の尻を前にして、すっかり頭に血が上った赤備え衆の面々は気付かないのだろうか……。
「――飯富殿も、アレが敵の策である事は察しがついておられるのでしょうが……、先走った兵を見殺しには出来ず、やむなく全兵に進撃の下知を下したのでしょう。……ただ、このままでは――」
傍らで、信繁と同じく顔を青ざめさせた昌幸がボソリと呟き、その中途で言葉を呑み込む。
信繁は、彼が言おうとした言葉の続きがはっきりと解った。
(――このままでは赤備え衆は壊滅に近い被害を受けてしまう……!)
言うまでもなく、その事態は何が何でも避けたい。
万が一、自軍最大最強の戦力である赤備え衆を喪うような事になれば、戦局が一気にこちらの不利に傾く。
いや――それ以上に、『家中最強の部隊が壊滅した』という事実が、他の将兵に与える心理的悪影響の方が深刻だ。
――だからといって、雨宮の渡しの守備部隊から兵を割いて赤備え衆の救援に向かわせたら、手薄になった雨宮の渡しを、上杉の別隊に奪取される恐れが出てくる。
雨宮を敵に明け渡して、千曲川渡河を可能にさせてしまえば、上杉軍による海津城南面からの包囲、或いは、上杉方の小県・佐久地方への侵攻を許す事になる。
赤備え衆の救援に兵を向かわせるか、それとも、赤備え衆を見捨て、雨宮の守備を固めるか――。
信繁は難しい判断を迫られた。
彼は、眉根に皺を寄せ、馬上で暫しの間黙考する。
「…………よし」
そして、小さく呟いて左目を開くと、馬首を翻し、麾下の兵に向かって声を張り上げた。
「――よし! 者ども聞けぇい! これより我らは――!」
◆ ◆ ◆ ◆
一方、背を向けて一目散に逃げる上杉軍と、それを目を血走らせて追いかける赤備え衆との距離は、半町 (約55メートル)にまで詰まっていた。
――と、上杉軍は、なだらかな上り坂に差し掛かり、その速度を落とした。
「よし、追いついた! 鬼ごっこはもう仕舞いじゃ、覚悟せい!」
赤備え衆の先頭を駆ける、まだ年若い騎馬武者が、舌なめずりをしながら手槍をしごいた。あと少し――あと少しで、上杉兵の背中が手槍の間合いに入る。
と――、
「と――止まれ! て……敵じゃあ!」
背後からの、度肝を抜かれた響きの同輩の声が彼の耳を打つ。
彼は、訝しげに眉を顰めつつ、振り返らずに叫び返した。
「敵……? 今さら何を言うておる! 敵なら、目の前におるだろ――」
彼の言葉は、途中から、喉から空気が漏れる音に変わった。
「ひゅ……ヒュー……?」
彼は、グラリと上体が揺らぎ、口の中いっぱいに鉄の臭いが満ちるのを感じながら、視線を下に落とす。――何故か、白い矢羽根が目に入った。
(え……何で――?)
騎馬武者は、己の喉に矢が突き立っている事にようやく気が付き、その顔を驚愕で硬直させ――次の瞬間、その意識は途切れる。
そして、彼と同様に身体に矢を受けた騎馬兵達が、バタバタと馬から転落し、物言わず地に臥した。
「な――何事……!」
やや遅れて駆けてきた武者達が異変に気付き、手綱を引いて馬の脚を止めようとする。突然の乱暴な手綱捌きに、悲鳴のような嘶きを上げて棒立ちになった騎馬の前に、ドスドスと音を立て、何本もの白羽の矢が地面に深々と突き刺さった。
そして、驚きの表情で視線を上げた彼らの目に――坂の上で整然と隊列を整え、こちらを見下ろしている多数の騎馬武者の姿が映り、思わず呼吸が止まる。
彼らの掲げる旗指物に染め抜かれたのは――竹に二羽飛び雀……上杉家の家紋であった。
「……し――」
先駆けしてきた赤備えの兵達は、ようやく気が付いた。
「しまった……待ち伏せか! こ――これは……これは敵の策略じゃあっ!」
狼狽と恐慌に満ちた彼らの絶叫を合図としたかのように、彼らの頭上へ数多の矢が降り注ぎ、そして、殺気に満ちた上杉軍の騎馬衆が、餓虎の如き勢いで地鳴りのような轟音を立てながら、赤備え衆へと襲いかかってきたのだった――!
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